4.闇と光
「昨日は結局できなかったからな。今日はどうよ」
涼介は窓の方の夕焼けを見ながら言った。
丁度、夕焼けが涼介の頭付近で遮られて微々たるものだが眩しさが抑えられる。なんだか、太陽が笑っていたりでもするかのような、そんな日差しだ。明日もいい天気になりますように。
「カラオケか? ……悪い、用事があるんだ」
ふと、昨日の〝アレ〟を思い出す。
僕は〝記憶保存屋〟のことを知らなければいけないような気がして。
あんな現象を目の前で見せられると、僕は何故だか黙っていられなかった。
この気持ちはなんだろうか。やっぱり、好奇心? それとも、何か別のもの?
心がワクワクもしているし、ドキドキもしているし、ビクビクもしている。僕の心はかなり忙しなく動いているらしい。
「……そうか。まあ、無理にとは言わねえ。頑張れよ」
涼介は僕の方に顔を向き直し、残念そうにそう言った。
「頑張れよ」か。きっと、この誘いも励ましの意味なのかもしれない。なんだか、断るのは悪い気がする。
僕は涼介に対して、今までにないほどの罪悪感を心の隅に抱く。
贖罪か逃避か命乞いか、それともまた別の何かか。そんな誰かの言葉が遥か遠い遠い大空の向こうから聞こえてきたような気がした。
「じゃあな、涼介……」
ボソリと小さくそう言うと、ドアを静かに開けて教室を出た。
去り際に見えた涼介の瞳は、何処か悲しんでいるようなそんな瞳をしていたように思えた。色で表すとするなら、きっと紫とか紺とかグレーとか黒とか、そんな暗い色だ。
誰かのために感情移入して、悲しんで、労って。そういったことをしてくれる人間、僕は涼介の他に何人知っているだろうか。
そういう世界だったら良かったのに……。
僕がそういうことをできる人間だったら良かったのに……。
そういった人間、僕が今まで見てきた人間の中じゃ珍しいのだ。もしかしたら全人類の内、そういったことをできる人間なんて、一億分の一くらいの確率だったりするかもしれない。
僕は拳をギュッと力強く握りしめると、急ぎ足で廊下を歩き出す。
べつに、急いでいるわけではない。
人生なんて時間が限られているから、急いだ方が吉かもしれないと僕は思っている。だけど、それはべつに僕の主観的な理由付けであって、結局のところ何故急いでいるかは僕にはわからない。
理由は解明できやしないけれど、僕には後付けの明確でない造られた理由を生み出すことはできた。
そういうこと。そういうことなんだ。
大抵の物事は曖昧なことから始まっていたりする。
突然無性に悲しくなって叫びたくなったり、突然無性に苛立ちを覚えて物にあたってみたり。喧嘩だって失恋だって仲直りだって。
これらだってそうだ、多分。
僕は階段を下り生徒玄関へ向かう。急ぐ足を止めずに。
そうして階段を下りきったとき、ある人物に急に話しかけられる。
「……守宮。部活……入り直してみる気はないか? 結構、こっちもカツカツでな」
「……大山先生」
蚊の鳴くような声且つ吐き捨てるような感じでそうポツリと呟く。
元凶。この人こそが僕が部活を辞めようと思ったまず最初の理由なのだ。
「冗談言わないでくださいよ。僕には入り直す気なんて全くないですから」
アンタが顧問の部活なんて……。
「そうか。でも、これはお前のためを思って、だな」
嘘を吐け。そんなこと、これっぽっちも思ってねえくせに。
僕はアンタの部員に対する悪口と体罰スレスレの暴行紛いのことが原因で辞めようと思ったんだぞ?
バスケットボールやパイプ椅子を部員に当たらないギリギリのところを目掛けて投げて叱ったり、プレーとは関係ない面でどうのこうのと罵ったり。
そんなアンタが『僕のことを思って言っている』だと? よくもまあそんなことを平気で言えたもんだなあ。
僕のことを思ってなんかいなくて、ただ単に自分のクビがすっ飛ぶのが嫌なだけなんだろうが。
あの部はアンタが原因にもなっていて、今年だけでも僕含めて3人も辞めているからな。だから、こういう風に呼び戻してクビがすっ飛ばないようにしようとか、そんなことを企んでいるのが僕には丸分かりだ。
僕は様々なことを思い返し、段々と怒りと苛立ちが募り始め、なんだか気が狂いそうだった。
「……用がそれだけなら、僕はもう帰ります。僕の今の居場所はそこじゃありませんから」
そう言って苦虫を噛み潰したかのような顔でもすると、僕はすぐさまにその場から駆け出して、生徒玄関で靴に履き替え、外に出た。
辺りを見回すと、太陽がかなり下の方まで沈んでいたので視界が薄暗くなっていた。
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「うう、さぶさぶ。寒さが日に日に増しているな、これ」
そりゃそうか、もう冬なんだし。
〝記憶保存屋〟の表の扉の前で身を震わせながら佇んでそう言う。
中に入れば暖房かかっているだろうし、もうひと安心だな。
扉をゆっくりと開け、口から出そうな咳を堪えつつ大きく挨拶をした。
「おじゃまします」
喉の痒さで最後の方は若干掠れてしまってはいたが、多分誰が聞いても反応できるような声が出た。
うん、よしよし。挨拶は大事だからな。挨拶一つの有無で会話も違ってきたりするとかしないとかだかをどっかで聞いたことがあるような気もするし、な。
ウンウン、と頷きながら忍び足で前に進む。うん、僕は決して不審者なんかじゃないからね。
「……ああ、善君。いらっしゃい」
そう言って、奥の方からゆっくりと桐勢が歩いてくる。
桐勢は僕の顔を見るなり、ニヤリと笑った。また、あの小悪魔的な笑みを浮かべて。
僕の顔に何かゴミでもついているのだろうか。それならそうと、早く言ってほしいものだが。
可能性としてはそれに加えて、一、僕の顔がおかしいから、二、僕の顔がなんだか滑稽に思えておかしいから、三、僕の顔がとてつもなく悪人面に見えておかしいから、の三パターンあると思う。さあ、いったいどれだ!? こい、桐勢!
