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第四話  彼者誰




 日常生活を送る中で、『死』に対面することは意外に少ない。それは身内の死だったり、またはペットなどの動物・虫などだったりする。

 しかし人の『死』というものは身近にありそうでなかったりする。葬式に行ったこともないという学生がいても決しておかしくない。暁斗自身、葬式や通夜に行ったことはなかったし、そこで具体的にどういったことが行われているかは知らない。

 彼にとって身近な『死』は母のことだが、自分が生まれる前に死んだ母親のために泣いたことはなく、またそれを『死』と感じたことはなかった。失われる命の尊さを知らないわけではない。しかしその重みを感じたことはない。自分はまだ失ったことはない。

 失ったことのない者が失った者に慰めの言葉を掛けても所詮は他人事だ。どんなに理解しようとも理解しきれることではない。

 そんな中、『殺す』とはただの『死』とは違う。それは奪われる行為で、肉体の機能が停止することに変わりはないが、受け止める側の気持ちの有り様は違う。

 奪われたら苦しい、憎い。憎悪と憤怒が心を駆け巡る。

 しかし復讐のために人を殺すという現象は、フィクションの世界でしか見たことがない。実際に人が人を殺すのはもっと単純だったりつまらない理由だったりする。

 だから、目の前の男がまとうその空気が復讐のための憎悪だと、最初は気付かなかった。そんなものは現実には滅多に起こらない、自分とは関わりのない世界だと思っていたからだ。

 しかし暁斗が信じていた世界はもろくも崩れ去った。『加害者』という父をもつことによって―――。





「自分そっくりの息子に会えた気分はどうだ?」

 彼がそう言った時、長い間間違えてはまっていたパズルのピースが転げ落ち、正しいピースがはまる音がした。不思議にも、朔夜の心はそれほど乱れてはいなかった。

 あの少年の顔を見たときは、これはまた夢を見ているのかと思った。

 少年の姿はかつての自分に不気味なほど似ていた。一番無様で愚かだった頃の自分だ。昔の夢を見ているのかと本気で思ったほどだ。しかし今自分はここにいる。大人になった自分がいる。そして少年の隣にはあの時よりも成長した彼がいる。

 これは夢ではない。現実だ。そして、策略という名の計算式の答えを掴んだ。それが誰によって創り出されたものなのかもだ。

 今朔夜が冷静でいられるのは彼が大人になったからだ。そして長い時が流れたからだ。良くも悪くも彼は大人になり、かつての現在は過去となった。

 蒼衣とその叔父は不思議にもその日はそれ以上何もせずに帰って行った。その場に取り残された親子は、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。

 朔夜が息子に声を掛けたのは二人の姿が見えなくなってからだ。

「暁斗、俺は今日用事ができたから、お前先に帰ってろ。晩飯も一人で食べろ。俺の分は用意しなくていい」

 突然そのようなことを言われた暁斗は慌てた。

「え、ちょっと待てよ。さっきの人誰だよ。それに常磐は―――」

「その答えは明日にしてくれ。今日は俺も考えをまとめておきたいんだ」

 そう暁斗の言葉を遮ると、朔夜は息子に背を向け歩き出した。

「ちょっ、親父!」

 止めようとする暁斗に、朔夜はただ一つだけ言い残した。

「俺は、お前が思ってるほど完璧な人間じゃないんだ」

 それだけを残し、朔夜はその場を去っていった。

 置いていかれた暁斗はただ混乱するだけだ。

「何だよ、それ。俺はどうすればいいんだよ」

 自分が当事者なのか部外者なのかすらわからない。自分を置き去りにして進んでいく話。グループ活動の時、皆がそれぞれの役割で進めていく中、自分が何をしたらよいかわからず、ぼうっと立っているしかできなかった時のことを思い出した。あの時と同じく、自分がこれからどうすればよいのか、何をするべきなのかがわからない。一体何が起こっているのかすらわからなかった。

 そして父が何を考えているのかもわからなかった。何も教えてくれない父は不可解な言葉だけを残してどこかへ行ってしまった。



『俺は、お前が思ってるほど完璧な人間じゃないんだ』



 暁斗自身、自分の父を完璧な人間と思っていたわけではない。しかしほとんどの事柄において自分以上の結果を出せる父を、駄目な人間だと思ったことはなかった。

 その口から発せられる言葉はすべてが正しく思えたし、できないことはないのではとさえ思った。たとえ性格に難があっても、決して無様な失敗は犯さないと考えていた。

 しかしそれは父親となった朔夜の姿であって、昔の朔夜を知っているわけではない。暁斗が生まれたときには、当然のごとく朔夜は父親となっていた。若かりし頃に過ちがあってもおかしくはない。

