二台目 [コーラ]
Dランク女冒険者ナウンの仕事はダンジョン内の案内人である。
地図屋と兼任している部分もあるが、一流の地図屋が他の冒険者に先んじて未開拓地帯を走破し、栄光と称賛、何より莫大な賞金を得るのに反して、すでに安全が確認できている場所を低レベル冒険者や素人を案内して行き来しては、小銭を稼ぐことを生業としている、お世辞にも一目置かれるような仕事はしていない。冒険者の間では、せいぜい小間使いに毛が生えた程度にしか見られていない職業であった。
ナウン自身も不本意な立場であるが、何しろ彼女はハーフエルフ。それもエルフよりも人間の素質の方が強く遺伝した、いわゆる外れクジであったため、他にできる仕事というのがなかったというのが実情である。
少しばかり尖った耳の他は多少見目が良いくらい――それも生粋のエルフや、一般的なハーフエルフに比べれば白鳥とガチョウくらいも見劣りする黒髪――に、精霊魔術の素養はほぼ皆無で、弓の腕は人並み、そのくせ体力はエルフ由来の虚弱となれば、前衛も後衛もできる仕事はないし、かといって荷物持ちのように重い荷物を担げる体力もない。
盗賊のような技量もなければ、魔術師のような学もない。ないない尽くしもいいところであった。
そもそも名前の由来が『実もならず木材にも使えない役立たずの雑木』というエルフ語での嘲笑からきているのだから、周囲の目も推して知るべしである。
そんな理由で早くから親に捨てられ、エルフの里から放逐されて自立するしかなかったナウンにできる仕事といえば、あらゆる種族や宗教、思想に関わらず門戸を開いている冒険者になる以外になかったのである(もうひとつある仕事はあったが、いまだ恋も知らない少女には到底受け入れがたいものであった)。
で、唯一の取柄である小柄な体とはしっこさを生かした職業として斡旋されたのが、現在の案内人という役割であった。
十二歳の時からこの仕事を始めて三年――。
半年で半分が辞めるか死ぬか消息不明になる冒険者としては、それなりに幸運に恵まれ経験を積んだものの、いまだに一人前の冒険者と見做されるCランク冒険者の手前で足踏みしているのは、ソロであることと実績を積みづらい職業についていることに由来している……とナウンは考えているし、実際その通りでもあった。
そのあたりの焦りがあったのだろう。ほんの少しだけの野心と、ちょっとした出来心で、普通なら足を踏み入れないダンジョン五階にある未踏破エリアに足を踏み入れてしまったのだ。
五階層といえば初心者には厳しく玄人には手頃なエリアであり、ダンジョンの活性化が終わってからかれこれ一月あまり経過しても、いまだに全体像が掴めていないのはマレであったが、無論それには訳がある。このあたりが未踏破になっているのは、出てくる魔物が厄介だからである。
ここいらは床と言わず天井と言わず、いたるところがスライムの巣窟となっていたからだ。
スライムといえば、水辺の近くで散見できるし、大きな町では汚物の処理に使うほど身近な魔物であるが、そうした比較的御しやすい『ブルースライム』と比較して、こうしたダンジョンに巣食う『レッドスライム』は別物といっていいほど厄介で凶暴な魔物となる。
まず大きさが『ブルースライム』の五倍から十倍で、小型のものでも子供を丸呑みにできるサイズで、大型になれば牡牛や馬でも覆いつくすほどである。しかも好物は動物の血肉ときたものだ。
一般的にスライムは魔核を破壊すれば破れた水袋のように絶命するが、そこまで行くのが一苦労である。
半透明の体はどこを触っても生き物を溶かす酸に蝕まれて、たとえBランク冒険者が好んで着込むワイバーンの皮鎧でもたちまち穴だらけにされてしまうので、物理で斃そうと思ったらフルプレートの金属鎧をまとって、槍斧などのリーチと一撃の破壊力がある武器で叩き潰すしかない。軽装で短剣使いであるナウンにとっては鬼門である。
反面、頭上や足元からの不意打ちにさえ注意すれば、動き自体は鈍いので魔術師にとっては比較的対処しやすい相手である――が、いずれにしてもリスクに対してリターンが少なすぎる。
