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18.見つけた居場所

「まず、最初に。ここは〝記憶保存屋〟と名乗っているけれど、正確には――〝記憶保存屋〟――って名前の店じゃないんだ」




 そう、彼女は今の状況にはそぐわない冷笑をしているような顔をして、僕に囁きかけるように言う。それは、ミステリアスで、濁っていて、ダークサイドに陥ってしまうような、強烈な威圧感と身体が爛れていってしまうようなゾワゾワとくる恐怖を感じる。心を見透かされているような不気味さを感じる。

 おぞましい、とでも言うのだろうか。今までに感じたことのない、恐怖だ。

 話を戻して、確か桐勢は前にこんなことを言っていた。『この店にはまだ名前はない』と。この言葉はもしかすると、これに関連してくるのではないだろうか。

 名前がない、から僕らは仮に〝記憶保存屋〟と呼んでいたけれど、名前があるのならそっちで呼んだ方がいいのだろう。

 と、僕は喉元の思わず心根が翻ってしまうような支配感と怯えて身体が竦んでいってしまうような邪悪さを堪え、なんとかその考えを捻り出す。

 倒れるな。得体の知れない気持ち悪さに惑わされるな。僕の目の前に、悪は存在しないのだから。

 僕は必死になって自分の気持ちを落ち着かせようとする。

 べつに、体調が悪いとか、そういうわけではないはずなのに。何かが起こる予兆だとでも言うのだろうか。


「ここは、元々私の祖父が経営していた洋品店……まあ、簡単に言っちゃうと、服屋だったんだよ」

「だった、ですか」


 彼女の言葉から真相を考察するかのように、僕は言葉の重要そうな部分を訊ねる。上手く言葉を発せる自信はなかったが、なんとか声を絞り出すことができた。

 今は継ぎ接ぎな考えでさえも出せるか出せないか、といったような思考状態なんだ。これだけでも言えれば、上々だ。簡潔な言葉を伝えることさえできれば上々なんだ。

 僕は身体の震えを取っ払うかのようにして、力強く自分にそう言い聞かせ、思考をコントロールする。

 人の言葉の威圧感に支配されて気持ちが騙されそうになるのなら、自分が自分の気持ちを支配して、心を穏やかにさせればいい。

 と、僕は頭の中で逆説的な考えを巡らせ、心の中に忍び込んだ邪を葬り去る。

 そうだ。僕は何を怯えているんだ。彼女はべつに威圧感を発して僕を困らせようとしているわけじゃない。

 僕が勝手に威圧感を作っているだけなんだ。そうさ、僕が勝手に怖がっているだけなんだ。

 と、漸く僕は今の状況を冷静に整理する。

 多分、僕がこんな気持ちになってしまっているのは、今までの桐勢の反応を鑑みて、良くない言葉が待ち構えているに違いないだろうと思ってしまっているからなのであろう。予兆とはこのことなのだろうか。なあ、僕。そういうことなのか?


「うん、だった。でも、あるとき祖父は体調を崩してしまってね。それにもう、歳だからって言うんで、店仕舞いをしてここの土地を売っ払ってしまおう、という意見が出たんだよ」


 彼女の言葉に続いて、僕はなるほどといった顔をして微かに頷く。

 だがしかし、そこから何故この〝記憶保存屋〟という店に辿り着いたのかがまだわからない。

 まあ、言ってしまえばこの〝記憶保存屋〟というものは、桐勢がいなければ成り立たない店であるのだが、そこからどうやって桐勢と知り合ったのか、という経緯がまだわからない。

 従姉妹とかそういった感じだったりでもしたのだろうか。先の言葉が気になる。気になりすぎる。

 そう、僕は彼女の次の言葉を静かに待っていたのだが、一向に彼女の口から次の言葉が出てこない。

 どうしたというのだろうか。何か、人前には決して話せないようなことでもあったというのだろうか。

 彼女は顔を硬直させ、苦悩しているかのような目をして俯き、やがて桐勢の方をちらりと見てから僕の方へと向き直し、柔らかい声音で一つ二つと言葉を発する。


「……やっぱり、この話はやめようか。していて、あまり気持ちのいい話じゃない」


 彼女は僕に寂しそうな笑顔を見せて話を唐突に切ると、彼女はコホン、と一つ軽く咳をした。

 僕は察しがよかったらしく、どうやら何かが起こる予兆というものを見事に的中させてしまったらしい。

 場に流れて漂っている重たい空気、暗い感情、おどろおどろしい雰囲気。それらの影響でからか、僕らは沈黙した状態でただただ時間だけが刻々と過ぎて行く。

 幾度も幾度も場の雰囲気を改めようと何か言葉を口に出す機会を窺ってはみるものの、その言葉が思いつかない。頭が思いつこうとしてくれない。

 なんだろう、アウェー感というか、この刺々しい気持ちは。

 痛くて辛くて苦くて酸っぱくて。素材をごちゃ混ぜにしたゲテモノ料理を食べているかのような、そんな気分は。そんな心の状態は。

 僕が眉を顰めてこの心の鈍痛を耐え忍んでいる間に、桐勢が次の言葉へ繋げるようにして話を切り出す。


「……続けてください」


 桐勢のその声はとても小さくて静かで落ち着いている感じではあったが、何処か殺意のようなそんな狂気じみていて力強い感情が内に込められているかのように思えた。

 それは、そう、まるで覚悟を決めでもしたかのような、そんな感じで。

 圧迫感というと、また違うかもしれない。戦慄く感じなどはこれっぽっちもない。

 だが、明らかに普段とは違うこの険しさ。それが存分に僕の心にまで伝わってくる。


「……じゃあ、濁し濁しでとばしながら話すよ」


 桐勢のその言葉を聞いて、愕然とした表情で彼女は桐勢をじっと見つめると、やがて決心がついたのか、ため息を吐き出して、また静かにゆっくりゆっくりと語っていくように話していく。これから謎を一つずつつまびらかに明かしていくかのような、そんな語り口調で染み入るように。

