表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/174

07話 パンデミックは日常から始まった

本日から毎日1話を最終話まで投稿します。




 情報が発達した現代、世界で起きた怪奇的な出来事はすぐにネットを通して知ることができる。ただ、それが身近な事件じゃない限り、人はそれほど強い関心を持てないのかもしれない。でもそれはいたし方ないこと、危険が間近に迫らないと想像するだけではどこまで対応し得るというのか。


 たとえば押し黙る子供を連れた外国人がホテルから駅へ向かうところを見かけたとしても、それがテロと関連する人物とは、異世界帰りの異能を持つ青年でも思いつかないことだろう――



 ――中近東に本拠地を置く有名な過激派組織がある。一時は世界の各地で無差別テロをくり返したが、やり過ぎたことが仇となって、某大国陸軍の特殊部隊に狙われてしまい、多くの有能な幹部が暗殺された。


 組織を支えていた油田は特殊部隊の作戦で奪われてしまい、他国からの寄付も激減したことで豊富な資金は枯渇寸前となっていた。


 今では各国にあらかじめ作っておいた下部組織による麻薬販売が主な収入だ。その麻薬販売も某大国の情報機関によって壊滅させられつつあり、このままでは近いうちに活動する資金がなくなり、組織は崩壊してしまうだろうと幹部たちは危惧していた。


 勢いを失ったとあるテロ組織は数ヶ月前に思わぬ切り札を手にした。それが不死者から抽出した体液だ。


 体液を打ち込まれた人は人間を襲う不死者となる。それを発見した組織に所属する学者はワクチンを作ろうと研究室に泊まり込んで研究していたが、警備体制を軽んじたために拘束したはずの不死犬に噛まれてしまった。


 ワクチンのない危険な病原体。


 切り札に例えるのは危険すぎる手段であったが追い詰められた彼らはそれに縋るほかなかった。破滅寸前の局面を打破したい思いに囚われ、ほとんどの幹部が消極的ながら賛成せざるを得なかった。


 少なくともまだ各地にアジトがあった数ヶ月前の彼らなら、その手段を取ることがためらわれたはずだ――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 遠く離れた国のテロ組織など、画面の中で好き勝手に自己主張する輩ばかりだ。


 そいつらがいくら怒声をあげて、不平等だ貧富の格差だなんだと叫んでも、世界はクルクルと勝手に回っている。世界がいくら回ってもお金は貧困の人へは回らない。



 中央アジアを中心に怖い伝染病が報道されているものの、それは遠い異国の出来事で会社や学校が休みになることはない。


 一部の人がネットで流出した動画を見てゾンビだと騒いでも、そんな非現実が起こるわけがないのに破滅願望があるんじゃないかと疑われるばかり。



 そんな世の中で朝が来れば出勤する人たちはそれぞれの心情で勤め先へ急ぎ、今日も無事にお勤めを終えられたら美味しくお酒が飲める。


 学生たちは同級生と学業や日常の出来事を語らい、青春時代を精いっぱい楽しんでいる。そうでない若者も中にはいるものの、それはそれで人生の歩む道だ。



 駅前で人々が行き交い、スマホを見たり、駅にあるコンビニで朝食や雑誌を買ったりする。よくあるありきたりの光景に今日は非日常の異物が混ざっている。



「我々ニ大義あり! 教エニ従ワナイ異教徒タチヨ、今コソ神ノ裁きヲ恐れロ!」



 縄できつく手が縛られている白いパーカーを着た少女の後ろで、スーツ姿の外国人男性がたどたどしくも大声で叫んだ。



「なにあれ? なにかの撮影か?」

「違うでしょう、カメラないんだし」

「この頃は変なやつが多いからな」

「ちょっとぉ、それなんのプレイ?」

「犯罪よ、犯罪」

「ケイサツを呼んだら?」

「うわっ。なんか気持ち悪い顔ですけど」



 少女の虚ろ目は焦点が定まらない。


 よだれを垂らす口にボールギャグを噛ませられている。よく見れば少女は男性に縄で引っ張られており、逃げようとしてか前へ進もうとするのを妨げられている。しかも少女は縛られた手を解こうと両手を激しく振り乱していた。


 足を止めて男性と少女を見る人はそれほど多くない。ほかの人は一瞥してから早朝の変事に関わろうとせずに、サッサと自分の目的地へ急ぐ。



「あれって、最近ネットで流行ってる動画と似てるな」


 平日の朝にジャージーを着用した若い男が離れた場所で自転車を止めていた。前にある籠の中にはコンビニの袋を無造作に入れている。



 優雅そうにゆったりとした歩調で歩くご婦人が立ち止まり、先からキャンキャンと吠えている小型犬を叱りつける。


 立ち止まっている人たちが注意を逸らしている間に、男性は女性の口を塞ぐボールギャグが解き、手を縛る縄をサバイバルナイフで切ると、手に握ってた縄を離した。



「神ノ怒リヲ知レ!」


「――キャアアアっ! いたいいたい!」


 この場で自己陶酔する男性の言葉を理解できる人はだれもいない。


 解き放たれた少女が横を通るご婦人に襲いかかり、驚いて動けない彼女の腕に噛みついた。周囲の人たちが立ち尽くす中で、小型犬は襲撃者の足へ牙を突き立て、王妃を守るナイトさながら主人を救おうとしている。



