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第十三話  夜明



 東城の話はそれで終わりだった。東城自身実際に見たものは少なかった。ほとんど後で朔夜から聞いたものだ。

「あの後は本当に大変だった。家を出て自活し始めて、赤ん坊の世話なんてしたことがないから育児書を片っ端から読みあさった」

 本屋で高校生が育児書を買う。かなり変な光景だ。

「朔夜はすぐに高校を辞めて今の仕事を始めた。軌道に乗るまでは両親に借金して、アパートを借りて」

 あまりにも慌ただしくて時間の経過などわからなかった。

「さすがに高校生が父親になれるはずもないから最初は両親の養子という形にして、成人してから改めて籍を移した」

 だから戸籍上は暁斗は朔夜の養子になるらしい。

「朔夜の両親はまったく手を貸してくれなかったからな。赤ん坊ってどうやって育てればいいんだって。理由もわからず泣き出すし、食べ過ぎで吐いた時は大騒ぎだったな。救急車を呼ぼうとしたっけ」

 何だか暁斗自身恥ずかしくなってきた。

「まあよく乗り切ったなと我ながら感心するよ」

 しみじみと言う彼も、まだ三十になったばかりのはずだ。子供を持つと大人は老けると言うが、まあ半分ぐらい暁斗は彼の子供のようなものだ。

「これで話は終わりだが、他に訊きたいことはある?」

 東城が話の閉幕を告げる。暁斗は一つだけ気になっていたことを口にした。

「親父たちは常盤…もう一人については本当に何も知らなかったの?」

「ああ、何も知らなかった。双子だということさえ知らなかったんだ。まあ最初からあの男が復讐のために利用しようとしていたから隠されてたんだろう」

 復讐。あの男は父に復讐するために甥を利用しようとしたのか。

「その子については朔夜自信何とかするだろう。問題はあの男の方だが、まあここからは大人の問題だな」

「また子供は口出しするな?」

「そうじゃない。大人は自分の過去に責任を持たなければならないんだ。それを子供にまで背負わせるのは親として最低だ」

 自分たちの問題は自分たちで解決する。次の世代まで残してはならない。

「まだ詳しいことが訊きたいのなら朔夜に訊いた方が良い」

 そう言って東城は立ち上がった。気付けば時計は既に夕方を示していた。窓の向こうには夕日が見える。

 ずいぶんと長い間話していたようだ。

「暁斗、今の話を聞いてどうするかは君自身が決めればいい。それは巻き込まれた側の権利だ。ただ、朔夜の味方としてはあいつを責めないで欲しい」

「秀一さんは結局親父の味方なんだね」

 そう言うと東城はクスリと笑った。

「当たり前だよ。あいつに最後までつきあえる人間なんて他にいないんだから」

 東城の表情は晴れ晴れとしたものだった。

 東城を玄関まで見送った時、暁斗は言った。

「秀一さん」

「ん? 何だい?」

「俺の存在が親父を救ったって言いましたよね」

「ああ」

「だけど、秀一さんがいたからだとも思いますよ」

 東城は驚いたように暁斗を見た。

「親父自分のテリトリーに他人が入るの嫌うって言ってたけど、秀一さんが持ってきた観葉植物とか、親父文句言ったことないんですよ」

 それって信頼しているってことだよね?

 そう言うと東城はうれしそうに笑った。

「ありがとう。本当に君は良い子だね」

 そして東城は帰って行った。夕日に向かって、振り返りもせずに。

 そういえば母さんの名前は夏の夕だったな。暁斗はふと思い出した。

 母さんも空にちなんだ名前だったんだな。

 暁斗は明けの明星。

 夕夏は夏の夕方。

 そして朔夜の意味は朔の夜らしい。朔とは新月のこと。新月の夜に生まれたから朔夜と名付けられたらしい。

「そういえば蒼衣ってどういう意味だろう?」

 母が付けたという名前。彼女はどんな意味でその名前を付けたのだろうか。





 蒼衣は一人母の部屋にいた。

 叔父に見つかれば叱られるかもしれないが、蒼衣が唯一家族を感じられる場所だった。

 叔父はきっと本当の意味で自分を愛していない。姉の子として、復讐の道具として愛していたに過ぎない。

 なら母はどうだったのだろうか。

 あの日記を見る限り、生まれた自分たちを愛していたとは思いにくい。自分の愛した人を奪った男の子を産む。その行為の意味は、未だにわかっていない。あの日記にもそれは語られていなかった。

 それでも蒼衣はここで母のぬくもりに触れたかった。おそらく自分は父だという人に引き渡されるはずだったのだろう。しかし叔父がそうしなかった。姉の遺言を半分護り、もう半分を自分の復讐に利用しようとした。いや、もう一人は引き渡したことすら復讐の手立てだったのかもしれない。

 愛していた息子に見限られる。そんな状況を望んだのかもしれない。

 しかし蒼衣は幸いにも賢かった。叔父の狂気に飲まれなかった。それは幸運としか言えない。

 会ったことのない父や兄弟に会えたことはうれしかった。自分が一人ではないと感じられたから。

 同時に寂しかった。父に愛され、思いっきり生きているもう一人。本当なら自分もあの中にあったはずだったのに。いや、もしかしたら逆の立場となっていたことさえあり得るのだ。

