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8.偽善者

「ここが陸君の家だよね?」

 桐勢が地図を片手に目の前のアパートの上の方を指差しながら、男の子に問いかけるようにそう言う。男の子は訊かれて、小さく頷いた。

 なるほど。聞いていた感じから察してはいたが、この安アパートといった感じ、経済的にも苦しい家庭なのか。

 僕はこの古びていて所々外壁がお粗末なつくりになっているアパートを見ると、そんな感想を抱いた。

 懐古趣味を持っている人でも、これは敬遠しそうだな。

 そういう家庭環境でもあるからか、余計に迷惑をかけているんじゃないかって気持ちが増大するわけか。男の子の心の底の底がこれで僕にも見えるようになってきたな。

 ……だけど、少なくとも僕はそこまでお人好しじゃあない。お人好しになれる状況でもない。

 何故なら、僕は他人の家庭環境を援助できるほどの財産など持っていないからだ。

 もしかしたら、自分の身が滅ぶ代わりに助けることならできるかもしれない。だが、僕だって人間だ。そんなお願い、絶対にのむわけにはいかないし、そんな提案、絶対にしてはいけないんだ。それに僕の財産といっても、正確には『僕の家族全員の財産』なわけで、たとえ僕がOKを出そうが親や姉がダメだと言うだろう。付け加えれば、僕も家族に迷惑をかけることになるし、男の子も迷惑をかけたり、迷惑になってはいないかと感じてしまうような気がして、これは絶対にやってはいけないんだ。

 だって、それは結局堂々巡りだから。

 僕は憂いの目をアパートに向けると、桐勢の腕をガッと掴んでトコトコと進んでいた彼女の歩を止めさせる。

 これは僕らが手を出していい領域を遥かに超えている。僕らがどうのこうの足掻いたところでどうにかなる問題じゃない。あとは、専門家とかそういうのを呼んで任せよう。

 僕はそういった言葉を桐勢の腕を掴んだ手に込めると、彼女の表情を窺った。


「これも〝記憶保存屋〟の仕事だから――」


 桐勢の顔を見ると、申し訳なさそうにそう言っているような顔をしていた。首を少し傾けながら。

 とは、言ってもなぁ。いや、べつに言ってはいないけども。

 僕は少し不満そうな顔をしていると、男の子にチラリと僕の表情を覗かれた気がするので、僕は気をつかわせないようにと表情を元に戻した。

 ポーカーフェイスって意外に難しい。面白おかしなことが起きると思わず笑ってしまうし、悲しくて辛いことが起きると思わず泣いてしまう。

 これは世界に面白おかしなことが満ち溢れているからだろうか。

 これは世界に悲しくて辛いことが満ち溢れているからだろうか。

 ……僕にはわからない。多分、子どもも大人でさえもわからない。誰にもわからない、空白。

 僕は少し息を吐くと、ゆっくりと目を瞑った。

 理由はきっと、なんとなく、だ。

「じゃあ、陸君。いつでもいいよ。また、来てね。さようなら」

 桐勢はそう言うと、男の子に対してニッコリとした笑顔を見せながら手を振って、ゆっくりと帰路に着いた。


「なあ桐勢、これで本当によかったんだろうか」

「大丈夫だよ。あの子、心は折れていなかったし。きっと、迷惑をかけたと思ったから『記憶を消したい』って考えたわけじゃないと思うんだ」


 僕の情けない問いに対し、桐勢は根拠のない前向きな言葉を言う。


「多分だけど――寂しかったんじゃない、かな――。『記憶を消したい』ってのは表向きの話で、本当は誰かに悩みを打ち明けたかったんだと思う」


 僕は桐勢のその答えを聞いた後、ボーッと呆けて下を見ていた。

 寂しい、か。そうか。母親は一生懸命働いていて、構ってくれる人なんか身近にいなかったのかもしれないな。

 僕は昨日今日とここの仕事ぶりを見てきたけど、今日はなんだか、昨日よりも増してネガティブな思考に浸りそうな気分だ。

 いや、違う。これはただ、僕が同情をしたいだけなのかもしれない。


 だって、僕の今までの行いはまるで――『偽善者』――のように見えたから。


 僕は僕自身を「最低だ」と、心の中で嘲り笑った。最低な僕が最低な僕自信に最低を送りつけた。

 もう、僕にはよくわからなかった。僕という存在意義が。

 さて、僕はこの状況を目の当たりにして、未だに媚び諂うことについて拘りを覚えているのだろうか。

 ……いや、そもそも拘りなんてなかったのかもしれない。

 僕は唐突に首をブンブンと横に振って、いろいろな今の考えを凪ぎ払おうとした。

 ああ、まずい。これ、周りから見ると変人にしか見えないな。まあ、変人で合っているんだけどさ。

 僕は寒さで凍えてブルブルと小刻みに震わせている身体に喝を入れると、一歩二歩と桐勢の後を追いかけるように歩いた。

 さっきのは、偶々宇宙人が目の前に現れてお前を連れ去ってもいいかって訊かれたから、咄嗟にノーノーと身体でジェスチャーを送った、ってことにされて近くを歩いていた人に何も思われていなければいいんだが。

 まあ、無理だよな。そもそも、その考え自体がおかしいしな。まあ、いいか。

 僕は自分のクッソ寒いギャグに少し笑みをこぼすと、自分の心はまだ折れていないんだなという実感を覚えた。

 僕はまだ心の中でギャグを言えるほどの余裕があるんだ。


「善君、どうしたの? なんか、変だよ」

「僕はこれでも至って正常だけど」


 桐勢が前から僕の顔を覗き込むようにしてニヤリと笑ってそう訊くので、僕はキッパリとそう言い放った。

 相変わらず、コイツの行動は大胆不敵で、コイツの笑みは小悪魔的だ。怖い、怖い。呑まれないようにしないとな。僕の精気をチューチューと吸われているかもしれないし。

 ……チューチュー。

 思い出してしまった。あの恥ずかしい光景を。

 あ、ああ。ちょ、ちょっと待って。このお方は、もっと自分の行動を気にした方がいいんじゃないのかな。

 えっと、さ。あのさ。うん。仮にも女の子じゃあないですかぁ。

 まあ、相手は小学生だし、僕目線は大丈夫なのかな。え、本当に大丈夫なのかな?

