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6.リスタート

 そもそも記憶に介入すること自体、間違っていたんじゃないだろうか。それを勝手に良しとして、介入して、記憶を蝕んで。余計に悪化させているようにしか思えないのは、僕だけなのだろうか。甚だ疑問だ。


「……桐勢。僕は消せるということはわかった。でも、仮に消したとしてさ、親御さんは困ったりしないのか?」


 普通の親ならするはずだ。困るというより、心配するというより、身を案じるはずだ。そして、それが引き金となって、ただでさえ家庭崩壊が起こっているような状況を余計に悪化させていくはずだ。

 こんなもの、意味を成していない。やったって意味なんてないんだ。

 ここは、そういった現実を男の子に突きつけるのが、せめてもの救いなのではないだろうか。

 僕は桐勢に悟られないよう表情を殺して自問自答をする。冷ややかに。眉なんてピクリとも動かさずに。

 この案件、僕は男の子だけで抱えていい問題じゃないと思う。

 桐勢、仮にお前がここでゴーサインを出すものなら、僕は本気でお前を止める。もう一日、いや、もう一ヶ月くらい選択を先延ばしにした方がいい。少なくとも、僕はそう思う。

 まあ、だけどさっきの桐勢の口ぶりから、判断に苦しんでいるのはよく伝わった。それはやっぱり桐勢も、そんなことしたくないって考えているからだと思う。

 だから、多分コイツは。彼女は、べつの何か策を考えているのではなかろうか。僕はそう思った。

 いや、待てよ。桐勢はさっき自分から僕に訊いてきたんだ。ということは、この案件についての判断は僕に委ねたいのではないだろうか。そうだとしても、僕は困ってしまう。

 なにせ、僕はそもそもここの人間じゃないからだ。僕が決めていいはずがない。


「なんでコソコソとしてんの」

 男の子が僕らのやり取りに対して大きなハテナを頭に思い浮かべるかのように問いかける。

 今考えりゃ、ここで男の子に待ってもらって別室で話した方が良かったんじゃないか。僕はそう思う。

 ただ、男の子に指摘されてしまった以上、今更別室に移動するのもどうかと僕は思った。

 不審がられていたりすると、その行為は相手の心に悪影響を及ぼしているんだとわかる。

 だから、不審がられてはいけない。記憶の案件について話し合っていたなんてことを知られてはいけないんだ。

 僕は桐勢に目線で合図を送り、強引に会話を断ち切らせた。

 仕方あるまい。まあ、見送りだな。これはやはり親御さんにも相談するべきだ。

 僕はゆっくりと立ち上がり腰を擦りながら話を最後まで聞こうとせずに部屋を出ようとした。

 が、部屋を出る寸前のところで「……陸君はさ、なんで記憶を消したいの?」と、桐勢が男の子に対してそう囁くように訊く。もちろん、笑みは絶やさずに。

 僕はその言葉がまるで僕に対して「ちょっと待って」と言っているかのように聞こえたので、僕はドアノブに掛けていた手をすぐさましなりとズボンの裾の横に下ろして桐勢の方を見た。

 なんだろう。これから何かするとでも言うのだろうか。僕はこの子に対してできることを挙げるとするならば慰めてやる程度だぞ。同情なんて相手に失礼だとは思うが。

 桐勢がこれからすることをアレコレと思案しながら、僕は目を細めた。


「辛いんだ。これ以上、迷惑もかけたくないし。だから、消して。ぼくの記憶を全部消してぼくを楽にさせて……」


 男の子は涙をポロポロと零し、鼻水をズズーッと啜りながら桐勢の質問に苦しそうにして答えた。

 迷惑をかけたくないけれど、記憶を消して楽になりたい。この子はそう答えはしたが、矛盾しているんだ。結局はその選択をして誰かを困らせているから。


 記憶を全部消すということ。それはつまり今までの僅かな行いをも忘れて、全く違う別人の自分になる可能性が大いにあるということ。

 いや、正確には見た目はままだ。表面はこのままなんだ。

 でも、違うんだ。外は同じであろうと内が全て消えてしまって一から人生を歩んでいかなければならないのだから。

 身体は同じ。でも、心は違う。全くの別人格。

 このことから僕は何が言いたいか。




 それは――今まで生きてきた自分自信を全否定することになる――ということだ。




 そして、もう一つ。

 僕の頭の中では最も優先であろうと思う疑問が思い浮かんだ。

 これは記憶を消した後の話だ。さらに条件を付け加えるのであれば、過去の記憶を思い出したりは絶対にないということにする。

 まあ、二つ目のはあくまで蛇足のようなもんだ。あってもなくても大差はないと思う。

 話を戻してその疑問についてなのだが。

 それは、簡潔に述べると『記憶をまた消したいと思ってしまってここにやって来てしまったら桐勢はどうしたらよいのだろうか』ということだ。

 記憶をまた消すのか? それとも、突っぱねるのか? 僕はそれが知りたい。

 仮に仮に、と僕は例え話ばかり心の中でぶつぶつと呟いてはいるが、それはつまるところその行為の先が見えないということを顕著に表しているのだった。




「……じゃあ、消そう。お姉さんが陸君の記憶を全部消してあげるよ。……それで解決……だね」

「……!? おい、待て桐勢。お前、正気か。お前のその判断でこの子は、今のこの子は死んじゃうんだぞ」




 桐勢の予想外な発言で、僕は驚いて必死に彼女を説得しようとする。声を荒げながら。

 どうやら頭に血が上っているらしく、僕は一つ一つの行動がおぼつかない。

 桐勢、お前わかって言っているのか? 今お前が言っていることは『人殺しをしよう』。そう言っているのとほぼほぼ変わらないんだぞ!?

