08話 スローライフがいきなり終わった
帰還を果たした俺はひとまずすべての趣味から手を引き、卒論に専念してとっとと提出した。
片親で育てられた俺は就活についてなんとなくどこかに引っかかればいいなと思っていたが、今では就職するつもりがない。世界を飛び回るカメラマンの母から大学までは面倒を見てやるとの約束だったし、今の俺は生活費がまったく困らないほどお金持ちだ。
いわゆる異世界帰りのテンプレ。
神がいうご褒美の意味は帰還後に理解した。あの世界で使っていたすべての能力も、ごっそりと貯えたすべての物も、そのままこっちの世界へ持って帰って来れた。あの世界ならともかく、こっちじゃリアルのオレツエエなはずだ。
「……あんたの人生だ、食うに困らないなら好きにしな」
「うん、そうする」
卒業間際に母との会談で金銭に困らないから、就職しないで自由に生きていくと伝えたら、元から自由な性格の母は好きにしろと素っ気なく認めてくれた。
俺が学校を卒業するまで外国人で年下の恋人さんと再婚を控えていたらしく、お邪魔虫ですまなかったことを恋人さんに伝えてくれと言ったら、じらしプレイで盛り上がったぞと返って感謝されたみたい。アホらしいからバカップルは勝手にしろってやつだ。
白い砂浜と夕焼けがきれいな島に住んでいるから、いつか若い父親に会いに来いと、肩を叩いてから去っていく母はいつものように男前だった。
母と住んでいた地方都市にあった古い家は売り払われて、母が本格的に海外へ移住してしまった。
――母さん、今まで育ててくれてどうもありがとう。
家財一式を無限収納の空間魔法に放り込み、4年間住み慣れた部屋は解約した。思い出と言えばゲームの日々ばかりだったけど、それなりの愛着はあったかもしれない。
商店街のカレーコロッケがやたらとうまかった。
もちろん、店の親父さんがあきれるくらいどっさりと買い込んで、空間魔法にしっかりと収納済みだ。
生き物は入らないけど従属したサキュバスであるグレースならなぜか入る空間魔法。彼女に隠れてもらい、新しい住処を探す前に俺は知らない街で生活費のために換金を済ませてきた。
とある暴力団事務所へ訪れた俺は、時価4億円相当の金を2億円と交換しませんかと、丁寧にお話をさせてもらった。
「おらア! もっと出さんかいワレぇ」
「2億だあ? シバくぞおんどれ!」
金のインゴットを見たとても怖いお兄さんたちに取り囲まれて、なにやらオラオラと吠え出した。
落ち着いた態度でごく自然に収納からミスリルトンファーを装備しつつ、そこからは異世界で騎士団長と熟練冒険者に鍛えられた腕で前向きに取引を考え直してもらった。
倒した怖いお兄さんたちが聞き分けのある人で本当に良かった。
事務所にそこまでの現金がないということで、後日に指定された倉庫で拳銃と機関銃を突き付けられた。
「んなもん、どこから出しやがった!」
「ナメとんのかくそガキがあっ!」
「……」
盗賊ギルドでもよくこんな場面と巡り会えた俺はアダマンタイト製の盾で撃たれた銃弾を受け止めてみせた。しかも万が一に備えてバリアの魔道具を起動させてるから危なくなることは絶対になかった。
「——クソガキ! どうなってやがる」
「撃て撃て!」
「……グレース、お後よろしく」
「はいな、任せて」
その後はグレースにちょっとだけ暴れてもらったので、結局は慰謝料込みで換金額が2億5千万円となった。
暴力は絶対に良くないと言い聞かされてきた俺は異世界で暴力を頼りに生きてきた。時と場合という言葉の大事さはすでに身に沁みついてる。
その後で事務所に入らないかと強面の素敵な組長さんから勧誘された。就職する気がない俺は引きこもりがしたいと理由を簡潔に説明して、申し訳ないと断らせてもらった。
変な顔で苦笑いしたおじさんから換金するならいつでもうちに来いとのお言葉を頂き、俺はいい取引ができてとても満足した。
あっちこっちのスーパーでちまちまと2年は暮らせる食糧と飲料水を小分けして買い込んだ。二人分の日用品と山籠もりに必要な道具をホームセンターで買い集めてから、大学でそこそこの友人だった三山君の実家がある田舎を目指して、紀伊半島の山へ中古で買ったインプレッサを走らせた。