 ええ、いや、これはギリアウトですね! うん、やっぱりそういう行いは然るべきとき以外はしない方が良いと僕は思う。

 僕は心の中でしどろもどろになりながら、普段言っているクッソ寒いギャグよりもよくわからないことをぶつぶつと呟いている。そうしているうちに、僕の頬は段々と赤くなっていっているのがなんとなくだけどわかった気がした。


「なんか、顔赤いよ? 大丈夫?」


 桐勢はさらにニヤリと笑ってそう言うと、僕の鼻頭をツンっと突っついた。

 これは確信犯だな。

 僕はジロリと桐勢を睨むと、すぐにスタスタと前を歩いて彼女を置いてきぼりにしようとした。


「あ、待って。ほら、不貞腐れないの」


 僕は不貞腐れていないです。ただ、ちょっとイラッとしただけですよ、っと。

 僕は顰めっ面になりながら、どんどん、どんどんと前を進んでいく。

 よくよく考えてみれば、桐勢から見たら僕はただ「変」って言われたからムキになっているようにしか見えないわけか。

 それもあるけど……いや、やっぱり確信犯だな。

 そう考えた僕はさらに早足になって歩を進めていく。

 まあ、寒いから早く戻りたいっていうのもあるんだけど。一割二割くらい。


「捕まえた!」


 桐勢が後ろから僕を押し倒すかのようにして僕の身体をガッチリと掴むと、元気よく声を出した。

 痛いし、危ないし、二人一緒になって転びそうになったから、まじでやめてくれ。

 そういった心の中の叫びが僕の頭の中で反響していた。

 はあ。これじゃ僕らはまるで小っちゃい子どもみたいだな。今の僕にそんな体力はないんだ。僕は疲れているから、そっとしておいてくれ。

 僕は何処か心の中で疲労感を感じると、思わず深い溜め息を吐いた。


「ねえ、善君」

「何? てか、訊くよりも先にちょっと僕を解放してくれないかな。身動きができないんだ」

「どうだった?」


 なるほど、スルーか。なんかいい匂いするし、べつにいいか。

 いや、よくないわ。歩いている人の視線が物凄く痛い。この気持ち、伝われ。凄く、伝われ。

 ほら、あそこにいる多分マダム会帰りのおば様達とか「あら、やーだ。若いわね~」とか僕らの方を見て笑っているぞ。自意識過剰なのかもしれないけど。

 それと、その、異性で身体と身体を密着させるのはさすがによくないと思うんだが。まあ、それも全部どうでもいいか。だって、放してくれなそうだし。

 僕は正気な考えをスパパッと投げ棄てると、自暴自棄にでもなったか「これはもうご褒美と受け取ろう」という謎の考えに至った。

 確かに人によってはこれはご褒美だと(勝手に)受け取る人もいるだろう。

 一応は美少女に抱きつかれている状態なわけだしな。ただ、ちょっと桐勢の残念美人というか残念美少女感は否めないけど。

 僕は頭の中でいろいろと考えを巡らせて、ある程度考えが纏まると、僕はすぐさま思考停止をした。


「うーん、そうだな。最高だよ」


 僕は恍惚的な表情になりながら、嬉しそうにそう言った。

 何が最高だとは言わないけれども。


「えっと、私が何のことを訊いているかわかる?」

「あー、今のこの状態の感想?」


 僕は完全に思考停止をしていた。が、桐勢が戸惑ったような顔をしているのを見て、漸くハッとまた正気に戻った。

 あ、ヤバい。どうしよう。この後、どう言葉を続けたらいいんだ。

 あれか。ご馳走さまでした、とかでも言っておけばいいのか。

 いや、ダメだな。元々変質者呼ばわりされていたのに、さらにグレードダウンしてしまう。

 いや、無理だな。どう考えてもこの後の言い訳が思いつかない。思考停止していました、なんて言っても信じてもらえないだろうしなあ。

 よし、もうこれでいいか。

 そう決心した僕は恐る恐る言葉を少し濁らせるようにしながら声に出す。


「ご馳走さまでした……」

「私が訊いていることは、〝記憶保存屋〟について、だよ。何かわかったことはあった?」


 あ、これもスルーですか。そうですか、よかったよかった。桐勢がこういう性格で。

 僕は肩を撫で下ろすとホッと一息吐く。

 それで、〝記憶保存屋〟について、か。今日見た感じだと、なんというか『カウンセラー』みたいな感じだったな。

 簡潔に言ってしまえば、〝記憶保存屋〟ってネーミングの割りには特殊なことを今日はしていなかった。だから、ここは『カウンセリング屋』みたいなものなんじゃないかと今の僕は思っている。


「そうだな。これはもしかしたら昨日も思っていたかもしれないけど、〝記憶保存屋〟は人と人とを繋ぐところなのかもしれないなってことかな」

「……へえ、どうして?」

「さあ、どうしてなんだろう。僕にもわからん」


 僕は桐勢の方をチラッと見てそう言うと、クスリと笑みをこぼして夜空を見上げた。

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