そんなわけでスライムへの対処は、『見つけたら相手をしないで走り抜ける』のが常道であった。
当然、スライムがうようよと徘徊している通路に飛び込むようなもの好きはおらず、またほとんど解明されている五階層の構造からも、この先は行き止まりであるのがほぼ確定していた。
もっとも行き止まり部屋には往々にして『宝箱』が設置されている可能性が高い。
五階層程度ではたかが知れている中身だろうが、何らかのマジックアイテムであれば、どんなつまらないものでも高額で取引されるのが常である。
そして一度中身を取り出された『宝箱』は消え去り、次の活性化まで現れることはない(それもどこに出るかはダンジョン次第である)。となれば多少の無理をしてでも取りに行かねば嘘だろう。
結果、雪崩のように押し寄せるスライムの群れに追いかけられ、命からがらひたすら行き止まりであろう通路の先を目指すしかない状況になったのは、ひとえに自業自得によるものだった。
「死ぬ、死ぬ、死ぬ。生きながら溶かされて死ぬ――嫌だ~~~っ!!」
相手の動きが鈍いのと生来の俊敏さでどうにか逃げ回れているが、そろそろ息が上がってきた。瞬発力に優れてはいるものの、持久力には難のあるハーフエルフの欠点がここでもナウンの足を引っ張る。
一年かけて貯めたお金で購入した革製のブーツはすでにサンダル状態になり、今回の探索のために有り金をはたいた槍は柄の木の部分が溶かされ、ただの棒と短槍と化している。ブラックウルフの皮をなめして油を塗った外套もズタボロで、ゴブリンの腰蓑よりもひどい有様である。
赤字もいいところだが、それでも命あっての物種だろう。
「ひ――っ!?!」
途端、頭の上からドロリと垂れてきたスライムの生暖かい感触に、半ば反射的に外套を外してスライムごと放り棄て――火事場のバカ力というやつだろう――転がるようにその場から離れたところで、ついに体力が尽きたのかガクガクと膝が笑いだした。
もうだめだ。もう逃げられない……。
諦観から大粒の涙を流すナウンがぐしゃぐしゃになった顔を上げたところで、ソレが目に飛び込んできた。
「……あれ?」
おそらくは通路の行き止まりであろう場所に、木造の売店のような小屋で見える。
こんなスライムがうじゃうじゃいる場所に建物があるわけがない。ついに気がふれたかと思って目をこすって見ても、変わらずに小屋は存在して中から光を放っていた。
「! もしかして、あれが十階にあるっている安全地帯!? 同じモノ?!」
ダンジョンの活性化が収まってすぐに、ナウンなど及びもつかないBランク冒険者が発見したという奇想天外な安全地帯。
安全地帯そのものは珍しくもないが、その外観と何よりも内部に置いてあるという、硬貨を入れると聖水を格安で吐き出すという鉄の箱の噂は、当然のようにナウンの耳にも入っている。
当初は法螺話扱いされていたそれも、何人もの冒険者が実際に足を運んで実在するのを確かめ、いまではこのダンジョンの名所扱いになっていた。
無論、十階まで行けるような冒険者はそう数は多くないのだが、利に敏い商人が放置するわけもなく、荷物運びに持てるだけ持ってくるように言い含めて、報酬に糸目をつけずに上級冒険者を複数雇って護衛させた。
結果、大きい瓶で二十本、中ぐらいの瓶で三十本、一番小さい瓶で四十本くらい出たところで『売り切れ』という表示が出て、そのあとはいくら硬貨を入れてもすぐに戻されるだけで聖水が出なくなってしまったらしい。
これに泡を食ったのは護衛を買って出た上級冒険者たちである。
なんとなく無限に湧き出すものだと思っていたので、気軽に仕事を受けたが数に制限があるとわかれば別である。いざとなればここで休息を取って、聖水を補充すればいいと思っていたところ、地上でぬくぬくとしている商人に根こそぎ取られたとなれば死活問題だ。
仮に自分たちが立ち去った直後、聖水を切らして逃げ込んできた冒険者がいたとすれば、生涯恨まれるだろうし、それがもとで命を落としたとなれば寝覚めが悪いなんてものではない。
