7.小悪魔テレパシー
「さて、と」
瞬きをパチクリとして、彼女はその場を立つ。
前々から思ってはいたが、なんだか甘い香りがする。はてさて、この歳で香水でもしてたりすんのかな。
少し大人びているなあという感想を抱くと、僕も釣られて立ち上がる。
いててて。ちょっと腰が痛むな。まだ十代なんだけどな。
腰に両手を当てて背筋をピンとし、身体を解す。
普段、ついつい猫背になっちゃうからな。気をつけないと。母さんにもあーだこーだとぶつくさ言われてしまう。
猫背になってしまわないかと細心の注意を払いつつ、僕は桐勢に話しかける。
「これから何かするのか?」
訝しげな表情で桐勢を見つめている男の子を横目に、僕は彼女に一つ質問をする。
とりあえず、考えられるとしたらまずは親御さんに連絡あたりか? まあ、あとそれとカウンセリングを受けさせる的な相談とか。
昨日だけじゃわからなかったけど、今日見ている感じはなんかここお悩み相談所みたいな感じだしな。"記憶保存屋"というのは言ってしまえば多分何でも屋みたいなものなのかねえ? まあ、まだ僕には確信できる段階ではないけれど。
僕が思うに、概ね昨日桐勢が言っていた『ボランティアのようなもの』で今のところは間違ってはいないと思う。ただ、ここはあくまで店として営業しているのだろうから、僕は経営面で心配になってしまう。
仮に収入は無しとして、出費はどれくらいだろうか。
まず、客を持て成すための茶菓子代、電気代に水道代にガス代。家賃とかもか。とても一端の学生がアルバイトをして払える額じゃあないな。しかも、ここは推測で収入が一切無いんだから。借金と言ったって、返せる宛てがないと結局破産してしまうなあ。
僕は頭に浮かんできた疑問を一つひとつ自分の無い頭で整理しようとしたが、その段階中にまた疑問が浮かんできてしまうので、僕は考えることをピタリとやめた。つまり、思考停止ってやつだ。
「よし、一緒に帰ろうか」
「……は、はあ?」
桐勢が突拍子もなくそう言うので、僕は「何言ってるんだコイツは」的な目でジロリと彼女を見た。男の子も桐勢の発言の意図がよくわからなかったらしく、僕と同様な行動を見せた。
ああ、あれか。あれってやつだな。これはただ単に桐勢の頭のネジが抜けているってやつだな。
いやでもしかし、安全面的には送っていった方がいいかもな。もう、夜も更けてきたことだし。
ああ、でもなんか倫理観的になあ。世間体的になあ。特にこの子のお母さんとかになあ。大丈夫かな。
まあ、大丈夫か。お姉さんとお兄さんと遊んでて、で、送ってもらったとしか思われないか。……なんか、この言動だとスゴイ如何わしいぞ。仕方ない。事情を話せば大丈夫か。
桐勢の言っていることは一理ある、と思うのと同時に、女々しく何度も何度も周りからの印象を気にする自分がいた。
「ほら~善君も~」
桐勢はからかうかのようにニヤリと笑いながら、甘ったるい声で僕の名前を呼んで急かす。
男の子はこれで納得してくれるだろうか。僕はそれが引っ掛かっているのだが。
僕はその考えを頭に置きながら、ゆっくりと外に出た。あー、寒い。
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「桐勢、何回も訊いているけどさ、それでこっからどうするんだ?」
僕は桐勢にヒソヒソと耳打ちをする。
桐勢のしようとしていることがわからない。全く以て。依頼料とか取っていないのだからべつにこれでもいいのかもしれないが、なんだか釈然としないぞ。
僕らは記憶消去を推したくない。だから結局のところ記憶消去をせず、記憶消去という点に関しての解決策なんてなくなっていて。
ああ、でもそうか。そういえばそうだ。そもそもの問題はそれじゃないのか。
悲しいから、苦しいから、だからこの子は記憶消去をしたいわけだ。とすると、もしかしたら桐勢はこの子の心の負担を抑えるための点に関して、べつの解決策を思いついたんじゃないだろうか。
僕は唸り声でも出てしまうのではないかというような顔をした後、今度は何か考えが閃いたというような顔をする。
表情が薄いね、とかよく周りの人々に言われていたけれども、ここに来ると僕は表情の起伏が激しくなるな。
なんでだろうか。いや、本当になんでだろう……。桐勢という人間自体にツッコミどころが多いからかな。多分、そうに違いないな。
僕は少し皮肉を込めつつ、桐勢の顔をじーっと見てウンウンと軽く頷いた。
「なんだか、ちょーっとばかし悪口を言われているような気がするけど?」
「痛っ、いたたたたた。痛いって。な、何も言っていない」
こ、コイツ、テレパシー使いか。そして、さりげなく仕返しに僕の頬をつねるとは、な。いや、僕がさっきしたこと、もしかして根に持っていたりするのか?
僕は頬を擦り擦りとすると、文句があるような目をして口をへの字にした。
「ああ、それで何をするかなんだけどね、言葉通りのことしかやらないよー」
桐勢は僕の耳に顔を近づけて、そっと囁きかけるかのように耳打ちをした。
いつも笑顔だな。笑顔というより、なんかこう、裏がありそうな笑顔だけども。小悪魔フェイスってやつだな、これ。
僕はサァーッとした悪寒を何処かで感じると、思わずブルブルと身震いをした。
それで、なんだっけ。言葉通りのことしかやらない? 家まで送ってくだけってことか。えっと、そこからは? 後日、またこの子は多分来るだろうし、そこからどうするんだろう?
