それぞれの仕事
彼に突き飛ばされて階段を降りた私達は、結果的に彼を一人取り残す事になってしまった。
「まったく、本当に余計な事しかしませんね」
私と違い、階下まで落ちて受け身を取ったベルナさんが、周囲を警戒しながらそう言う。
「あんなことされて、助けに行かないわけにはいかないじゃないですか……。はあ、手間が増えて面倒です」
ベルナさんは一人、心にもないであろう悪態をついていた。その証拠に、言葉から憤りなどの負の感情を一切感じない。
「それで、どうしましょうか。先程から、テレポートの構築を試みているのですが、うまくいきません。彼にかけていた変化の魔法も、解けてしまいました」
「ここには、魔法阻害の結界が張ってあるらしいです。しかも、侵入者対策のため、内側から通路を開けるには特殊な魔道具が必要です。ですが、完全に魔法が使えないわけではありません。どのくらいで構築出来そうですか?」
「十五分……いや、十分でやります」
「わかりました。では、私達は私達の仕事をしましょう」
「はい」
私達はモートン様の遺体を見つけるべく、通路の奥へと歩みを進めた。
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俺は一人宝物庫で佇んでいた。さっきまで通路があった場所は、何の変哲も無い壁となっていた。これであいつらが追われる事はないだろう。
外の通路からは、慌ただし気な足音がいくつも聞こえてくる。その足音の正体である、複数の兵士が部屋に入ると同時、まるで役目を終えたかのように、けたたましく鳴り響いていた警報が止まった。
「侵入者め! よくも、見張りの者を……って貴様、魔物か!?」
兵士達の目に映ったとおり、俺にかかっていた変化の魔法は、なぜか解けていた。
もしかしたら、ベルナには見限られたのかもな。まあ、それも仕方ないか。あいつらには、迷惑かけてばっかだしな。
「魔物風情がこんなことを……! 死ねっ!」
一人の兵士が、俺に向かって突撃してくる。次の瞬間、辺りに血しぶきが舞った。体は力無く倒れ、地面に落ちた剣が金属音を響かせる。
俺は短剣で首を切り裂き、兵士を殺した。他の兵士達は、一瞬で絶命した同僚を見て、狼狽えている。
計画通り。さっきの一撃はかなり無理をしたが、これだけ隙を晒してくれたら十分だ。
この隙を逃さず、今度は俺が突撃する。相手も鍛えられている兵士だけあって、すぐに臨戦態勢に入った。
しかし、ここは狭い室内。その上相手は数が多く、同士斬りにも注意しなくてはならない。極めつけは、この部屋に保管されている数々の宝の品。傷をつけただけでも、相当な罰則を食らうだろう。
おかけで兵士の動きが鈍い。その間にも、俺は少しずつ兵士に傷を負わせる。
一人の兵士が反撃に剣を振るうが、難なく回避する。相手が振るうのは長剣。対して俺は短剣を二本。リーチは相手に分があるが、小回りや隙の少なさでは俺が有利だ。
ここまでいい感じに戦えてはいるが、別に俺の状況が良い訳じゃない。むしろ悪い。
兵士を殺せる程深く踏み込むと、反撃をもらう可能性が高くなる。出口は奴等が塞いでるし、数なんて比べ物にならない。俺の生存は絶望的。
だが、それでいい。俺の目的は逃げることでも、敵を殲滅することでもない。俺はただ、二人が目的を果たして逃げるまで、時間を稼げばいいのだ。あいつらが見つかるなんて、無いとは思うが、万が一という事はある。だから俺は、可能な限り兵を引きつける。それが、俺の仕事だ。
「くそっ! やむを得ん!」
一人の兵士が叫んだ後、覚悟を決めた様な顔で行動する。その兵士が始めたのは、魔法の詠唱で……。
まじで!? あいつ怖い物知らずかよ! この部屋で魔法なんて使うか普通!?