「はい? なにこれ。なんかのばんぐ――ウギャアアーッ! いってええ!」


 小型犬の反撃に怯んだのか、少女は目標を変えて茫然と眺めるサラリーマンに飛びついた。頬から出血したサラリーマンは、慌てて少女を突き離そうとしたが、腕をガッチリと掴まれたために果たせず、少女の腕の中でもがき苦しんでいる。


「こらあ、離れろよ――なにこいつ!」


 横から来た男子生徒が少女をサラリーマンから引き離そうと腕に力を込めたものの、痛そうに叫ぶサラリーマンから少女を剥がすことができない。小柄な少女が出す()()()()()()に男子生徒は驚いていた。



「ギャアアーーッ!」

「ップ――ア゛ア゛ーヴア゛ー」゛


 噛み切られた頬肉を吐き捨てると少女は標的を男子生徒に変えた。驚いた男子生徒が後ずさると少女は両手を前に突き出して後を追うように歩き出す。



「く、くるなあっ! いてえええ! 放せ、放せや!」


 噛みつきから逃れようと男子生徒が体を逸らそうとしたとき、掴まれた手のひらに血の付いた爪が喰い込んだ。右足で少女の腹を何度も蹴りつけ、その度に少女の爪で手や顔に引っかき傷が刻まれた。



「たすけて、だれか早く助けてあげて」

「いやああーー!」

「誰でもいいから手伝え!」

「いってえ……いたいよぉ」

「け、警察を呼べ!」


『恐れろ! 嘆き喚け! その声は俺たちの叫びだあ!』



 凶暴な少女に何人も傷を負わされた。


 這いずってこの場から離れようとする人、足早に逃げ去る怪我人、ボーっと自分が傷口を眺める負傷者、助けに入ろうとする通行人。外国人の男性は両手を広げたまま、自分が演出した惨劇を愉快そうな口調で冷笑する。



 不意に少女は動きを止めて、男性のほうへ顔を向ける。


「ア゛―ア゛ー……」

『なんだあ、死人。早く神の敵を討ち滅ぼ――ギャアッグフ』


 これまでで一番の速さで男性に飛びつき抱擁した少女は喉に歯を突き立てた。その勢いで食い破られた男性は血が噴き出す喉を両手で押さえる。


「ア゛ヴ―ア゛ー」


 地面で転がる男性を無視して、少女は彼女を押さえようと群れてくる人たちに飛び込む。



 ……世界各地の大都市でこれとよく似た光景が展開され、とりわけ世界の警察を自認する某大国には地方都市までテロ組織から送り込まれた故意の災厄(パンデミック)が撒き散らされた。



 ――飼い主が救急車で病院へ運ばれた頃、彼女に飼われていた小型犬は人々の混乱をよそに路地裏でもがき苦しんでいた。


 警察によって現場鑑識が開始された頃、飼い主を守ろうとした小型犬の姿はどこにも見当たらなかった――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ジャージーを着た若い男は全力で自転車を飛ばした。途中でスーパーへ寄った彼は有り金はたいて保存食を買い込み、帰り道で数日前に暇つぶしで見た流行りの動画を思い出した。



 ――とあるテロ組織の動画サイトでの定時宣伝に、珍しくライブ動画が配信された。


 動画の中で興奮した男がいつものように自分たちの大義を叫んでいた。


 いつもと違うのは近いうちに神から世界へ裁きが下されると宣言したことだ。それは崩壊の始まりであり、終わりではない。それを止めたいのなら自分たちに神へ奉納するための浄財を支払えと。


 自己陶酔で益々ヒートアップしていく男の後ろに、突然なにかに銃を撃ちながら逃げ惑う人々が駆け込んでくる。男が急に起こった混乱を治めようと立ち上がったが、横からいきなり現れただれかに襲われた。


 救助を求める悲鳴、犬の咆え声、辺りに鳴りひびく銃声。


 画面の端から現れた男たちが地面に向かって自動小銃を乱射する。慌ただしさだけが伝わり、そのうちに撮影しているカメラが倒れてしまった。白い布が映されている中、男たちの絶叫だけがこだまする――



 多くの人たちはとあるテロ組織がコメディに目覚めたと笑い、すぐさま面白おかしく編集されたお笑いの動画がネットの上で流された。


 ほとんどの人々は知らない。


 配信された動画で不安だった実戦部隊は()()()()本部と連絡が取れず、それでも海外へ移住できると騙された孤児の少年少女を連れて、決められた時刻に作戦を実施したことを。


 地域の紛争で親を失った少年少女が、輝く未来を夢見ながら、眠らされている間に未知の病原体を打ちこまれて、人々を襲う化け物になってしまったことを。


 大した研究もされないままに罪もない何人かが実験体にされて、ワクチンは作られることもなく、各国へのテロ作戦が実行されたことを。



 だれも訪れない奥地で息を潜めるはずのゾンビは、人の悪意によって緩やかだが確実に世界を破滅へ誘うために多くの国へ解き放たれた。





人を追いつめるのは人ってことですかね。次話からの視点は主人公がメインとなります。


誤字報告して頂き、厚く御礼申し上げます。

お手を煩わせ、本当にありがとうございました。


2020/1/6 テロに関わる文章の構成を修正しました。

ブクマとご評価、ありがとうございます。とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