出張
「あんたがうちの探し人や!」
とある日の昼下がり、廊下を歩いているとそんな声が聞こえてくる。見ると、ベルナさんとアラクネのエレトさんが向き合っている。
「誰ですか? あなたの事は知りません」
「うちのこと覚えへんの? あんたの家で居候しとったアラクネや。あんた『痣鬼』やろ。ずっと探しとったんや」
エレトさんは、ベルナさんの事を違う名前で呼んでいた。
前に個人を見分けるために付けられた仮名のような物でしょう。
「――っ! 知らないって言ってるじゃないですか!」
ベルナさんが少し声を荒げる。
普段はこの程度で怒る人ではないですが、今回は仕方ないのかも知れません。まあ、私が口出しする事ではないですね。
そう思い、横を通り過ぎようとする。
「レイスさん、ちょうど良い所に来てくれました。急ぎの出張が出来てしまいました。一緒に来て下さい」
しかし、ベルナさんに声をかけられる。
「少し待って下さい。準備してきます」
そう言って足早にその場を去り、自室へ向かう。
肩掛け鞄に荷物を入れて戻って来ると、
「だから、違うって言ってるじゃないですか!」
「頑固な人やなぁ! 素直に認めたらええのに!」
未だに言い合う二人の姿があった。このままでは、いつまで経っても終わりそうにない。
「ベルナさん、隠し事をするなという訳ではありませんが、今は素直に言った方が良いと思います。もちろん、誤解ならそれでいいです。ですが、時には命を預け合う仕事仲間の間で軋轢があると、様々な問題もあります」
「それは……そうですが……」
私はベルナさんが痣鬼と呼ばれた時点で、探し人がベルナさんだと確信していた。さらに、今悩んでいる事で、その考えに拍車がかかる。
「わかりました、レイスさんがそう言うのなら。お久しぶりです。当時の名前は『よそ蜘蛛』でしたか」
ベルナさんが諦めたようにそう言った途端、エレトさんが目を輝かせる。
「やっぱし覚えとるやあらへんの!」
そう言いながら、ベルナさんに抱き付こうと距離を詰める。ベルナさんは、それを心底鬱陶しそうにあしらう。
「あなたは、自分の仕事に戻ってください。あと、私にはベルナという名があるので」
「冷たいなぁ。もっと喜んでくれてもええのに。まあ、また今度ゆっくり話しましょ」
そう言うと、すぐに仕事に戻っていった。
仕事中にこんな会話をしていたのはよくないですが、切り替えが早いのは良いことですね。
「では、テレポートしますね。街中に出るので気を付けて下さい」
そう言うと、手を握ってくる。
どちらかと言えば、気を付けるのはベルナさんだと思うのですが。
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私達は出張先の王都にやって来た。テレポート先は、人の寄りつかない路地裏の奥。この場所で待ち合わせをしている。
人が寄りつかないとはいえここは人間の国、変化の魔法を使って角を隠してはいるが、下手をすれば魔物だとバレる気を抜けない状況だ。しかし、そんな大事な事がどうでもよくなってしまいそうだった。
テレポートの対象は、術者と術者が触れているもの。だからレイスさんと手をつないだ。
その手がとても温かい。私の手より大きくて綺麗で優しい手。いつまでもつないでいたい。
でも、そんな事をするとレイスさんに迷惑がかかってしまう。だから、名残惜しくもそっと手を離す。帰る時にもつなぐ事は出来る。
待ち合わせの相手が来るまでの間に、仕事の話をしておく。
「今回の仕事ですが、ひっそりと退職していたカールさんの引き継ぎで、ある人と情報交換をして貰います」
「最近見かけないと思っていましたが、退職していたのですね」
「はい。魔王様だけに挨拶をして退職届を出すと、すぐに魔王城を去って行ったらしいです。ちなみにですが、カールさんは魔王城から少し離れた場所で孤児院をするそうです。そして、退職したことを魔王様が伝え忘れ、今朝しれっと言いに来ました。そのせいで、急に出張が出来てしまいました」
「報連相は確実にしてほしいですね」
「まったくです」
話も一段落し、相手が来るまで待つことになる。
せっかくレイスさんと二人きりなのですから、何か会話がしたいですね。でも、レイスさんの趣味とか知らないですし。男性経験が無いから、こういう時にどんな話をすればいいのかも分からないですし。いったいどうすれば……。
