45話 遭遇戦は油断したほうが負けだった
「ううん、輝が謝らなくてもいいよ。グレースさんならとっくに話はついてるから」
「ほへ?」
2階の事務室で寝泊まりした沙希さんにどうやってグレースのことを説明しようかと、一晩中に髪の毛が10本も抜けてしまったほど悩みぬいた。
それがあっさりと解決されて、気が抜けたのか、眠気が一気に襲ってきた。
「グレースさんはね、輝のことは大事ですって。輝がいないと時々力が抜けちゃうって言われたの。
――ああ、二人にはアタシには知らない絆があるんだってわかったの」
――絆って……そんないいもんだったっけ?
「でもね、グレースさんが自分は人間の彼女や奥さんという位置づけがわからないから、アタシが嫌わない限り、輝とアタシのことは賛成してあげるって言ってくれたの」
「……」
沙希さんはなぜか遠い目をして徳島のほうへ目を向けている。たぶんだけど、沙希さんはグレースのことをものすごく誤解してるとしか思いつかない。
――おうよ、あいつは俺がいないと魔力を含んだ精力吸収ができないからな。
もし絆があるとすれば、それはご主人様と奴隷みたいなもんだ。沙希さんが嫌う嫌わないというより、定期的に精力吸収さえできれば、あいつは文句を言わないと確信できる。
「……朝ご飯を食べたら行きましょうか」
「うん、そうする」
世の中には誤解のままで済ませたほうがいいことが存在する。この場合はそれに該当すると俺は断定できる。
前を行く沙希さんを追いかけるためにアクセルを全開させる。
異変に気付いたのは俺だけじゃなく、沙希さんもブレーキをかけながらスピードを落とした。
「な、なに……」
「こんなことができるのはやつらだな」
バイクを止めた俺たちの前に車道を遮るようにして、放置車両が山積みされてる。車を排除させるために出したストーンゴーレムが網で搦めとられてしまい、重しのように上から放置車両を被せられてる。
「あら、だれかと思ったら、あの時の人間じゃない」
山積みされた車両の上で美しい女が俺たちを見下ろす。
こいつの顔に見覚えがある。地下鉄のプラットフォームで俺を攻撃した女ドラウグル、確かマリアという名があったと記憶にある。
問題なのはなぜこいつがここにいるということだ。
「変な石の人形が仲間を海に投げ捨てているっていうから、ここへ来てみればあなたのものだったか」
「輝、このひ――」
「沙希さん、お願いだから黙ってて。
あいつはゾンビよりヤバいドラウグルってやつだ」
人間のように見えるがドラウグルはゾンビから進化したモンスター。状況が掴めない今、呑気に沙希さんの質問に答えるゆとりはない。
「ドラウグルねえ……
それはなんなのかは知らないけど、アジル様がいたく気に入ってるから感謝するわ」
「そいつはどうも」
「それにお前は知らない魔法を使う。
車が一瞬で消えたね、あれはなんだい?」
「――」
――クソっ! 見られたか。
ゾンビ対策は立てたつもりだが、大阪にいるはずのドラウグルがここにいるなんて思いもしなかった。
固唾を呑み、頭上にいるドラウグルを見上げて、収納から取り出す武器を考える。
ここにどれだけゾンビがいるかは知らないが、接近戦で挑んでくるなら、沙希さんの護衛にゴーレムを呼び出す。
「ふーん、やる気のようね……くるのか? いいでしょう。
アジル様から今はお前とやるなって命じられてるけど、そっちからくるのならわたしのせいじゃないよね」
——こいつなんて言った? 今は俺とやるなってどういうことだ。
「——」
——くっ、魔弾ガンにするか、それともリーチのあるハルバードを出すか。
ドラウグルが片手をかかげ、手のひらから火の玉が現れる。やつは魔法を使う気と悟った。
「……輝ぅ……周りにも変な炎を出すゾンビがいる」
沙希さんの言葉でハッと気付く。
崖の上にいる数十体の女ドラウグルが、車両の上に立つマリアというドラウグルのように魔法を起動させてる。俺たちはドラウグルに誘い込まれて、彼女たちに包囲された。
これはまずい状況となった。
近接戦で負けることはないけど、遠距離射撃だと分が悪い。魔弾ガンに持ち替えても、戦闘してる間に沙希さんが狙われたりしたら、ゴーレムじゃ対処できなくなる。
——ちょっとヤバいな。
俺ならなんの問題もないけど、魔道具のバリアが魔力切れしてしまえば沙希さんがやられてしまう。本当にどこまで甘いだろうと自分のうかつさを罵りたくなる。
沙希さんのほうに目をやるとバイクに乗ったまま、緊張した面持ちですがるように俺を見つめてる。
彼女と付き合い始めたのに、ここで守りきれなかったらきっと後悔しか残らない。
——くそっ! 先に彼女だけでもバイクで逃がすべきだった。
今から逃げろと言っても、逆にその行動がドラウグルの攻撃を触発しそうだ。
「……ねえ、人間。
殺りあう前になぜここへ来たか、それを教えてくれないかい」
「……ツーリングだ。遊びに来た」
魔法を起動させたまま、おれの答えを聞いたマリアが考えるそぶりをみせる。
「ツーリングねえ……それは本で読んだことがあったな。
お前たちが乗るバイクという乗り物で遊ぶときにそう呼んでるみたいだね」
「……」
火の玉を浮かばせたまま、ドラウグルのマリアは艶のある笑顔を俺に向ける。
「――ねえ、人間。
お前はアジル様のお気に入りだし、ここでばったりと会ってしまったお前と殺りあう意味がない。
どこかへ行きたいというのなら、どこへでも行くがいい」
「……」
——正気か、こいつ。有利な場面で人を逃がすドラウグルなんて俺は知らないぞ。
「——で、どうする? やり合う? それともどこかへ行く?」
「……このまま行かせてもらえるなら、ここであんたと戦うつもりはない」
「そう。賢明ね、人間」
マリアが魔法を消し去ると崖の上にいるドラウグルたちもそれを見習い、起動させてた魔法を取り消した。
「橋にいる同類を海に捨てられるのは嫌だから引かせてるわ。
ここにあるゴミは自分で片付けなさい。
——じゃあね、人間」
「ひ、輝……ゾンビがいっぱいよ」
山積みにされた車の向こうからゾンビが現れて、擁壁に取りつけられてる梯子を使って崖へ上っていく。
マリアというドラウグルは崖へ飛び上がるとそのまま姿を消したが、きっと今も俺のことを監視しているはず。
空間魔法を控えるのはそれこそ今さらのこと、さっさと車両とストーンゴーレムを回収して、敵地のここから立ち去ることが一番だ。
「輝、先のは……」
「沙希さん。
ゾンビなら怖くはないが、知恵があってゾンビを操れるドラウグルは人類にとって手強い難敵なんだ」
ゾンビたちが崖の向こうへ消えていき、俺は気を緩めることもなく、網に絡み取られたままでストーンゴーレムを収納していく。
心配そうに辺りを見回す沙希さんの隣で、俺は車両を回収しながら先の出来ごとを振りかえる。
異世界にいたドラウグルなら問答無用で戦いを挑んできたはずだ。だがここは異世界じゃないから、参考はできても同じ性質と考えるのはやめたほうがよさそうだ。
この世界にいるドラウグルはやはりなにかが違う。
その違いが判明するまでもっと情報が必要。そのためにあいつらのことは今以上に警戒するように心掛けよう。
それに聞き逃せない言葉を耳にした。
マリアは今はやるなという言葉を口にした。それはおれがドラウグル野郎に目をつけられてると解釈してもいいだろう。
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