17話 我流の交渉は逆襲を被るものだった
会議のラストバトルです。
渡部さんが直々に入れてくれたお茶は貴重だから、大事に飲もうと思ってる俺に白川さんから仕掛けてきた。
「率直に聞こうか、なにを望む?
――ああ、敬語はいらないから普段の調子で話してくれ」
「そうですか、じゃあ甘えます。
――要望は先ほど言ったことだ。それに依頼する案件は合理的かつ搾取でないことが前提で、法に則った条件と十分な報酬を確約した上、ちゃんとした契約書類にして双方が照らし合わせるように保管する。一方的なご都合は断らせてもらう」
「なるほどね……芦田君の経歴が知りたくなったな。
――業務依頼はいい、筋は通ってるからこちらとしてもそのほうがやりやすい。
だがやんごとなき御方とはだれのことを示してるのだ? はっきり言ってくれないと調整ができない」
ここが大事なだってことを白川さんも理解している。
「皇族です。ダメなら大臣クラスでも」
真意を図ろうとしているのか、白川さんが黙り込んで俺をジッと見ているだけ。
俺は国が無視できないお人の担保を手に入れたい。こんな世の中でも国としてのメンツとサインの重みがあるはずだ。別にそれを使うか使わないかの話ではなく、保証してもらうことに意義がある。
「私の名じゃ駄目か?」
「紙屑がほしいとでも?」
「はっきり言うね、君は。
これでもそれなりに頑張ってきたのだがな」
白川さんは俺の返事で苦笑してる。
下っ端の名前など、なし崩しに腹を切られて一巻の終わり。それで何度騙されてきたことか、俺のことを知らない白川さんには俺の考えを理解してもらえない。
「大臣あたりが妥当だろう。皇族はなにかと大変なのでな、上がためらってしまう」
「ややこしいのはわかってるよ。こっちもそれを狙ってたつもりだがな……
わかった。やりやすいほうでよろしく」
「聞かせてもらおう、なぜ皇室や総理大臣と言わなかった」
「なんて畏れ多いことを……
――そりゃ自分がやんちゃなのは承知してるよ。
総理大臣は置いとくとしても、まだこの国に住む国民でいるつもりだよ」
皇室の名を使わせていただくなどもってのほか。
大体、皇族という名詞を出したのも白川さんの口から大臣クラスを引き出したいがためのブラフ、本当に皇族が身分保証人になってもらったら逆に俺が困ってしまう。
――総理大臣だあ? あー、いらないいらない。
下手に一番上の人が署名なんかされてしまうと、色んなところからお気楽に色々と面倒ごとを押し付けられるに決まってる。
「なるほどね、国民ねぇ……
それなら国民である君たちの安全は違法行為していない限り、間違いなく保証できよう」
「……」
無人の店舗や倉庫から物をかっぱらったのは違法行為に該当するだろうか。
「グレースさんとセラフィさんは国民とは言いがたいが、多大な貢献してくれてることは自衛隊のほうからも聞いてる。
彼女たちについてはなんらかの身分を保証させてもらおう」
「ありがとうございます。
ところで俺とグレースにセラフィの身分保証の内容はどうなるの?」
「ん? 彼女たちなら先ほど保証すると言ったはずだが?」
「違う違う、そっちじゃなくて」
困惑した顔で口元に拳を当ててる白川さんは俺が言いたいことをまだわかっていないようだ。
「国民だったゾンビと、自分の勝手な都合でクソみたいな犯罪に走った者を撃滅するかもしれない俺たちの正当性。それを保証してもらいたい」
「ほう、正当性……ねえ」
目を細める白川さんは鋭くえぐるような目付きで俺を見る。
「白川さん。俺はね、後で犯罪者になる気はないからな。
ゾンビと言っても、彼と彼女らは生前、きちんと国に義務を果たした人々だったんだよね」
「ほほう……」
「警官や自衛官のように法的根拠のない民間人、要は俺の判断で正当防衛以外に手掛けたら、犯罪者にされませんかってことだ」
「なるほど、そっちで来たか」
「それと、快楽や故意に人を殺めるやつら。
まあ、俺はヒャッハーさんって呼んでるけど、そいつらと出くわしたら国民保護と武器使用の権限がない俺は、どのように彼らを扱ったらいいのかが不透明過ぎる」
