最終話 街の守護神は変異種だった
四国や荻市なら見慣れたはずの風景が、見知らぬ土地のここでは異様な光景に思えた。
田んぼにある稲穂が実り、そよ風に吹かれて揺れている。
「まさかゾンビが米作り? 違うよな……」
久々の一人旅に出た俺は山間を歩きながら山の幸を収穫して、狩猟を楽しみながら釣りでゆったりとした時間を過ごした。
突如、現れたのが目の前にある風景。
隠形のローブで姿を消した俺は、街の外で黄金色に輝く田んぼを通り過ぎていく。
街の中で人と人が楽しげに日常会話を楽しんでいる模様。
それはあたかもここに災害が起きていない頃の光景のようだ。ただその傍らで動かずにただ佇んでいて、まったく動かない人たちがいる。
あれはどう見たってゾンビだ。
――どういうこと? ゾンビが人を襲わないだなんて……ひょっとして、しゃべっているのはドラウグルか?
しかしどうも様子が変だ。
ドラウグルが手提げ袋を持って、ネギや大根などの野菜を持たないだろう。エミリアも自分たちは食べ物を口にしないと言ってたはず。
これはいったいどういうことだ。
「ウォンウォン!」
「あらサキチ、いきなりどうしたのよ」
リードに繋がれてる大型犬が俺へ向かって吠えてくる。手でリードを持った女性が困り果てて、犬を宥めようとして懸命にリードを引っ張っている。
――あの犬、俺が見えているのか?
ハッと気が付いたことは、動かなかったゾンビが俺へ向かって歩いてくる。街にいた人たちも慌ててどこかへ逃げ去っていく。
――なんだここは?
隠形のローブを脱いだ俺は収納からメイスを持ち出す。どうであれ、人に敵意を持つゾンビは退治せなばならない。
「ひ、人お?」
「ウォンウォンウォンウォン!」
女性が俺を見て奇声を上げて、それに釣られたかのように犬の咆え声がいっそう激しくなった。
ゾンビたちが走り出したので、腰につけてあるバリアの魔道具を起動させて、ゾンビの攻撃に備える。
「こらああ、サキチ、ステイっ!」
「クーンクーン……」
犬の情けない鳴き声で、ゾンビの動きが止まってしまった。わけのわからない事態に戸惑う俺がいる。
「こ、こんにちはあ……
人間、なんですよね」
「あ、はい。変な格好ですけど、人間です」
窺うように聞いてくる女性の質問に、俺もおどおどする態度で返事してしまった。
「あー、よかった……
――こらっ! 悪い人以外は吠えちゃダメでしょう。ゾンビさんが襲ったらどうするのよ」
「クーンクーン……」
――ぞ、ゾンビさん? この人、なんなの? ここはなんなの?
疑問しか湧いてこないので、持っているメイスを収納するべきかどうかが迷いどころだ。
「怖かったじゃないの?
サキチはいい子だけど、街を脅かす悪い人には牙を剥いちゃうのよ」
「めちゃくちゃいい子じゃないですか!」
「ウォン!」
俺の言ったことがわかったのか、サキチというゴールデンリトリバーは誇らしげに吠えてくる。
「この子は人の言葉が理解できるようでしょう?」
「え、ええ。驚いたことに」
「この子はね、ゾンビなのよ」
「え……えええええーーー」
「ウォンウォンウォンウォン!」
――そっちのほうが驚くわ! ゾンビ犬って、人間を襲わないのか!
微笑みとともに優しい手付きでサキチを撫でる早坂さんという女性。彼女が言ったことは爆弾そのものだった。
「街がゾンビ犬に襲われた日、この子は家に逃げたわたしの家族を守るためにゾンビ犬と戦ってくれたの。
あんなに強いサキチは見たことがなかったわ」
うつぶせの姿勢でサキチというゾンビ犬が、ご主人様からのナデナデを気持ちよさげに受け入れてる。
「その後ね、サキチはほかのゾンビ犬と同じように人を襲うようになったの。
悲しかったなあ、そういうサキチを見るのは。
この子はね、とても優しい子なのよ」
「クーン……」
少しだけ頭をあげて、サキチは悲しそうな瞳をご主人様の早坂さんに向けている
エミリアでさえ感情をみせたことがなかったのに、こんなに感情豊かなゾンビはあのドラウグル野郎と殺したライオットしか俺は記憶にない。
「食べ物がどんどんなくなっちゃって、庭にはサキチたちゾンビ犬がいっぱいだったの。
もう駄目かなって、主人も息子も娘も覚悟したわ。
ゾンビになるなら、みんなで一緒に逝こうって……」
サキチを撫でながら早坂さんは遠い目で恐怖だった日々を思い返す。
「そうしたらね、ある日にサキチが庭にいたゾンビ犬を食べ始めたの」
「うぇ、ええええーーー!」
「ウォンウォン!」
ゾンビは人間にかみつくが食べたりはしなかったはず、ゾンビがゾンビを食べるなんて初めて聞いた話。
「気持ち悪くて見ていられなかったわ。
気が付いたときには庭にはサキチ以外にゾンビ犬がいなくなったの」
「クーン……」
ご主人様から気持ち悪がられ、サキチは心なしか気落ちした気がする。