それにこういう悪い話はあっという間に広まると相場が決まっている。
結局のところ、上級冒険者たちは急いで戻りたがった荷物運びを脅してその場に留まり、他の冒険者が顔を出せば理由を話して聖水を箱の定価で譲り、まんじりともせずに一夜を明かしたところ、いつの間にか箱の『売り切れ』の表示はなくなり、試しに小さい瓶を購入してみたところ、冷え冷えの聖水が当然のように出てきた。
この結果をもとにして、上級冒険者たちは話し合いの末、冒険者ギルドを仲立ちにして依頼主に依頼の破棄を伝え、同時に紳士協定として、
『十階にある箱の聖水は、必要に応じてひとり一種類一本程度とする』
という取り決めをしたという。
「……まあ、聖水があってもしょうがないんだけど」
そもそも一番小さな瓶でも銀貨三枚とか、逆さに振ってもナウンに払える金額ではなかった。
それでも目と鼻の先に安全地帯があるのはありがたい。
ナウンは最後の力を振り絞って安全地帯の小屋へと飛び込んだ。
◆
「……なにこれ……?」
煌々と光る照明の下、白い壁に囲まれた部屋の中に、赤い鉄の箱が鎮座していた。
いや、確かこの箱については聞いたことがある。聖水の置いてある安全地帯へ、人が出入りするようになってしばらくしてから、突然、聖水が買える箱の隣に並んで置かれたポーションが格安で買える箱だ。確か名前は――。
【コーラ自動販売機】
そう大陸共通語で書かれた他に、見たこともない文字だか模様だかが箱に描かれている。
ガラスの陳列ケースに並んでいるのは、どれも同じ赤い鉄の缶で『コーラ(250㎖)鉄貨一枚』と、にわかには信じられないほど良心的な――ナウンの常識ではこの手の謳い文句は、『詐欺』『ニセモノ』『ぼったくり』とほぼ同義である――値段で販売されていた。
この『コーラ』というポーションは、聖水に比べてかなり一日に出る数が多いらしく(だいたい一日に四百本くらいで『売り切れ』になるとか)、聖水ほど緊急性も希少価値もないことから、ナウンもおこぼれで一度口にしたことがある。
色が黒くてちょっと気味が悪いが、口の中でしゅわしゅわと弾けるような独特の口当たりは悪くはなかった。人によってはこれが受け付けられない者もいるようだが、ナウンの故郷であるエルフの森には似たような泡の出る泉があったので、逆に懐かしくすら思えた程だ(もっともこんなに強く弾けなかったが)。
飲むとすっきりとして頭が冴え、眠気が取れて、頭痛なども治ってしまう。第一、甘くて美味しい!
果物の甘さなど比べ物にならない砂糖の入った甘味は、久しく味わっていない御馳走だった。
そのコーラが出てくる箱がこんなところにあるとは……!
飲み水の入った革袋は、とっくの昔にスライムに溶かされ、その上で命のかかった逃走劇を繰り広げていたナウンは、お預けを食らった犬が餌に飛びつくように赤い箱に駆け寄ると、もどかし気に懐に手をやって鉄貨を数枚取り出した。
財布などというものは持っていない。いざという場合に備えて、体のあちこちに金は分散させておくのが、ナウンのようなへっぽこ冒険者の常である。
まとめて鉄貨を入れると箱に『押す』という表示が灯ったので、聞いたとおりにそのボタンを押した。
ガタンと結構大きな音がして、一瞬肝をつぶしたナウンだが、見たことのあるコーラの缶が下の口に落ちていた。
カラカラに乾いた喉を鳴らして、ナウンが屈み込んで缶を掴むと、真冬の氷のように冷たい感触が腕を伝わってきた。
「ゆ、夢や幻じゃない、よね?」
コーラを手にしたことで、ようやくどこか非現実的に乖離していたナウンの精神が平常に戻った。
コーラの上にある取っ手を抓んで――最初はやり方がわからず、皆ナイフで穴を開けていたらしいが、ドワーフの職人が矯めつ眇めつ眺めてから、「ふんっ」と事もなげに上にある親指の爪ほどの取っ手を押し上げたところ、いともたやすく穴が開いた。これが正式な開け方だったのだろう――口を開けて一気に飲み干す。
「!!!」
刹那、あまりの美味しさにナウンの腰がストンと落ちた。
美味し~~~~~~~~~~~~~~い!!!
