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第七話  日暮



 東城秀一、朔夜の友人。

 三十歳、サラリーマン。

 十月七日生まれ、A型。

 東京在住。一人暮らし。

 趣味・映画鑑賞。

 座右の銘・『有言実行』

 暁斗によくあげたもの・観葉植物

 朔夜によくやったもの・説教

 朔夜とのつきあい・十五年



 朔夜とのつきあい・十五年



 朔夜と別れた後、一眠りしてから結局仕事にも手を付ける気にならないまま、東城は友人のことを考えた。

 昔から何かに執着するということがなかった友人に出会ったのは中学に入学したとき。その頃はまだ二人の関係はクラスメイトに過ぎず、会話をしたことすらなかった。

 そんな二人の関係が親密になったのは三年生の初め頃。桜が緑の葉を付け始めた頃だった。

 一度も会話がしたことがなく、にも関わらず三年間同じクラスだったのは偶然でしかない。その存在は知っていた。あちらは知らなかったようだが、東城は朔夜の存在を知っていた。彼は良い意味でも悪い意味でも目立つのだ。

 特に決まった友人もなく、一年の半分ほどしか学校に来なかった。来ても誰とも話さず本を読んでいるだけ。女子はかっこいい・クールだと言ってかなりモテていたらしい。しかし一方で関わりにくい雰囲気だとも言われ、敬遠されていた。

 東城自身そんな後者の一人で、三年生に上がるまで一言も言葉を交わしたことがなかった。

 初めての会話は意外にもあちら側だった。その時の内容を東城は今でも覚えている。

「あんた、映画詳しいんだろ?」

 いきなりの言葉に最初は何を言ってるのか、自分に言っているのかすらわからなかった。朝のSHRが終わってすぐ、それぞれが授業の準備を始めていた中、彼は一人で東城に近づき、そんな質問をしてきたのだ。何の前触れもなく、そんなもの必要がないかのように。

「おい、聞いてるのか?」

 しばし東城が呆然と朔夜を見上げていれば、不機嫌な態度になった。本当に相手のことなどお構いなしの、ただ我が道を行くという言葉を実行していた。

「ああ、詳しいけど…」

「じゃあこの監督の映画、知ってるか」

 そう言って提示されたのは数人の監督の名前が書かれた紙。よく知られているメジャーな名前からコアなファンしか知らないようなマイナーな名前まで。

 結局その時は俺からその監督の作品の名前や上映している映画館を聞くだけ聞いて去っていった。その間向こうが俺の名前を呼んだことは一度もなかった。礼すらも言わずにあいつは何事もなかったかのように去っていったのだ。

 そして俺もその後はしばし呆然とあいつの後ろ姿を見送った。まるで今までの会話が夢であったかのようだった。それぐらいあいつは俺を見ていなかった。ただ本屋で雑誌を調べるような、そんな感覚しかなかったのだろう。だけど、そんなくだらない出会いが俺達の最初の会話だったのだ。

 俺達はあの頃、自分たちの付き合いがこんなにも長いものになることなど想像もしていなかった。そして、この後に待ち受ける未来さえも―――。


 神様なんていないのだと、その時初めて気付いた。

 お参りなどしたことがないくせに、いざとなると祈るのはカミサマ。慈悲深いのなら、平等なら、きっと助けてくれると心の底では思っていた。都合の良いときだけ祈っていた。形だけの神頼みであっても。

 だからあの時知ったのだ。そんな都合の良い存在などいないのだと。いつだって運命は残酷で、現実は冷たかった。

 あの時僕達はあまりにも未熟で、愚かだった。それをカミサマは知らしめた。すべてを救ってくれる者などいるはずもない。


 あの日の涙を僕は忘れない。




 暁斗が家に着いた頃には昼をとうに過ぎていた。朝出てからゆうに五時間以上経っていた。それでも昼食をとる気にはなれず、暁斗はリビングのソファに飛び込んだ。全体重を掛けられたソファは体重分沈んだがそのまま形を留めた。顔に当たる布地は冷たかった。誰も座っていなかったことを表すかのように。

 家には誰もいなかった。彼の父親も。だがその方が良かった。会えばどんな顔をすればいいかわからなくなるからだ。

 蒼衣の話は結局何の解決にもならなかった。暁斗の心にさらなる混乱をもたらしただけだった。

 母の日記に書かれた恋人、そして父はどこか遠くの国の人間のようにつかめない存在だった。暁斗は父を許せばいいのか、憎めばいいのか、それすらもわからなくなっていた。

 誰に聞けば良い、誰が正しいのか何もわからない。ただわかるのは長年自分だけが蚊帳の外にいたということだけだ。

 母の事も、生き別れの兄弟のことも、そして父のことさえ自分だけ何も知らされなかったのだ。母親の事を気にしなかったわけではなかったが、結局それを知ろうと強く思わなかった。会ったことのない母親のことなど他人事のように思えたのだ。それは寂しいと思わなかったから。現状に満足していたから。それが何かの犠牲の上に立った幸せなどと考えたことはなかった。

