挿話8 野に咲く花はだれがためだ
第2次ゾンビ災害が起きたときに、小谷洋一はゾンビの猛威を目撃した。
彼は前川隊長が率いる中隊で小隊長を務め、連隊本部の命令で和歌山市を経由して、南紀白浜空港の警備に当たろうとしたが、ゾンビの襲撃を受けた和歌山市の要請で部隊は支援のために前進を停止した。
市内各所で逃げまとう人に襲いかかるゾンビの事件が多発し、市民の救助活動に当たった県警は大損害を出していた。
前川中隊が離れたら、和歌山市が間違いなくゾンビによって陥落させられる。命令に従ってそのまま和歌山市を通過したら、自分たちは後悔が残るだろうと部隊の全員がそう思った。
駐屯地のほうでも付近の市民を収容してたため、連隊長は前川隊長から無線による報告を受けると連隊本部の命令で和歌山市での救助活動が認められ、前川中隊から南紀白浜空港へ分隊が派遣された。
小谷が芦田という異能を持つ青年と出会ったのは、連隊本部との連絡が途切れて、弾薬の備蓄が少なくなり、最終防衛線となる和歌山県庁辺りで築いた陣地の維持が危ぶまれた頃のことだった。
幼少の時にファンタジーが大好きだった小谷は、芦田とその従者であるサキュバスのグレースがゾンビを相手に無双するシーンに目を奪われた。
剣と魔法が具現化して、あれほど脅威だったゾンビが成すすべもなく撃退されていく。
小谷にとって、異世界帰りを自称した芦田青年と仲良くなりたいと思ったのは、彼の中でごく自然的な選択だった。
市役所人質救出作戦以来、芦田と作戦を共にすることの多い小谷。作戦に対する遂行能力は勿論のこと、芦田青年と対等にコミュニケーションを取ることができる点、それにこれまで和歌山での実績が陸上総隊から高く評価された。
そんな小谷が徳島市復興事業の現地偵察隊として、芦田と一緒に徳島市入りを果たした。その初日に小谷は女神と出逢い、生まれて初めて異性に一目ぼれする辛さを知った。
グレースという強力な助っ人とともに貨物船奪還作戦に出動した小谷隊。赤穂市にある火力発電所の沖合で原油が積まれたタンカーを確保したのは午前中のことだ。
安全となったタンカーを待機していた海上自衛隊のタグボートがけん引した
午後からは火力発電所にいたゾンビを排除してから、グレースが燃料タンクから貯蔵されてる石油を抜き取る作業に入った。
「隊長、食事はどうしますか?」
「もうそんな時間か……
よしっ、飯にすっか」
回収できそうな設備をチェックしつつ、施設内を探索していた小谷に若い隊員が声をかけてきた。
「グレースさんの分は用意しますか?」
「美食家だからな……まあ、一応は作ってあげて」
敬礼してから部屋を出る隊員から視線を外し、窓の外を見ると空はあかね色に染められている。
気まぐれなサキュバスのグレースは気分次第で作業を進める。
何度も行動を共にした小谷隊はそんなグレースの気質をよく知ってるため、催促したり、文句を言ったりするバカなやつは、この隊ではだれもいない。
へそを曲げたグレースがその場で作業を中止しただけなら、みんなが胸をなでおろす。そのまま帰ってしまうことが当然で、彼女がキレてしまったら、ちゃんと怪我しないように魔法で大空を何度も舞わされる。
グレースという悪魔の性格をよく知る小谷隊だからこそ、今まで彼女が同行しても無事に任務を完遂させてきた。
「グレースさんが終わり次第、終わりとするか」
室内から外へ出た小谷は胸いっぱいに息を吸った。
今回は船室での戦闘が多かったため、ゾンビウイルスを恐れないグレースがいつものように先陣を切って、船にいた多くのゾンビやゾンビ犬を殲滅した。
鉱石運搬船やコンテナ船など、復興事業で資源を必要とする政府が欲しがっていた各種貨物船はグレースのおかげで確保できた。