「ふぅむ、確かに今の状況なら不透明だな」
「今まではあっちから手を出してきたから、正当防衛のつもりで反撃したがな」
「続けて」
「実はね、こっちに来てから結構な数の犯罪者を捕らえた。
そいつらは逮捕されて、いつになるのも知らない裁判待ちの状態で、俺が市へ供給した食糧で今ものうのうと楽しく生きてやがるんだよ」
「……そうだな」
「言っちゃなんだけど、そんなやつに俺が持ってきた食糧を食べさせてることを思うと、今にも市への供給を取りやめたいと言い出してしまいそうだよ」
「——」
ガタっと椅子の動いた音が渡部さんのほうからしてくる。
別に賀島さんや渡部さんを責めるつもりはなく、市職員は法に基づいて粛々と自分の責務を果たしているに過ぎない。
ただ俺の気持ちはどうなるということを考えると、到底容認のできない行為だと憤慨している。
ご飯を待つ人がほかにも多くいるのに、殺るだけやっておいたやつらが市から安全な場所へぶち込まれて、俺が供給した食料を食べながら寝床付きの安全な場所で快適に生きている。できることなら、今すぐでもグレースをけしかけてやりたい。
「……芦田君の気持ちはよぉく理解できるし、同感もする。
だが私たちの執務は法によって保障され、法に基づいて行われなければならない。法を逸脱する行為は許されない立場にある」
「それは理解できる。だから俺に身分の保証を――」
「君が正義のために私刑に処すと?」
「いや、正義なんかのためじゃない。
おれがしたいのは魂の解脱だ」
「はあ?」
グレースのことを白川さんは知らないし、教えるつもりもない。
俺がしたいのは救われない魂に手を差し伸べることであり、救いようのない魂を消滅させることにある。
「言ってることは理解できないが、異能を使う芦田君にはそれなりの理由もあるのだろう。
だがここではっきりと明言しておく。
芦田君は申し出たことについては可能なことと不可能なことがある」
「それは?」
「ゾンビを倒すことは正当防衛に該当するから罰することはない。
たとえゾンビが元国民だとしても、急迫性の侵害を君が防衛するのは真っ当な行為だから、法的にもそれで罪を問うことはできない」
「ありがとうございます」
余計な心配とは思ってたけれど、罪というのはいくらでも着せられるもので、そうなる前に言質は取っておきたかった。
「だが犯罪者を罰する権限については無理だ」
「やっぱ無理か」
「国に対する義務を持つ私たちと違って、国家及び該当する法律によって縛られない君が私たちと同じような立場にならない限り、恣意的に犯罪者を処罰する権利がなんらかの法根拠がない以上、この場で許可するわけにはいかない」
「……」
「それに私には君が犯罪者を処罰するために国家公務員になるとは思えないがな」
「こき使われるだけの公務員なんて嫌っすね」
屹然とした表情で白川さんが俺にヒャッハーさんたちを処罰する権限は与えないと明言した。
当たり前と言えば当たり前のことだけど、ゾンビがうろつく社会で生きていこうとする俺には枷となりそうだ。
――さて、どうしたもんだろう。
「……とはいえ、私は君にいたく同感している。
そのヒャッハーさんとやらに食わす飯は確かにもったいないな」
「はえ?」
表情が柔らかくなった白川さんは俺に微笑んでくる。これはなにか言いつけてくる前兆、警戒せねばならない。
「どうだろう。君が私たちの依頼する業務を受諾し、任務をつつがなく遂行している限り、君の行いは私が保証しよう」
「はあ……」
「仕事のほうは問合せに来られた高橋さんという方が話してた、君たちが立ち上げる予定の会社に依頼するつもりだ。
こちらの仕事をうけるかどうかは、君のほうで事前に検討してくれても構わない」
「ありがとう?」
政府から依頼がくると考えた俺は、航さんと知恵さんに相談した結果、彼女のほうが先に動いたことを航さんから聞いてた。
「なあに、これでも近々昇進する予定があるんでな。多少のことなら私の権限でどうとでもなる。
