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5.記憶が消えても愛してくれますか?

 記憶を消したいって思ったことはないだろうか。

 ちなみに、僕はある。一つずつ数えてみれば、多分山程あると思う。

 恥ずかしい記憶、悲しい記憶、怒りに満ちた記憶。いろいろと。星の数くらい、いろいろと。

 仮に、記憶を部分的に消せることができるのであれば、僕は迷わず消すことを選んでいたと思う。

 でも、物事ってのはそんなに上手くはいかない。

 メリットもあればデメリットもあるように、記憶を消す際には、薬のように何か副作用を起こしてしまったりするかもしれない。

 言ってしまえば、給料を高くはずみますがその代わりとしてかなり過酷な労働を強いるブラックな職場です、なんて言っていることと同じようなもんだと思う。

 だから、僕は記憶を消す前に「ちょっと待った」と言いたい。

 その選択で本当に良いのか少し考えてみてくれ。情報を集めて、集めて、それの実態が判明して、それでも記憶を消したいと言うのならば僕は止めやしない。

 だって、これは僕が決めていいものじゃない。君が選んで決めるものだから――。




 暗転――。




「……こんにちは」

 幼い子どもの独特な高い声が聞こえてくる。

 おそらく、桐勢の言っていたお客様というやつだろうか。なるほどね。

 僕は作り笑いの練習を始め、二、三十秒程度経ったところでその場から立ち上がる。

 今まで見た感じ、ここは接客業に該当しそうなものだし、笑顔と挨拶は欠かせねえな。僕はべつにここの店員ってわけじゃないけれども。

 そう、何かを悟ったかでもしたような顔をする。いや、視点を変えれば不満げな面持ちに見えるかもしれない。

 その訳は――。


「おい、桐勢。起きろ、客来てんぞ。もしもーし」


 僕はこのおやすみモードに入っている彼女を天変地異でも起きるんじゃないかってくらいに強く揺さぶって起こす。

 はあ、しんど。僕はお前の召し使いとかじゃあないぞ。わかってんの?

 呆れたような表情をして、溜め息を深く吐く。桐勢の口からは若干涎が垂れていた。

 汚ねぇ。本当、お前は幸せそうでいいなあ。その、幸せ成分を二割くらい僕に分けてほしいもんだ。

 僕は毛布を剥がし、無理矢理にでも桐勢を起こす。さあ、働け働け。


「……ん。あ、おはよう善君」

「ああ、おはようじゃないな。客、来てるぞ」


 眠たそうにそう言ってくる桐勢に対して、僕は冷静にシュババッとツッコミを入れつつ仕事をするように促す。

 コイツ、マイペースすぎやしないか。仮にもここ店でしかも営業中なんだろ? 職務怠慢もいいとこだ。

 僕は桐勢を睨みつけつつ、入口の方に急いで移動した。


「ああ、待たせちゃってごめんね! えーと、陸君! いやあ、ここ昼寝するには最高なんだよ~。どうぞ、どうぞ~上がって上がって~」


 桐勢は頭を掻くような仕草をし、男の子を部屋まで案内する。

 桐勢、お前口とか手の動作とか諸々のことがうるさいな。これのことをなんて言うんだろう、行動がうるさいって言うのか?

 僕は首を傾げながら、桐勢に黙々とついていく。

 なんか、僕ペットみたいだな。いやいや、違うぞ。僕はそんなことはないぞ。うん。

 誰に対してかはわからないが、僕は二、三度心の中でそう言い訳をする。

 言い訳していいわけ? はい、スベりましたね。なんだか、部屋が少し暑くなってきていたし、丁度いいだろう。

 僕は心の中で一人芝居をしつつ、男の子の方に目をやった。

 まあ、べつに至って普通の男の子だな。ただ、少し大人しそうな感じはするが。

 じろじろと見るのは癇に障るだろうと思ったので、僕はすぐ目を反らした。

「えと、陸君って言うのかー。お兄さんもお姉さんと陸君の二人と一緒にいても、いい?」

 僕はその男の子の方とは正反対の方を向き、そう言った。

 お客さんがこんな小さい男の子だからか、少し戸惑いがあるのかもしれない。おそらく、僕は自分より一回りも二回りも幼い相手に対してどう接したらいいのかわからないのだ。

 僕は僅かな緊張感を覚えると、右手で震えている左腕を抑えるようにして部屋の方へと進んでいく。


「べつに、いいよ」


 男の子は少しご機嫌斜めのような表情を僕に見せてそう言った。

 ごめん、まじでごめん。嫌なら嫌って言っていいんだぞ。

 僕は少し怯えているかのようにして、心の中でそう呟いた。

 近頃の子って大人びているんだな。はあ、僕は昭和の親父かよ。一応、これでも僕はこの子と同じ平成生まれだぞ。……まあ、もうすぐ平成は終わるんだけども。

 僕は苦々しい顔をしながら、溜め息混じりに心の中でそう呟いた。

 涼介とはこれは正反対な性格だな。少し、僕に似ているかもしれない。


「さあ、座って座って」


 桐勢が腰掛け椅子に座るよう僕と男の子に促す。

 どっこらせ。

 親父臭い台詞を心の中で呟きながら、僕は勢いよく腰を掛ける。それはもう、ジェットコースター並の速さで。

 さてさて、いったいどんな内容なのかと、話を正確に聞き取るため、真剣な眼差しで横にいる桐勢を見つめる。

 まあ、桐勢から見たら顔を顰めているようにしか見えないと思うが、それは置いておこう。べつに、さっきのことを根に持っているとかそういうことじゃないからな。これは、そう、疲れているだけなんだ。

 またまた言い訳をする。今まで生きてきた中で言い訳した回数をカウントしたら、世界一になれるのではないかってくらい僕は言い訳をしているような気がする。

 もしかして、僕って『言い訳』が趣味なんじゃないのか?