異界者のグレースとセラフィ。
芦田青年以上に強力な異能を持つ異世界からきた化け物たちを、政府の要人が取り囲みたい話は小谷も佐山隊長から聞かされてる。勧誘のために紹介してくれと、何度か水面下で接触を試みるバカな輩が小谷に近付いた。
それを拒否してみせたのが小谷たち自衛隊の幕僚長と防衛大臣だ。
「バカだよな、本当。
芦田のいうことしか聞かないグレースとセラフィがお金や男でなびくわけがない。
名誉国民だあ? ゾンビの世界でなんの意味があるってんだよ」
誰一人いない緑地で小谷は吐き捨てた。
彼は国民を守る自衛官という職業に誇りとやり甲斐を感じているが、上層部や政府の役人が考えてる本州の復興には興味がなかった。
どう考えても芦田たち抜きで、今の戦力と資源で確保した地域を維持していけるかどうかすら怪しいのに、本州進攻なんて無理としか思えない。
雑賀防衛大臣が提案した政府の官僚で構成する陸戦隊には大賛成で、なんなら自分がその教官になってしごいてやってもいいと小谷はそう考えてる。
「どうでもいいや。んなくだんらんことよりもどうすっかな……
晴子ちゃん、デートの誘いに乗ってくれないなあ」
建設的でないことで思案するのはアホらしいと思った小谷は、自分の幸せを考える時間に切り替えた。
自然の浸食力はすごいものだ。
人の手入れがない人工島には植物やゾンビ以外の小動物がいっぱいで、たまに鹿や猪が顔を覗かせる。
「花の名前くらい覚えておくべきだった……
これを持って帰ったら喜んでくれるかな? でも花を摘んでもすぐに枯れるだろうな」
足元に咲き乱れる花を見て、小谷は一人でぼやいた。復興事業が進み、色んな店が開いていく中、生活に直接関係のない花屋はまだ開店していなかった。
いくらゆとりができたとはいえ、さすがに人々が花を楽しむだけの余裕はまだ取り戻していない。
「なあに? お花が欲しいわけ?」
「っうお!」
振り返ってみると小谷の後ろにグレースがにやけた表情で立っている。
「びっくりした……
どうしたんだ? 石油はもう抜き取ったのか」
「ええ。つまらなかったけど、終わったわよ。
それより、お花を持って帰りたいんでしょう?」
「まあな……晴子ちゃん、喜んでくれるかなって」
芦田青年以外は積極的に人と接さないグレースは、人間の考え方を知るために仕事の合間によく小谷たちと雑談してた。そのために彼女は小谷が三好晴子という人間のメスが好きということを把握してる。
「人間の気持ちはよくわからないけれど、ハルコなら喜んでくれるじゃないかしら?」
「グレースさんもそう思うか!」
「よくわからないって言ったでしょう?
適当に言ってみただけなの」
「そんなあ……」
ガックシと肩を落とす小谷を無視して、グレースは地面で咲く花を摘み始める。
「でもね、オタニ。ヒカルンが言ってたわ。やらなかった後悔よりやってからの反省だって」
「ひかるがそんなことを……
――よしっ! 晴子ちゃんに告白すっぞお。
グレースさん、花を預かってくれないか?」
「ええ、いいわよ」
悪魔のグレースが人の気持ちなんて理解できてないことを、一大決心した小谷は知らない。
悪魔が天使のキューピッドなど務まるはずがなく、彼女はただ人が成すことを面白がっているだけ。
芦田がそういうことを口にしてたのはやけっぱちだった異世界にいた時代で、帰還してからはほとんど言わなくなったことを小谷が知る由もなかった。
悪魔の気まぐれなささやきで小谷の恋が実るかどうかは運命次第です。ゾンビ退治の最前線に立ち続けた勇敢な男に幸あらんことを。
そんなわけで挿話の最終回でした。
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