——ああ、そうだ。そのヒャッハーさんだがな、そういう輩が初めから存在しなかったという話なら、こちらも逮捕することはできないな」
「……」
なぜかヤバい警報が鳴り響いてる気がする。獲物を狙ってたはずが逆に狙われてるような気配が生じた。
「――どうでしょう、賀島市長。あなたのところでも警官は欠員の状況が大変だと聞き及びます。
どこかの警備会社が市から警備業務を請け負い、市の安全に尽力してもらうのも悪くないと私は思いますが?」
「そうだな。僕のところでは復興する地区が増える予定でな、警官を募集したいのだがいかんせん市民の保護で手がいっぱいだ」
場の雰囲気が変化して、話の流れが変わったように感じ取った。
「どこかの警備会社がちゃんと市の指導に従い、きちんと法に基づいて行動してくれるのなら、市が身分を保証する警備業務については発注するのもやぶさかでないね」
「市長っ!」
お歳に似合わず、いたずらっ子のようなニヤケ顔をみせる賀島さんは白川さんの策に乗り、俺を業務という名で巻き込もうとしている。
横で渡部さんが抗議するように叫んだけど、この場合は渡部さんの反論を俺は受け入れたい。
「――そういうことなら私のところも人手不足でね、どこかの警備会社が手伝ってくれるなら、今すぐ隊本部と掛け合うつもりだ。
もちろん、手が及ぶ範囲で身分も保証しましょう」
「おお、佐山2等陸佐の大隊でもですか?
いやあ、まったくもって奇遇ですなあ」
白々しいおっさんとおじさんが白ける演劇を演じてる。ここまできたらもはや喜劇でしかない。
「市長も班長も副隊長も、いたずらが過ぎますよ。民間人に――」
「そうそう、芦田君。
うちにも若くて容姿の良い部下がいてね、近々こっちに転勤してくる予定なんだ」
「はい?」
せっかく渡部さんの頑張りを期待したのに、白川さんのわけわからない話題で台無しとなった。
「どうもね、芦田君は私たちのような男連中には滅法強いらしい。そこで私も賀島市長に見習って、渡部君のような美しい女性を君の担当者に当てよう。
そうするとこちらの言い分も通りやすくなるはずだ。まあ、色仕掛けってところかな?」
「白川班長っ! わたし、色仕掛けなんてしてません!
今の発言を取り消してください!」
「ああ、意図的にやったことではないが、うちの渡部は芦田君の件で実によくやってくれてるよ」
「市長っ! わたしは自分に与えられた職務を果たそうとしているだけなんです!」
「お二方が羨ましいですなあ。我が隊にはゴリラに劣らない強い部下はいますが、渡部君みたいな嫋やかで男好きな女性隊員はみな本部に取られちゃってね、芦田君に対する色仕掛けができないんだよ」
「副隊長! 今のは聞き捨てになりません!
わたし、男好きでもないし、芦田君に色仕掛けなんてしてませんから!」
渡部さんのゴブリンが出すようなギャーギャーと騒ぐ声に頭痛がしてきた。
――もうグタグタだよこれ。
なし崩しで国の業務を引き受ける羽目になったようで、まさか白川さんの逆襲を喰らっちまうとは、俺もまだまだ若い証拠だ。
「……窓口は絞ってくださいよ。
俺、人見知りだから知らない人と話するのは嫌だし、迷惑な依頼は受けるつもりがない」
「ああ、そうさせてもらおう。
芦田君は中々手強いからな、関係ない部署のやつらで気を悪くさせられたら私が困る」
笑顔を見せる白川さんは冷えたお茶に手をつける。精神的に疲れる会議もこれで終わりなんだろう。
だがこうなってしまえば、この野郎どもが依頼する仕事を受けざるを得ない。吉と出るか凶と出るか、出たとこ勝負というわけ。
――なあに、主導権はまだこっちにある。契約による依頼なら、受けるかどうかはこっちが決める話だぜ。
それと渡部さん、あなたはいけ好かない男どもに言葉で遊ばれてるだけってことに早く気付いてほしい。
白川和弥:(41):復興庁の職員。徳島市の復興事業を担当し、主人公との協議を一任されてる。
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