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終.偽善者幽霊と小悪魔彼女

 十二月二十五日。

 この街に雪が降る。ぬちゃぬちゃとした、粘着質な雪だ。

 僕はそんな悪天候の中、人混みを掻き分けて〝記憶保存屋〟へと急いでいた。

 寒さはやっぱりしんどくて、風が吹き荒れると、身体が氷漬けになってしまいそうなくらいだ。

 僕は体温が低下していっている様子を肌身で感じ取ると、身を丸めて曲がり角をくるりと軽快な動作で右に曲がっていった。

 そうして、暫くして〝記憶保存屋〟へと到着すると、寒さから身を守るかのようにしてすぐに中に入る。中はいつものように暖房が効いていて、外とは大違いの暖かさだった。

 それから、ふと僕は昨日受けた身の毛のよだつ罰ゲームを思い返してぶるりと身体を竦ませると、ブンブンと頭を振って部屋の中に入る。

 くそぅ。もう少しで涼介には勝てたんだけどなぁ。そしたら、罰ゲームも回避できたしなぁ。まあ、高島の上手さは別格なんだけども。

 そんな風に悔しそうに思っていると、目の前に桐勢じゃない人物がいたために驚いてすっ転ぶ。


「あれ、美咲さん」

「よう、善。また邪魔しに来たわ」


 僕はそのまま彼女を見上げるような体勢で数秒固まっていると、彼女に仰々しく笑われた。

 わかってはいるさ。反応がここまでヘンテコな様であるのだから。

 眉をピクリと動かしながら自分を貶めるようなことを思っていると、ドアをガチャリと開けて桐勢がやって来る。見ると、かなりラフな格好をしていた。


「いらっしゃい、善君」

「ど、どうも……」


 桐勢が今のこのおかしな体勢になっている僕を見ながら一言入れるので、僕は慌てて立ち上がる。

 オドオドしすぎていて、余計におかしさが極まっているだろう。ハハハ、まあ、こんなときもあるさ。

 と、地味目な様子で自分に言い聞かせて、痴態を自分の心の中だけでも揉み消そうとする。

 気にすんな。人生の中で恥ずかしいと思うことをする場面なんてまだまだたくさんあるんだ。

 僕は更に自分に言い聞かせて精神の均衡を保つと、テーブルの上に置かれていたお菓子をひょいと取って、腹立たしげに食べる。

 早食いをしているのと変わらないスピードで食べていたので、菓子が喉に詰まりそうになってゴホゴホと音を立てて噎せた。

 ああ、これこれ。これが母さんによく言われる『落ち着きがない』ってやつだ。


「で、美咲さんは今日は何しに来たのさ」

「いや、特に何も。何も無さすぎるからここに来た」

「なんだよ、それ」


 彼女の返答が意味不明だったために、僕はプッと笑いが勢いよく口から漏れそうになったが、それを咄嗟に手で塞いで堪える。

 なんだか、アイマスクの代わりにサングラスをしながらロボットを操縦して福笑いをしているかのような破天荒な感じがするが、それが面白くて良い。


「あっ、そうだ。旅の話でもしようか?」

「旅の話?」


 唐突に彼女から話題を振られるので、その話題について思わず訊き返す。

 旅、とは。いや、旅の意味自体は知っている。わからないのは、何故いきなり旅の話をしようと思ったのか、ということだ。

 旅行……正直言うとうちは家族旅行とかそんなにしないし、涼介達とはそもそも旅行に行ったことがない。だから、その話自体は普通に興味を惹かれる内容ではあるのだが。旅の話……旅の話ねえ……。

 と、僕は何故だか納得がいかないような顔をして、考える素振りを見せる。

 それはとても神妙な顔をして。そして、顔にシワを寄せつけて、考える。

 旅、旅。旅といったらまず真っ先に思いついたのは温泉かな。こう、湯気が立ち上ぼって、少し硫黄のニオイがして、それで……。

 段々と考えていくうちに、如何わしい妄想が浮かび上がってきたので、すっぱりと妄想を終了させる。男なんだもの、仕方がない。


「そう、ぶっちゃけると、それが原因でいなくなっていたのもあるかな。世界各地を点々と移動していたから」

「ああ、突然姿を現さなくなったのって、そんな自由気ままな理由だったんだ……」


 彼女らしいや、と僕は思うと額に手のひらを乗せて「あちゃー、こりゃあ一本取られた」という感じの声が出そうなポーズをとる。楽しそうに。そして、嬉しそうに。

 心は和んでいた。


「まあ、後でゆっくりと聞かせてもらうよ。今日はちょっとやることがあるから」

「やること?」

「ええ。僕にもこの店を手伝えることがあるんじゃないかと思って」


 そうやって僕は物柔らかに言うと、肩に下げていたある程度の大きさのショルダーバッグからノートパソコンを取り出した。

 このノートパソコンは多少古くて貧相なスペックではあるが、ちゃんと動くし、僕が今からやることに関しては支障がないので、差し支えない。

 ディスプレイにゴミや埃が軽く付着していたので、クリーナーを取り出してそれで拭いて綺麗にすると、電源を点け始める。

 起動時に結構な音と熱が漏れるのは気になることだが、燃費が悪いのでしょうがない。だって、これは僕が中学生の頃に買ってもらったパソコンなのだから。

 まあ、自分はパソコンを持っているとは言えど、僕はさして使わないので結局のところ持っている意味がないのだと自覚をしてはいるのだが。

 でも、そんな物であっても、今だけは僕にとって役に立つものに変わるのであった。


「パソコン? それで何をするんだい?」

「看板を作るんだ。まあ、看板とは言っても、掲げたりするわけじゃなくてチラシとかホームページとか、そんなものになるだろうけど」


 僕は彼女に説明をすると、黙々と作業の方を進める。

 桐勢には昨日の帰り際に、その旨を伝えておいて許可を取ってあるので、何も心配することはなかった。これが桐勢の手助けになってくれればいいのだが。

 さて、文面はどうしようか。柄とかも決める必要がある。デザインは凝ろう。フォントはどうしようか。写真を入れてみたりするか?

