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幸語り

作者: 青

 運転手さん、目的の場所までどれぐらい時間がかかるんだい?へえ、1時間半。結構だね。そんでもって到着したら僕からがっぽり金を取ろうと。・・・料金表を見ろ?ハハ、素敵なジョークだ。普段は機能してるのかい、あの料金表は。出発地点からじゃないと料金が提示されてないようになってるのか。へえ、つまりスタートからじゃなきゃ料金を取ったりなんかしないと。運転手さん、あんたって人は随分なお人よしなんじゃないかい?迷子の徹夜明け酔っ払いなんぞをわざわざ拾った挙句に送ってやって、ついでに金もとらないなんて。果てにゃくだらない駄弁にまで付き合ってくれているんだろう?一体全体、僕は本当に幸運だ。でも運転手さん、あんたも運が悪いとは思ってないってんだろう?僕を拾っておきながら。損してない?どこが(笑)あー、いや、気を悪くしないでよ。ただちょっと、摩訶不思議な奇妙な生物にでもあった気分になっただけさ。なんでって、僕が乗り降りする時間も僕と話す労力も全部あんたにゃ損でしかないはずだろうからさ。・・・おいおい、やかましい眠気覚ましって(笑)あんた面白いな。そして久々に見たよ、幸と幸が同時に訪れるところってのは。何言ってるのかって?そうだな、まだ時間があって僕がやかましいついでだ。僕の今日までの昔話をちょいと聞いてくれよ。



 昔っつってもあんたから見りゃ僕の昔なんざ昔ってほどでもないのかもしれないが。僕からしたら僕の幼少期ってのは昔だってことで聞いてくれよ。


 ガキの頃の僕ってのは、ちょっと小っ恥ずかしいけど、少し、結構、かなり、とても夢見がちだったんだ。今?そんなことないさ。なにせ当時は、空を見れば世界の裏側の誰かも同じようにこの空を見上げて僕のことを考えてるんだって思っていたし、海を見れば多くの命がそこにあって皆幸せに暮らしてるって思っていた。道を歩けばすれちがう誰とでも仲良くなれるとすら思っていたほどなんだからね。ロマンチストお?ガキにロマンだなんて笑っちまうぜ(笑)


 まあ夢見がちもロマンチストもどうでもいいや。そんな幼少期の僕の夢ってのは旅に出るってことだったんだ。その時はやってた漫画、名前はなんだったかな。とにかくその漫画が好きでさ、結構影響を受けていたんだ。世界を巡って色んな人を助けて世界を平和にするって感じの話だった気がする。その漫画のアクションシーンがいつもかっこよくてさ。周りにも好きな人がちらほらいたから漫画が出るたびによくその話をしてたっけなあ。


 っと、どこまで話してたっけ。そうそう、僕が夢見がちだったってところまでか。そんなこんなで僕の将来の夢はお花屋さんでも警察官でもなくって旅人だった。これは小学校の中学年ぐらいまで続いた。随分と長く夢を見ていたもんでさ、小学校の高学年だったかな、道徳の授業で夢を見るのは良くないことなんだって思った時は絶望したね。僕の未来への考え方は変わるぐらいに。視界から色が消えたようなって言えばいいのかな。光の明るさが未来の明るさじゃなくって物理的な明るさだってまざまざと理解した感じって言った方がいいのかな。


 戦争の話だったよ。勝つ国があれば負ける国もあるって話から始まってさ。裕福な人がいればひどく貧しい人もいるってことを教えられて。死んだ人がいればその人の分の配給を食べて生き延びた人もいたって話もされたな。そっから僕は誰かの不幸の上に自分の幸運やら幸福があるんだって知ったんだ。例えば、ある貧しい国で安価に生産された嗜好品を僕らは親からもらったお小遣いで買って食べて幸せになるってのは誰かの不幸の上に自分の幸福があるいい例だって考えたりね。今。うーん、何とも言えない。今の僕はその貧しい国で働いている人たちが必ずしも不幸だとは限らないって考えたりもするけど、結局知識のない想像だ。これも固執した考え方でしかないのかもしれない。僕は全世界的に見たらいわゆる裕福な環境って言われてる場所で生きているらしいけど幸福だって考えたことはあんまりない。貧乏な場所と言われる場所が必ずしも不幸しかないとは思っちゃいない。ただ、行ったことも体験したこともない場所の実際なんてわかりゃしない。議論することすら間違ってるのかもしれないし。


