48話 個人事業主のほうが動きやすかった
「うーちゃんはなにを食べる?」
「うーうー」
助けた女の子は抗議するかのように、俺が差し伸べた手を払いのけた。
「うーちゃんじゃないでしょう?
この子には凛って素敵な名前があるのよ」
「うーちゃんでいいよな――いてっ」
窘める沙希さんへ軽口を叩いてる隙に、俺はリンにガブリと噛みつかれた。彼女がゾンビなら俺もウーアーと唸るやつになるところだった。
荒谷凛は11歳、弟だった子の名は荒谷新。崩れた隠れ家で収納したボロボロのランドセル、その中にぼやけた文字で名前と学級が書かれたノートが入ってあった。
どういういきさつかは知らないが二人はゾンビ災害から逃げて、長い間にそこで立てこもっていた。
空間魔法で収納した新くんの亡骸はリンの心が落ち着いたら、望む方法で望む場所に葬るつもり。
今のリンは言葉が喋れないし、夜になると震え出して一人では眠れないので、沙希さんの介護が欠かせない。
「リンちゃーん、おやつよ」
「うーうーうー」
良子さんの呼びかけにリンがよたよたと走っていく。
彼女の保護者となったのは、どうしても見放せないと言い張った沙希さん。
リンがこっちへ来てから良子さんと沙希さんが付き添って看病した。長い間に無理がたたったのか、リンは体調を崩してしまい、市の病院に入院してた。彼女が退院したのはこの前のことだった。
「芦田くん。今日は大事な会議があるからちゃんと会社へ行きなさいよ」
「はーい」
食品加工部の課長である刈谷さんから言われてしまった俺は、朝ご飯を食べたら久々に会社へ行こうとため息した。
「今日は保谷社長の就任に伴い、当社の人事異動及び業績について報告いたします」
「よしよし」
好々爺が社長の椅子に座ってニコニコしていた。
「それでは人事について――」
「なあ、保谷社長って、秘書課の保谷さんの親類?」
「あ、芦田元会長。私は産業部の山城と申します。よろしくお願いします」
会議室の後ろのほうで座ってる俺は、隣にいる年上の人に保谷さんのことを聞いてみた。
「芦田です。よろしくお願いします、山城さん。
それで先の話だけど……」
「はい、保谷社長は秘書課の保谷課長の祖父です。
いやあ、地元で誇る企業の元会長さんがわが社の社長に就任するなんて、びっくりしましたよ」
「へ? 地元で誇る企業って……」
「そうですよ。保谷社長は一代で不動産会社を築き上げた地元でも有名な人なんですよ」
「ふーん、それはすごいですね」
「保谷課長も市役所で勤める渡部課長と同じように地元では名高い才媛だったので、同じ会社で勤められるのは光栄の極みなんですよ」
「ほええ……」
あの元気がいい保谷さんが渡部さんとタメを張る才女だなんて全然知らなかった。
「――でありますから、元会長の芦田さんに一言をお願いします」
「よしよし」
「保谷さ――保谷課長って、前はなにしてたのか、山城さんは知ってる?」
「いや、あのう……」
困惑した顔で山城さんが俺の顔を覗き込んでくるけど、なにがあったのだろう。
「芦田くんっ!」
「はひっ!」
知恵さんの厳しい声が飛んできたので、思わず席から立ち上がってしまった。
「話は聞いてたの?」
「はいっ! 伺っておりました」
「それで滝本副社長なにを言ってたの?」
「わかりません!」
「あはははは、芦田くんらしいや」
「ひかるくん、せっかく褒めてあげたのに台無しじゃないか」
「芦田あ、いいぞお」
「よしよし」
場の空気が一気になごやかとなり、知恵さんが目頭を押さえているけど、会社の重鎮である彼女は寝不足なのかもしれない。
「保谷社長、本当に申し訳ありません。当社はこんな雰囲気ですから、大目に見てもらえたら助かります。
今後はご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「よしよし」
副社長さんが頭を下げて、保谷社長に謝っている。航さんにしては珍しいことだが、なにか失敗でもかましたのだろう。
それと先から好々爺は目を細めたまま、よしよししか言わないけれど、この人が社長で大丈夫だろうかとセラフィ・カンパニーの将来が心配になる。
燃料となるエネルギー源を政府が確保できたということで、俺とセラフィは会社から退くことを決意した。
俺からの希望でセラフィ・カンパニーの経営を地元の有能な人に任せて、近いうちに各市にある支社を独立させる。要するに、行政との関わり合いを減らしたいと俺は考えていた。
そのことを航さんと知恵さんに相談して、好々爺に就任してもらった。
元々は増加する政府からの業務依頼を処理するために立ち上げた会社。目的はちゃんと果たせたので、職務も地位も特に未練がない。
ただ拠点がここにあるということで、徳島市だけは引き続き航さんたちが運営していくつもりだ。
「会長、わたし、ついて行きますからね!」
「いや、もう会長じゃないんです」
「じゃあ、元会長っ!」
今日も元気な保谷さんは会議後にあいさつしにきた。
今後の俺たち異世界帰り組は個人事業主として、セラフィ・カンパニーと関わっていくことになる。
個人になったことで政府からの依頼は、個人的な意欲で受けるかどうかを時と場合に応じて決めるつもりだ。
セラフィ・カンパニーという組織はこれまでの実績があるので、さすがに行政のほうも無茶は言えなくなったと俺はそう楽観的に考えた。
「——そんなわけでフリーになりました。
グレースとセラフィも個人事業主となったので、依頼は控えてくれれば助かります」
「そうきたか……
わかった、上にもそう伝えておく」
白川さんが食堂へ夕食を食べに来たとき、箸を突き出したままの形でビシッと決めてみせた。
「……あくまで個人的な思いだが、芦田君がそうしてくれるのはありがたい」
「はい?」
おかずは美味しいのにご飯の味がいまいちだ。今年は新米が食べられそうなので、そのお味を期待したい。
「人と物と金が増えてきたからな、それに合わせて色んな声が大きくなってきたってことだ」
「なにが言いたいのかがよくわかりません」
食事時に謎々を出されても正直なところ、どう返事すればいいかがわからない。
「あー、魚、うまあ!
白川さんってさ、いつもこっちで晩ご飯を食べてますけど、家には帰らないんですか?」
「家内も子供も両親も兄弟も、全員がゾンビとなった」
「……すいません」
さらりと聞く話ではなかった。自分のバカと罵ってやりたい心境だ。
「気にするな。こんなご時世だからつらいのは私だけじゃない。
――ほら、魚がうまいだろう? お代わりはどうだ」
「白川さんはどうします?」
「そうだな。芦田君の奢りなら頂こう」
「――ハルちゃーん! 魚の煮付け、お代わり二つね」
「はーい。お買い上げ、ありがとうございますぅ」
賑わうここの食堂は酒こそ提供してないが、雰囲気そのものは異世界でよく行った酒場のようだ。
白川さんがいつもと変わらず、うまそうにご飯をほおばる。
彼が全てを失ったときになにを思ってたかは、きっとこの人はそれを口に出さないのだろう。
悲しい過去があるのに、それでも自分の仕事を全うするこの人は尊敬に値すると、若造の俺は心からそう感じた。
保谷卓蔵(77):好々爺を振舞っているが、本来は激情する性格でかなりのキレ者。会社を行政から守るという役割に専念するため、社内では利益さえ上がっていれば、よしよししか言わないようにしている。孫娘である愛里のことになると修羅になれる爺さん。
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