 まるで自分の名前のようだと思った。

 『暁斗』とは暁の星。明けの明星。太陽が昇る頃のわずかな時間にしか見えない星なのだと蒼衣の話を聞いた後調べて知った。

 星は自分が見える時間の空は見ても、見えなくなる時間の空までは見ない。きっと見えないのは地球側からだけでなく、星側からでもそうなのだろう。青空の下に広がる世界を金星は知らない。

 自分もきっとそうなのだ。見えないからと言ってそのままにしていた。それ以上見ようとしなかった。太陽の光に隠された世界の闇を知らずに生きてきた。

 それを知る日が来た。ただそれだけなのだ。それだけのはずなのに、何も答えが出ない。

 そして父に言う言葉も見つからない。

 訊きたいことがある。何を?

 訊いてどうする? その後にある変化を受けいれられるのか。

 平穏という名のぬるま湯に浸かり続けた身体は外の寒さに耐えられない。一度馴れてしまえば後は問題ないのに。

 変化が怖い。今ある幸せを失うことが怖い。だから何も言えない。

「俺は、どうすればいいんだ」

 一人呟いた言葉は宙に浮いてシャボン玉のように消えた。後には何も残らない。誰も答えてはくれない。

 そういえば、と今頃になって気がつく。父は何処に行ったのだろうか。

 ただいないという事実だけ見ていてそれ以上気にはしていなかった。だが既に丸一日近く会っていない。

 玄関には靴がなかった。だからいないのだと思った。だが家の中を確かめたわけではない。眼の前のことしか見ないことが自分の欠点だと理解したところだというのに。

 どうしようもない自分にため息を吐き、暁斗は起き上がり部屋の中をぐるりと見渡す。

 父がいないこと以外はいつもと変わりないはずの部屋。なのに今は実際の気温以上に寒く感じられ、何年も人が住んでいなかったかのようにさえ思えた。たった数時間留守にしただけなのに。

 誰もいない部屋を見渡すと、テーブルの上にある一枚の紙が眼に入った。帰ったときはそれにすら気付かなかった。

 暁斗は何だろうなと思いながらその紙を手に取った。カサリと音を立てただけで紙は暁斗の手に収まる。最初からそのためにあったかのように。

 紙には文字が書かれていた。誰が見てもこれは手紙だ。そしてここにある以上、宛先は暁斗か朔夜しかいない。そしてその差出人がここにいない父なら、これは自分宛でしかない。

 少し角張った文字は朔夜のものだ。そういえば女子特有の丸っこい文字を嫌っていたなと関係のないことを考えている自分はまだいくらか余裕が残っているのだろう。その余裕は二行足らずの文章によってあっという間に吹き飛ばされてしまったが。


【暁斗へ

俺はしばらく留守にする。いつ帰るかはわからんが心配はするな。

何かあった場合は秀に相談しろ。 朔夜】


 何だこれ。

 それしか出なかった。

 弁明も説明もなく、ただ自分勝手な一方通行の言葉だけがそこにあった。

 朔夜に会ったらどんな顔をすればいいのかとか、何を言ったらいいのかとかいろいろ考えた。なのに、その本人は何も言わないまま、暁斗に会うことすらなく姿を消した。ただ無責任に、自分勝手に。

「ふざけんなよ、何だよこれ」

 この手紙がいつからここにあったかはわからない。ただ本当にちょっと出かけてくるという書き置き以上に意味はないのだろう。父にとって今起こっていることは、息子のことはその程度のものなのか。