などと、敢えて自分のことを卑下して桐勢の出方を窺う。
自分でもさすがに自虐し過ぎなのではないかと思ってしまったが、初めから自分を下げることによってメンタルへのダメージを防げることがあるかもしれないので、僕は「まあ、いいや」と思った。
「大外れ。正解は『顔が少しにやけててなんだか怖い』だよ?」
なんだ、なんだ? 桐勢は僕の心の声が読めるのか? ……ああ、なるほど。僕の心の声が漏れ出ちゃっていたのか。うーん、辛辣ぅ~。だいたい合っていそうだし、ニアピン賞くらいくれたっていいのになあ。
僕は顔を若干引き攣らせながら、心の中でクドクドと彼女の愚痴を吐いた。
僕、なんか愚痴ばかり吐いているような気がする……。
「はあ、それは置いておいて。今日も見学させてもらうぞ」
図々しくて浅ましい感じはあるかもしれなかったが、気にせず僕は桐勢の両肩をポンッと叩いてそう言った。
ああ、やっぱり女の子なんだなあ。
両肩に手を置いたとき、桐勢の身体が僕の身体よりも全然華奢であることを感じさせられ、そんな感想がふわりと湧き出た。
うえっ。なんか、気持ち悪いな、僕。べつに、そういう如何わしいことを妄想するために手をポンッてしたわけじゃないなんだけどなあ。
そういったわけじゃないのに、心の中で言い訳をして余計に自分を追い詰めてしまうような状況を作ってしまう。
『ぼ、僕じゃない。僕はやっていないぞ!』などと言うと、余計に怪しまれてしまうアレと同じようなものだ。まあ、不審な行動はなるべくとらないほうが後々のことを考えるといいんだろうな。気をつけよ。
「許可が取れたらね」
桐勢はまたニヤリと笑った。悪巧みでも考えているかのように。
あっ、あっ、その笑顔。そんな笑顔をされると僕は桐勢の方を向いて話すのが恥ずかしすぎて悶えて苦しんで死んでしまうからやめてくれ。
それは心からのSOS信号だった。
辛辣死に悶え死にメンタルをこう、きゅーっとされる死に。こいつ、さては精神面攻撃特化型だな。
僕は心の中の自分に対して「何言ってんだコイツ」と心の中でバッサリと言った。
「で、今日のお客さんはおばあさん? おじいさん? それとも全く違う感じの人?」
近くにあった椅子に腰を掛け、面倒くさそうな口調で疑問を投げかける。
ご年配の方が多いのであれば、ここは介護施設のようなものだと決めつけてしまっても差し支えないだろう。単純に考えりゃ、記憶って人生を長く生きてきた人程多いわけだし。
僕は俯きながらそんなことを考えていた。
「うーん、そうね。今日はとても可愛らしいお客様なの。善君から見たらどう思うかは知らないけど」
可愛らしい? ……ああ、そうか、もしかしたら。
僕の頭の中で一つの結論に達する。
それは――。
お客さんは――犬とか猫とかペットの類いではなかろうか――。
人間だけじゃない。象やハムスター、あの百獣の王ライオンにだって記憶というものはあるはずだ。
ということは、「ペットの記憶を保存したい」なんてお願いをする人だっているのではないだろうか。
「それって、ズバリ飼い猫とかか?」
「いや、違うよ? 小さな男の子。八歳って言っていたかな」
あ、違うんだ……。
結構、自信満々に言ってしまったので、次第に自分の顔が赤くなっていっているのがなんとなくわかる。
恥ずかしい。恥ずかしいよぉ! 何、この罰ゲームをやらされている感は。
体温があまりにも上昇するので、頭がクラクラする。頭は多分これ、ショートしてんな。
心の中で冷静にそうは言うものの、顔に手を当てて慌てふためき、桐勢自体から目を背ける。
これ、黒歴史確定だな。完全に弄られるわ。
「善君面白いね。目が白目剥いているよ」
クスクスと笑いながら、僕の頬をツンツンする。
小悪魔だ。いいや、小悪魔じゃない。やっぱり、お前は悪魔だ。
僕は敵対心を剥き出しにして、心の中でそう呟いた。がるるるるるるるるるるっ。
「ま、お客さんが来るまでちょっと待っていてね。ここで自宅にいでもするかのように寛いでいなよ」
「え、ああ、うん」
「私も話し相手がいないと暇でね」
どうも、こいつといるとペースが乱れる気がする。どうしてだろう。
僕は桐勢の顔を凝視しながら、心の中で生まれた疑問について何度も何度も考え込んだ。
て、うん? 私『も』?
「僕はべつに暇じゃないぞ」
きっぱりとそう言った。
桐勢、僕が気づいていないうちにお前の感想に僕を巻き込むのをやめてくれ。
僕は「やれやれ」といった動作を見せると、溜め息を大きく吐いた。
「でも、本当は暇だ退屈だ、って思っているでしょー。私の目は誤魔化せないよ~」
「そんなことはない……はずだ」
僕は少し顔を赤らめながら、小さくそう呟いた。完全に否定できなかった自分が悔しかった。