19.十六ビットなお姉さんとミクロな埃とノーコメントな本題
考えてみても、わからないものはわからない。何も、わからない。
僕は頻りにそう思った。
知らないことを頭の中から生み出すことなど到底できないということは既に山程経験してきたからなのだろう。
ただ、考えを生み出すことはできなくても、周囲の事柄、あるいは言質などからヒントを得て、考えを作り上げることはできる。
場を繋ぐために、嘘をでっち上げることだってこの例に入るのではないだろうか。
嘘を作れるなら、また、真実だって作れるだろう。ただの憶測ではあるが。
ならば、彼女の今までの発言を元にして推理をしてみよう。もしかしたら、名前が付けられていない理由の手掛かりになるかもしれない。
ヒントは意外と身近で拍子抜けする箇所に隠れ潜んでいたりする。
しかし、近くにあるというのに、これが意外と見つけることが難しいのだ。
目を凝らして集中力を研ぎ澄ませても案外見つからないので、これは間違い探しのようなものをしているのではないか、という思考に至ったりもする。そういった感覚になったりもする。
探す方法を工夫しろ。ヒントを炙り出せ。
僕はそう自分に言い聞かせ、頭に片手を乗せて、まるで頭を掴んで握り潰してしまうんじゃないか、というような自傷的なポーズを取ると、堅苦しくて難しげな表情をして唸った。
べつに、そこまで全力で答えを見つける場面でも必要があるわけでもないのだが、どうしても僕が自分で見つけなければ、といったよくわかりもしない積極性が僕の心中に邪魔をしてくる。
ノイズだ。雑音だ。これは、僕の心の焦りを煽っているのだ。
そう、悩ましげな表情で髪をわさわさと弄くると、やがて見ているだけで酷いと思わせるくらいの激しい歯軋りを何度も行う。
何か、闘争心を燃やしているかのような、そんな熱くて重量感のある根性や意地でできたオーラが、外部にゾワリゾワリと流れ出ていっているようなそんな感覚がする。幻覚が見える。
どうして、僕はこんなにも必死なのだろうか。
どうして、僕はこんなにも苛まれているのだろうか。
僕には知る由もない。
考えている最中に別の方へと考えを脱線させてはいけないので、僕はここらあたりでその正体不明なものをプツリと切り捨てて、考えを元の方へと戻す。
先が見えていないのに、わざわざ道をがらりと変えて迷子になりに行く必要はない。先見の明など持ち合わせていないのだから。
そう言葉に皮肉を込めて、自分の無力さを痛感しつつ、思考力の鈍りを補わせる。
携えるべきは先を照らす灯火か、それとも自分の過去を映し出す鏡か。
そんな、誰かから聞いたことのあるような幼さ溢れる問答を心でして、自分を奮い立たせる。自分に自信を持たせる。
そうして、暫くして、漸く。
あ、これなんじゃないか――多分。
と、何かを閃く。
しかし、自分のその考えは、思ったより彼女の言葉からの抽出はされていない。だから、僕はこれで合っているのだろうか、と軽く悩む。
まあ、それでも、よくよく冷静に思考してみると、外したところで人が死ぬとかそういう残虐的で殺戮的な場面でもないので、僕はさして緊張もせずに彼女に一つ問う。さっきまでの状態がまるで嘘かのように。
「うーんと、考えてみたんだけどさ、美咲さん。さっきの話の最中に手掛かりになるものってあった?」
「えっ、ないよ? まさか、なんかヒントでも隠しているんじゃないか、なんて思ったの?」
「ああ、うん。やっぱり適当に出したんだと思った」
呆気ない様子で彼女が僕の問いに答えるので、僕は呆れた声色で多少疲れたように言葉を返した。
ああ、そうだよなぁ。この人、昔からがさつで適当で自由奔放で気ままで理不尽なんだもんなぁ。真面目に考える必要なんてハナッからないわ。
僕はもうどうでもいいや、といった投げやりな気持ちになると、肩をガクリと落とした。それは、まるでコントをしているかのように。
ギャグ漫画だと、これは起承転結の結だな。日常でここまで起承転結を綺麗に見ることができるなんて、とても珍しいんじゃないか?