 また話が逸れた。戻そうか。誰かの不幸の上に自分の幸――すなわち幸運や幸福って意味で使わせてもらうけど――は成り立つってことを僕が知ったってところまで話したっけ。まあすなわち、風が吹けば桶屋が儲かるとか、バタフライエフェクトは力学の話だけど、全部含めて誰かの不幸の上で自分の幸せが成り立ってるんだって僕は思うようになったんだ。誰もが幸せになれるはずもないってこと、漫画ですら主人公と戦って敗れた敵の不幸の上に主人公や主人公が助けた誰かの幸せが存在するってこと、僕が幸せになれば誰かが不幸になるんだって沼にでも沈んでいくように理解し始めた。で、沈みに沈みきった先で僕は夢を持つことすら誰かを不幸にすることなんだって思ったんだ。考え過ぎ?確かに場合によってはそうかもね。夢を見るだけなら誰の迷惑にならないことの方が多いってことは事実だし。でもいつだってそうだとは限らないんだ。例えばと来たか。うーん、まあ最後まで聞いてもらえればわかるよ。ただ若造ながらもあえて言わせてもらうなら、知識の伴わない想像は凝り固まった考えしか生まないよってこと。


 それ以降、夢を見るのもできなくなった僕は自分の世界に閉じこもるようになった。今じゃ考えられない?そりゃそうだ、当時の話なんだから。当時の僕は周りの話を聞けば聞くほど、特に幸福とか幸運の話を聞くといつも陰鬱な気分になっていった。そんなもんだから僕はだんだんと周りとの関係を断ち切るようになった。休み時間は本ばかり読んでいたし、暇さえあれば勉強していた。そんなもんだからがり勉とか根暗とか色々言われてたような気がするけど、一体どんなことを言われていたかは明確には忘れた。覚えていることと言えば、同年代と会話する能力が落ちたことぐらいかな(笑)笑えない?そりゃ申し訳ない。


 勉強に勉強を重ねていよいよ受験云々言われるようになると、自慢じゃないがそれこそ学校内でトップを争えるぐらいには勉強できてさ。え?礼儀?今から敬語に直した方がよろしゅうございますか?・・・冗談、許してください。勘弁してください。ここで降ろされても道がわかんないんだって(笑)


 じゃ、ありがたく話を続けさせていただくとして(笑)今でこそこんなんだけど、当時は本当にお勉強だけはできたんだ。このまま行けば優れた学校に行けるだろうって言われてたし、成績もうなぎ上り、当時はそれこそ先生とか親とか色んな人に期待されてさ。ところがそんな時、僕は運悪く不良に絡まれた。


 僕は彼らのことを欠片も知らなかったけど不良たちは僕のことを知っていたらしくてさ。覚えてないけど何か喚きながら殴りかかって来たんだ。放課後、先生から勉強を教わってからの帰り道だったもんだから帰宅部の下校時間はとっくに過ぎてて、部活してる人たちの下校時間にはまだ早い時間だったから誰も通ってなくてさ。助けも求められなかった。お金を持ってないとかでさらに蹴り飛ばされたり、持っていた教科書ノート参考書、全部ビリビリに破かれてどぶに捨てらたりしてさ。近所のおばさんが駆けつけてくれなかったら今頃どうなってたかわからないけど、ゲラゲラ笑われたことも暴力に反抗しなかったことも悔しくて泣いたことは今でも覚えてる。どぶに捨てられたビリビリの教科書とか何が書いてあったかももうわからないようなノートとかを一生懸命に拾って自棄になりなりながらめちゃくちゃにかばんに押し込んで、おばさんに連れられて泣きながら帰ったのも酷く覚えてる。その後家に帰って母の顔を見た途端さらに泣いたのもやけに覚えてる。


 体中に散々擦り傷作ってあざ作って泥まみれのかばんを引きずって帰ってきた僕を見て母は大慌てで僕を病院に連れて行った。問題はないって診断を受けて僕は安堵したよ。でも母はその後、おばさんと協力して学校と警察にも連絡してさ。正直、あの事件で一番嫌だったことはそれだった。不良に絡まれたってのも嫌だったけど、それ以上にその事実を変に大ごとにされたってことの方が僕は嫌だった。そもそもこんなくだらないことを大ごとにされたくはなかったし、何より僕はことを大ごとにする大人ってのが嫌いでさ。彼らって子供の話も聞かずに好き勝手に作り話をでっちあげて僕に押し付けてくるんだ。しかも要所をぼかして嘘を強調して、僕がいかに悲惨なことに出遭った不幸な子なのかをでっち上げてさ。その上、彼らの最終目標は自分たちは偶然それに立ち会った「幸運な」当事者としてこのことを一時の話のネタにするってことなもんだから嫌気がさす。しかもそのネタの披露する場所が近所の井戸端会議とか、飲み会の席での話とか。最悪だろ?


