お嬢様の提案
ケーキスタンド越しに見るお嬢様は機嫌も良さそうで、壁の向こうで立ち止まる切っ掛けとなった、あの途方に暮れた雰囲気はさっぱりと消えている。
紅茶を飲みながら先程の光景を思い出していると、私の態度から疑問を読み取ったのだろう。
いつもなら続いている話題を切り上げたお嬢様は、促す視線と沈黙を寄越した。
「…何か、ありましたか。」
あの表情を何といえば良いのか思い付かず、端的に問いかける。
聡明と褒めそやされるお嬢様なら、誰かがいると気づいた時点で表情を隠して笑顔に戻る筈。
そもそも声がかかるのも、普段より遅かった。
何でも無い日であれば、覗き込めばすぐに目が合い、お茶に誘われる。
この問いかけをさせる為に、待っていたのかもしれない。
これが、私とお嬢様の二人お茶会の理由でもある。
他人に弱みを見せれば利用される立場のお嬢様にとって、心の内を話す事はリスクが大きい。
けれど、お嬢様といえどまだ子どもだ。
完璧でもなければ悩みもすれば迷いもするし、どうでも良い話を適当に話したい時だってあるだろう。
噂話に花を咲かせる人々と同じようには振る舞えない事だらけで、ストレスも溜まりやすい。
趣味や運動で発散しているようだけれど、話せないという状況そのものにストレスを感じてしまえば、日々の暮らしの中であっという間に蓄積される。
その為の、私。
お互いに言動の裏を探り続ける取り巻きでもなく、卒業すれば切れる縁の、今後を考える必要も無い立場。
ただのクラスメイトでしかない態度を崩さないからか、最初の頃は近付くだけでもちょっとした騒ぎになった。
お嬢様を尊敬する人々からは言動を改めるべきだと注意を受け、取り巻きの座を奪われると危惧した何人かは間接的にも直接的にも色々としてきた。
噂話に陰口に直接の文句にとレパートリーには事欠かないあたり、普段の会話内容は想像に難くない。
それでも怯まない私に段々と周囲が呆れだした頃、お嬢様の「害は無いから放置しておきなさい」という一言が許可証代わりとなった。
そうして今となっては、お嬢様に話しかけようが、散歩ついでに部屋まで遊びに行こうが、精々が噂や陰口程度にまで落ち着いた。
「もうすぐ長期休暇でしょう。その事で、考えていたの。」
今月行われる学期末試験は、お嬢様はいつも通り上位五位以内だろうし、私は中間を彷徨うだろう。
その後の夏季長期休暇は、遊び倒すか勉学に励むか、小遣い稼ぎに明け暮れるか。
大した問題も見当たらない話題に、「何をですか。」と再び短い問いを向ける。
「学力も魔力も高めるにはうってつけの期間でしょう。貴方はどう過ごすのか、もう決まっているの?」
お嬢様にとって、遊び惚けたり小遣いを稼いだりする選択肢は最初から無いらしい。
勉学か修練の二択を無意識に繰り出され、向上心溢れるお嬢様らしさに口元が綻んだ。
「休み明けの試験勉強はする予定です。」
特に予定も無い事を言い換えれば、予想通りとばかりに頷かれた。
心なしか嬉しそうに見えるのは、恐らく間違いではないだろう。
お嬢様の機嫌を読めるようになったのは、入学してから手に入れた技術と言える。
「私のところへおいでなさい。共に励めば上達も早いでしょう。」
お誘いに答えるまでの時間稼ぎに、ケーキを摘まみ、紅茶をもう一口飲む。
願ってもない話だけに、飛びついて良いものか思わず考えてしまう。
お嬢様の家までは取り巻きもついてこないだろうし、クラスメイトの視線も刺さらない。
私からすればメリットだらけだが、お嬢様にとってのメリットは何か。
広大な庭に出るのでも、信頼している使用人と話すのでも、息抜きに行われているこのお茶会の代替は幾らでも思い付く。
即答すると思っていたのか、すぐに答えない私にお嬢様の視線が疑念を帯びていく。
「良いんですか。邪魔ですよ。」
教師もお世辞ではなく絶賛する魔力量と、たゆまぬ研鑽による知識量と頭の回転の速さ。
入試からこれまで上位で居続けるのは、お嬢様の努力によるもの。
対して私は、試験はいつも平均のやや上あたりで、魔力量の測定結果はどうにか合格点。
入学まで専属の家庭教師がいたというお嬢様とは、勉強方法からして違うだろう。
遠慮ではなく事実を伝える私にも、お嬢様は諦めなかった。
「これまでの試験結果が振るわないのは、貴方の努力不足とは思えないの。
勉強方法が合っていないのか、何処かで躓いているのか。一緒に確かめて、改善しましょう。」
意外な理由に、喉の根元が締め付けられた気がした。
お嬢様の退屈しのぎでもなければ、ストレス発散でもなく、私の成績を気にしてくれての提案。
暖かい気持ちが身体中に広がると同時に、胸の奥底でちりりと警戒めいた火花が散った。
「……、ありがとうございます。宜しくお願いします。」
返答に時間がかかっても、お嬢様曰く変な笑い方でも、軽く頭を下げた私に、お嬢様は安堵と喜びの混ざった顔で笑った。
二人お茶会の不定期開催を提案され、受け入れた時のお嬢様も、同じような表情をしていた事を思い出した。