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17.ノスタルジック・メモリー

 小さい頃に見た、夢。そよそよと風が吹き、草花が微かに揺れ、一人草原の静けさの中にぽつりと立っていたあの、夢。

 微妙に土臭くはあった。そして、湿っぽくもあった。

 だけど、心にじんわりと馴染み、するりと懐かしさを僕自信に運んで行く。

 燦然と輝く星々たちに見守られながら、僕は一人そこで、夜の草原を全力で感じていた。




 ■□■□■□■□■□■□■□■




 見知った顔が突如、自分のすぐそこで現れるというのは、ここまで派手に驚くものなのだろうか。

 いや、現に僕は驚いているのだから、これは認めるしかない。否定しようがない。

 仮に否定したとして、今そこにいる人物は、自分の近くにサッと表れて、気がついたときにはサッと消えていたような、そんな気紛れで幻かのように思えた人物。僕が動揺するのは、これだけで理由の説明がつくのに充分なのだ。

 懐かしさに浸りたい気持ちもある。どうして忽然と姿をくらましてしまったのか怒りたい気持ちもある。だけど。

 だけど、そのような気持ちよりも遥かに上回る、思わず啼泣してしまうような、そんな悲しみがここにある。

 放っておけば、自然と涙が出てしまうだろう。立っているのがやっとな状態なのだから。

 喪失感。そういったものが何故か胸に込み上げてくるのかもしれない。

 抑えきれないこの気持ち。でも、我慢しなければならない。

 何故? どうして? 僕には全くというくらいにはわからない。

 だけれども、何故だかそうしなければいけない、使命感のようなものを感じたような気がして。


「どうした、善? 泣いている……のか?」


 涼介にそう訊かれ、漸く僕は涙を流して泣いているということに気がつく。頬に涙が伝っていたのに気がつく。

 高島や桐勢もその様子に慌てたような様相で僕に心配の言葉を掛けているような気がしたが、僕にはもう聞こえていなかった。

 久々の再会だというのに、どうして心が痛むのだろう。どうして胸が締めつけられるように心が苦しくなるのだろう。

 波打ち際でしんみりとした気持ちで座り、やさぐれた顔で海を見ている光景が頭に思い浮かび、その光景が何処と無く今の心境、状態に似ているような気になる。今の悲しみを表現するのに適しているような気がする。

 今は力を入れる必要なんてない。神経を研ぎ澄まさせる必要なんてない。

 そうだというのに、力んでいるような感覚がする。

 心をまろやかに。案ずるな。僕の視線上にいるそれは、ただの人間だ。危害を加えるわけでもないのだ。

 考えてみろ。目の前にいる女性は、それは僕のもろタイプの女性ではないか。艶々した長い黒髪をしていて、美人で包容力のありそうな、そんな女性。大和撫子……という程度の奥ゆかしさを持っているわけではないが、というより、その言葉からはかけ離れているのを僕は知っているが、それでも、僕は惹かれていた。いや、今だって惹かれているんだと思う。

 だから、泣くことなんてないのに。咽び泣く必要なんてないはずだったのに。

 僕は。僕は瞼を腫らして、顔を歪めて、泣いている、のか?


「なんで、貴方が、ここに。音沙汰は、なかったですけど、なんか、懐かしい。懐かしいですよ……」


 僕は嗄れたような涙声になりながら、全身に力を込めてなんとか言葉を口から発する。

 もしかしたら、言葉にはなっていないかもしれない。別の言語になっているかもしれない。

 それでも、身振り手振りを使って、どうにかそれを表現しようとする。ふらふらとした手つきで。

 嗚咽しているのはわかっている。喉から黒くて赤い汚物が口の中にたまって、一気に吐き出してしまいそうな、そんな感覚が僕に押し寄せてきているのもわかっている。

 それなのに、心が惑い続けているのに、必死になって、がむしゃらになって、伝えようとしている自分がいる。

 命の塊がゴロゴロと流れ落ちていって、それでも尚歯を食いしばって。


「おお、久しぶりだな。元気にしていたか、坊や。かぁ~、それにしても大きくなったなぁ」


 そう、彼女が偶然そうに、そして、嬉々とした感じで言うので、僕は少しムスッとした顰めっ面で彼女のことを見つめていた。

 黙っていれば美人さんで通るのに。目元はぱっちりとしていて二重で、肌は白くて、スラーッとしたスレンダーな体型をしているし、黙っていれば本当に大和撫子といった感じの上品で何処かのご令嬢さんなのではないかと錯覚するほどの美人さんではあるのだ。