 まあそういう大人たちの話は今はどうでもいいや。その翌日からその不良たちは学校に来なくなったって誰かから聞いた。何があったのかは知らないけど、何かあったんだと思う、不幸にも。僕は僕でその後酷く成績が落ちて第2だったか第3志望あたりの学校に推薦でようやく合格してそこで受験をおしまいにすることになったんだ、不幸にも。でも不良が来なくなったから学校がちょっと平和になって誰かが幸福になったんだろうなって思うと、僕の成績が落ちたから誰かが受験に成功するっていう幸運を享受できたんだろうなって思うと、どこかで安堵すると同時にまた悲しくなった。


 僕はその後また長ったらしい学生生活を送ることになった。いつでも成績はトップ、満点なんてザラだったけど満たされることは無かった。なんていうか不幸だなって感じてた。親も誰もどんな成績を取ったって喜んではくれなくってさ。期待されないって苦しさは僕から勉強への意思をもぎ取っていったけど、それでもトップでいたのは親が怖かったからだと思う。ちょっとでも成績が落ちるとすごく怒られたもんだからさ。でも今思えば、親は期待を裏切られたって点では一番不幸な人だったのかもしれない。逆に、僕は不幸を感じてすらいたけど幸せだったんだと思う。学校に行かせてもらえてたわけだし、やる気をなくしてもなお勉強させてもらえる環境だったわけだし。じゃあなんで不幸を感じていたのかって、幸せって続きすぎて「当たり前」になっちゃったからじゃないかなって思うんだよね。人間って刺激がないと退屈を感じるし、物足りないって感じると不幸を感じる生き物らしいし。今になってだけど、あの時僕が感じていた不幸ってのは「当たり前」っていう「親ふこう」の上の幸せになれちゃったがために感じていただけの上っ面の感情だったんじゃないかって思ってる。


 長々話してるけど、そろそろ飽きたんじゃない?そっか、随分と気の長い人なんだね、運転手さんは。じゃ、もうちょい続けようかな。眠気覚ましだもんね(笑)その後は大学受験だった。そこで随分といい大学に行けることになってさ、母は泣きながら父は見たことないほどの笑顔で喜んでくれたよ。僕も合格したっていうその瞬間は両手を上げて喜んだ。でも僕の隣で悔しそうに泣き出した知らない誰かを見た途端に全部冷めた。僕の幸せが人の不幸の上にあるってまた知らされた気がしてさ。でもそれでも、その奥で受かった男子がグループになって肩を叩きながら喜び合っているのもまた見えてさ。


 そんな風にして入った大学はそれこそ何もなかった。普通に勉強して、普通に単位を取って。僕が思うより単調に生活が続いていって、僕はまた不幸を感じ始めた。もう勉強する目的も無いしさ。就職活動に勉強はいらないし、追われるものも無い。単位さえ取れるなら大学に行かなくてもいいし、部活もサークルもやってないから人とのかかわり合いもほとんどない。幸福や幸運、不幸も何も感じない当たり前の生活の中で味気ないっていう不幸ばっかりが育ってった。そんな時に映画を見たんだ。大学を卒業したある男が旅に出るって映画。見た途端、光が一瞬だけ物理から未来に変わった気がした。旅してみたいって。ついでに暇な時間の中で考えたんだ。


 結論から言うと、僕は大学に入るまで自分に余裕を与えてこなかったんだなって思うんだ。夢を見ては誰かを不幸にするって思ったり。自分は誰かの不幸を踏み台にして一生生きて行くんだって知って未来を直視できなくなって勉強に逃げたり。周りとの関係を断ちきることで誰かの幸も不幸も見て見ぬふりで過ごそうとしたり。不幸不幸って思いながらそれでも勉強しなきゃって思ったり。今になってようやく余裕もなく凝り固まった考えに固執して僕は幸せから逃げてたんだなって考えるようになったんだ。


