3.幽霊って見たことありますか?
寒空の下、僕は俯きながらトボトボと通学路を歩いていた。
昨日一日のことを振り返ってみると、昨日はとても密度の濃い一日だったと思う。
涼介と高島にも謝らなくちゃいけない。あんな突拍子もない行動に出てしまったからな。
ハンカチを拾って届けてあげるのは確かに良い行いかもしれない。だけど、僕はあいつらがいる中であんな意味不明なことを言い、単独行動を起こしてしまったからな。これは、謝らなくちゃいけない。
仮に涼介と高島なら、「俺らも付き添うぜ」と、言っていたと思う。……なんか桐勢視点で想像すると、僕達、カツアゲだと思われて警察に通報されたりはしないか?
少し表情が強張る。ジャパニーズジョーク、怖いっ。
「……どうした、善? なんか、お前暗いぞ?」
聞き馴染んだ声が後ろからするので、振り返る。
「……涼介」
タイミングが良いとでも言うのだろうか。いやしかし、絶妙すぎてなんだか少し怖い。
涼介の顔を見て、罪悪感というものが段々と強まっていく。
そりゃ、そうだよな。
ハンカチ拾って届けに行くくらいで、時間なんてそんなに要しない。届けてからでもカラオケ屋なんて行けたはずだ。
「昨日はごめんな。その、僕から誘ったのに、結局、帰っちゃってさ」
「気にすんなよ。お前のことだし、なんか本当は帰らなきゃいけない理由があったのを思い出したりでもしたんだろ?」
理由があるかと訊かれたらあると思う。
姉さんの酒癖のことだ。正確には部活の件を姉さん含め、家族全員に伝えることだけど。
だけど、それは僕にとって急を要することでもなかった。更に言えば、そのとき、僕はそんなことを考えてもいなかった。
つまり、これは結局決定的な理由にならないのと同じことだ。
予感――何か予感がしたからだろうか?
「理由なんて、多分ないんだ。ごめん」
手のひらと手のひらを合わせて、再度謝る。
「おいおい、よせって。俺だって、理由もないのにときどき何かバックレたくなったりすることもあるし」
いや、多分お前の場合は面倒くさいからとか、そういった理由があると思う。
心の中でそうツッコミはするものの、言葉に出しはしなかった。
「ハンカチはちゃんとあの女の子に渡せたか?」
涼介がそう訊いてくるので、僕はその後のことまで事細かに返答しようとする。が、口に出す寸前のところで「これは口に出さない方がいいな」という強い決心が生まれたのだった。
マイナスのオーラを僕に向けてプンプンと放ってこられては、僕は参ってしまう。いくらこっちの出来事がプラスに働いていようが、マイナスの働きの方が大きいのであれば、感染されてこっちまでマイナスになってしまう。
昨日のがプラスの出来事かマイナスの出来事かは僕には判断できないけれども。
「……ああ、渡せたよ」
涼介の顔から目を反らしながら僕はそう言った。
言えない。涼介には絶対言えない。あの後、その女の子に頼んで女の子のやっている仕事を見学した、だなんて。
きっと、嫉妬心に支配されて涼介は深い深い闇底へと堕ちてしまうだろう。絶対言うなよ、僕。フリじゃないからな。
そんなこんなしている間に、学校に着いてしまった。
「…………」
急に何処からともなく疲労感と緊張感と何に対してかわからない焦りが全身に押し寄せてくる。テスト当日とか、そういうわけではないのに。
落ち着け、落ち着け。僕はどうせ空気なんだから。幽霊みたいな扱いなんだから。
そうだ、おまじない。気休め程度だろうけど、何も策がないよりかは幾分ましだ。
手のひらに米という字を書いてペロッと舐めようとするが、「あ、バイ菌とかウヨウヨといそうだしやめとくか」と、結局策を考える程度にとどまる。
「心配すんな、善。俺がいるだろ? いざとなったら俺を頼れ」
涼介が僕の肩に手を回し、僕にそう言ってくる。
ありがたい。ありがたいんだけどさ……ちょっと格好つけて言っていない? なんか、わざとらしいぞ。
そうツッコミはするものの、涼介の存在は僕にとってとてもありがたいものだと、素直に心から感謝をしていた。
生徒玄関で靴からスリッパに履き替えると、「ふう、このスリッパきつきつだな」と愚痴をこぼす。
ちょっと照れ臭く感じてしまったので、愚痴でその気持ちを相殺しようとした。ちなみに、スリッパに悪意はないと思うぞ、僕。
僕が愚痴をこぼした後、僕らはすぐそばの階段を使い、3階にある教室まで上った。
ガラガラ、と後ろのドアを開ける。少し建て付けが悪いため、この教室のドアはある程度力を入れる必要がある。
ドアを開け教室に入ると、すぐさま僕は涼介と別れて自分の席に座り、腕を枕代わりにして寝る体勢をとった。
正直言うと、この体勢は首や顔なんかが痛くなってとても苦しいのだが、慣れるとこの体勢でもぐっすりと寝られるようになる。
猫背になる原因かもしれないな、これ。
ふと、そんなことを思うと。
ぎゅるるるるる――。
急にお腹が。なんだ、まだ緊張感とかそういったものが残っているのか?