 だけど、まあ口調から想像できる通り、この人はガサツなのだ。うちの姉さんとどっこいどっこいなのではないか、と思うくらいには。

 そんなお人ではあるのだけれど、やっぱり久々に会うと照れ臭い気持ちもあるし、何処か不思議な気持ちでもある。

 だって、こんな見た目と言動で強烈なインパクトを与えてくれる人が突然僕の目の前から姿を消したのだ。そりゃ、誰だって不思議にも思う。と、僕は思う。

 もしかしたら、僕はこの人のことを惹かれてはいても、好きではないのかもしれない。嫌いでもないだろうけれど。

 僕は不機嫌なのかそれとも嬉しいのか、もう誰にもわからないような、そんなたくさんの気持ちが僕の心の中で渦巻いていた。


「もう、僕は坊やって呼ばれるような歳じゃないですよ。立派な大人……になれたかは疑わしいですけども」

「そうか、そうか」


 僕はテンパっているときのような吃っていて少し早い口調で詰まり詰まりに喋る。髪をぐしゃぐしゃと多少強引で乱暴に弄りながら。

 頭の中が混乱している。次の言葉が上手に出てこない。真っ白だ。とても真っ白だ。


「あの、善君とお知り合いだったんですか?」


 桐勢が彼女に興味津々な顔をして一つ訊く。それは、食い入るようでもあるが、意外そうでもある。

 彼女の顔をジロリと失礼極まりないように見て、そして僕の方もジロリと見て、うーんうーんと頭を抱え込ませながら不思議そうに唸る。

 仮に彼女が俗に言う『お客様』というやつなのであれば、それはもう彼女からしてみれば困惑もするし迷惑でもあるだろう、と僕は思った。

 今この場に涼介がいたら、それはもう失礼迷惑のダブルコンボが決まるかもしれないな……あ、そうだった。すっかり、忘れていた。

 僕は突然ハッとした顔になり、後ろの方をちらりと振り返る。

 僕の後ろには涼介と高島がいた。というか、事情も全く知らないのに、この二人は僕と一緒にこの状況に付き合わされていたのをすっかりと忘れていた。言わせてみれば、僕も二人にまた迷惑をかけていたというのだ。

 なんか、付き合わせちゃったみたいな感じで悪いな。

 と、心なしか二人(特に高島)に心の中で詫びを入れると、僕は涼介の悪い感情が溢れ出てきてはいないかという確認を行った。

 いや、さすがにこういった状況で妬みとか嫉みとか羨ましさとかそんな感情は出てこないだろう。仮に出てきていたとしても微々たるものだろうとは思うけれど。

 僕はそんなことを思いつつ、微妙に涼介のことを危険視していた。

 僕自身が、いざとなってからではまずいからだと思っていたからだろう。いざってときがまずないし、そんなに人を危篤状態にさせるような人間ではないけども。


「ああ、そうだなぁ。昔の顔馴染みってやつかな。師弟関係みたいな感じだったと思うよ」

「そんな、素敵な関係ではなかったでしょうよ。姉貴と弟子分みたいな扱いだったと思いますよ。気苦労が絶えなかったのを今でも覚えていますから」


 彼女が桐勢に嘘を教えるので、僕はため息混じりになって訂正をする。

 もし、僕と彼女が師弟関係なのならば、いや、師弟関係じゃなくてもそうか。急に消えてしまったら、悲しむはずだ。ああ、そうか。だから、僕は悲しんでいたのか。そして、急に僕の目の前に現れたことによってそれが込み上げてきて安堵の気持ちと喜びが混じって。そういうことだったのか。

 僕は独りでに納得をする。この、なんだかわからない気持ちの正体とその原因がはっきりとしたから。

 釈然としない気持ちがあった。それが増大していった。それは未だにある。それでも、なんだか安心している自分がいた。

 痩せ細った土地がみるみると力を取り戻して肥えて豊かになっていくように、それは生命力に溢れていて。健気で力強くて勇敢で、それでいて誇らしげで。

 僕は偶々にもそんな自分の気持ちに気づいてしまったのだ。


「えー、そうだったか? 良いお姉さんしていただろう?」

「悪い姉御さんの間違いなんじゃないかと思いますけど」


 彼女が不平そうにそう僕に訊くので、僕は微かに含み笑いをしながら憎たらしく答える。歳はとってしまったけど、とても懐かしいやり取りだ。


「仲がとっても良かったんですね」


 僕らのやり取りを見て、桐勢が微笑みながら、優しく語りかけるように僕らに向けて言う。

 会話に入ってこれない涼介と高島はなんだか蚊帳の外、といった感じではあるが、ノスタルジックな雰囲気を何処と無く醸し出していたのを察したのか、二人は口を挟むこともなくただ黙って僕らのやり取りを聞いていた。

 涼介のそんな平静さを維持したまま真剣な眼差しを僕らの方に向けている様を想像するのは、なんだかおかしく思った。多分、珍しかったからだろうと思う。

 いつも、笑って、騒いで、オーバーなリアクションを見せて、なかよくやっているやつがこんな真面目になるときもあるなんて、笑わない方がおかしい。僕はそう思う。

 涼介は、根は大人びた心を持っているということなのだろう。そんなこと、僕はずっと前から気づいてはいた。コイツに気づかされていた。


「ああ、仲が良かったさ。本当の弟ができたみたいで、私は楽しかったよ」

「それについては僕も同感です」


 僕は嬉しそうにして彼女の言った言葉を肯定した。それは、本当に心から心から嬉しそうにして。

 姉さんは姉さんだけども、この人からはまた違った親しさを感じる。感じさせてくれる。

 姉弟じゃないのに姉弟なんだという不可思議な思いを抱かさせてくれる。暖かみをくれる。


「あ、そうだ。善はなんでここに私がいるのか知りたいんだったね。そのことについて話しておこうか。えっと、話しても平気? 椚ちゃん」

「はい、オーケーですよ」


 彼女にそう訊かれ桐勢が許可すると、彼女は、思い出のあの人は、話し始める。

 ゆっくりと、ゆっくりと、スローペースに――。

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