 でもその代わり、僕は幼少期よりたくさんの知識を持った。余裕ができて、ようやくたくさんの現実を受け入れられるようになったと思ってる。今になって自身の幸福が誰かの不幸の上に成り立つことは仕方ないことだって考えられるようになったし、みんなが幸福になることはないってことはつまり誰もが不幸になることもないんだって思えるようにもなったし。例えば、世界が滅亡するって予言されても全世界の全ての人が悲しむわけじゃないって考えるようになったりね。希望を持つ人だっていると思うんだよね、宗教とか、今ある環境とかの影響で。


 僕は誰かを不幸にしながら生きていかざるをえない。でもその誰かも別の誰かの、もしかしたら僕の不幸を踏み台に生きているんだと思えば僕が人生で最終的に得られる幸による不幸も不幸による幸も巡り巡って一緒くたに僕の所へ戻ってくるって考えたんだよ。例えば僕がちょっと幸福を得て誰かが不幸になったとしても、別の誰かが得た幸福の下には結局僕の不幸がある。人は不幸になると新しい幸福を願うからさ。僕が誰かを不幸にしたら、その誰かはきっと幸福になろうとしてまた誰かを不幸にしていくだろうって。そうやって巡り巡って僕の幸福は僕に不幸として返って来るだろうなって考えたんだ。結果として、僕が幸福を願って幸福を享受して生きたとしてもいつかそのツケが返ってくるんだから結局±0、それなら僕は不幸を受け入れる代わりに願えるだけの幸せをいっくら求めたっていいじゃんかって思ったんだ。


 そうしてこうして、旅に出ようって意思を固めたんだ。バイトして旅費を稼いで必要なものも自分で買って。・・・そしたらさ、親から大反対食らったよ。以前何があったのか覚えてないのかって。旅慣れもしてないくせにって。あの時は思い知らされたし殴られた気分だったよ、僕は自分の幸不幸しか考えてなかったんだって。夢を見るだけでも誰かを不幸にすることがあるんだって。僕からすればこれは自分の中で納得して願った「幸福」だった。でも、この「幸福」は両親を「不幸」にする願いだったんだって。僕と両親の「当たり前」を「幸福」と「不幸」にぶった切る願いだったんだって。それに気づいた瞬間が僕の人生で一番悔しかった瞬間だった。これは言いきれる。



 で、今に至る。僕は両親の不幸を踏みつけて今ここにいる。こいつばかりは未だに心苦しいし泣きそうになる時すらある。でもだからこそ、素敵なことを素敵だって感じることができるようになったんだ。今日だってとっても素敵だろう?僕と運転手さんの幸福がいっぺんに起こった時も、その幸福が今も「当たり前」に続いていることも。いやあ、今日も素敵な日になりそうじゃないか!そしてそんなこと言っていたら向こうの山からの酷い朝日、二日酔いにこんなに眩しくされるとは、こんな不幸は無いね!(笑)でも朝日が昇るってことを不幸に思う僕がいれば誰かが誕生日をお祝いされたり、誰かが生まれたりすることだってある。これってとっても幸せで素敵なことだと思うんだよね。


 っと、そろそろこのバスのスタート地点に到着か。なんだか短い1時間半だったなあ。運転手さん、ありがとう。本当に感謝しかないや。送ってくれるだけでなくこんなうるさいのにずっと付き合ってくれて、金もとらないでくれるなんて。気前が良すぎて惚れそうだ。もちろん冗談だけど(笑)・・・なに?なんて言ったんだい?惚れてる暇があったらの続き。・・・フフ、湿気たこと言わないでくれよ。僕は見ず知らずの誰かどころか最愛の親を不幸にしてまでこの幸福を享受しているんだよ?出来うる限り最大限この幸福を享受しなきゃ、次の誰かの大きな幸福を受け止められるだけの大きな不幸を受け止められなくなっちゃうじゃないか。どっちにしろ僕の幸福の下にある不幸たちに僕は申し訳が立たないんだ。だから、まだ帰らない。でもいつか、必ず帰るよ。


 けども、そうだなあ。いつか帰った日に僕のこの幸福が達成感に変わって、両親の不幸が幸福に変わってくれて、その後「当たり前」がずっと続いてくれたなら、それ以上の幸せはないだろうなあ。

幸も不幸も願望も全部受け入れて生きていきたい。

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