五台目 [タバコ]
寝台の蓋を開けてフォルクハルトは大きく伸びをした。
「ふぁ~~っ、よく寝た……というか、寝る以外に何もしていないのだが」
起き上がって鈍った関節をコキコキ鳴らす。
「もうちょっと何とかならないものかね。このままでは無聊で死にそうだよ……まったく」
と、主の起床を察した従者と侍女であるふたりの眉目秀麗な男女が音もなくこの場へ現れた。
「お目覚めでございますか、マイロード」
「食事の準備をいたしましょうか、マイロード?」
侍女の問いかけに刹那思案したフォルクハルトであったが、
「いや、珍しく客人が玄関先まで来ているようだ。散歩がてら顔を見に行こう」
明後日の方向を向いて面白そうに口元をほころばせた。
ちらりと白い歯と長い犬歯が覗き見える。
途端にふたりの従者の顔と全身に殺気がほとばしった。
「……ならば我々もお供いたします」
「いえ、マイロードのお手を煩わせる必要などございません。私の手で――」
「おいおい、無粋なことを言わないでくれよ。暇つぶしだよ。別に荒事にするつもりはない……まあ、先方の出方次第だが。ともあれ随伴はいらぬ。食事は戻ってからにしよう」
「「しかし――!」」
「くどい。二度言わすな」
「「!!!! ――も、申し訳ございませんでしたっ!」」
平伏すふたりをその場に放置して、愛用のフロックコートに帽子をかぶったフォルクハルトは、悠然とした足取りで寝室をあとにするのだった。
◆
「しかしまあ……なんだね。二十階にも安全地帯と自動販売機があるとは思っていたけれど、これはちょっと予想外だったねえ」
苦笑いをしながらもどこか満足そうに、手にしたそれを口に運ぶ三十代半ばほどの飄々とした風采の男――Aランク冒険者にして『勇者』カルロ。
「まったくですね。ちょいとこの情報を無造作に公表するのは思案しどころですなぁ」
同じくそれを口に咥えて男臭い笑みを浮かべるBランク冒険者でソロとしてはトップクラスの実力を持つ大剣使いの巨漢ゴッドフリート。
お互いに知らない仲ではないとはいえ、別に示し合わせてここで落ち合ったわけでも、共同して攻略に当たっているわけでもない。本当にたまたまこの階層で顔を合わせて、なし崩しで一緒に行動を共にしているだけの関係である。
そうして、偶然にこの階にあった安全地帯を発見したため、一度体力の回復と武器の手入れ、今後の進退を考えるためにここで休憩をとっている……というわけであった。
「ところでカルロ先輩は今日はチームメンバーと一緒ではないのですか?」
口から煙とともに、出会った時から思っていた疑問を吐くゴッドフリート。
「ああ、さすがにEランクの子供連れで来られる場所じゃないし、Cランクのファンヌちゃんとマイブリットちゃんでも、ちょいとキツイ。万一はぐれても生還できる可能性が五分以上なのは十三層が限界だろうからね。そーいったわけで、俺一人で偵察に来たわけよ」
飄々と肩をすくめながら、口から離したソレの灰を指先で落とす、カルロ。
「なるほど。賢明な判断ですな。それに……当然先輩も気が付いておられるでしょう。この階層に現れるモンスターの傾向に?」
「そーだねー。処女と童貞をふたりずつ連れて歩くなんて、まき餌を撒くようなもんだ。まいったね~」
本当にそう思っているのか韜晦なのか、はっはっはっ、と空虚な笑いを放つカルロをゴッドフリートが微苦笑で見据えながら、短くなったそれを捨てて、代わりの一本を滑らかな金属製の箱から取り出して、親指と人差し指を弾くことで一瞬だけ指先に蝋燭の炎程度の火が生まれる、生活魔法の『種火』で火をつける。
先端に火が付いた瞬間から芳醇な甘い香りがけぶり立つ。
満足そうに一気に三分の一ほども吸い込むゴッドフリートの見た目通り豪快な姿に、ちびちびと根元付近まで吸っていたカルロが呆れたようにため息をついた。
「もったいない吸い方をするね~。それひと箱銅貨三枚の一番高いやつでしょ? もうちょっと大事に吸ったら?」
「二十本入りでたかだか銅貨三枚ですよ、先輩。地上で同じ品質のものを買ったら、確実に一本で金貨数枚は取られますね、これは。普通の葉巻やきざみが木屑に思える代物ですよ。先輩こそせっかくなので、こっちを吸えばいいと思うのですが?」
「そういう誰が吸っても美味いと思えるようなお上品なブツは苦手でねえ。お口の友としては、こっちのニ十本入りで銅貨一枚の紙箱に星のマークが入っている方が、なんか安心する味だね」
そう言ってゴッドフリートが持っている、いかにも高級品という青い金属箱に入った煙草に比べ、普及品といった風情の紙箱に入った煙草の煙をしみじみとくねらせるカルロであった。
そんなふたりの近くの壁際には――。
【タバコ自動販売機】
