44話 人を好きになった気持ちは本物だ
お出かけするまでの間、沙希さんはずっと口を聞いてくれなかった。
「あなたが悪いのよ。
どこにいきなり銃を撃つバカがいますか」
はーい、ここですと言いかけたところで慌てて口を閉ざす。こういう場合はすごくキレてる良子さんを相手に、冗談すなわち処刑の承諾になることを俺は知っている。
「バリアの魔道具かあ」
川瀬さんのなにげに小さな声で呟いた言葉を聞き逃さない。
「あれはね、みんなに行き渡るほどの数はありませんし、最初の頃はお互いに信頼関係がなかったので、あまり見せたくなかったんです」
「あ、いや。そういう……
そうか、疑ってすまなかった」
バリアがあればゾンビの世界でも平気で歩くことはできる。だからこそ俺は魔道具を出すことに警戒していた。
数が限られてるバリアの魔道具は対ゾンビで作ったものじゃなく、異世界にいるときに対魔王軍、そして対人用の兵器そのもの。
人神からもらったオリハルコンのナイフを素材に、神魔錬金師のヴェナ師匠に何度もお願いした末、ようやく作ってもらえた超がつく貴重品だ。
物理攻撃を無効化できるバリアは使い方によっては、この世界で無双できてしまう。
ただしゴーレム車と一緒、バリアの魔道具は使った分だけの魔力を貯めこまなければならない。そのことを正しく理解できずに魔道具を過信すると、貯蔵されてる魔力が切れた場合は往々として痛い目に合ってしまう。
そういう背景があるから、信頼できる人以外は見せるつもりがないし、貸すことなんてもってのほかと決めていた。
「なにを納得して頷いてるかは知らないけど……
だれが足を崩していいって言ったの?」
「すみません!」
そうだった、ただいま良子さんから折檻されてる真っ最中だ。
お出かけするまで、反省を促すために良子さんから一日一時間の正座が科せられてる。ただし、正座を崩さない限り、錬金術を用いての物作りは許可されてる。
沙希さんの件で近頃の自分が慢心してることが理解できた。
ゾンビなんて相手にならず、思った以上に徳島市の復興が進んでることにどこか気が緩んでしまってた。
このタイミングでゾンビがうろつく本州へ足を伸ばすのは悪くないかもしれない。
旅立つ前に検問所まで行った俺は放置されてる自動車を積みつつ、橋の上にいるゾンビは海へ排除しろと命じてから、50体のストーンゴーレムを放った。
ゴーレムを先行させたおかげで、沙希さんと俺はがら空きになった車道を飛ばせるというわけだ。
「ご苦労様。通ってもいいですよ」
「ありがとうございます」
大鳴門橋遊歩道の近くで作られた検問所で、警備に当たってる若い自衛官がバリケードを開いてくれた。後ろのほうを振り返ると、見送りに来た佐山さんは今でも手を振ってくれてる。
「じゃあ、行きますよ」
「うん!」
2台のゴーレムバイクがスピードをあげて、車両とゾンビがいない広い神戸淡路鳴門自動車道を駆けていく。
「あははははっ!
――気持ちいいね、輝」
快活に笑ってる沙希さんは惚れ惚れするくらい輝いてる。
「手が止まってるよ」
車道の横で放置車両を収納する俺、その近くで沙希さんがきらめく海面に目をやりながら気持ちよさげに髪をかきあげる。
グレースと長い間旅をしてきたけど、手が止まってしまうほど異性を見とれたことがなかった。そもそもあいつはサキュバスなので、隙を見せたらすぐにヤられてしまう。
――第2次ゾンビ災害が発生したとき、本州の混乱を避けるために多くの人がこの自動車道を使って、四国へ逃げようとした。その後は橋の上で大渋滞が発生し、本州のほうから追いかけてきたゾンビで立ち往生した人たちは全滅したみたい。
なぜそんなことが発覚したかというと、橋から淡路島へ逃げようとした人が無線で仲間へ連絡を取っていたらしく、緊迫した状況が生中継さながらネットの上に投稿されてた。逆に淡路島に住んでいた人たちからすると、避難してきた人たちはまさに厄災そのものだった。
橋にいたゾンビが逃亡する人の群れを追跡し、淡路島へ上陸してしまった。四国に先立って、淡路島がゾンビの手に落ちた。
その経緯を大阪城へ目指してた頃、ゾンビ災害のことが詳しくなかった俺に航さんは悲しい表情で教えてくれた――
「輝ぅ、ちょっと逆走してくるね」
「いいですけど、帰っちゃいやですよ」
「ばーか」
「ゾンビ犬やタヌキとか、イノブタや鹿には気を付けてください」
「わかったあ。魔道具は起動してるし、危なくなったら無線するから助けに来て」
「あいよ」
ゴーレムバイクの性能を掴んだので、ヘルメットを被った沙希さんは猛スピードであっという間に俺の前から消え去った。
「面倒だけど、ちゃっちゃと回収しちゃおうか」
走りやすいようにできるだけ多くの放置車両を収納しようと考えた俺は、時々見かける車内に残されてる遺体を別の空間に収めて、どこか開けた場所で火葬する予定を立てた。
