06話 託された伝言はちゃんと伝えた
……暗闇の中でゲームクリアの文字だけが明るく表示されていた。
被っているVRセットを荒々しく掴み取り、部屋の隅へ力を込めて投げ捨てた。現実の世界に帰ってきた安心感よりも、クソたれの環境を脱した腹立たしさにイラつく。
「なあにがゲームクリアだ。クソッたれが!」
こうして帰還することができたんだから性格の悪い神ではあるがウソつきじゃない。でも拉致と殺人の罪を平気でやらかした犯人に感謝する気などない。
『ふーん……ここがあなたの住む世界ね。
戯れ言かと思ったのに、本当だったのね』
「――え?」
聞き慣れた声で耳にする異世界の言葉に驚かずにはいられない。ゆっくりと後ろのほうへ振り返ると、そこに居ていいはずがない、煽情的な服装を着た奴隷のサキュバスがそこにいた。
『なんでここにお前が……』
『来ちゃった』
『来ちゃったって……
――じゃなくて、どうやって転移してきたんだよ』
『あら、わたしはあなたの奴隷よ?
魂まで結ばれている従属の血盟は時空を超える契約よ、あなたが生きている限り、離れられない運命だって言ったでしょう』
両手で頬を触れるように挟んできたサキュバスのグレースは、俺にやや厚めの唇を重ねる。
昨夜も交わした情熱的な接吻に懐かしさを感じることもなく、グレースから押し寄せてくる情熱の波に飲みこまれてしまった……
――なんてこった、帰還してからすぐにヤられたか。
俺たちが異世界で過ごしたのは10年、こっちで消えた時間を母に連絡で確認してみると3週間の不在と言われた。
うちは放任主義なので、母から連絡が取れていなかったことについて、なにも聞いてこないのはいつもの通りだ。
ゲームのことをネットの掲示板で調査してみると、一部の古参の消息を求めるコメントが残されているだけで、消えた13名のことは引退したか、しばらくゲームから離れたかと思われているようだ。
警察のホームページも見てみたが、行方不明者の公開捜索情報にもだれも載っていなかった。
あれだけ廃人レベルでゲームをしていたから、暇人じゃないとできないとは思ってたし、異世界で転移者と交わした雑談の中で何人かは家で引きこもってたのは理解できた。
福本なんて自分で周りから見放された引きこもりって公言してたしな。
あいつとは最後のほうで仲良くなったので、遺言を託された俺はあいつの家族に会うために電車に乗った。
福本の実家は下町にある古びた二階建ての家。
小さな庭に新しいプランターが所狭しと並べられていて、手入れが行き届いている庭はこの家に住まう人たちの性格を現しているかもしれない。
「母さん、またお花を買ってきたでしょう。
ロクでなしがいなくなって、だれも母さんのプランターを勝手に捨てないからって、買い過ぎよ」
気の強そうなおばちゃんが玄関から出てきて、庭の様子を窘めるように家の中へ向かって苦笑してる。この人は20代後半と自称する福本の妹だろうか。
それにしてはお歳が取り過ぎてるような気がする。若く見積もったって、40歳前後と思われる。ええい、直接確かめてみよう。
「こんにちはぁ」
「……どちらさまで?」
警戒する目付きが突き刺さる。それなりの身なりしてきたつもりだけど、どこか変なところがあったのかな。
「福本さんのお宅ですね」
「そうですけど。あなた、うちになにかご用ですか?」
「私は福本遥大さんの友達で芦田輝と申します」
「はあーっ? ロクでなしの友達だあ?」
鬼のような表情に変貌したおばちゃんの顔がとても怖い。福本からのお願いがなければこのまま逃走したいところだ。
「で、なんの用? あんたなにしに来たの?」
腕を胸のところに組んだおばちゃんは警戒を通り越して威嚇するようになった。人って、日頃の行いはとても大切だと痛感された一瞬。
魔神にですらここまでは怯えなかったのに、一般人で恐怖を感じさせるなんてこの人はどこの大魔王だ。
「伝言を頼まれ――」
「――お金ね。そんなものはないわよ!