 等々と、いろいろと思考を働かせて、キーボードをカチャカチャと素早く叩いていく。指先が吸いつくようにちゃんとそれに適応できていて、気持ちがいい。

 暫くして、僕は一つアイディアを思いつく。

 そうだ、イラストを入れてみたりするか。

 そう考えた僕はショルダーバッグから先が潰れた鉛筆とスケッチブックを取り出して、何かを描き始める。


「何々、どうしたの? 何を描いているの?」

「ああ、ここはあたたかみのある場所だと思ったからさ、手描きでここの姿を描こうと思って。……つまり、今までここで触れ合ってきた人の優しさとかそういうのを描いているんだ」

「ふーん、そうなんだ。善君は絵を描くのが上手いんだね」

「お前ほどじゃないけどな。この絵は家に帰ったらスキャナーに取り込んで貼るから、看板は明日まで待っていてくれ。楽しみにしていろよ」

「うんうん」


 そんなやり取りを桐勢と行うと、すぐにまた黙々と鉛筆をキャンバスに走らせる。男らしく雑ではあったが、その絵は次第に形が出来上がっていく。そして一時間後、漸く。


「できた!」


 僕は感動したような声を出して、伸びをする。

 早くこれを看板に付け足したい。

 そんなワクワク感を胸の内にしまい込むと、また再びキーボードをカタカタと打ち込んでいった。命を吹き込んでいくかのように、それは生気に溢れていて。

 さて、文面の最後はどうしようか。格好よく、ド派手にいくか? それとも、華やかに締めるか?

 僕は既にほぼ完成しかけた状態で、書き連ねた文面を凝視して考え込む。

 それは当然ではあるだろう。『終わり良ければ全て良し』とかって言葉があるくらい、最後の部分というものは重要であるものだから。

 僕はキーボードの上で指と指をくいくいと回しながら、悩み、悩んで、考えを巡らせる。

 うーん、どう締めるのが綺麗なのだろうか。


「…………」


 暫く考え込んでいると、何かを閃いたかのように桐勢の顔を見て、クスクスと笑う。

 べつに、これはおかしいわけではないのだ。

 カタカタカタ、カチャカチャカチャ、と音を立ててどんどん文字を打ち込んでいくと、やがてその指の素早い動きはピタリと止まった。そう、ついに完成したのだ。


「よっし、これでいいかな~」

「おっ、どれどれ~このお姉さんに見せてみなさい」

「善君、私にも見せて」


 僕ができあがったことを身体を使って表現していると、二人がこちらを覗き込みにくるかのようにして近づいてきたので、慌ててノートパソコンを閉じる。

 おっと、まだ早い早い。そして、これは読み返してみると、意外に恥ずかしいんだ。

 そんなことを思いながら、二人から隠れるようにして文面を保存するとすぐにショルダーバッグの中へとそのノートパソコンをしまった。

 まさか、僕がこんなことを書くとはな。

 僕は照れ臭そうにしてクスリとまた笑うと、顔を上げてしみじみとした気持ちで部屋を眺め始めた。

 ちなみに、僕はその文面の最後にこう書いたのだ。




『偽善者なら偽善者らしく。

 小悪魔なら小悪魔らしく。


 楽しかったことや嬉しかったことも。

 苦しかったことや寂しかったことも。

 笑って誤魔化したかったときや泣いて助けが欲しかったときも。


 これからを生きるあなたのために――。


 大切な大切なあなたの思い出、記憶保存させていただきます。』と。




 僕は相変わらず奇異な目で見られているけれど。

 桐勢の心の穢れを未だに洗い流せてやしないけれど。

 少しずつ問題を解決していこう。少しずつ進歩していこう。そして、いつかはきっと勇気が湧いて出てくるはずさ。

 小悪魔な彼女と偽善者で幽霊のような僕。そんな二人だったとしてもだ。

 僕は視線を桐勢の方へまた注げると、少し虚ろがかっていてぼんやりとした状態で微笑んだ。


「善君、随分嬉しそうだねぇ」


 と、桐勢がニヤニヤとした笑みを浮かべて僕をからかうので、僕はうりうりと彼女の頬っぺたを突っついた。……柔らかい。


「そうだな。なんでだろうな」


 僕は突っついていた指を止めると、余韻を残すようにしんとした感じでそう呟いた。

 そして、少し間を置いて。


「ありがとうな、桐勢。その、いろいろと。……あのさ、桐勢……僕はいつの間にかお前……いや、桐勢のことが好きになっていたんだ。僕は不器用でしょうもないヤツだけどさ、これからも隣にいていいか?」


 と、僕は唐突に小さく小さく誰の耳にも届かないくらいの声で呟いた。

 その言葉が桐勢の耳に届いたのか、それとも届かなかったのかは言わないでおこう。




 ――『小悪魔彼女と偽善者幽霊のダイナマイト』――


 おわり。

※ご閲覧いただき、ありがとうございます。『小悪魔彼女と偽善者幽霊のダイナマイト』は、この話を持ちまして完結致しました。番外編やイラストはいずれ追加するかもしれません。


それでは、また何処かで。

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