ある日のお嬢様
最上階での呼び出しが終わり、壁の無い建物の外側を、いつものように散歩気分で浮かびながら降りている時だった。
素直ではないと自他共に認めるお嬢様の部屋でも、お茶会が終わったらしい。
殆ど手をつけられなかっただろう軽食の数々、今日も大勢来ていたらしい片付ける前のティーセット。
綺麗な柱と高い天井に囲まれた豪華な室内で、賑やかな時間を済ませたお嬢様の、お茶を飲む後姿。
「入るなら入りなさい。さもなくばお帰りなさい。」
壁の先から眺めていた私に、振り向かないままお嬢様が声がかかった。
斜め後ろから見る横顔は泣いているわけでもなく、悲観している風でもなく、相変わらず凛としている。
ただ少し、いつもより途方に暮れているような気がした。
「お邪魔します。勿体無いですね。」
正式な扉は対角線の向こう側で、やたらと大きなこの建物を半周もする必要がある。
面倒なので、マナー違反と知りながらも、壁とされている区画から入った。
雲と間違いそうな柔らかいソファに着地すると、お嬢様は呆れた眼差しで此方を見ていた。
「お茶会とはそういうものよ。」
私がマナー違反と分かっている時には、お嬢様もわざわざ指摘しない。
そういえば、お嬢様から罵られた事は一度も無い。
呆れや溜息が混じった声は良く聞くけれど、それでも会話を投げれば返ってくる。
もの知らずな質問にいつでも答えてくれるし、知らないからこそ質問すら出来ない事を知る切っ掛けも、マナーや暗黙の了解についても、お嬢様は当たり前のように話してくれる。
周りから色々と言われてもお嬢様に近付いてしまうのは、話しかけてしまうのは、きっとそういう積み重ねだろう。
悪意も哀れみも親切も混じらない、澄んだ視線が心地良い。
「美味しそうなのに。」
私からすれば当たり前の、非常識な、或いは見当外れな言葉も、お嬢様はちゃんと拾ってくれる。
話しやすいよう座り直したお嬢様の目元は緩んでいて、嬉しそうに見えた。
綺麗に手入れされたお嬢様の指先が優雅に宙をなぞれば、浮遊するティーポットからカップへとお茶が注がれる。
繊細な模様の描かれたお皿にはケーキが優しく飛び乗り、ティースタンドも手の届く場所まで遊びに来た。
何でも無い事のようにやってのける動作の一つ一つが美しく、演舞のようだと言ったのは入学直後の思い出。
私は練習帰りで、お嬢様はお茶会の最中だった。
お茶を淹れる動作の柔らかさも丁寧さも、誰も気にしていないのが不思議で。
招かれていないお茶会を覗くのは品が無いと知りつつ、それでも目が離せなくて。
浮かんだまま眺めていたらお嬢様と目が合って、つい声をかけてしまった。
壁越しに話しかけるのはマナー違反と注意したお嬢様と、お嬢様に追随する沢山の声を覚えている。
あの時のお嬢様は、確か最初の一声のみで、テンションの上がり続ける周りを呆れて見ていたような。
「良ければ召し上がって。料理人の自信作なの。」
あの頃よりも明るい声と、幾分か砕けた態度。
お嬢様を慕う人々がいる時には見られない、二人で寛ぐ隙間時間。
自分の手元にもお茶とケーキを盛りつけているから、今日はゆっくり過ごしても良いらしい。
「ありがとうございます。好きなんですか、このケーキ。」
初めて呼ばれた時は遠慮がちだったけれど、今はもう気にせず手を伸ばすようになった。
自信作でもそうでなくても、お嬢様のところで食べるものは、どれも美味しい。
最初にお皿へ飛び乗ってくるものは、その日のお勧めか、お嬢様の好きなもの。
お嬢様のお皿にも乗っているし、このケーキは何度か食べているから、多分お嬢様の好物なんだろう。
「そうね。頻繁にお願いしているから、すっかり得意になったそうよ。」
私からすればいつもの光景でも、上機嫌に話すお嬢様は、実は珍しい。
周囲の人々のお手本であるよう気を張って過ごしているからか、普段のお嬢様は社交的な態度と笑顔を崩さない。
雑談は聞き役ばかりで、何も言わないお嬢様の周囲が盛り上がっている場面を良く見掛ける。
教室での距離は遠くても、声の大きい人たちのおかげで内容は聞き取れたりもする。
その殆どがお嬢様を賛辞するものか、他のクラスを下に見るもの。
クラスメイトへの一方的な評価が減ったのは、お嬢様がみっともないと一喝したからだろう。
「今日のケーキも美味しいです。少し持ち帰っても良いですか。」
初めて二人きりのお茶会をした時から恒例となっている、お持ち帰り希望。
最初こそ呆れられたものの、今では笑いながら許可してくれる仲にまでなった。
自ら箱に入っていくのは、私の好物と、お嬢様の好物。
この二つを入れてもらうのが、私のお気に入り。