「一つ疑問なのですが、情報交換だけなら私は不要なのではないでしょうか」
レイスさんの方から話しかけてくれたと思ったら、仕事の話ですか。まあ、レイスさんはそういう人ですしね。
「それが、情報交換の相手はこの国の宰相なのです。まあ、人間の協力者が居るわけではなく、魔物が化けているだけですが。それで、情報交換の際に意見交換もするので、レイスさんが適任でした。あと、カールさんが後釜としてレイスさんを推薦していたので」
「そういうことでしたか。わかりました」
情報交換はあっという間に終わった。レイスさんが人間ということで引き継ぎは大変だと思っていたが、レイスさんが優秀なのと、カールさんが話をしてくれていたのも大きかった。
「では、魔王城に戻って情報整理と、それを踏まえた今後の予定を立てましょう」
レイスさんがそう言うが、今日はまだ帰らない。まだ、大切な用事が残っている。
「まだ時間もありますし、王都を観光していきませんか?」
そう、大切な用事とは、レイスさんとのデートである。もちろんこんなことを言えば、レイスさんに正論で説き伏せられてしまう。しかし、今この状況に限って、私の勝利は絶対に揺るがない。
「今は勤務時間です。観光をしている場合ではありませんよ」
「今回の出張ですが、時間を多めに取っています。そして、想定より早く仕事が終わったので、時間が余っています。なので、魔王城に帰らなくても問題ありません」
「では、空いた時間を使って仕事をした方がいいのではないですか?」
わかってましたけど、レイスさんは私とのデートより仕事の方が大切なのですね。
「何を言われても帰りませんよ。レイスさんはテレポートが使えないのですから、私についてくるしかないんです」
そう、これこそが私の秘策。私が帰らないのならば、レイスさんは帰れない。我ながら完璧ですね。まあ、レイスさんは分かってた上で、私を説得しようとしていたのでしょうが。
「分かりました。適度な休息は仕事の効率を上げますからね。そういうことにしておきます」
「ありがとうございます」
とりあえず行き先は決めず、表通りを目指して歩き出す。
「何処に行きましょうか。私は甘い物が食べたいです」
「経費で落ちませんよ」
「大丈夫です。全て私が払いますので。というか、休息なのですから仕事の話は禁止です。考えるのも駄目です」
「分かりました、努力します。甘い物と言えば、元パーティーメンバーの一人がよく行っていた店を知っています。そこに行きましょうか」
なんですか、私とのデート中に他の女の話ですか。妬いちゃいますよ。
路地裏もそろそろ終わりになる頃、前方から金髪や茶髪のチャラそうな三人組の男が歩いてくる。
「おっ、姉ちゃんかわいいねぇ~。俺らとイイコトしない?」
品性の欠片も無い声のかけ方ですね。こういうのは無視が一番です。
「釣れねえなぁ。少しぐらいいいだろ?」
横を通り過ぎようとした際に腕を掴まれ、引っ張られる。
今すぐにでも手を出したいですが、殴り倒して騒ぎにでもなったら面倒なので我慢です。
私が何も言わないのを怯えていると取ったのか、男達はニヤニヤしている。
「すみません、私の彼氏に手を出さないで下さい」
どうしようか考えていると、レイスさんが助け船を出してくれた。
「へぇ、かわいい彼氏持ってんじゃん。……え? 彼氏?」
男達はレイスさんと私を交互に見返す。混乱している今、止めを刺すため口を開く。
「ぼ、ぼくは男です……。でも……女の人に間違われるなんて……嬉しいです」
顔に手を当て、恥ずかしがる様に顔を背ける。自分でも、わざとらしいと思う。しかし、男達には効果があったようで、明らかに動揺している。
「おい、こいつらやばいぞ。さっさと離れよう」
「そ、そうだな。関わらないようにしよう」
「やばい……新しい扉が開きそう」
そんな事を言いながら、足早にこの場から離れていく。
「一応言っておきますけど、私は女ですからね」
「分かっています」
ならいいんですけど。ごく稀に、素で私のことを男だと思う人がいますからね。私の胸に一切の膨らみが無いことが、その原因の最たるものでしょう。どうして私の胸は小さいのでしょう。レイスさんも大きい方が好きなのでしょうか。
