37話 原点に戻ることは大事なことだ
人の価値観を持たないグレースと違い、沙希さんと話すのは心が落ち着く。
国内で色々と回った話、たくさんのお友達と遊んだお話、自慢のお父さんに愛されたお話、どれも俺にはないものばかりで、聞いていてとても楽しい。
異世界の記憶を人に詳しく話すのは沙希さんが初めてだ。
彼女は黙ったまま俺の辛かった思い出をずっと聞いてくれてた。なにか意見されたわけではないし、知らない人の名前や地名を聞いても彼女から質問されることはなかった。
「輝は精いっぱい頑張ったの?」
「……そうですね。悔いることはたくさんあるけど、できることは頑張ったつもり」
「じゃあ、いいんじゃない。
人なんてね、そのときにできなかったことは無理してもできないことはあるなんだから」
ただ、話の最後で語ってくれた言葉が心に響き、わだかまっていた気持ちが少しだけ軽くなった気がする。
異世界で恋仲となったのはエルフでミューという女性だった。戦火の中で彼女を失った俺は、異世界で夜を共にすることがあっても恋することはなかった。
沙希さんに抱く気持ちを、今の俺ではどう解釈すればいいかがわからない。
「輝。明日は海岸線を飛ばそうね」
「はい、楽しみにしときます」
だけど楽しいと思える思いができるのなら、今はそれでいいじゃないかなと自然に笑みが浮かぶ。そんな気持ちにさせてくれる沙希さんを俺は結構好きだなと自覚してる。
「――もうすぐ発車しますので、急いでください」
「待て待て、カツミのやつが寝坊してるからもうちょっと待ってくれい」
市側が避難した市民から作業員を募り、小豆島の北にある農地で米作りが始まってる。
朝の6時に農業に従事する人たちを農地まで送っていくのはわが社が出す定期便。従業員の安全確保と農地周囲の警備に当たるのは新垣大隊から派遣された分隊で、彼らが乗車する装甲車は定期便のゴーレム車が牽引してる。
ゾンビ対策で和歌山県道7号線沿いにフェンスを建てられ、監視カメラは等間隔で設置されてる。中津川を境に防衛線が築かれ、新垣大隊は近くにある小学校の校舎へ警備に当たる小隊が派遣された。
緊急時に備えて、河原の所々には避難用の救命ボートが停泊させてる。
「あの時はごめんな。
うっかりしすぎて燃料のことを忘れたよ」
「いやいや、上村さん。それはうっかりしたですまないって」
拡張された保護地域内の建物解体工事は市民が作った建設会社へ発注されたそうで、こっちと交渉した経験で和歌山市はガソリンを供給する工事契約にしたらしい。それに合わせてこちらにも必要分のがガソリンが支給された。
大阪湾に浮かぶ製油所は今でも稼働中。
輸送する距離を考えて、和歌山製油所での作業は政府と地方政府が討論を続けてると小林さんから聞いたものの、民間人にして石油をそこまで必要としない俺にはあまり関係がないことだ。
それよりもセラフィの錬金術は練度が上がってきたので、拡大する会社の業務に対応するため、ゴーレム車とゴーレム船をそれだけ作ろうかと悩んでるところ。
問題は船や車を動かす魔道具の製造だけど、発動機の素材となるレゼブは異世界の金属で、俺が所有する量に限りがあるから、政府と地方政府の要望に応えられるほど量産はできない。
それに期間限定の貸与ならともかく、俺は自分たちが使う以外に異世界の物をほかの勢力に分け与えるつもりがない。
「今日も仕事がないね。この後はどうする?」
「山の中を走ってみます?」
「それ、決定ね」
セラフィ・カンパニーの会長と部長は、今日もできる部下たちによって現場から追い出されてしまった。
オフロード仕様のゴーレムバイクを作ったので、この頃の沙希さんは山道を走るのが好きだ。
昨日の夜にセラフィに料理してもらったカレーライスがあるから、昼食はそれを沙希さんと一緒に美味しく食べようと楽しみにしてる。
「そろそろ晴子さんのご飯が食べたいなあ……」
「――よしっ、帰ろう」
救助活動から帰ってきた小谷さんと市内の居酒屋セラ和歌山店で飲んでるとき、ボソッと呟いた小谷さんの言葉を俺は聞き逃さなかった。
「え? 帰っちゃダメでしょう。
お前は市から色んな業務を受けているじゃないか」
「支社ができたんで、会長としては彼らの健闘を祈るのみ」
「健闘ってね……
まあ、有川市長がお前を手放すとは思えないがな」
有川さんにしろ、賀島さんにしろ、俺は地方政府からの依頼を引き受けてるのは、あくまで行政と疎遠にならない程度に人間関係を維持するためだ。
拠点を作る以上は人がいない場所ならともかく、市内という立地条件ならどうしても行政と接してしまうので、お互いに利益をもたらせるように俺は配慮してきたつもり。
それがいつの間にかセラフィ・カンパニーというご大層なものまで創り上げ、行政サービスに関わるようになってしまってる。
ある意味では大阪城拠点の経験を活かすつもりの行為だったが、元々したかった拠点作りはこんな複雑な人間関係を築きたいというわけではない。
だから原点に戻ることが大事だと俺は思う。
「保谷さん。近いうちに徳島へ戻るつもりなので、その旨を小林知事と有川市長にお伝えください」
「わかりました!
じゃあ、わたしも本社勤務となりますね」
美味しそうに日本酒を飲んでる保谷さんがなにを言い出すんだとジョッキを持つ手が止まる。
「保谷副社長、和歌山支社のことはどうするんです?」
「え? 知りません。支社長が頑張ればいいと思いますっ。
わたしは会長についていけと高橋部長から言われたし、会長が本社へ戻られる際、一緒に帰りなさいって滝本副社長が言ってましたよ」
徳島市に戻ったら、保谷さんのことは滝本さんにお願いして、彼女の役職は会長秘書に変更してもらうつもりだ。
「小谷さん、当社の方針が決まりました。
そんなわけで明日は新垣隊長にあいさつしてきます」
「……本気のようだな。
わかった、なんなら一緒に行こうか。
俺も部隊の再編成で鳴門市にある司令部へ行かないといけないしな」
四国の各地を回り、仕事で多忙だった和歌山での日々。
久しぶりにグレースとは別行動が多かったため、その間に沙希さんと仲良くなれたのは縁というものかもしれない。
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