うーん、イマイチ桐勢の考えていることが読めないな。
僕は首を傾げると、手を顔に当てて考え事をするかのような仕草をする。
「大丈夫――」
「…………」
桐勢が甘ったるい声で僕にそう囁きかけると、僕は正気に戻りでもしたかのようにハッとする。
なんだか、あの人の面影と重ねてしまったような気がして――。
懐かしい記憶。ずっと前の、忘れたくない記憶。忘れてはいけない記憶。
どうして、今思い出してしまったのだろう。なんで、こんなときに。
僕は真剣な表情になると、拳をギリギリと力強く握った。決して、その過去の出来事を忘れないように、強く強く。
時が経つにつれて、記憶は日に日に思い出せなくなってしまうものだけど、ふと何かがあったときに思い出せてしまう。思い出してしまう。
嫌なことでも。寂しいことでも。
でも、記憶って自分が今まで生きてきたことの証だから。
僕は心の中でいろいろと考えを巡らせると物憂げな表情をして俯いた。
「うー、やっぱり寒いね。陸君、風邪とか引かないようにね」
桐勢は男の子にそう言うと、はあ、と小さく息を吐いた。寒いからか、吐いた息が白くなっている。
桐勢はダウンジャケットとマフラーでぬくぬくと、か。それに対して、僕は冬用の制服を着ているのみ、と。
僕は寒がりだからもっと重装備にしてくるべきだったな。やばい、くっそ寒い。冬、少し侮っていたかもしれない。
僕はズボンのポケットにすっぽりと手を奥深くまで入れると、トボトボと桐勢と男の子の後を歩く。
それにしても、少しばかし気まずい空気だな。桐勢はそうは思っていないかもしれないけど、依頼は結局まだ解決していないしな。僕は男の子になんて声をかけたらいいのやら。男の子はずっと無言だしな。さて、どうしたものか。
僕は思案している最中に、この気まずさに耐えきれず溜め息を吐きそうなところを、なんとか手で抑えて踏みとどめる。
危ない危ない。僕の溜め息で余計に気持ちが暗くなってしまったらダメだ。さすがにこればかりはな。
こんなときに算数のマイナスとマイナスを足すとマイナスになるという原理に助けられるとは、と僕はふと算数に関して感心を覚える。
掛けたらプラスになるわけだが、それって日常生活だとどういった行為が該当するんだろう。うーん……おっと、いけないいけない。今はそんなことを考えている場合じゃないんだった。
と、さっきまで俯いていたくせに、いつの間にかしっかりと前を向いて歩いている僕がいた。これが桐勢パワーってやつなのかもしれない。
「……ねえ」
さっきまでずっと無言だった男の子が急に小さくポツリと僕らに問うようにして呟く。
ちなみに、僕と桐勢は決して怪しい関係ではないので、そのことに関しては訊かないでくれよ。フリじゃないからな。
てか、僕と桐勢っていったいどんな関係だ? 元はといえば、僕が落とし物を拾って届けて、って感じだけど。
友達……ってわけでもないし、赤の他人だとまたなんか違う気もするし。あれかな。もし、それを訊かれたらバイト仲間って答えればいいかな。うん、関係的にもなんかバイト仲間っぽいし。僕が新人で桐勢がバイト歴長い人ってことで。
「お姉さんとお兄さん達ってどんな関係なの?」
「マジか……」
男の子にそう訊かれたので、思わず心の声がポロリと漏れ出る。
いや、まさか適当に予想したことを本当に訊かれるとは。正夢、いや、この場合は正心か。どう受け答えしたらいいか一応考えておいて、ああ、よかった。肝をヒヤリとさせられたぜ。
僕は心の中でそう思うと、冷静に男の子の質問に対して答えた。
「ああ、バイト仲間みたいなもんだよ。僕が新人だから、見習いみたいな感じでこのお姉さんのやっているところを見て学ぶわけだ」
「ええ~、バイト仲間なの~!?」
僕のその答えに対し、桐勢は声を大にして言い、驚いたかのような表情をする。それはもう、かなりわざっとぽく。僕はその顔を見るなり、ムスッとした顔をして不快そうなアピールを桐勢に送った。
「……本当はストーカーしているされているの関係でしょ」
そう囁くように言って意地悪な笑みを浮かべると、桐勢は手を僕の胸辺りにつけてトンッと軽く押した。
どうやら、僕は桐勢にこれでもか、というくらい仕返しをされているらしい。もしかしたら、嫌われているのかもな。
僕はさらにムスッとした顔になると、堪らず「ち、が、う、ぞ」という合図を表情で送った。
「あ、そうだ。こういうのはどうかな」
「……何。べつに僕はバイト仲間でいいと思うんだが」
桐勢が何か閃いたかのようにそう言うので、僕は嫌々しそうな顔をして彼女の意見を訊く。
なんか、嫌な予感がする。外れてくれ。超、外れてくれ。
「恋人……とか……」
桐勢は頬を赤く染めニヤニヤとしながら、僕の耳元でそう囁いた。
それは、全く違う気がするし、恥ずかしいし、それに、まだ出会って経ったの二日だぞ。
僕は冷静にそう考えてはいたものの、彼女のその言葉の影響によって、心臓がバクバクと音を立てていた。
「勘弁してください……椚サン……」
恐ろしい、この小悪魔。
僕は恥ずかしすぎたために、桐勢の言葉に対してしどろもどろになりながら、片言で拒否をした。