「陸君。ここからは本題だよ。お姉さんは……オススメしないんだけど、ね」


 なにやら言葉を濁らせて、段々と普段の桐勢の口調が消えていく。

 ここからは真面目な話、ということか。うん、最初から真面目にやろうよ。

 そうは思ったが、男の子の緊張を解すためでもあるのかな、とさっき思ったことを僕は少し撤回した。

 彼女なりの配慮なのかもな。


「お母さんにはちゃんと言った?」

「言っていない。でも。それでも、いいでしょ!?」


 桐勢がそう訊くと、男の子は彼女を責めるかのようにそう強く言葉を投げつけた。

 僕は驚いて男の子の方をチラッと見ると、男の子は今にも泣き出しそうなそんな顔をしていた。つまり、ここからわかることは、今日聞く話は辛くて重たい話だってことだ。

 僕は頭の中で今の状況を一つ一つ冷静に整理すると、先程練習をしていた作り笑いを浮かべて男の子を宥めるような体勢をとった。

 正直、僕はこういうことは苦手だ。媚び諂ったり、自分を騙して笑顔を作ったり、善人染みた真似をしたりして、道化を演じるなんて。

 でも、僕はこういうことをしなきゃいけないときだって何時かはくると思っていた。逃げられないと思っていた。だから、覚悟はしていたさ。さっきのが証拠だ。

 僕はゆっくりと深く息を吐き、自分に掛けられた重たくて複雑な呪縛を解きほぐすと、男の子に淡々とこう言った。


「落ち着け、落ち着け。ほら、幸せが逃げていっちゃうぞ」、と。

 だが、逆効果だったようで、僕は男の子にジロリと睨まれてしまった。

 そりゃそうか。なんの根拠もない言葉なんて、何故何故と知りたがる歳の子の前じゃ意味なんて成さねえしな。

 僕はすっかりと諦めムードになってしまい、トボトボと元の場所に戻った。

 この件に関して、何か口を出したりすることはしないようにしよう。

 僕はそう強く決心をした。


「ねえねえ。善君」


 そう決心をしたすぐそばから、桐勢が男の子に聞こえないように僕に耳打ちをしてきた。

 なんだか、こそばゆい。ぐっ、ダメだダメだ。負けるな、僕。……あっ、でもなんかいい。

 僕は少しニヤケ面……いや、だらしない顔になりながら、桐勢の方に耳を傾けた。

 うーん、これは人によってはご褒美みたいに感じる人もいるんだろうな。例えば、涼介とか。あと、涼介とか。

 僕はすかさず二度言って、しみじみと思った。

 スマンな、涼介。度々、本当な。いや、僕も毎回悪いとは思っているんだよ。二パーセントくらい。


「大丈夫、善君?」

「ん、ああ余裕余裕。余裕すぎてナスカの地上絵を作れちゃうくらいだ。続けて続けて」


 手でグッジョブと言っているかのようなサインを送ると、僕は再び桐勢の方に耳を傾けた。

 多分、このグッジョブは九割九分九厘、大丈夫じゃない。重症だ。

 僕は顔をパンパンと叩き、桐勢の話を静かに聞く。


「この子の家ね、母子家庭なのよ。それだけじゃなく、一ヶ月前に二歳年下の弟と一緒に遊んであげていた際に弟を交通事故で亡くしたらしいの。それを不注意だった自分のせいだと思い込んでしまっているらしくてね」

「…………」

「他にも、自分が邪魔なせいでお父さんとお母さんは離婚しちゃったんだ、とかこれまでの自分を相当責め込んでいるみたいでね」


 僕はそれらを聞いて、だいたいの状況を理解した。僕の顔はなんだか段々と曇っていっているような気がする。

 もし、僕がその立場だったらどうだったろうか。どうしていただろうか。

 ……泣き喚いていたと思う。そんなの、心が耐えきれなくなって、僕は下手をしたら自殺でもしていたんじゃないかと思う。

 僕ってちっぽけだったんだな。人間関係のいざこざ程度で悩んでいて。

 なのに、それなのに、僕はこんな小さな子に対して同情をすることしかできないなんて。同じもの同士だからと、情けを掛けること程度のことしかできないなんて。

 憐れんで人の気持ちがどうにかなるわけじゃないのに――救われるわけじゃないのに――。

 僕はハッと我に返ると、すぐに作り笑いを浮かべて桐勢の話に耳を傾ける。




「だから私はお願いされたの――『ぼくの記憶を全部消してほしい』ってね」




 僕はその言葉を聞くや否や、驚きのあまり桐勢の顔を二度見する。

 その理由は。


「待て、桐勢。ここは"記憶保存屋"のはずだろう。そんなこと、可能なのか? それに、記憶を消したとしてもすぐに他の物品とかで思い出したりしちゃうんじゃないのか?」

「しーっ、ちょっと声を小さくしてね」


 思わず興奮して声が大きくなっていた僕を、桐勢が片目でウインクをしながら人差し指で僕の口を抑えるかのようにして僕の口を閉じさせた。

 また、小悪魔の片鱗が見えている……。

 僕はそう心の中では呟くものの、声には出さなかった。




「記憶消去も可能だよ。思い出したりは……するかもしれないけどね……」




 桐勢は光の無いような目をすると、悲しそうな声色でそう言った。

 あんなにおちゃらけていた桐勢がこうも真面目な様子になっているなんて。

 僕はなんだか不気味な不穏さを何処からか犇々と感じ取った。

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