 そういう意味では暁斗に嫉妬したかもしれない。しかし蒼衣は歳の割には成熟した考えを持てていた。かつての朔夜にはなかったものだ。

 母がどんなつもりで自分たちを産んだのかはわからない。しかし生まれた理由と生きる理由は別であっても構わないはずだ。

 一度父だという人に会ってみよう。彼なら自分たちの生まれた理由を知っているかもしれない。

 そしてもう一つ、訊いてみたい。それは名前の意味。

 叔父も祖父母も誰も知らない自分の名前の意味。母がこの身体以外で残した唯一の贈り物。

 知りたい。そしてできるのなら、あのぬくもりに少しでも触れてみたい。

 自分も家族なのだと。






 朔夜が帰ってきたのは彼が出かけてから三日ほど経った頃だ。土産に八つ橋とたこ焼き味の煎餅をくれた。土産に統一性がないのだが。

 なんでも適当にぶらついていたら京都や大阪に行き着いたと言う。何がしたかったんだ、この人は。

 どこまでも父は父のままだった。それが今はうれしかった。

 ちなみに東城への土産は和歌山名物ミカン味の饅頭。おいしいのだろうか…。

 あんだけこちらは気をもんだというのに、当の本人はあっけらかんとしていた。この姿では抜け殻のようだったという姿はまったく想像できない。

 何だか欺された気がしてきた。

「それで? 秀から話は聞いたんだろ?」

 まったく前ぶりもなく緊張感もなく核心を突いてくれた。

「う、うん」

「それで? お前はどうするんだ?」

 態度こそいつもと変わらないが、朔夜自身にも考えるところがあったのだろう。

「どうって…」

「俺はお前等になら殺されてもいいと思ったぞ」

 あまりにもぶっ飛んだ結論だそれは。

「まあそれは最悪の事態としてだ。だが嘘ではない。そう思ったぞ」

 ただな、

「あいつの恨み言を聞いてたら考えを改めてな。ここで俺が死んだら後が面倒だなと思ったわけだ」

 あいつとは常盤要という叔父のことだろう。いつの間に話をしたのかは知らないが、ここでその話を詳しく聞く気にはなれなかった。

 とにかく自分はあの男が嫌いだ。

「生まれて来た以上、子供には生きる自由がある。それを大人が勝手にしていいわけがない。俺が死んだらお前等がどうなるか心配になってな」

 できることなら自分が生きている内に何とかしておきたい。そう思ったのだと言う。

「それでも俺を許すかどうするかはお前等が決めていい。少なくともあいつよりはその権利がある」

 そんなこと言われても、答えは決まっている。

「馬鹿じゃねーの」

 突然馬鹿呼ばわりされて驚いたのだろう。本当に馬鹿面だ。

 ああ、確かに東城が言っていたように、自分はこの父を美化しすぎていたのかもしれない。この人も一人の人間であることを忘れていたのかもしれない。

「恨むことなんて何もねーよ。勝手に悪者のふりするのやめろよ」

 誰にだって悪いところはある。過ちを犯さない人間なんていはしない。

「あんたが悪者になればすっきりするかもしれねーけど、こっちは納得できないんだよ。あんたは俺を育てた。愛してくれた。本当の悪者ならそんなことしねーよ」

 本当の悪人とは、自分のしたことを罪と認めない者のことだと教わった。

「常盤だってあんたのことを恨んでなんていないよ。死んだ人間のことばっか気にしてたらやっていけねぇよ。あんたは今生きてるんだろ? だったら今のことだけ考えてろよ」

 じゃないと世の中楽しくないじゃないか。

 言い切った息子に、父は大笑いで答えた。

「はははははは! お前っどこでそんな理論見つけてきた。っははは、無茶苦茶すぎだろっはは。ああ、もう腹が痛ぇ」

「そ、そこまで笑うことないだろ。俺は大まじめなんだぜ」

「くっくっく、ああ、わかってるよ。お前はそんな嘘つける奴じゃないものな」

 まだ完全に笑いが止まらないらしい。くそっ、言うんじゃなかった。

「ああそうだな。もうここら辺でケリつけた方がいいな」

 もう決めたらしい。ならこれ以上自分が言うことは何もない。

「もし刺されたら立派な葬儀してやるぜ」

「お断りだな。俺は百まで生きるつもりだから」

 ひ孫抱くまで死なねぇよ。





「お前、本当に図太いな」

「今更気付いたか?」

「いや、結構前から気付いてた」

 その日の夜、夕食に東城を招いた。東城は帰ってきた親友に、とりあえずげんこつで迎えた。

「最初はかなり繊細なんだと思ってたよ。だけど暁斗が生まれてから年々図太くなっていく気がする」

「たくましくなったのさ」

「無神経になっただけだろ」

 元々他人への配慮などなかったのだ。親になってからさらにひどくなった気がするが。

 これが朔夜流の大人の生き方らしい。まあ確かに多少図太くならなきゃヤングパパなんてやっていけなかっただろう。

 その分自分の神経がすり減っている気がするのは気のせいではないと東城は確信する。

「これで俺が胃潰瘍にでもなってたら絶対お前の性だな」

「じゃあせいぜい胃を丈夫にしておいてくれ」

 こういうところも相変わらずだ。まあ、これにつきあえなければ今までもやっていけなかったのだが。そう言う意味では自分もずいぶん図太くなったのかもしれない。いや、たくましくなったのか。

「もう一人と会う機会は作れそうか?」

「そうだな、うるさいのがついてるからな。そっちは長期戦になりそうだからとりあえず置いておくとして、こっちはそれほど難しくないと思う」

「その根拠は?」

「勘」

「だろうな」

 やれやれ。結局は行き当たりばったりなわけだ。

「そんなに心配しなくても向こうはそれほど頭悪くないらしい。話せばわかるさ」

「その根拠も勘か?」

「親の勘さ」

「なら期待しておくか」

 とりあえず、父親の腕前を見せてもらおう。





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