05話 深淵の力(後編)
「グオォォォオォォォォ!!」
その白いドラゴンはこちらと目が合うなり攻撃を繰り出してきた。
開幕はブレスによる火炎攻撃。続けてその火炎の影に隠すようにして繰り出されたのは尻尾による右側面からの殴打。そこから更に振り切った尻尾の反動を用いた、横回転による爪の攻撃。
子どもだがやはり相手は生物の頂点に君臨するといわれているような立派なドラゴンだ。無駄な動きを切り捨てたような美しい攻撃が縦横無尽に繰り出されている。
「ほう、なかなかよい攻撃ではないか。しかしそれもーー」
ただし、どれ一つとしてこちらへの有効打にはなり得ていない。
全ての攻撃は飛翔による空中移動で回避したからだ。
「ーー当たっていればの話ではあるが。まあよい運動にはなったぞ」
「グルルル」
美しき空の化身とのダンス、なかなかに楽しかったぞ。
今度はこちらの番だ。
「ちょうどいい。貴様には我が力の犠牲になってもらおう」
「グ、グオオォォォー!」
危険を感じ取ったのか、ドラゴンが広範囲にブレスを吐いてくる。
だが無駄だ。この眼はそんなものでは止められない。
右目に黒い炎を灯し、情報を取得する。『ホーリードラゴンの幼生体』という文面から始まる種族や使用してくる攻撃手段などが表示されるが、欲しい情報はこれではない。
戦闘時における弱点はドラゴンの逆鱗? それもどうでもよろしい。次だ、次。
探しているのはこの地に張られた結界の情報にあった、不可解な記述。
もし俺の考えが合っているならば同様のものが書かれているはず。
そして予想通り、その情報が書かれていることを発見する。
「貴様の深淵、覗かせてもらったぞ! では覚悟するがいい」
「グオォォォォ!」
ドラゴンのブレスを正面突破で突き抜けて、そのまま相手の正面に躍り出る。
慌てた素振りのドラゴンが再び尻尾での殴打を試みようとしたのか、体を翻す動作を見せるがそれはこちらに都合のいいものだった。
その動きによって首の背面がこちらから丸見えになったところで、頭の後ろに近い部分へとめがけて飛びつく。
「グオォ!?」
そうしたことで白き龍は俺を振り落とそうとするかのように首を左右に振って暴れるが、すでにドラゴンの首に片腕をまわして体を固定しているのでそれらは無駄なあがきに終わっている。
「必死にあがいているところ悪いが、その首いただくぞ」
空いているもう片方の手のひらを広げて、喉元に差し込むように腕を伸ばしていく。
「キュウウウゥゥゥゥウウウウゥゥゥゥゥ!」
こうして次の瞬間、勝敗が決したのだった。
◇◆◇
ドラゴンを下して再びの空の旅を楽しんだ後、ようやく聖者の霊峰の頂上付近にたどり着いた。
そこには待ち受けるかのように一人の女が立っていた。おそらく山のふもとや中腹で聴いた声の主だと思われるが。
女にはドラゴンによく似た角と翼が生えているが、それ以外は人間族と変わらない姿をしている。
「よもやあの子をそんな姿にしてしまうとは……」
声を聞いて確信する。やはり件の声の人物で間違いないだろう。
「試練と言っていたが、大したことはなかったな。これはお前の子か? ならば悪いことをしたな」
ドラゴンの首に触れ相手の反応を見る。その姿からして当然ではあるのだが、戦っていた時と比べてドラゴンは大人しく俺に触られている。
「我が子を返してください! どうして、どうしたらそんな姿に……」
「どうしてだと? そんなもの見たままが答えであろう。ほらほら、これがよいのであろう。うりうり」
「キュウゥゥ」
連れてきたドラゴンの首筋を撫でてやったところ、気持ち良さそうな声を出して目を細めておるわ。
ククク、うい奴め。
「まさか最強種であるドラゴンを魅了したとでもいうのですか!?」
「いいや、撫でたら懐いただけだ」
「戯言を!」
本当のことしか言っていないというのに、なんとも疑り深い女だ。言い合いをするのも面倒だし、自分で確かめさせるのが一番だろう。
「ほら、母の元へ戻ると良いぞ」
「キュウ!」
それにしてもこの深淵という力、なかなかに使えるではないか。
首筋を撫でられると喜ぶなんてことまでわかるとはな。ドラゴンとの戦闘中に背後に回って首筋を攻めた結果、母親が勘違いするほどに懐いたのだから驚きだ。
「……調べさせてもらいましたが、どうやら本当に魅了した、というわけではないようですね」
「だからそう言ったであろうが」
どうやら誤解は解けたようだな。女は我が子が無事と知ってあからさまにホッとした様子をみせている。
そんな龍の部位を持つ女を密かに深淵の眼で見れば、我が子がかわいすぎて辛いとある。まさに子煩悩というやつであるな。
「キュウ! キュウ!」
「あらあら、なんだかご機嫌なようですね」
母が我が子であるドラゴンの頬を撫でるという仲睦まじい姿を見せている。そんな様子を見るかぎり、どうやらあの表示に間違いはないらしい。