 ただし、内容は大雑把で事細かに話しているわけではない。

 内容の精密さなど、ここにいる僕らは求めているわけではないから、べつに僕らは不満なんて抱きはしないさ。むしろ、不満なんて抱いたら失礼だし、迷惑な話だ。

 誰だって、暗い過去の話を自分から話すのは勇気がいるし嫌なはずだ。それは、ここにいる誰もが弁えている。知っている。理解している。心得ている。

 だって、僕らは全員似たような光景をつい最近この目でちゃんと見て経験しているんだから。

 退部、失恋、凄惨な過去。つまり、これは既視感によって知り得ているのだ。


「ええっと、そんで、あるとき椚ちゃんと出会ってね。出会ったときの椚ちゃんの格好は、見ただけで恐怖心とそれから同情心が湧き上がってくるくらい身体や衣服がズタボロになっていたんだ。そりゃ、もうみすぼらしいの一言で済ませられないほどの酷い格好だった」

「…………」


 僕は彼女のその話を聞きながら、言葉の一つずつを噛み締めて、同情という悲しみで心を押し殺すかのようなそんな気持ちに押し潰されてしまわないように、左手で胸を押さえつける。

 他人事なのに、心が苦しい。

 僕は不憫に思いながら、自分の心を徐々に締め上げていく。勝手に締め上げられていく。

 他人のことでここまで心が痛くなるなんて。ここまで心が辛くなるなんて。

 いや、前々から他人事なのに心を痛めてはいた。気づいてもいた。

 だけど、きっと僕は臆病者だから自分が何をしたらいいか、何ができるかわからず、知らぬ間にその事柄自体から逃げていたのかもしれない。

 これは、僕の今考えた適当な説だ。

 おざなりで滅茶苦茶で無茶苦茶でぞんざいで、いい加減。だけど、寸分違わず僕の性格をきっちりと表している。


「まあ、それで、なんやかんやあってここを椚ちゃんに貸してあげることにして、で、それでちょくちょく私は祖父……じいさんの代わりに会っているってわけ。だから、私はここにいるのさ」

「大体の事情は把握しました。なんでこんな怪しげな店に許可が下りたとか、まだ疑問はあるんですけど、重たい話だってわかったんで、もうそれは……」


 彼女が話を言い終えると、僕はふらついた身体でなんとか踏ん張って、遠慮気味に言葉を連ねる。草臥れた様相で。


「オーケーオーケー。ちなみに、椚ちゃんはじいさんの財産によってここで生活できているんだ。だから、言ってしまえば養子みたいなものなのかな」

「ああ、なるほど。で、そのお祖父さんは?」

「生きているよ。入院しているけどね。多分、もう長くはないと思う。偏屈ではあるけれど、優しいじいさんだと思うよ」


 そう、少し寂しそうな目をして窓の外を眺めながら彼女はボソリと呟いた。その様相は彼女の優しさを丁寧に表していた。

 桐勢はというと、やはり彼女も何処か寂しそうで、それでいて何処か悲しそうな顔をしていた。

 それは桐勢に対して、本当にそのお祖父さんは優しく優しく接してくれていたからなのだろう。

 お祖父さんは桐勢の本当の自分の居場所を作ってくれた。見つけてくれた。だから、感謝し足りなくて今にも泣きそうなのだろう。


 あれ、おかしいな。僕は。涙腺がゆるんでいるのか? なんだか、涙がポロリポロリと目から溢れてしまいそうだ。

 僕は次から次にへとコロコロと変わっていくこの気持ちに戸惑いつつ、人差し指で軽く目を擦って僅かに目から溢れ出てきた涙を拭いさった。

 これは悲しいから出てきたものじゃない。憐れんでいるから出てきたものでもない。ただ、僕が流したいと思ったから出てきただけなんだ。きっと。

 僕は稚拙な言い訳を自分に言い聞かせるかのように考えると、口から漏れ出してしまいそうな何かを防ぐため、口を手でしっかりと塞いだ。

 これは墨染色に染まった心が漏れ出してしまうのだろうか。それとも、藍色に染まったセンチメンタルな何かだろうか。

 僕にはもうそれを察知することができなかった。


「始めに、この店は〝記憶保存屋〟って名前の店じゃないと言ったけれど、それはこの店にまだ正式な名前が付けられていないからなんだ。さて、なんで正式な名前が付けられていないと思う? ちょっと考えてみな」

「えっ、クイズ形式ですか?」


 突然、彼女に質問を投げ掛けられたので、僕は不思議に思い、その質問の意図に関して訊き返す。


「あ、それと、そうだ。善、昔みたいにタメ口でいいよ。なんか、敬語だと不自然だし、おかしくて笑っちまいそうになる」


 彼女は既にクスリと笑いながら、子どもみたいに無邪気な様相で身体を転げてから擡げて言う。

 どうやら、僕の質問は自然にスルーされたようだった。


 てか、この人すげぇ元気だな……。

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