 だが現在の朔夜を見ると、過去にも失敗はないのではと思えるほど、暁斗の目には完璧な父が映っていたのだ。

 結局暁斗は父の言うとおりに帰ることしかできなかった。そして朔夜は日付が変わっても帰ってくることはなかった。不安と混乱を抱えたまま眠れるほど暁斗は図太くなかったが、その心の底で父への見解が間違っていたのではないかという不安が渦巻いていた。父への信頼と不信。暁斗は眠れぬまま朝を迎えることになった。







 一方の朔夜は日が暮れるまで町中を歩き回り、会社勤めの人間が言えに帰宅する頃一つのバーに入っていた。

 朔夜が入った頃にはバーはまだほとんど客がいない状態だったが、しばらくすると仕事を終えたサラリーマンやOLが入ってくるようになった。

 朔夜は一人カウンターでちびちびと酒を飲んでいた。その姿は決してうまそうに飲む様子ではなかった。ただ、本当に時間を潰すためだけに飲むような、そんな様子だった。

 時々若い女性が誘いに来るが、そのすべてを断った。昔から恋愛や性欲には疎かったし、『父親』になってからはそういったこともまったく関わらなくなった。

 それは一生分の恋を使い果たしたとかいう恋愛小説じみたセリフではないが、あの人以上に愛せる相手がいなかったというのも事実だ。未だにあの頃の夢を見ては若かりし頃の想いを繰り返している。

 しかしそれは夢の中の話だ。現実までそうかと言われるとそうではないと答えるだろう。過去は所詮夢の中に消えてゆくものだ。どんなに強い想いも、記憶も、まるで色あせるかのように遠いものとなっていく。

 そのことが哀しいのか、辛いのかはわからない。今でもあの時の情熱は思い出せるというのに―――。

 しばらく朔夜がそのようなことを考えていると、ようやく待ち人が現れた。

 決して高級ではないが清潔でセンスのよいスーツは本人の性格を表している。朔夜がひっくり返ってもまねできないことだ。何せ彼はワイシャツにアイロンをかけずに着ても平気な男だ。会社勤めは一生無理なようだ。

 待ち人は相手を待たせたことに対し詫びる様子もなかった。

「おせぇぞ」

「こっちが遅いのではなくそっちが早すぎるんだ。日が暮れたとたん酒か? 子供が大きくなったからって家庭をないがしろにすると反抗期が大変だぞ」

 そう言って朔夜の隣に座った。

 彼は東城秀一。都内の会社に勤めるサラリーマンである。彼は朔夜の友人で、彼が中学生だった頃からのつきあいである。そのつきあいは十数年、およそ半生のつきあいとなる。

 そして彼の過去の事情を知る数少ない人間の一人でもある。

 突然の呼び出しを食らった彼だが、朔夜の性格を熟知しており、朔夜がもっとも信頼している人物である。

「それで? 何の用があってこんな早くから呼び出したんだ? まさか酒につきあわせるために勤務時間に電話してきたわけではないだろ?」

 朔夜がそんな理由でわざわざ勤務時間に電話してくることはない。してくるのならそれなりの理由があるはずである。常より幾分か雰囲気が暗い友人に何かがあったことを、東城は会ってすぐに気付いていた。

 朔夜はグラスに残っていた酒をあおり、バーテンダーに再度酒を注文した。

「今日、『先生』の弟に会った」

 朔夜がようやく口に出した言葉に、東城は驚きを隠せなかった。

「夕夏さんの? どうして今頃に」

「どうして今頃なのかは知らねぇ。もしかしたら時をあわしてるのかもな。俺が『先生』に会ったのは十四歳の時。ちょうど暁斗も同じ歳だ」

 もしそうなら悪趣味なことこの上ない。

「だからって、今更昔の恨みでも晴らそうっていうのか? あの件はお前だけの責任でもないだろ」

「俺はそう思っていない。向こうもな」

「だからって…」

「それにな、会ったのはそいつだけじゃないんだよ」

 朔夜は新たに入れられた酒を半分ほど飲んだ。

「そいつは暁斗のクラスメイトの叔父なんだと。さらにその甥は誰かさんのガキの頃にうり二つときている」

「おい、それってまさか…」

「暁斗はそれほど似てなかったが、似るもんなんだな、親子ってのは」

 東城は席に座ってすぐに頼んだ酒にも手を付けられず呆然としていた。

 そして落ち着いた頃には、十五年前の悪夢が繰り返されるのではと危惧していた。

 東城はあの頃の朔夜を知っている。あの人を失った直後の朔夜はひどい有様だった。そのうち後を追ってしまうのではないかと思い、見張り続けた。結局朔夜が求めたのはそんなものではなかったが、死を選ぼうとしたことは変わらない。いや、ある意味死よりも質が悪かった。

