58話 不死者の女将が歓待してくれた
冷たい海風が吹いてくる中、俺とグレースは海沿いの道に建てられた豪邸の前にいる。
「イラッシャイマセ。ダンナサマ、オクサマ」
「きゃあー、奥さまですって」
「……」
どこから持ってきたのか、和服を着たゾンビのカップルがポーチの前で俺たちを待ち構えてた。
袴姿の若い女ゾンビと振袖を着た青年ゾンビ、しかも羽織ってから帯を適当に縛っただけの着付けだった。
すっごくツッコミを入れたい俺は、どうにか自分の内なる衝動を抑え込むことに成功した。
「……泊まれる宿って、ここなのか?」
「イラッシャイマセ。ダンナサマ、オクサマ」
――うん、わかってたよ。
ゾンビたちが教えられた言葉しか話さないことを俺はちゃんと知ってた。それでも聞かずにはいられなかっただけの話だ。
ゾンビのカップルの横をグレースと通ったときも、やつらは襲いかかるようなそぶりをみせない。
「……それ、逆だぞ」
「イラッシャイマセ。ダンナサマ、オクサマ」
――うん、わかってたよ。
自分の欲望を耐えられなかったのは、きっと俺がまだまだ若いという証拠だ。
「遠い所からようこそいらっしゃいませ。
女将のヴィヴィアンです」
玄関に入ると振袖が良く似合い、艶姿の女ゾンビが俺たちを迎え入れてくれた。
着付け方は庭にいたゾンビと同じなのだが、乱れた和服の着方が逆に、顔の美しさと起伏のあるプロポーションをより色っぽく際立たせている。
ハッキリとした口調と豊かな表情からして、こいつはゾンビではなく、ドラウグルと認識したほうがいいだろう。
「俺たちをここに呼んだのはあんたか?」
「ささ、お部屋は用意できてますわよ。
お風呂はありませんけどお食事なら後でお持ちしますね」
――無視かよ。
「ええー、お風呂ないんですかあ?」
ヴィヴィアンというドラウグルによる女将プレイに、なぜかグレースのほうはノリノリだ。
「はい。わたしたちは水が嫌いですので、お風呂のサービスは提供できません」
「あーあ、初めての旅館なのにぃ、ざーんねーん」
「ご期待に添えなくて、申し訳ありません」
上半身を屈めるドラウグルの態度に少し違和感を覚え、ここは本当にゾンビがいる世界かと一瞬だけ疑ってしまった。
「お風呂は自分たちでなんとかするから、部屋の案内をしてくれ」
「はい、仰せのままに」
グレースのすねた声で気付いたことだけど、彼女がこっちへ来てから、遊びに連れて行ったことがほとんどなかった。
大学を卒業するまでは卒論に専念してたし、その後は山に籠ってからのパンデミック。
そういうつもりはなかったのに、結果的にはずっと彼女のことはずっと放っておいたままだ。
――こんなご主人様って、人間失格だよな。
「落ち着いたら温泉へ行こうか」
「うん? うん! 楽しみにしてるね」
ヴィヴィアンに案内されて、階段へ向かってるときに俺はグレースに詫びた。誘いを受けた彼女がとても楽しそうな表情を見せてくれた。
「あらあ、趣味のいい飾りね」
「……」
「いいえ、元からあった物ですが、邪魔だから退かせました。お気に召さないのなら、後で片づけさせます」
前言撤回、違和感ありすぎだ。
2階にある和室へ入った俺たちの目に飛び込んできたのは、床に敷かれたカビだらけ布団と、床の間へ無造作に捨てられてる二つの遺体だった。
「……あれはこっちが片付けるから気にしなくていい」
「そうですか。お客様に手間をかけさせて申し訳ありません」
「それより、お前は――」
「すぐにお食事を用意しますので、少々お待ちください」
――やっぱ俺のいうことは無視かよ。
ドラウグルのヴィヴィアンにこの茶番の真意を確かめようとしたとき、彼女は部屋を出てからふすまを閉める。
おかげで手持ち無沙汰になった俺は、この後になにをすればいいかと迷ってしまった。
「ねえ、このきったない布団でヤるわけ?
わたし、そんなの嫌よ」
「そこで寝たら身体に悪そうだ。布団なら俺が出す。
――その前に敵地でヤろうとするお前に感心してしまうよ」
「あはっ。褒められちゃった」
「――褒めてねえよ」
通常運転のグレースにホッとする自分がいる。
こんなあり得ない場面で彼女に助けられるのはなにも今回だけじゃない。
双剣を首にかけただけの俺から申し出た主従契約に、気まぐれな彼女が応じてくれて本当によかった。
――ちゃんと契約通りに履行してやるから、時と場合だけは考えろよ。このエロ悪魔め。
「ねえねえ、これって……
どうやって食べるの?」
「……」
「鹿のかぶと焼きです。
どうぞそのままお召し上がってください」
もはや違和感しか覚えない。正座するヴィヴィアンは間違いなくドラウグルだった。
大きな皿に焼かれた鹿の首が乗せられてた。
外側だけを焼いたのだろうか、皿の上は未だに鹿の血が流れている。部屋に漂う焼け焦げた臭いに不快感を禁じ得ない。
「……これ、なんの料理?」
「はい?」
首を傾げたヴィヴィアンが様になってる。
美人は得するというけれど、それは本当のことだった。
彼女が敵対してこない限り、見た目が人間そのもののこの美しいドラウグルに手をかけることに、どこかためらってしまう自分がいそうだ。
「これは、なんの郷土料理って聞いてんの」
「え、えっと……京都でえ? 有名なかぶとのタタキだと思いますよ」
「うそつけ! 京都でそんな怖い料理なんて聞いたことないわ!」
「め、目玉と脳みそがおススメなので、熱いうちにどうぞ」
「本当? 頂こうかしら」
「やめえ!」
あたふたとうそをつくドラウグルの言葉をマジと受け取ったのか、グレースが焦げた鹿の眼球へ変色した箸を伸ばそうとした。
「さて、ドラウ――」
「女将のヴィヴィアンです」
「……ヴィヴィアン。聞きたいことがある」
「お風呂はご自分で入れられるではありませんか?」
「そうじゃない!
俺が聞きたいのは、なんの茶番でこんなことをやってるってことだ」
「茶番と申されますけど、お食事を提供するのが旅館のサービスと思っております」
「……あら? 意外とイケるんじゃないのこれ」
ヴィヴィアンというドラウグルは真剣な表情で主張してくるし、俺の隣でグレースは本当に生焼けの眼球を食べ出した。
さすがは悪魔だけであって、嫌がるそぶりはまったくみせなかった。
「……今日はもういい」
なんだかグダグダになってきたので、ここは一旦仕切り直しだ。
それはそうとグレースのほうはシカの頭を豪快にかち割り、音を立てて美味しそうに中身を啜ってる。隣に座ってる俺のことは眼中にないという感じだ。
いくら異世界でゲテモノに慣れてるとはいえ、さすがにこれは無理。いつもは添い寝してくるグレースだが、今日は一人で寝ると心に決めた。
ドラウグルのヴィヴィアンは偵察担当だけであって、主人公の前でも堂々としてます。ただし、知識は書物から得てますので、自分なりの解釈が入り交ざってます。
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