そう銘打たれた自動販売機がぽつねんと佇んでいた。
他の種類の自動販売機はないが、その代わりこの自動販売機は種類が多い。陳列ガラスの中を見渡しただけでも軽く四十種類ほどもあるだろう。
値段もまちまちで、下は鉄貨五枚から上は銅貨三枚と幅広い。
煙草と言えば貴族や金持ちの嗜好品で、葉巻かきざみ煙草、もしくは水煙草を専用パイプで吸うのが一般的だが、ここで販売しているのはきざみ煙草を紙巻にした紙巻煙草のようである。
紙巻き煙草と言えば安物、廉価品の代名詞であり、庶民向けに露店などで手作りの紙巻き煙草を売っているのは確かに目にすることはあるが、あれはクズ煙草を混ぜて作ったものがほとんどなので、味に統一感がなく不味い……というのが一致した見解であったが、ここで手に入る煙草は葉巻や水煙草と比べても遜色ない。それどころか、遥かに凌駕している逸品ばかりであった。
おまけにどうやって作っているのか、揃えたように一本一本形も大きさも太さも、そして何より味が変わらないときている。
煙草飲みにとっては楽園のような品揃えであった。
「とはいえお子様組や女性にはどうも煙草は嫌われるからねぇ。ここのことは男の憩いの場として、限られた同志にだけ打ち明けたほうがいいだろうねえ」
「同感ですね」
カルロの提案にゴッドフリートがニヤリとした共犯者の笑みを浮かべたその時、
『誰かいるようだが、入ってもいいかね?』
安全地帯の扉の向こうから、聞き覚えのない青年の誰何の声がかかった。
「「――!!――」」
冒険者の中でもトップクラスの実力を持つこのふたりがまったく気配すら感じられなかった訪問者。それもダンジョンの最前線ともいえる二十層となれば、当然このふたりが知らない相手なはずはない。――そうこの街の冒険者であれば。
なによりもいまの問いかけが意味することは……。
ベテラン冒険者であるカルロと、現役最強のソロ冒険者と謳われるゴッドフリートの脳裏に、即座にひとつの回答が浮かんだ。
どうします? と目で問うゴッドフリートに対して、「――ふむ」と一瞬だけ考え込んだカルロは、気負いなく応えた。
「ええ、どうぞ。入ってください」
その豪胆を通り越して無謀とも思える返答に、ゴッドフリートはスッと目を細めて重心を変えた。
「――やあ。失礼するよ」
覚悟を決める間もなくスイング式の扉を開けて、こんなダンジョンの奥深くにはおよそ似合わない、街へ繰り出した青年貴族といった風体の恐ろしく整った顔立ちをした青年が入ってきた。
にこやかに笑みを浮かべる彼を前に、咄嗟に傍らに置いてある大剣と、十階で購入した聖水へと手を伸ばしかけたゴッドフリートだが、カルロに目線で掣肘されて動きを止めた。
その刹那のやり取りを理解しているのか、青年は面白そうにニヤリと笑ってカルロとゴッドフリートに向かって帽子を取って挨拶をする。
「こんばんわ。いい夜だね」
「どうも。ここにいると夜なのか昼なのかいまいち曖昧なのですが、まあこんばんわ……ということで」
無言のゴッドフリートに代わってカルロが返答をした。
「――ふむ、そんなものかね。不便なものだ。ちなみにいまは外だと宵の口といったところだね」
軽く肩をすくめる青年。
「そうですか。ご丁寧にありがとうございます。ところで我々に何か御用ですか?」
シケモクを捨てて代わりの煙草に火をつけ、軽く吸ってからカルロがそう尋ねる。
「いや、別に用という訳でもないのだが、せっかく近くまで客人が来たのだからね。一度顔を見ておきたくてね」
「客……ですか。招かれざる客だと思いますが?」
「そんなことはない。我が館の門はいつでも開いている。訪問者はいつでも歓迎するさ……何なら今すぐでも構わないのだが?」
そんな青年の誘いにカルロがとんでもないとばかり首を横に振った。
「いやぁ~、遠慮させていただきますよ。何の準備も心構えもありませんので……」
「そうかね。残念だが仕方がない。ま、君らとはそう遠くない未来に再び会うこともあるだろう」
案外あっさりと提案を引っ込める青年に、ゴッドフリートが唸るように問いかける。
「後顧の憂いを断つため、ここで仕掛けに来た……というわけではないのか?」
「そんな無粋な真似はしないさ。これにこの場所はマスターのルールによって非戦が誓われている場所だからね。たとえダンジョンボスとて手出しはできないさ。――ま、そちらからルールを破った場合は無意味だが」
さらりと重要な情報を投下する青年。
目を剥いて息を呑むゴッドフリートとは対照的に、いつもと変わらぬ自然体で手にした煙草をすすめるカルロ。
「ほほう、それは初耳ですね。てっきりダンジョンボスとダンジョンマスターは同一の存在かと思っていましたが。ああ……気が利かずに申し訳ない。一本いかがですか? それともゴッドフリートが吸っているほうがお好みかな」