交渉につかうもよし、相手の趣味嗜好を探るもよし。まさに歓楽街の運営を行うための力と言っても過言ではないな。
深淵の眼の有用性が確認できたところで、親子のふれあいを邪魔するのは野暮ではあるが、こちらとしても時間が惜しいので本題に入らせてもらうとしようか。
「そろそろいいか?」
俺の声に気づいたらしい龍人の女は、ドラゴンから手を離すとこちらに向き直ってきた。
「……こほん。恥ずかしいところを見せましたね」
「なに、母が子どもを想う姿に恥ずかしいところなどありはしないだろう」
「そう言ってもらえるとありがたいですが、その、まさかとは思いますが、あなたはもしや魔王では……?」
改めてといった具合に、龍人の女は母親然とした姿でドラゴンを背に隠す。
「確かに俺は魔王だが、だからといってお前たちを取って食ったりはせぬぞ」
「では目的は聖剣ですか? あれはあなたに扱える代物ではないですよ。悪しきものにあれは……そもそもどうやって結界を抜けてきたのですか? 私の結界が壊された形跡もないですし……」
おそらくは結界の悪しき者の通過を拒む効果のことを言っているのだろうが、答えてやる義理はない。まあ、何故通れたのかは俺にもわからんのだが。
「お前は聖剣の守り手と同時に導き手でもあるだろうに、その者が質問攻めか? 今ここに魔王である俺がいるというのが答えで十分だ。ちなみに要件は二つ。一つ目は魔王軍は解散として、代わりに歓楽街を造ることを目的とした魔王組合を立ち上げることになったので挨拶を。二つ目はこの山の温泉を使わせてもらいたいということだ」
龍の親子の背後に続いている道の先に、剣と思われるものが刺さっているのが見える。
あれが龍人の女の言う聖剣なのだろうが、正直興味は一欠片もないな。
それよりも歓楽街の基本となる宿泊施設の目玉となるだろう、聖剣の眠りし地から取れる温泉はぜひとも利用したいところだ。
「そうですか。この地の温泉が目的……待ってください。今、魔王軍解散といいましたか?」
「ああ、俺の代で解散ということにした」
「待ってください。少し考える時間を……」
龍人の女がこめかみを抑えているが、俺はなにか変なことを言っただろうか。
それにしても考える時間か、ならば背中を押してやろうではないか。
攻めるべきは龍人の女、ではなく子どもであるドラゴンの方だ。
「なあ。母親は悩んでいるようだが、お前はどう思う? 温泉を使わせてもらえるとこちらとしては助かるのだが」
「キュウキュウ!」
正直ドラゴンが何を言っているのかはまるでわからないが、否定的な感じではないので問題ないという体で話を進める。
「どうやら子供の方は問題ないと言っているようだぞ?」
「……やはりあなたは魔王ですね。これでは断れないではないですか」
どうやら合っていたようだな。
深淵の眼で視た情報から龍人の女が子煩悩であることは明白。であるならばそこから攻めれば事が有利に運ぶのは道理というものよ。相手の弱みにつけこんだ魔王ならではの交渉……名付けて魔王流交渉術だ。
「ふむ、では?」
「いいでしょう。この地の湯の使用許可は出します、が。お湯の運搬はどうするのです? さすがにこの地に温泉施設を作るなどというのは許可できませんよ」
「それは魔道具を使うので問題ない。<アイテムボックス>」
開いた次元から昨夜のうちに用意しておいた、手のひらに乗る大きさをしている球体の魔道具を取り出してみせる。
「これは転送球といって、対となるもう一つの転送球と繋がっている。使い方は簡単。受信側の球に魔力を流すことで、送信側の周囲にある指定物の転送ができるという代物だ。これを渡すから温泉に投げ入れておいてくれ」
「なるほど、魔力をそちらで流せば温泉が送られるということですね。そういうことでしたら構いませんよ」
「よろしく頼む」
了承を得たところで転送球を龍人の女に手渡す。
これでこの地での用事は完了だ。あとは来た時と同じように空から下山すればいいだろう。
「要件は以上だ、ではな。<飛翔>」
体が浮かび上がって帰る準備は万端だったのだが、ふと思うところがあり一度空中で静止する。
「そうだ、忘れていた」
「まだ何か?」
「しばらくして歓楽街が形になってきたら遊びに来るといい。もう聖剣は必要ないだろうし、守り手としては暇だろう?」
魔王の歓楽街だ。人間族だけではなく、そこにドラゴンが混ざっていても問題はないだろう。
「余計なお世話です。……でもそうですね。この子がもう少し成長したらお言葉に甘えて親子で遊びに行くとします」
「キュウキュウ!」
「フッ、その時を楽しみにしておこう。では今度こそさらばだ」
よい返事を聞けたところで今度こそ魔王城に戻るとする。
これで宿泊所に温泉と、最初の施設の建設にとりかかる事ができるだろう。
そのためにも、まずは整地作業を済まさねばな。