おかしい。治まらないぞ。
額に冷や汗をかき、頭の中がぐるぐると渦を巻いている自分がそこにいた。
お腹に効く薬、今度から常備しておくか……。
そう決心しながら、再び僕は眠りにつくのだった。このまま、放課後になるまで。
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キンコンカンコーン、とおそらく今日で何度目かのチャイムが校内に鳴り響く。
「ふわあ、もう放課後かな」
欠伸をしながら眠そうに小さくそう呟き、時計をチラリと見る。
……まだ、一時!? 昼飯……僕はずっと寝ている気だったから持ってきていないぞ。
普段なら寝て起きると放課後になっているのに、今日は起きるとまだ昼休みだったことに驚く。
教師に揺すり起こされていたりとかはないはずなのに。なんでだ、お腹空いてんのかな。
自分のお腹の空き具合を確認する。
うん、空いてねーや。あ、てか、もう一回寝ればいいだけの話か。首がちと痛いけど、まあこのくらいなら我慢できるか。
寝惚けている頭をまたスリープ状態に移行し、すやすやと眠る。
おやすみなさい。
「……おい、守宮」
寝ようとしたとき、見知らぬ誰かに話しかけられる。
なんだ、僕は今にもぶっ倒れるんじゃないかってくらい眠いんだぞ。年三百六十五日くらい。
「しょうがねえなあ、どっこいしょ」と、いった感じで身体を起こし、目を擦りながら自分の名前を呼んだ相手の方を向く。
「えと、お前は誰? 石油王なら握手しようぜ」
この様子じゃ石油王じゃないだろうな、やれやれ。
そう、溜め息を吐くかのように心の中で呟く。僕の中では今、ジャパニーズセキユオウジョークが大流行中だ。
「同じクラスの鈴木だよ。お前、同じクラスのヤツくらい、顔覚えろや! 喧嘩売ってんのか、ああ!?」
「ああ、そいつはすまない。悪かった」
なにせ、僕はあまり人と関わりたくないからな。その影響でクラスの人の顔なんか、涼介くらいしかわからない。
顔を覚えようとしていなかったことと、なんとかセキユオウジョークとかいう寒いギャグを友達でもない人に繰り広げたことに関して、僕が悪いと素直に謝った。
だけど、次のヤツの言葉で僕はその謝罪を取り消したい、そう思った。
「なんで、お前みたいなヤツが学校来てんだよ。……死ねばいいのに」
心に突き刺さって、そのまま心が抉り取られたかのような、そんな心情だった。
やっぱり。やっぱり、広まっていたのか。
「聞いたぜ。お前、三年の先輩達をボコボコに殴り飛ばしたらしいよな。おまけにマネージャーまで。そんな野蛮人がなんでのうのうと生活してんだ、ああ?」
「ねえ、やめなよ鈴木……」
周りにいた人がヒソヒソとコイツを止めるように言う。きっと、僕のことは腫れ物扱いなのだろう。
違う。僕は殴り飛ばしていない。違う、違うんだ。
ハメられたんだ――アイツらに――。
実際にはこうだ。
僕の悪口だけでなく僕の家族の悪口までアイツらに言われたんだ。
姉さんがアレソレしているとか、そんな、そんなことを……。
だから、僕は当然怒っていた。心の中では怒り狂っていた。
もう頭にきて、「デタラメ言うんじゃねえ!」と叫ぶと僕はアイツらの内、一人の腕を掴みかかろうとしていた。
が、その前に僕はボコボコに殴り飛ばされたのだ。僕が殴り飛ばされたのだ。
マネージャーは誰かに殴られてすらいない。……アイツらがきっと適当な噂をぶっこいたのだろう。もしかしたら、彼女とアイツらはグルだった可能性だってあったり……する。
そんな状況下の中で、幸いにもその事実を信じてくれた人がいる。
それが、涼介と高島だった。
ちなみに、部長や三隅君等の他の部員は関係してはいないと思う。
彼らの内の大半は噂を信じて、僕を奇異な目で見て除け者にしてはいたが。
この件に関しては、もう……考えたくもない。どうやって噂が広まったのか、とか。もう、どうだっていい。
「言葉で僕を殴っていたぶろうとしているヤツが僕を野蛮人扱いしないでくれよ……!」
僕は涙をタラタラと垂らしながらそう叫ぶと、再び寝る体勢をとって、周りの有象無象共の雑音をシャットした。
幽霊とは空気であるということではない。
幽霊には人に恐怖心を与える力が備わっているのだから――。
それから僕は放課後になるまでずっと起きることはなかった。
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「……善、起きろ。もう放課後だ。いや、いい夕焼けだなー」
涼介が僕の肩をトントンと叩いてそう言うので、僕はムクリと起きて自分の今の状態を確認する。
確認してみると、既に涙はひいていたが、心にはぽっかりと穴が空いているような状態だった。
僕の顔は今どんな顔をしているだろうか。悲しい顔だろうか。苦しい顔だろうか。寂しい顔だろうか。
僕は涼介に背を向けてじっと床を見つめ、そんなことを考えていた。
「ごめんな、善。庇ってやれなくて。でも、俺、鈴木には言っておいたからさ。『アイツはそんな薄汚れた人間なんかじゃねえ! 俺の良き親友だ!』ってね」
涼介のその言葉を聞いて、僕はまた涙が零れ落ちそうになった。
「……ありがとうな。涼介」
僕は涼介にお礼を言うと、今にも泣き崩れそうな顔に喝を入れてゆっくりと立ち上がった。
僕は――お前みたいな親友を持てて最高だ――。
心からそう思った。