 朔夜には死という終わりを選ぶことができなかった。許されていなかった。だからこそあそこまでひどい状態になったのだろう。いっそのこと死ねたら楽になれるのではないかと東城自身、考えたことが一度ではなかった。しかし彼にそれを勧めることができるはずもなく、また東城自身朔夜に死んで欲しくないという思いがあった

 今となってはそれが良かったのかどうかはわからない。しかしそれを切り抜けたからこそ、今がある。苦難の末手に入れた今を、東城は失いたくなかった。もう一度友をあの地獄に投げ出したくなかった。

 眉間に皺を寄せている東城に対し、朔夜はその心中を察したかのようだった。

「そんなに心配するな秀。あの時みたいに自暴自棄にはならねぇよ」

 そう言う朔夜は東城が思った以上に落ち着いていた。それでも心中は穏やかではないだろうが、確かに昔のような危うさは感じられなかった。

「今悩んでるのは暁斗にどういうふうに説明したらいいのかと、もう一人とどうやって話をつけるか。それにあいつがこれから何をしてくるかだ」

「そのもう一人とは話せたのか?」

「いや、話す暇はほとんどなかった。だけど最初の挨拶を聞いている限りじゃ、あいつにいろいろと言われてきたようだった」

 正直、朔夜はそれが一番心配だった。

 あの男が蒼衣に話した過去は嘘偽りではない。しかし私情の入った説明は真実を正しく映せないかもしれない。それに彼があの子にどんな風に接してきたかが気がかりだ。

 自分の最愛の姉と、もっとも憎む男の子供。せめて似ていなければ別の可能性を考えられたかもしれないが、あの顔では一目瞭然だ。

 彼は、憎い男の顔をした甥と、どんな気持ちで暮らしてきたのだろうか。

 もう一度会いたいと思った。今更親子らしい会話ができるとは思っていないし、憎まれても仕方がないと思っている。しかしあの男の自分への復讐に巻き込まれる人生だけは歩んで欲しくない。

 父親なのだから子供に会いたいと思うのは当然だと、そんなふうに言うのは何も知らない人間だけだ。子が親を憎むことも、親が子を疎ましく思うことも現実に存在する。

 昔はあの人には殺されてもかまわないと思っていたが、今はあの子達にこそ殺す権利があるのではと思う。

 朔夜自身は家族の情などに縁がなかった方なので、会ったことのない親の敵よりは今の自分と家族を選ぶ。しかしあの子達がそうかはわからない。そこはあの子達の自由だ。たとえその結果がどうなっても、たとえそこに自分がいなくても、あの子達がそれに満足するのならどんな結果も受け入れよう。しかしそれに縛られては欲しくない。過去のために未来や今を失うようなことはして欲しくない。

 選んで欲しい。自分が後悔しない道を。かつての自分と同じ過ちを繰り返さないで欲しい。そしてその過去を受け入れて欲しい。たとえ縛られなくても、なかったことにはしないでくれ。過去を捨てないでくれ。

 俺を許さなくてもいい。殺してくれてもいい。だけどそのことを忘れないでくれ。

 それが朔夜の願いだ。

「お前今度こそ刺されるかもな」

 心配する友人の言葉も、何の力もない。

「それでもいいさ。あいつらがそれで納得するのならな」

 本当に殺されてしまうのではないかという不安が東城にはあった。十五年前もそうだったからだ。しかし殺されず、その憎悪の晴らし方がこれでは、巻き込まれた方も大変だ。血を継いだとはいえ、あの時生まれていなかったあの子達に背負わせるには、自分たちの過去は重すぎる。

 グラスの氷が音を立てて崩れた。

「今までが夢のようなことだ。だったら、今まで夢を見せてくれたことに感謝しなくちゃな」

 それは、誰への感謝なのか。

 東城は訊くことができなかった。

 気付かないうちに終わりを迎えていた夢。帰ってきた残酷な現実。その結末に待つものは―――。





彼者誰とは黄昏の逆。朝日が昇る頃を指します。

「彼の者は誰か」という言葉から付けられ、まだ暗くて眼の前にいるのが誰なのかわからないという意味です。

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