 ただ怒りが沸いた。混乱にも不安にも怒りが暁斗の胸の内に沸いた。

「ふざけんなよ、こんなんで済ませられると思ってんのかよ!」

 ぐしゃりと手の中で紙がつぶされた。

 暁斗はズボンのポケットに突っ込んだままだった携帯電話を取り出し短縮から父の番号を呼び出した。そして迷いなく衝動のまま通話ボタンを押した。

 呼び出し音が耳の向こうで鳴り響く。しかし止まらない。やがてコール音は機械で作られた女性の声に変わる。留守電センターに繋ぐと言う案内を暁斗は容赦なく切った。

 電話を取れない状況にあるのかもしれない。しかしそうは思わなかった。

 再びかけ直してみるがやはり誰も出ない。機械音声の案内が拒絶に聞こえた。

 本人が捕まらないのなら相談できる人物は一人しかいなかった。手紙にも書かれた名前。朔夜とは一番長いつきあいであろう、彼を真っ向から叱れる唯一の人物。

 電話のアドレスから彼の番号を呼び出し通話ボタンを押す。

 コール音は数回鳴った後途切れ、聞き慣れた声が受話器の向こうから暁斗の耳に届いた。

『もしもし、暁斗? どうしたんだい、珍しいね』

「秀さん、親父が何処にいるか知りませんか」

『朔夜? 今朝までは一緒だったけど、もう家に帰ってるだろ』

「今家にいないんですよ。しかもしばらく留守にするっていうおかしな置き手紙を残して!」

 暁斗の言葉に事態の深刻さを感じた相手は、すぐにそっちに行くとだけ言って電話を切った。

 暁斗は電話の電源も切らないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。会話の結果から自分が思っていた以上に今の状態が深刻なことを知らされた。おそらく彼は自分以上に現状を理解している。過去も、そして未来も。

 これから先何が変わるというのだろうか。これ以上何も変わって欲しくないと思う一方で、変わり尽くしてくれた方が楽なんじゃないかとも思う。

 しかし暁斗の思いなど汲むはずもなく、一度始まった変化は止まらない。

 会話を終えた事を表すプープーという機械音だけがいつもと変わらずにいた。




 息子からの電話には出なかった朔夜。しかし親友からの電話にはあっさりと出た。

「朔夜、お前今どこにいる」

『東尋坊』

 ゴッ

 ちなみに今の音は東城がケータイを床に落とした音である。

『冗談だよ』

 落としたケータイから朔夜の声が聞こえる。

「笑えない冗談だな」

 落としたケータイを拾った東城。幸いケータイに傷は付かなかったようだ。ただし東城の眉間には皺が寄っている。

『そんなに心配しなくても自殺なんて二度と考えないさ。たぶんな』

「そこは絶対と言え」

 じゃないと一生不安で仕方がない。

 しかし当の本人は吞気だ。

『先のことなんて保証できるか。電話してきた理由は想像が付くが、予想通りかけてくるのがお前らしい。本当に期待を裏切らない奴だな』

「それは褒めてるのか?」

『一応な』

 あまり嬉しくないのは言葉のせいか、言っている人間のせいなのか。

「理由を言う必要がないのなら話が早い。今どこだ。何をするつもりだ」

『場所については行き当たりばったりだな。特に目的地があるわけじゃないし。何をするかも決まってないな』

「…お前、何がしたいんだ」

『特に何も』

 心配しているこっちが脱力しそうな答えだ。

「暁斗が心配してるぞ。話をするんじゃなかったのか」

『そのつもりだったんだがな。少し考えを変えた。暁斗にはもうしばらく待ってくれるよう伝えといてくれ』

「自分で伝えた方がいいだろ」

『中途半端に会うと良くないこともある。俺も少し時間が欲しい』

「昨日と言っていることが違うぞ。何があった」

『お前は相変わらず察しが良いな。話がしやすい。多少はしょるが、今朝家に帰ると先生の弟がやってきて、長年の恨み言を言いたい放題。そのまま帰って行った』

 それはもう少し緊張感を持って言っても良いのではないだろうか。しかし言っている本人に緊張感は感じられない。

「お前、逆に心配になるぞ」

 あの頃の目を離せば死んでしまうのではと思うほど弱った姿は何処に行ったんだ。

『それは多少大人になったということかな。俺もあの男を見て思ったよ。まるで昔の自分のようだなって』

 ただ感情に身を任せ、後先考えもなく行動していた愚直だった自分。今思い出せば恥ずかしいくらいの記憶。

『あれを見てもう少し考えてみたいと思った。昨日ほど投げやりじゃないから安心しろ』

「それはお前にとって前向きなことなんだな」

『ああ』

 それだけが聞きたかった。

「なら良い。暁斗のことは任せろ」

『すまないな』

「今更だな」

 そうだったなと互いが笑い合う。長年支えてきてくれた親友に朔夜は本気で感謝した。

『そう長くはならないと思う。自分の中で整理が付けたいだけなんだ』

「わかってるよ。後のことは心配しなくていい」

『それと暁斗のことだが、もし本人が気にしているのなら話してくれてもいい』

「自分で話さなくていいのか?」

『言い訳にしか聞こえなさそうだしな。本人から聞くよりも第三者から聞いた方が説得力がある。あったことだけ言ってくれたらいい。俺も後で話がしやすい』

「わかった。暁斗が訊いてきたらこちらから話しておこう」

『ああ、それと秀』

「何だ?」

『ありがとな』

 電話はそれきりだった。親友の珍しく素直な感謝に以前なら不安を覚えただろう。しかし今はそう思わない。あいつは必ず帰ってくる。その時前へ進むか、ここで道が終わってしまうかはわからない。だが、戻ることは決してない。そう信じたから。





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