そんな事を考えながら歩いていると、路地裏が終わり表通りに出た。王都なだけあって人通りは多く、下手するとはぐれてしまいそうだ。正直、これを理由に手をつなぎたいが、さすがに自重する。
「レイスさんは何か趣味とかありますか?」
「特にはありませんね。強いて言うなら読書でしょうか。ベルナさんは何かありますか?」
「いえ、私も特にはないのですよね。今までは、趣味に割く時間が無かったですから。ですが、今は余裕がありますし、私服などにも気を使ってみようと思います」
何故今更お洒落をしようと思ったのかは言わない。もう自分が、かわいい何て言われる歳じゃない事はわかっている。それでも、自分が惚れた相手には、少しでも良く思われたい。
「あのお店です」
他愛もない会話をしながらしばらく歩くと、目的の店に着く。それは、表通りの端に位置していた。
「二名様ですね。こちらへどうぞ」
そう言って案内されたのは、テラス席だった。
「ご注文がお決まりになりましたら、お声かけください」
レイスさんと対面に座り、メニュー表に目を通す。甘味を専門に扱っているだけあって、けっこう値が張る。しかし魔王城に居ると、甘味など滅多に口にすることが出来ない。この程度気にしていられない。
「私はチョコレートパフェとアイスコーヒーにしようと思います。レイスさんはどうしますか?」
「パンケーキとホットの紅茶にします」
店員を呼んで注文を済ませ、しばらく待つとスイーツが運ばれて来る。
私のパフェはグラスの様な容器に入っており、様々な素材で幾つかの層が作られている。上にはアイスクリームと多様な果物が乗っており、食べるのがもったいないほど綺麗に彩られている。
レイスさんのパンケーキは簡素な見た目ながらふっくらと焼き上げられ、周囲に散りばめられたチョコレートソースも相まって、美しい仕上がりとなっている。
「「いただきます」」
私達は手を合わせ、一口目を口に運ぶ。直後、口内を甘さが満たし、久しぶりの甘味に体が喜んでいるのが分かる。
「おいしいですね」
「はい。とても」
私の言葉に顔を上げ、そう答えたレイスさんは笑っていた。
その笑顔に思わずときめいてしまった。レイスさんは感情をあまり顔に出さない。だからこそ、その笑顔はとても輝いて見えた。
そして、このレイスさんは自分しか知らないという、何とも言えない優越感が湧き上がっていた。それと同時に、他の誰にも見せたくないという、醜い独占欲も生じる。
私はレイスさんを束縛出来る立場ではないし、仮に出来たとしても迷惑になるだけだ。でも、もしそうなってしまったとしても、レイスさんは嫌な顔一つせず、私の話を聞いてくれると思う。それでは余りにも自己中心的すぎる。だから、私はその感情に蓋をする。
「そうだ、お互い違うものを頼んだのですし、一口交換しませんか?」
私は気を紛らわすため、話を振った。
「いいですよ。はい、どうぞ」
レイスさんはそれを快諾するとパンケーキをカットし、私の口元にフォークを持ってきた。
これは所謂、あーんなのではないでしょうか。
そう考えると急に恥ずかしくなり、頬が少し熱を持ち始める。ここはテラス席、大通りを通る人の視線も多い。恋人同士だと思われているかもしれないという考えが頭をよぎる。
半ば混乱したような状態で、差し出されたパンケーキを食べる。本当は柔らかくて甘いのだろうが、今の私に味は感じられなかった。
「おいしいです。レイスさんも、どうぞ」
表面だけは何とか取り繕い、レイスさんにもパフェを食べさせる。
「甘くておいしいです」
レイスさんは相変わらず笑いながらそう言ったが、私には余裕がない。とりあえず、落ち着くために一口パフェを食べる。
そこで気付いてしまった。これは間接キスなのではないかと。
直後、さっきとは比べ物にならない程の勢いで顔が熱くなっていくのがわかる。私はその熱を冷ますように、アイスコーヒーを口にするが、その程度では治まらない。高鳴る鼓動と感情を誤魔化すかのように、残りのパフェを食べるペースが早くなる。
「「ごちそうさまでした」」
二人共食べ終わった頃には、かなり落ち着く事が出来ていた。
「では、会計してきますね。ベルナさんは待っててください」