前に飲んだ時にも『好みの味だ』『甘くて美味しい』『しゅわしゅわが故郷を思い出せる』と思ったけれど、箱から出たばかりのコーラの味はもはや別格、別次元の美味さであった。
違いはひとつ。凍り付く寸前のこの冷たさが、コーラの持つ味・香り・舌触りを一体化させ、怒涛となって舌を通り、喉を潤し、体中に染み渡らせるのだ。
これに比べれば、生温いコーラなど酸っぱくなった葡萄酒も同然である。
この冷たさがあってこそ、コーラはコーラとして成り立つと言って過言ではない!!
あまりの美味しさに涙を流して一気に飲み干したナウンの目に、いまだ『押す』の表示が光っている赤い箱が留まる。
そういえば何枚か鉄貨を入れたっけ。じゃ、じゃあまだ買えるってことだよね……?
「い、いいよね? 聖水じゃないんだから、何本か余分に飲んでも……」
誰にともなく言い訳をして、膝を払って立ち上がったナウンは続けざまに、表示を押した。
ゴトンゴトンと音を立てて出てきたコーラを次々に掴んで、両手で抱えたナウンだが、そのうち一本がポロリとこぼれて床の上を転がって出口近くまで行ってしまう。
「――な、なにやっているんだろ、わたし」
知らず舞い上がっていたのを自覚して、その場に抱えていたコーラをいったん下ろし、転がっていったコーラを取りに行くナウン。
拾ったそれを軽く指先で拭いて、蓋を開けようとしたところで――。
「ひっ……!?」
スイング式のドアを挟んで、すぐそこにスライムが蹲っているのが見えた。
安全地帯であるこの小屋には入れないと理性ではわかっているが、反射的に思わずコーラを口をそちらに向けた瞬間、爆発したかのようにコーラが音を立てて噴射された。
あ、そういえばコーラを振り回すとこうなるって……。
前に一度注意された内容を思い出して、あっという間に空になったコーラの缶を呆然と見つめるナウン。
と、コーラの直撃を受けたスライムが、その冷たさにかしゅわしゅわにかわからないが、身もだえしてしばし痙攣していたが、ほどなく取り込まれたコーラが魔核を包んだところで、パリン! と音を立ててあっさりと魔核が割れてしまった。
「は、はあああああああああああああああああああ?!?」
そのまま融解するスライムを前に唖然としていたナウンだが、
「も、もしかして、人には薬だけど、スライムには毒なのかな、コーラって……?」
まさかと思いながら、何本かのコーラを使って及び腰で検証を始めることとした。
◆
その後、無事に地上へと戻ったナウンは、冒険者ギルドにダンジョン五階の未踏破エリアの全貌と、コーラが劇的にスライムに効果を及ぼすことを報告して一躍脚光を浴びることとなった。
これらの実績により案内人ナウンはCクラス冒険者へ昇進し、その後は五階までの案内人として、ちょくちょく指名依頼を受けるようになったという。
ただし、ナウンとしては非常に不本意なこととして、スライムの件以来、
「コーラを飲み過ぎると骨が溶ける」
という根も葉もない噂が飛び交うこととなった、その元凶にされたというものがあったが……。
コーラの薬効は実際にありますが、コカ由来のものなので、現在のコーラにあるかどうかは知りません(;^_^A
「骨が溶ける」というのは作者が子供の頃に流行ったデマですが、アメリカの都市伝説が源流かと思われます。ちなみに内容は、
『見学者の集団がコーラの工場を見学していると、作業員が誤ってコーラの原液を床に落としてしまいました。途端ジュッっという強烈な音と共に、床がドロドロに溶けてしまったのを目の当たりにしました。以来、見学に行った人たちはコーラを飲む事はなくなったそうです』
というものですが、無論、原液で床が溶けるなどということはありませんので悪しからず。