お嬢様の決意
カーディガンを羽織って向かい合わせに座る事も初めてなら、夜に開催されるのも初めての、使用人すらいない二人お茶会。
普段は二人お茶会と言いながら、学園ではお嬢様付きの人が控えていたり、別荘に来てからも何かと世話を焼いてくれる人たちがいたりするので、二人きりになる機会は無かった。
そもそも、お嬢様が一人きりになる時間自体がとても少ないのだから、二人きりになる時間も当然ながら有り得なかった。
信用している使用人しかいない、近所の人すらも遠いこの別荘だからこそ、お嬢様が一人で歩き回る事も出来ているんだろう。
だからといって寝る直前の訪問はお嬢様として有りなのか、と考えるのも野暮なので止めた。
お嬢様が私に甘いように、私もお嬢様に甘い。
二人きりお茶会の開催が、秘密の時間を持てるのが素直に嬉しい。
早寝したり、夜の散歩に出掛けていなくて本当に良かった。
秘密のお茶会だからか、それとも夜にこっそり客室まで来たからか、少し緊張しているのを隠そうと頑張っているお嬢様の雰囲気は、実技の模範に指定されて皆の前に立っている時と似ている。
ティーセットはいつものお茶とケーキではなく、ミルクのみで、お嬢様の魔法でポットもカップも温められた後、美しい流線を描いて、一杯ずつ静かに注がれていく。
ポットからカップへと流れ落ちる一筋は小さな噴水を見ているようで、お嬢様の魔力の流れを垣間見ているようで、お嬢様にも伝えていない私のお気に入り。
お気に入りだと気づかれているのかもしれないな、と考えるのは、お嬢様が手ずから淹れている間は、いつも喋りかけてこないから。
細かく調整する必要がある技術なので、見た目以上に集中している所為かもしれないけれど。
低空飛行で手元へ運ばれたカップを受け取り、両手で温もりを味わう。
口元に寄せたカップからは甘い香りがして、優しい味に心まで温かくなる気がする。
カップ越しに眺めたお嬢様は、何も話さない。
視線に気づいたお嬢様と目が合っても、私も何も話さない。
お互いの表情が和らぐのを見て、もう一口を味わう。
お嬢様からも、私からも口を開かないままで過ごす、そんな時間は良くある事。
二人お茶会では、沈黙もお馴染みの時間。
微かな衣擦れや食器の音、遠くに聞こえる外の音、本を持ち寄った日にはページをめくる音も混ざったりする。
鼻を擽る柔らかな香りはお茶や軽食の誘惑で、定番といえばお嬢様の部屋の匂い、最近増えたのは庭の匂い。
本から顔を上げた時や、美味しいものや景色から目を離した時に、ふと目が合うお嬢様は大抵嬉しそうに目を細めている。
そこから会話が始まる時もあれば、そのまま時が流れるのを楽しむ事もある。
今夜は、段々と馴染んできた客室の匂いと、手元から立ち上る甘いミルクの香り、お風呂上がりのお嬢様と、夜の静けさ。
いつもの二人お茶会で、いつもとは違う状況。
それでも呼吸は深く落ち着いていて、楽しんでいる自分がわかる。
きっと同じ気持ちだろうお嬢様からも、来た時の緊張は既に消えていて、寛いだ気配がする。
日中のハイテンションとはまるで別人の、学園では滅多にお目にかかれない、穏やかに力の抜けた笑顔。
誰にも話した事は無いし、これからも話さないけれど、お嬢様の表情の中でも、油断しきった甘えたようなこの笑顔は、私が一番多く見ている自信がある。
沈黙でお喋りするお茶会もゆっくりと飲み干してお開きかと思いきや、お代わりが注がれた。
二杯目を掌で包みながら視線を上げると、タイミングを待っていたらしいお嬢様の真剣な表情。
思わず姿勢を正した私を見る、何かを決意した真っ直ぐな視線。
「私は、これからも貴方と一緒に居たいの。貴方に、近くに居て欲しいの。」
凛と響く、慣れ親しんだお嬢様の声。
その内言われるだろうと、予想していた通りだという気持ちが半分。
傍に居る事を、私を望んでもらえた、嬉しさに震える気持ちが半分。
答えを探す私を戸惑っているとでも見たのか、幾らかの間を置いて、今夜まで一語一語丁寧に考えてくれたのだろう、優しい追撃。
「初めは、ただのクラスメイトだったわ。可もなく不可もなく、害も無く益も無く。
今はもう、離れているのが不思議なの。どうして傍に居るのが貴方ではないのかしら、いつもそう考える程よ。
いつになるか分からない二人でのお茶会を、貴方が気紛れに顔を出すのを待つばかりなのは、もどかしいの。」
言い終えて満足したのか、すっきりした表情をしたお嬢様は、まるでいつも通りといった様子で残りのミルクを口に運んでいる。
何故か痺れたように動かない舌を甘いミルクで溶かしても、上手な言葉は出てこなかった。
やがて部屋を出るお嬢様を見送るまで、結局何も答えないままの私を不思議そうに見ているお嬢様の顔には、見覚えがあった。
色々な派閥に友人はいるけれど何処にも属していない事を知った時も、読書量と勉強の仕方と試験結果に差異があると気づいた時も、お嬢様は同じように不思議がっていた。
お嬢様の周りには大勢の優秀な人がいても、私のようにふらふらと散歩してばかりの、どっちつかずは珍しいのかもしれない。
「返事は急がないけれど、別荘に滞在している間に頂戴。」
答えは一つしかないのに。言わなければいけないのに。
扉が閉まる直前、お嬢様が廊下に消える寸前に漸く動いた身体で扉を開き直すと、流石のお嬢様も驚いたらしい。
目を丸くさせているお嬢様に、喉の渇きを訴えるように乾いた舌を動かした。
「…私も、一緒に居たいです。傍に居たい。」
探しあぐねた言葉は拙くて、声も震えて、今回も変な笑い方なんだろう。
けれど、お嬢様は私に甘いから、みっともなくたって許してくれる。
打算だらけの私に向けられたお嬢様の笑顔は、これまでに見た全てよりも輝いていて、抑えきれないとばかりに抱き着いてきたお嬢様の体温ごと、心の奥底に隠してある大事なもの入れの玉座を埋めた。