「ありがたいが私の好みはこの蝙蝠の絵が描いてある銘柄でね。だがしかし、今日は従者を連れていなかったので、残念ながら持ち合わせがなくてね」
貴族というものは自分で財布や荷物を持たないものである。
「蝙蝠の絵というと……一番安いこれですか? 意外ですが、出会いを記念してこの程度奢らせていただきますよ」
「そうかい。ありがたい」
遠慮することなく鷹揚に頷く青年に背を向けて、自動販売機で売っている煙草の中でも一番安い鉄貨五枚の蝙蝠の絵が描かれたそれを購入するカルロ。
「ああ、そっちではなくて、隣の〝メンソール”と書かれているほうを頼む」
「ほいほい。――どうぞ」
「ありがとう」
受け取った青年は早速銀紙で包まれた口を開けて、煙草を一本取りだすと口に咥えた。
「火は――」
「必要ない」
生活魔法で火をつけようとしたカルロを制して、青年がちらりと煙草の先端を一瞥した途端、ポッと火が灯った。
魔術……だろう。予備動作も呪文も必要としないエルフ並みかそれ以上の魔力量に、密かに瞠目するゴッドフリート。
深々と煙を吸い込みながら、心地よげに目を細める青年。
「……ああ、いいね。このメンソールとかいうもののヒヤリとした刺激が喉を通る感触は、まるで乙女の血を飲み込んだような快楽だね」
「「…………」」
冗談ではないだろう、その感想にさすがにいわく言い難い表情で顔を見合わせるカルロとゴッドフリート。
十分に煙を堪能したところで、青年が思い出したかのように先ほどの話題を蒸し返す。
「先ほどのダンジョンボスとダンジョンマスターは同一の存在かという問いだがね。全然別物だよ。だいたいあの無粋なダンジョンボスが、ダンジョン内にこんな諧謔のわかるものを設置するわけがないだろう」
「ほほう。では、ダンジョンマスターは何のために自動販売機を設置したものですかね」
美味そうに煙草を吸いながら軽く黙考した青年は、「さて?」と小首を傾げた。
「そのへんは不明だが……案外、趣味なんじゃないかと思えるね」
「趣味……ですか?」
「まあ不審に思えるのは確かだが、しょせんは私も下っ端なのでね。どこの世界も同じだと思うが、上の方が何を考えているのかは不明なのさ。――与えられた職務をまっとうするだけだね」
軽く肩をすくめながら、用事は済んだとばかり出口へと向かう青年。
「お帰りですか?」
「ああ、久々に楽しい時間を過ごさせてもらったよ。君らが話の分かる相手でよかった」
楽しそうにころころと笑う青年。
「お名前を聞いてもよろしいでしょうか。私はカルロ。彼はゴッドフリートと申します」
カルロの申し出に出ていきかけた青年は立ち止まって、肩越しに振り返った。
「……食えない人間だな。とはいえ煙草の借りもある。あえて名乗ろう我が名はフォルクハルト伯爵。君たちの来訪を心待ちに待っているよ」
そうして今度こそダンジョンの闇へと消えていった。
完全にその後姿が消えたのを確認したところで、カルロの額からどっと脂汗が流れる。
「やれやれ、大物だと思っていましたが、まさか爵位持ちの吸血鬼とはね。〝ヴァンパイア・ロード”ってやつですかね」
「カルロ先輩。先輩と俺とで全力で戦ったとして……どう見ました?」
こちらも緊張が解けたのか震える声でゴッドフリートが問いかける。
「……十中八九といったところでしょうね。俺か君が死ぬ確率が。運が良ければ手足のニ、三本を犠牲にして、どちらかが逃げられるかも知れない正真正銘のバケモノレベルですねえ」
もっともそうなった場合には、遅かれ早かれお陀仏でしょうが、と続けるカルロ。
「ロードということは、従者にあたる吸血鬼もいるでしょうし、二十層の階層主攻略は、どう考えても時期尚早で戦力不足ですね」
「……さすがにソロでは無理か」
意気消沈したゴッドフリートの手元の煙草がすっかり根元まで灰になって消えているのに気づいて、カルロもまた新しい煙草を取り出して促す。
「とりあえず煙草を吸って気を落ち着けて、今後のことを考えませんか?」
「…………」
言われて自分がすっかり正気を失っていたことに気が付いたゴッドフリートは、新しい煙草を口に咥えて縋り付くように吸った。
煙草のお陰で急速にひんやりと冷静さを取り戻した彼は、この場所に煙草の自動販売機が置いてある理由についてなんとなくわかったような気がするのだった。
日本では清涼飲料に次いで多い煙草の自動販売機です。
作中で銘柄は出てきませんが、ゴッドフリートが吸っているのは『ザ・ピース』で、カルロが『セブンスターボックス』、フォルクハルトは『ゴールデンバット・シガーメンソール』をモデルにしています。