と、僕は何故だか少し感心したかのように疑問を浮かべると、フッと嘲った。ああ、もちろん心の中で。
少し気持ちが乱れてしまうのは、やっぱり不思議に思ったけれど、やっぱりやっぱり懐かしくて狂おしくて、そして、ちょびっとだけ嬉しい。
昔の会話は、現在でも生き続けていたなんて。そう思うと、僕はなんだか笑わずにはいられない。
僕はすぐにクスクスと笑うと、じわじわとまた新たな笑みが込み上げてくるので、それを抑えるために無理矢理顔を彼女から背けた。
涼介と高島の二人はそれを見て二人して顔を見合わせて困惑した表情をすると、僕と同じようにして、一緒にクスリと顔を綻ばせた。
「みんなして変な顔をしていないで、早く答えてくれよ……。私の脳の記憶容量が十六ビットくらいしかないから、すぐに忘れちゃいそうになる」
「あ、ごめんごめん」
彼女が困った顔でそう言うので、僕は半ば面白がって詫びを入れる。
彼女がそんな表情を見せるのは珍しいからだろうか。多分、それで思わず口が動いてしまったのだろう。そう思う。
それよりも、十六ビットって……。
僕は彼女の発言に対して、もっと言い回しがなかったのだろうか、と目を細めながら思う。わりかし、彼女の言い回しは何処か古い。古めかしい。
これが歳の差というやつなのだろうか、と一瞬考えてしまったが、それでも彼女の歳の割りにはやはり古臭い言い回しだと思う。
彼女は昔からそうなのだが、雑なくせに少し昭和のニオイがするのだ。昭和のニオイ、というよりかは昭和っぽい雰囲気、といった方が正確だろうけども。
「ええと、なんだっけ。ああ、なんでこの店に正式な名前が付けられていないか、だっけ。えっと、それは多分だけど、なんかお祖父さんと約束でもしたんじゃないのか?」
「まあ、大きな括りではあるけど、合っていると思うよ」
僕がそう答えると、彼女は僕の目をじっと見てからニコリと微笑んで頷いた。
ここだけ切り取ってみれば『お姉さん』と誰が見ても言われるくらいの姿形をしているのになぁ。なんというか、男勝りなところがイメージを引っ張られるというか。
まあ、媚び媚びしているよりは、こっちの方が僕にとっては遥かに良いけれどもね。
僕はそんなことを思うと、ふう、と小さく息を吐いた。
おそらくではあるが、この所作には呆れと仕方なさと嬉しさと楽しさと疲れなどのいろいろなものが混じりあった結果故のものなのだと思う。混じりあってごちゃごちゃになっているくせに、なんだか心はクリーンな気持ちになっていた。散らかされているはずなのに、綺麗になっていたという辻褄の合わない相反した状態になっているのだ。
つまり、これはアレってやつだ。また、心に矛盾が生じているのだ。
僕がそれを理解した途端、頭の中にモヤモヤとした霞が発生したので、一頻りにそれを取っ払おうとする。
おいおい、さっきまでの僕のクリーンな気持ちは何処へ行ってしまったのやら。
「椚ちゃんは本当なら私ん家に住まわせる予定だったんだけどね。その約束もあるし、なにより、椚ちゃん自身がここでいいと言ったからね。本人の意思を否定するのも無遠慮な気がするし、私はそのことに関して、深くは突っ込まなかったよ」
「なるほどね。その、さ。話しづらいことを話させてしまったかもしれない。ゴメン。桐勢にも、ゴメン」
僕は深々と頭を下げて二人に謝罪をする。
たとえ、これが偽善的な行為だとわかっていたとしても、多分僕は同じことをしていただろう。
そうしなきゃ、悪い気がして。
これが善い行いでこれが悪い行いだ、とかなんて客観的に決められていて誰にも判断なんてつかないのかもしれないけれど、とりあえず今は、自分がしなければいけないと思っている行動をただするだけだ。
顔を上げて、僕がそんなことを考えている間に、宙に舞っているギリギリ視認することができる程度の埃が僕の上腕部にペタリとくっつく瞬間を垣間見る。
それは、ミクロ単位だかあるいはミリ単位だかは僕にはわからないが、まあ、そんな言葉が思いつくほどには小さい。
そんな極々微小な埃が見えてしまうほど、今は視界が良好なようだ。いや、これは僕の視力が超人的だったとかなのか? まあ、それはいいか。
とにかく、それほど、多分今は目や耳、口、手、足、といった身体全身に力を込めていたのだと思う。身体が強張るほど、真剣に話を聞いていたのかもしれないな。
「よし、じゃあもういろいろと打ち明けたことだし、ようやっとって感じだけど、本題に移ろうか」
「……は? 本題?」
「ああ、本題だよ。それも今日一日の中で一番重要なことになるだろうね。だから、私がここに来たわけだし」
「それって……なんだよ」
唐突に神妙な顔をして彼女が意味不明なことを言い出すので、僕は不快そうな目つきをしながら不思議そうに訊き返す。
本題、と言われてもなぁ。いや、そうか。元々はそれをするためにここに来たわけで、べつに僕にここにいる理由を教えに来たってわけじゃないだろうから。
僕は少し前の出来事を思い出して、やっと彼女の言っていることを納得し始める。
なんか、彼女の行動を邪魔してしまったような気がして、さらに罪悪感を感じてしまう。
いや、何を今更。しちゃったもんはしょうがない。
と、僕は開き直って真剣に彼女の目を見据えると、ゴクリ、と口の中に溜まっていた唾を飲み込んで、意を決したような表情をする。
無粋というか、野暮ったいというか、なんだろうな、僕の心はわからず屋なんだろうなぁ。開き直ったはずなのに、ダメだ、と言わんばかりにまた罪悪感が溢れ出てきてしまう。
「えっと、それはねぇ――お茶をしに来たんだよ」
「ああー……うん。うんうん。そっか」
彼女から出たその所謂『本題』とかいうものが、覚悟する必要もないくらいどうでもいいことだったので、僕はぽかーんとした表情で適当に返事を返した。
僕の、その、僕のその罪悪感とかそういったものを全部返してくれ。
と、思わず、そんな言葉が僕の口から出るところだった。
脱け殻状態になったり、怒ったりと、僕の心はどうやら忙しいらしい。
「ちょっと、湯を沸かしてくるからそこで座って待っていなよ」
彼女はそう言うと、部屋を離れて何処かへと消えてしまったので、僕らはその言葉に甘えて、茫然とした表情でそこで静かに待っていた。
なんだ、このコメントのしようがないほどに困ってしまう『本題』は……。