「娘はね、サキチと兄弟のように育ったのね。
死ぬならサキチに噛まれてもいいって、家を飛び出したのよ。あの時はもうびっくりしたわ」
「ウォンウォン!」
それはそうだと思う。
うちの長女と次女がゾンビの前に飛び出しなんかしたら、俺は絶対にそのゾンビを灰すら残さず焼き尽くす自信がある。
「娘に抱きつかれたサキチは昔のように舐めたりはしなかったけど、嬉しそうに尻尾を振ってたわ。
あれからなのね。街に出たサキチはゾンビが襲わないように威嚇してくれてるの。サキチに吠えられたゾンビはサキチに従うようになったのね」
「ウォンウォン!」
「そうなんですか」
――早坂さん。サキチは威嚇じゃなくて、ゾンビを配下にしたと俺は思う。でもありがたい話を聞いちゃった。ゾンビを食べるゾンビは進化するのか。
あのドラウグル野郎たちの謎に少しだけ触れた気がする。
「サキチはいい子でしょう? この街で生き残った人たちはサキチに守られてるの。
ゾンビからも、街を襲う悪い人たちからも」
「ウォン!」
早坂さんに褒められたサキチは本当に嬉しそうだった。
俺たちの街でエミリアが守護神と呼ばれたように、この街の人々にとって、きっとサキチが守護神そのものなのだろう。
「――今回はたいしたものがなかったんですけど、今度はもっと多くのものを持って来ます」
「助かるわ、芦田さん。
本当にありがとうね」
いい話を聞かせてもらったので、塩に砂糖、粉ミルクやお菓子などの物資、それにうちの街の名産である干物と漬物を町の人に渡した。
彼らからは余分の米や街で植えた新鮮な野菜と果物をもらった。
野菜ならうちの街でも作ってる。
だけどこの街の人々が誇りをもって、家族と食べてほしいた差し入れにくれた大事な生産品。ここはその優しい気持ちに感謝を込めて、ありがたく頂戴するのが礼儀と思う。
「またここへお邪魔させてください。
欲しいものはそのときに持ってきます」
「はい、ありがとうございます。
今日はきてくれてとても嬉しかったわ」
見送ってくれたのは街の人々と早坂さんの家族。
サキチは可愛らしい娘さんに抱かれたまま、こっちへ視線を向けてくる。
「じゃな、サキチ」
「ウォン!」
人間に臆することなく、サキチは見送るように大きな吠え声で別れを告げてきた。
ゾンビがいる世界で多様化するゾンビがいても全然おかしくない。
彼とこの街の人々といつかの再会に思いを馳せて、今度は妻の沙希、長女の凛と次女の里紗を連れてくるつもりだ。
母さんと義父さんは温泉が好きだから、親孝行に旅の同行でどこかの温泉へ連れて行くのも悪くない。
もちろんのこと、有能なメイドと食っちゃ寝悪魔が一緒なのは言うまでもない。
サキチはアジルのような変異種です。ただ犬であるため、思考力が発達できなかったのです。そのために養われた家族を守ることがサキチの行動原理となります。
文明レベルは落とさざるを得ないですが、人類はゾンビがいる世界で辛うじて生き長らえています。ごく稀な例ですが、このように異種間の交流が発生するかなと思ったりしました。
元々はゾンビものを読み漁ってたのですが、数年は大丈夫かもしれないけどその後のゾンビの世界って、どんなもんだろかと、思いついたままに書き出したのがこの作品の始まりです。
そんなわけだから大阪城拠点から出たところで気が済んでしまい、思い描いたアジルとの決戦は書く予定がなかったのです。実は最初に投稿済みの時点で、俺たちには明日があるみたいな形で大阪拠点編のエピローグをもって完結させました。
ゾンビの良い作品が多い中、まあ、埋もれるだろうと書き手はとても気軽に投稿しました。ところが思わぬ反響をいただき、ランキングに作品名が連なることになりました。
――あ、ヤバ……未完だわ。
そのことを思い出した書き手は急遽、書いてなかった部分を仕上げました。
お読みになられた皆様がおられたので、この作品が最後まで完成できたと、書き手として感謝にたえません。おかげ様でパニックジャンルランキング日間・週間・月間・四半期・年間の1位になれました。(2020.2.18)お読みになっていただき、誠にありがとうございました。
エミリアやアリシアの話、どこかの街で生存し続ける人々のお話などなど、思い付きはありますが長くなりそうです。蛇足はこのくらいにしましょうということで、これが物語の最終話となります。
この作品で1話でも楽しんでいただけたのなら、書き手として本当に嬉しく思います。
今回をもってこの作品は完結いたしました。皆様からのご感想と誤字報告、ブクマとご評価、レビューまでいただけたことがとても励みになりました。近頃は多忙のためにお返しすることはできてませんが、書き手としてとても嬉しかったことをお伝えしたく存じます。
最後までご高覧いただき、誠にありがとうございました。