71話 災害の時は無事であることがなによりだ
港に停泊中の海上自衛隊の艦艇が燃えている。
「ねえ、どうする? 港から行っちゃう?」
「いや。みんなのことが心配だから住んでいるところへ戻ろう」
大きな被害が出た和歌山のことは小林知事と有川市長に任せた。
俺から聞いた徳島市がゾンビの襲撃を受ける懸念に、二人ともそっちの後始末は任せてほしいとのことで、すぐに徳島へ向かえと言ってくれた。
「マジかよ……」
河口に近付くと護衛艦に取りついた小型の木造船が見えてきた。
屋根と壁が付いた船は横から櫂が突き出していて、屋根に開けられた開口部からゾンビたちが梯子で護衛艦へ登っていく。
この世界にいるゾンビに驚かされてばかりだ。
ドラウグルは知恵を持つとわかっているのも関わらず、船くらい作れることに考えが及ばなかった。
「どうする?」
確認の意味でグレースが平坦な声音で聞いてきた。
「……悪いだが放っておくしかない。今は市内のほうが大事だ」
襲われてる艦艇を助けに行きたい気持ちはある。だが市内の各所から上がっている炎は徳島市が大規模的な襲撃を受けている証拠だ。
「そう。じゃあ、行くわよ」
現に今も港への砲撃が途切れることがないまま、空港のほうでも火の手が上がっている。
俺たちが乗るクルーザーを発見して、木造船が櫂を漕ぎながら近付こうとする。
先を急ぐ俺たちにここは足の遅い木造船など無視の一手だ。市内の被害状態を掴んでおきたいし、みんなの安否が気になってしかたがない。
「グレース、すぐに行くぞ」
「はいはい」
川をさかのぼった俺たちは小型漁船を係留する岸壁に接岸した。船を収納しようとするグレースを急がせて、みんなが住んでいる場所へ全力で走り出した。
うっすらと光る透明な防壁は目に飛び込む。
異世界の町に張られていた対物理対魔法攻撃のバリアを見るのは久しぶりのこと。
オーガ程度のモンスターまでなら十分に対応できるほど、異世界の神教が開発した魔法防壁の術式だ。もっとも魔王軍のドラゴンによる来襲で、バリアを張った多くの街が滅ぼされたのは過ぎ去った日々の悲しいできごとだ。
魔法防壁の術式なら俺も学んだことがあるので、ここへ引っ越してから用意したもの。
異世界から持って帰ってきた大理石のようなガトル石は魔力が通りやすく、この術式に使用するのに最適な素材である。術式の要石に込めたヒドラの魔石なら一週間はバリアが持つため、俺がいなくても攻撃に耐えられるように、体育館に設置した固定式魔法防壁だ。
ただし防御する範囲に応じて使われるカトル石の量が異なり、大阪城や徳島城と言った大規模な防御施設では、俺が持つカトル石のサイズが小さすぎる。
「師匠! お帰りなさい」
「ただいま、ミク」
校門のところで警備に当たっていたミクウッドゴーレム30体を連れて、帰ってきた俺たちを出迎えてくれた。
グランドには知らない人たちがたくさんいた。
なんでも近所に住んでいる人たちを避難させるために、中谷さんたちが連れてきたらしい。体育館に入ると心配だった面々と再会できたことに俺は安堵を覚えた。
「よかった、みんな無事で……」
「芦田くん! よく帰ってきてくれた」
「老師、お帰り!」
「いいときに帰ってくれたよ、ヒカルくん」
抱きしめてきたのは川瀬さん、目を真っ赤にして本当に嬉しそうだった。
ただこういうときになったら、真っ先に飛び込んでくるはずの彼女がいないことに気付いた俺は、キョロキョロと辺りへ目を配る。
「沙希ならゴーレム車で救助しに出かけたよ」
「……そうですか」
彼女らしいといえばそれまでだが、こんな大変な時なら、たとえゴーレム車がなくても、沙希という女性は間違いなく人助けすることを選んだと確信できる。
「航さん――」
「わかってる。ここなら任せてくれていい。
ヒカルくんは自分ができることをしてきてくれたらいい」
人と人には日々と共に過ごし、記憶を積み重ねることが大事だ。これまで一緒に歩んできた時間があったからこそ、こうして細かい説明がなくても俺の行動を受け入れてくれる。
「玲人、翔也、タケ、まさくん。
ここはお前たちに任す、みんなのことを守ってやってくれ」
「わかりました、芦田さん」
「問題ないです。任せてください」
「老師、この一番弟子がいれば大丈夫ですよ」
「はい。頑張ります」
若者たちが力強く頷いてくれた。明るい彼らなら、きっとみんなを元気づけてくれると俺は信じてる。
「グレース、場合によっては上位魔法を解禁してもかまわない。
人を巻き添えにしないのなら、タイミングは自分で判断してくれ」
「うふふ、わかったわ。解禁してもらえるなんて、ゾンビさまさまね」
「セラフィもだ。危ないと思ったらぶっ放せばいいから」
「わかりました、ひかる様」
遠くのほうでは未だに砲撃が続いている。
これほどの本格的な攻撃ともなれば、和歌山市以上の激戦が予想される。幸いという表現は正しくないかもしれないけれど、砲撃しかしてこない今なら市内の現状が確認できる。
市民たちの避難は賀島さんや佐山さんたちがやってくれるはず、だがその前に彼らの状況も気にかかる。なにより、沙希のことが一番心配だ。
――今から迎えに行くから、まってくれ。沙希。
「……砲撃が止んだな」
「ああ、やっとだな……
――しかしどこの部隊だ? この砲撃は重迫撃砲とりゅう弾砲の砲撃だったぞ」
「でもおかしいじゃないか。特科隊は大毛島に駐屯してるだろう?
同士討ちなんてするのか?」
「クーデターとか――」
「雑談はやめぃ! なんだこの音は?」
鳴門市大津町の田園地帯にある土のうで構築した防衛陣地。
山間部の監視を任務とする分隊の隊員たちが砲撃について話しているときに、分隊長は辺りを鳴りひびく金属の音に耳を立て、隊員の一人が様子を確認するために暗視装置で山のほうを覗いた。
「よ、鎧武者ですっ! その数、無数!」
「鎧武者ってなんだ――ガっ!」
報告を受けた分隊長が隊員へ聞き直そうとするとき、飛んできた矢が彼の首へ突き刺さった。
「分隊長おーー!」
「本部に襲撃されたと無線を入れろ! しかる後に反撃に移る」
分隊長を亡くした隊員たちは次々と飛来する矢の中、必死に本部へ不明な敵による攻撃の連絡を入れた。
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