「食らえ! ファイアボール!」
放たれた火球は、真っ直ぐ俺に向かって飛んでくる。幸いにも、弾道が直線的だったため、回避は簡単だった。
しかし、狭い室内では、避ける場所も限られている。それはつまり、先読みされやすいという事で……。
魔法を放った兵士が、目の前まで迫っており、一切の躊躇なく剣を振るってくる。その兵士の眉間に短剣を突き刺し、命を絶つが、相手の剣も俺の脚に刺さってしまった。
腕ならまだしも、脚はまずい。機動力が無くなれば、俺はあっという間に死んでしまう。
「今だ! かかれ!」
リーダーらしい男が叫ぶと、止まっていた兵士達が動き出した。
これは本格的にまずいな。仕方ない、最終手段をとるか。
「動くな! こいつがどうなってもいいのか!」
俺はある物に剣を突きつけ、兵士を脅すように叫んだ。兵士達の動きは一瞬止まるが、俺が手に持った物を見て、困惑しているようだった。
俺が剣を突きつけた物は、懐に忍ばせておいた、この部屋にあったエロ本だ。
「貴様! ふざけているのか!」
兵士の一人が激昂し、俺を斬るべく剣を振り上げる。
「待て! 下がれ!」
だが、すんでのところで男が叫んだ事により、動きが止まる。
「聞いたことがある。宝物庫には、国王様お気に入りの書物が保管されていると。しかも、それは有害図書だと」
その話を聞いた兵士達の間に、ざわめきが起きる。
「そういうことだ。分かったら、大人しくするんだな。言っておくが、この本はそこら辺にある高そうな物より、人質としての価値があるからな? 調度品は壊れても買い直せばいいが、この本には在庫がねぇ。そして修復も不可能だ。この意味分かるよなぁ?」
俺の言葉に押され、兵士達が数歩後ずさる。だが、その状況で一人だけ、前に出てきた奴がいた。
「おいおい。話聞いてなかったのか?」
「俺はいかなる処分でも甘んじて受け入れる。今貴様を始末する事の方が大切だ」
こいつ、優秀なんだろうな。だが、俺もやられるわけにはいかない。本気で脅すとしよう。
「連帯責任って知ってるか? その行動によって、お前の同僚にも迷惑がかかるんだよ。それに、守らないといけない家庭があるんじゃねえか?」
「――っ!」
俺の言葉を聞いた男は、明らかに動揺しており、さっきまでの覚悟は霧散したようだった。
賭けだったが上手くいったな。まあ、見えるように指輪なんか付けてるから言ったわけだが。
「さて、このままだと埒が明かないよな。そこでだ、俺と取引しない……か……?」
そこまで言ったところで、体から力が抜け、その場に倒れ込む。
まずいな。想像以上に傷が深かった。血もかなり流したな。
一番前にいた兵士が、俺目がけて剣を振り下ろす。朦朧とする意識の中で、最期の時を待つが、いつまで経ってもその時は来ない。
回らない頭を必死に動かし、状況を確認すると、俺を守るように立つ一人の男がいた。
「遅くなりました。すみません」
そいつはそれだけ言うと、兵士達に向かっていった。
顔は隠していて見えないが、間違える筈もない。レイスが助けに来てくれたのだ。あんなに迷惑をかけた俺のことを。
「しっかりしてください。怪我してるじゃないですか。私、回復魔法は使えないんです」
レイスが居るという事は、当然もう一人も居るわけで……。
ベルナは俺の脚にタオルを巻き、圧迫して出血を抑えてくれた。
「なんで……来たんだ……?」
俺はつい、思った事をそのまま口にしてしまった。
「決まってるじゃないですか。同じ職場で働く、同僚だからですよ」
「迷惑ばっか……かけたのに?」
「うるさいですね。これ以上迷惑かけたくなければ、死なないでください」
こいつ、こんなやつだったっけ……前はもっと、冷たかった気がするのにな。
ふと、レイスのいる方に目を向けると、兵士を片っ端から斬り捨てていた。
あいつめっちゃ強いな……俺とは比べ物にならねえ。
「準備出来ました!」
ベルナが叫ぶと、レイスはすぐにこっちに戻ってくる。兵士には、追いかける余裕など無いぐらいの被害が出ていた。というか、ほぼ全滅だ。
ベルナの手が俺の背中に触れ、もう片方の手がレイスと触れた直後、一瞬にして景色が変わる。そこは、魔王城内の医務室だった。
「すみません。緊急外来です」
レイスが声をかけると、部屋の奥から医療班の一人が出てきた。
「はーい。どういった用件でしょうか?」
「彼が脚を怪我したので、処置をお願いします」
「了解です。傷を見せてください」
そう言って、俺の傷を見たそいつが回復魔法をかけると、あっという間に傷は塞がり、脚は元通りになっていた。
「はい。応急処置が適切でしたので、痕も残らずに治りました。もし違和感が残るようでしたら、また来てください」
「ああ」
そいつはそれだけ言うと、部屋の奥へ引っ込んでいった。
部屋には俺達三人だけとなり、若干気まずい空気が流れる。
「モートン様の遺体はどうなったんだ?」
その空気を紛らわすために、俺は今回の目的の結果を聞いた。
「回収は成功しました。今後は、総務部で保管することにしましたので、気になるのであれば見に行けますよ」
「そうか……。なあ、レイス。今まで悪かった。それと……ありがとな」
その言葉に対する俺の返答は、以前の俺では考えられないようなものだった。
「どういたしまして」
この時に見たレイスの顔は、微笑む程度のものだったが、確かに笑っていた。そしてこれが、俺が初めて見たレイスの笑顔だった。