勝手に家出したんだから、どこで野垂れ死にしようとうちには関係ないわ。それに自分で来ないで年下の友達に頼む根性が気に食わない。
――あ、あいつに根性なんてものはなかったわね!」
なにか言う前に即断されてしまった。
しかもこのおばちゃんの声は結構大きいので、玄関扉のところからおびえた様子の老夫妻が顔を出してきて、近所の人たちまでぞろぞろと集まり出した。
でもここは福本のために踏ん張ろう。
「い、いや、そんなんじゃないんです。福本さんから伝言を頼まれまして」
「伝言だあ? ……あんたどこのだれよ。
引きこもりのお兄ちゃんにあんたみたいな若い子と友達になれ――あんた、もしかしてオレオレ詐欺なの?」
——なに言ってんのこの人、オレオレ詐欺なら電話でするがな。
それに友達って名乗った時点でオレオレじゃない。面倒になってきたのでちゃっちゃと伝言だけ伝えて、さっさと帰ろう。
「あのですね、私は福本さんから伝言を頼まれたので、それを伝えに来ました」
「……」
「家族のみんなにずっと迷惑をかけてきてごめんなさい、これからは嫁さんと頑張っていくので心配しないでください。
――以上が福本さんからの言葉です」
「――」
おばちゃんの表情が驚きと疑いに満ちている。
——そりゃそうなるよな。
たった3週間だけで人が変わったように家族へ謝罪の言葉が出るんだからびっくりするしかない。しかもお嫁までもらったんだから、ご家族にとっては驚天動地の出来事だと思う。
「……あの子は、ハルちゃんは元気ですか?」
おずおずと玄関から優しそうなおばさんが不安定な歩調で近寄る。福本の妹さんが慌てておばさんの体を手で支えた。
「……はい。若い奥さんをもらったから頑張ると、舞い上がってばかりの毎日でしたから」
「まあまあ、四十半ばにもなって、若いお嫁さんって。自分の歳も考えないで……」
おばさんは後ろから付いてきたおじさんの手を握り、両目から息子を心配する涙が人目を憚ることなく流れ出す。
俺の母さんがドライな分だけ、ちょっと羨ましいと思った。
——それと、サバ読み過ぎだ福本さん。なあにが20代後半だ、45歳のヒキニートはさすがに感心しない。
嫁の女騎士と一緒に死んだけど。
「息子は頑張ってるのか」
「はい。私の大事な仲間で、とにかく物事にひたむきに取り組んでいましたよ」
「そうか」
おじさんからの質問には真実だけを答えた。
福本さんは最初こそ口だけ達者なやつだったけれど、最後のほうは討伐部隊にとっていなくてはいけない人となった。
とくに女騎士と良い仲になってからは叱咤してくるほど真面目な人間に変貌して、これだから童貞はとよくからかってやったものだ。
「ロクで――兄は、いつ帰って来るんですか?」
妹さんの質問はとても答えにくいものだった。
せっかく良い知らせが聞けたのに、この善良そうな家族を絶望させるようなマネはしたくないので、ダークエルフのエミュールが故郷の森で親友の親に答えた言葉を借りよう。
「私には居場所を教えてくれませんでした。
でも遠い場所で頑張ってますので、信じてやってください」
老夫婦が抱き合って号泣する中、妹さんは涙で潤んだ目を凝らして真っ直ぐに見つめてくる。
たぶん、この人には兄が帰って来ないことが理解できたかもしれない。それでも俺はうそをつき通さなければならない。
「……兄のことを教えてくれて、ありがとうございました」
腰を折る角度が90度なるまで妹さんはお辞儀をしてくれたもの、かすかに体が震えているのは見なかったことにしよう。
お礼の言葉が聞けたので、俺の役割はここで完了。少なくても福本さんの家族は彼が変わったことを知ることができた。
「あのう……」
「なんでしょうか」
ようやく泣きやんだおばさんが気遣わしげに話しかけてくる。
福本さんのことは吹いてくる大ボラと彼と過ごした異世界の時間以外はあまり詳しくないので、彼の母に答えられることは限られてる。
「ハルちゃんの部屋にある、ナンキョク2号さんというお人形さん……あれ、捨ててもいいかしら」
「はい?」
「母さん! お兄ちゃんの物はぜーんぶ捨てちゃいなさいっ!」
——はあ? ナンキョク2号のお人形さんってなに? 帰ったらネットで調べよう。
でも赤ら顔の妹さんを見ると引きこもりが大事にしてる物はロクなもんがないと思うから、それこそサッサと処分したほうがいい。きっとそうに間違いない。
これで主人公が異世界との決着がつきました。これ以後の舞台はゾンビワールドへ移ります。
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