「もう! 魔弾ガンを借りればよかった。イノブタがね、いたのよ」
「狩ってもいいですけど、どうやって持って帰るつもりだったんです?」
「あは。そうだったね」
夕暮れ時にさしかかり、今日は車両の回収が大変だったので、インターを降りたところにある農協の建物で夜を過ごす。
今回は沙希さんとツーリングが主目的だから、淡路島で残された物資や設備を収集しまわる予定はない。
農協の外と中にいるゾンビを排除して、外に積んでから火炎放射魔法ガンで焼却した。その間の沙希さんはただジッと俺の作業を見つめているのみで口は閉ざしたままだ。
実力の差を知ってか、周りにいたゾンビたちがどこかへ立ち去り、ゾンビ対策に建物の外でメイス持ちのストーンゴーレムを配備させた。
夕食は良子さんが作ってくれた肉じゃがと熱々のご飯を食べた。さすがはセラフィのお師匠様、お味のほうは文句なしの一級品だ。沙希さんは味噌汁を作ると言ってくれたけど、こういうときは手間かけずにインスタントのもので十分だ。
「輝は強いね。アタシはね、ゾンビを倒すのが怖かった。
ほら、前に小学校でこもってたでしょう? あそこに来てたゾンビってね、知り合いばっかりなんだ」
「……そうですか」
食後のコーヒーを飲んでるとき、沙希さんが立てこもってた頃のことを語り出した。ゾンビなんてモンスターと割り切ってる俺と違って、地元で避難した彼女が対峙したのは顔見知りのゾンビたちだった。
「うわあ……良く世話になった近所のばっちゃんだ――なんて思ってたら手が震えちゃって、最初は撃てなかったのね。
それでもアタシがしっかりしないと学校にいる人たちがゾンビにされちゃうから、優しかったばっちゃんの頭を目がけて、シュパッって、矢を射ちゃったの」
「……」
「でもね、ばっちゃんが止まらないの。だから次々と矢を射るしかなかった。
そうしたらね、額に何本も矢が突き刺さったばっちゃんがね、動かなくなったの」
「……」
口を閉ざしたまま俯く沙希さんに、俺は無口で見つめるほかない。
俺だってたとえ異世界でも人なんて殺したくなかった。でも人殺しにならないと俺や仲間が殺される。凶器を向ける動機はだれかを守るためにあった。
だからなのか、簡単に安っぽい慰めの言葉を沙希さんにかけたくない。
「……ごめんね、暗い話をしちゃって」
「いいえ、それが沙希さんだと思います」
本当はもっと気の利いたセリフがあるはずだけど、思いついた返事を口にした。その代わり、ここでずっと言いたかったことをちゃんと彼女に伝えたい。
今はゾンビがいる世界、後悔だけは残したくない。
「――そんな沙希さんだから、俺は大好きです」
「え?」
向かい合ってるから、お互いの顔がよく見える。戸惑いをみせる沙希さんの瞳と少しだけ開いた唇に、緊張する心臓の鼓動が速まる一方だ。
――しくじったのかな?
――これで変な関係になっちゃうのかな?
――もっとムードを考えるべきだったかな?
色んな思いが胸の中を去来する中、言うべきじゃなかったという思いだけはない。
「……ねえ、アタシのどこが好き?」
俺にしたら長い間と感じた短い時間を置いてから、沙希さんが声をかけてきた。
いつもの沙希さんと違って、女性っぽいというか、女らしいというか、本当の沙希さんが見れた気がする。
「色々ありますけど、沙希さんが沙希さんだから好きです」
「あははは、なにそれ?」
彼女の表情が直視できなくて、顔が燃えつくくらいに熱い。なにか変なことを言ったかなと思い直したが、変なことしか言ってなかった。
「アタシもね、輝のことは好きよ」
「えっと、どこ――」
「気弱なところ。本音を言い出せないところ。強いのにそれを前面に押さないところ。優柔不断なところ……
一番好きなのは、輝がうちのことを好きと思ってくれるところよ」
床に視線を落としてた俺の問いかけを被せるように即答してから、沙希さんはそっと体を近寄らせて俺の熱くなった手を握る。
混乱した俺が状況を確かめようと顔をあげた一瞬に、チョンって程度に唇と唇が触れ合った気がした。
「――ごめんっ! これが今の精いっぱいなの!」
「あ、いや……めっちゃ嬉しいです」
顔が真っ赤な沙希さんが座ってたところへ戻った。両手で頬を挟み込むようにして、膝の間に顔を隠す彼女がとても愛しく思えてくる。
キスだけでもだえるだなんて、年上の彼女が初々しくて微笑ましい。グレースだとさっそくここで捕食されてしまう場面だ。
――しまったあ……グレースのことを沙希さんに言ってなかったんだ。
ラブコメパートです。ここまできておいてようやくのこと正ヒロインが決定しました。
女性キャラが出てくる中、素通りしてばかりの主人公にも春がやってきましたということで、ラブコメパート完了しました。
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