 最悪だ。悪魔だ。人の心を被った悪魔だよ、お前……!

 僕は心の中でそう吐き捨てるように呟くと、桐勢の方を嫌々しく睨んだ。


「お客様の意向は汲むようにする。だって、ここはそういうお店で、私はお客様に依頼されただけだから」


 桐勢は目線を下に落とし、冷ややかな目で床を見ている。

 昨日は『お金で人の記憶を踏みにじりたくない』とか言っていたくせに。あれは。あれは、都合の良いことをただ並べただけだったのか!?

 僕は怒りのあまり、ドアを思いっきり叩いてしまう。

 痛ぇ。むしゃくしゃしたからって物にあたるのはさすがにないわ。

 僕は手の痛みによって少し冷静になり、物にあたってしまったことに対しての罪悪感を覚える。

 はぁ、僕は怒るためにここに来たわけじゃないのに。

 僕は溜め息混じりになりながら、心の中でそうボソリと呟く。


「じゃあ、陸君。ゆっくりと深呼吸したら、目をつぶってね。きっと、目を覚めた頃には新しい自分に生まれ変わっているから」


 桐勢は淡々と男の子に対して一つずつ話していく。スルリ、と手から何かが落ちていくかのように。

 僕はというと、もう呆れてしまっていて、ただその光景をぼんやりと眺めていることしかできないでいた。

「じゃあ、やるよ」

「うん」

 桐勢がそう男の子に声をかけると、男の子は小さく頷いた。桐勢の顔をふと見ると、彼女は何処か靄がかかってでもいるかのような、そんな複雑な顔をしていた。何か、やっぱり迷いでもあるのだろうか。

 男の子は意を決した顔になると、瞼をゆっくりと閉じた。

 すると――。




 ちゅっ――。




 ……うん?

 あれ、おかしいな。疲れているのかな。確かにドライアイではあるけれども、幻覚を見るほど僕の目ってヤバかっただろうか。

 僕は何度も何度も顔の表情を強張らせて、目をこれでもかってくらい見開いて、二人の方を凝視する。

 凝視しすぎて、もう目が充血しているときみたいになっているかもしれないが、僕はそんなことは気にもしなかった。

 だって、目の前の光景が衝撃的だった、からだ。


 えっと、これって接吻――ってやつだよな。


 そう、見ると目の前では桐勢が男の子に対して頬に軽くキスをしていたのだ。

 なんだ、なんだ? そういうのがタイプだったのか? それとも、これが記憶消去のためのプロセス?

 まあ、どうでもいいんだけどさ。僕、帰ってもいいかな。

 僕はどうでもよさそうにそう心の中で呟いて、意気消沈しているかのような顔にでもなると、ゆっくりと息を吐いた。


「えっ」


 男の子の口からふわふわとした言葉が漏れ出ると、男の子は頬を赤く染めて勢いよく飛び上がった。実際、僕でもこんなリアクションをとってしまうかもしれない。

 さて、どういうことだ桐勢。見ているこっちも恥ずかしいから早めに説明してもらおうか。

 というか、そっちの気でも起こしてしまったのなら、僕から言えることは一つだけだ。


 爆発してしまえ。


 嫉妬と怒りと他の何かいっぱいがいろいろと混じりあって混沌としているその言葉一つだけであった。


「ああ、なんていうか、その、うーん? やろうと思えば記憶消去もできたかもしれないんだけど、なんか気が進まなかったっていうか……」


 桐勢は言い訳をしているときのようにしどろもどろになりながら、そう話す。

 ああ、なるほど。つまり、アレだな。最初からそれはイケないことなんじゃないかってちゃんと思っていて、記憶を消したくなかったってことか。なんか心が急にホッとして僕は何処か溶けていきそうだよ。

 僕は胸の辺りを手で抑えながら、ホッと一息吐く。

 ……ん、待てよ。ということは、ずっとずっと桐勢は演じていて僕の反応とかを楽しんでいたわけだ。

 うん、まず桐勢は陸君に謝ろうな。もちろん、ジャパニーズ伝統文化の土下座で、だ。『人殺し』とまではいかなかったものの、結局桐勢は人の心を弄んでいたわけだもんな。

 僕はお仕置きと言わんばかりに桐勢の頭を力強く強引に下げさせた。

「いたたたたた。痛い、痛いって」

 本当っ、お前小悪魔だよ。これは行動とか仕草とかそういうのじゃなくて、主に性格が。

 なんだか桐勢のことを憎たらしく感じた僕は、思わず桐勢の脇腹をツンツンと突っついた。

 あ、やべ。これまた、セクハラだとかなんかそういうこと言われちまうかな。そういうつもりじゃなかったんだ。悪い悪い。


「で、どうするつもりなんだ、桐勢。今日はこの子、帰らせるか?」

「ああ、ええっとね。陸君、ごめんね。嘘を吐いちゃって。本当はね、お姉さんは陸君に笑顔になってもらいたかったんだ」

「…………」


 桐勢は淡々と話を続けた。優しく、男の子に語りかけるように。




「だって、人生ってリスタートできないものだから――」




 ……そうかもしれない。人生というものはリスタートが利かないものだと僕も思う。死者を蘇らせることができないように。

 だから、過去の失敗を引き摺らずに未来を見て頑張るしかない。そうだと僕は思った。

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