レイスさんはそう言うと、伝票を持って立ち上がった。
「いや、私が払いますよ。私が来たいって言った場所なのに、お金まで払われたら申し訳ないです」
そもそも私が払うって言いましたし、レイスさんは半ば無理矢理付き合わされたようなものですし、申し訳なさすぎます。
「いえ、ベルナさんはこの後服を買うかも知れないので、ここは私が払います」
一瞬、レイスさんの言ったことの意味がわからなかった。だがすぐに、さっき私が私服に気を使いたいと言ったからだと理解した。レイスさんはその時の会話からこの後のプランを立て、私への気遣いもしたのだ。
その事に気付くと、落ち着いていた感情が再び高ぶり始める。
本当はこの後私がエスコートするつもりだったのに、何でレイスさんはこんなに完璧なんですか。こんなことされたら、惚れ直さないわけ無いじゃないですか。
「では、会計してきます」
「あっ……」
私がそんな事を考えている間に、レイスさんは歩いて行ってしまった。仕方ないので、店の入口で待つことにする。しばらくすると、会計を済ませたレイスさんが店から出てくる。
「お待たせしました。行き先は服屋でいいですか?」
「はい。何から何まで、ありがとうございます」
「気にしないでください」
そう言って私達は、並んで歩き出した。
またしても、レイスさんの案内で服屋に来た私は、現在二着の服で迷っていた。
レイスさん曰く、この店はお手頃価格でデザインも良く、大勢から利用されているという。実際、店内には多くの客がいた。
そんな店で私は、好みの服をなかなか見つけれずにいた。というのも、今は七月。現在の季節に合わせて、売られているのは布面積の少ない服ばかりだからだ。
出来るだけ肌は露出したくないんですよね……まあ、レイスさんと二人きりなら話は別ですが。
というわけで、数少ない服の中から二着に絞ったが、そこからが決められないでいた。
ここはレイスさんの意見も聞きますか。
「レイスさん、こっちとこっち、どちらが似合うと思いますか?」
そういえば、私は普通に意見を求めていますが、世の女性の大半はこの質問をする時、共感を求めているだけだと何かの本で読みましたね。
「そうですね……こちらはベルナさんの雰囲気に合ってますし、もう一方は魅力を引き立てれていると思います。私としては、前者がより似合うと思いますよ」
何ですか、完璧ですか。自分の意見をしっかり言って、選ばなかった方もフォローしていて、しかもより似合うなんて言って。
「じゃあ、こっちを試着してみます」
私はそう言って試着室に入り、持ってきた服に袖を通す。しっかり着れたことを確認した後、カーテンを開けレイスさんに姿を見せる。
「ど、どうですか?」
「色やデザインがベルナさんの雰囲気に凄く合っていて、とても素敵だと思います」
やばい。理性がどうにかなってしまいそう。レイスさんに素敵だなんて言われて、まともでいられるわけないじゃないですか。
「あ、ありがとうございます……じゃあこれ、買ってきますね」
口角が上がるのを抑えきれなかった私は、それを言い訳にして足早に移動する。
この後も時間はあるのですが、大丈夫でしょうか。
その後は街中を散策したり、眺めの良い場所に行って景色を楽しんだりした。そして時間はあっという間に過ぎ、魔王城に帰る時間が訪れた。
「今日は付き合ってくれて、ありがとうございます」
「いえ、私も楽しかったですよ」
レイスさんはそう言って笑いかけてくれる。仕事になるとこの顔も見れなくなってしまう。それに、この時をこれで終わりにしたくない。
「あの……王都への出張は月に一度あるんです。だから、その……レイスさんさえよければ、来月もこうやって過ごしませんか?」
「……はい。いいですよ」
私はレイスさんのこの回答に驚いた。正直、無理だと思っていたからだ。今日は付き合ってくれていただけだと、心のどこかで思っていた。でも、レイスさんは次も了承してくれた。
「ありがとうございます。では、私達の職場に帰りましょうか」
私は満面の笑みでレイスさんに向き直り、手をつなぐため腕を前に出す。
「はい」
レイスさんも柔らかな笑顔で私の手を取る。テレポートのためにつないだその手は、行きしの時よりも、ほんの少しだけ温かい気がした。