「うおー、3万円頂きぃ! 悪いねえ、奢ってくれた上でお小遣いまでもらっちゃって」
「いやいや、仲介料だからな?」
「わーってるって。ジッちゃんにはちゃんと言ってるから心配すんなって」
三山君伝手に一年間60万円の借地料で山の中に住まわせてもらう。居酒屋でしこたま飲ました後に手渡された仲介料の3万円をやつはすっごく喜んでくれた。
言うまでもなく、山の中だからインフラなど存在しない。
照明道具、コンロやお風呂などは異世界から持って帰ってきた魔石充填式魔道具があるから心配はない。ただパソコンとスマホは電力が必要なので、そこは太陽電池パネルとガソリン燃料の発電機でやっていくつもりだ。
グレースがね、アニメや小説にハマってしまい、ネットがないと生きていけないと泣きついてきた。幸い、今はモバイルWi-Fiがあるので、なんとかそれでやっていけた。
準備を整えた俺はグレースと一緒に山の中でスローライフを楽しんだ。
たまに山を下って小さな村の雑貨屋でお買い物。時にはグレースがショッピングモールへ行きたがっていたので、彼女が気が済むまでお買い物に付き合った。
悪魔なサキュバスと異種交配しても子供はできないので避妊具は必要がないし、どっちかいうと俺よりもグレースのほうが精力を吸収しなければならないため、ヤられてるのはいつも俺のほうだ。
米や野菜は大量に買ってあるから日常の食事に困ることはない。ただいくらすることがないからと言って、なんにもしないというのもいかがだろうと考えた俺は三山君のおじいさんに断って、小屋の周りで畑を切り開いて野菜を植えた。
それは野菜作りというより、日々にメリハリをつける意味合いが多めだ。
「——若いのにこんな山奥に住むなんて変わってるね、君。まさか悪いことを企んでるじゃないだろうね」
「勘弁してくださいよ、お巡りさん。悟りを開いたっていつも言ってんじゃないっすか」
村の人は良い若いもんが若い女と山でなにをしてるんだと不審な目で見てくるし、たまには麓からお巡りさんが小屋を訪れて、雑談という名の見廻りにきた。
村人とはけして良い関係を築いているとは言えないけど、川で捕れた魚を差し入れに持っていくと新鮮なお野菜をくれたりするから、最低限の交流はしておいた。
グレースと違って、今の俺は世の中に興味はない。
そんな俺だから、グレースも世の中で起きていることを一々言ってこない。そのために急変した世界の初動を俺は畑の世話と運動の日々に費やしてしまった。
——気が付いたときにパンデミックはすでに世界で広まっていた。
「なにこれ? 三山のおじいさんよね?」
「ア゛ー……ア゛ーヴァーア゛ー……」
久しぶりに村にきたが、普段は無口なおじいさんがアーウーと俺を熱く歓迎してくれた。
顔や手などの露出してるところに齧られた傷がある。混濁する虚ろな瞳、カチカチと噛みつこうとする歯に俺を掴もうとする手、これはどう見たって普通じゃないよな。
異世界の墓地やダンジョンでこれとよく似たモンスターを俺は知っている。生ける屍のゾンビだ。
ところでこの世界は魔法がないために、使われていない魔力が満ちている。来た当初、グレースなんか大喜びしてたもんさ。
そんなわけで神聖魔法の死者浄化を使ってみた。
光に包まれたおじいさんは後ろへ下がる俺を追いかけてくる。
「あれ? 魔法が効かないわけ?」
異世界では死体が魔力に触発されることでゾンビになる。
ネクロマンサーに操られるとか、墓地がパワースポットだったために起き上がってしまったとか、ダンジョンで生成されるとかがゾンビになる主な原因だ。
「一旦退散すべきか……じゃな、おじいさん。また来るわ」
「ヴァーア゛ーア゛――」
意外と動きの早いゾンビを置いて、俺は全力で山道を駆け登り、今の自宅へ戻る。
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