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14.好きと雪

「そう、〝ダイナマイト〟……」

 桐勢がこの空間の静けさを保つかのように、弱々しい声でもう一度その物体の名前を口に出す。胸が今にも張り裂けてしまうんじゃないかというくらい、言葉に感情を込めて。

 時間が止まった気がする。その物の名前から言葉の闇の片鱗が見えたような気がしたからだろうか。

 ゾワッとする恐怖とも驚愕とも言えないようなこの感情が僕に纏わりついてきて、何処か壊れた世界へと誘っている気がする。

 いつまでもこんな重たい何かに縛られ囚われ続けていたら、いつかきっとイカれてしまう。壊れてしまう。

 僕はそんなことを思うと、自分の辛気臭い感情に心が押し潰されてしまわないよう、ズボン越しに力強く自分の皮膚をつねった。

 これは自分を戒めるためにやったわけではない。もちろん、自分を鼓舞させるためにやったわけでもない。

 一人で何暗くなっているんだろうな、僕は。堪えろ。意識を闇に持っていかれるな。

 そう自分の目を覚まさせて、やっと自分に自分を鼓舞させる言葉を投げ掛ける。

 情けないよな。最低だよな。自分から暗闇に突っ込んでいったくせに、弱音を吐くことだけしかできないなんて。

 僕は幾つか自分を虐げる言葉をぶつくさと心で思うと、何に対してかわからない反抗心のような元気を取り戻そうとする。

 臥薪嘗胆。べつに、敵なんていないけども。でも、そんな言葉が今の状況をよく表していると思う。


「なんで、〝ダイナマイト〟なんだ? ド派手だからか? それともなんか強そうだから、とかか?」


 僕は桐勢の発言の意図を探るため、いろいろと彼女に質問をする。

 絶対に、言葉に含みを持たせている。ただ単純にカッコいいって思ったからとか、そんな安易な理由じゃないのはプンプンと伝わってくる。例え話で、そんなインパクトがあって残酷そうな物の名前が出るなんて、そうとしか考えられない。

 僕は頭の中で決めつけ論の行程の一つひとつを絵で描くように考えて、勝手に納得をする。

 こんなの、失礼ではあると思う。でも、重苦しい生き様を知ってしまったから、どうしても身構えてしまう自分がここにいる。

 厄日なのか? 僕は元からこういう運命に導かれていたのか?

 と、まるで逃避するかのように僕は次々に頭の中で疑問を思い浮かべてはその疑問を解決もしないまま消し去るプロセスを繰り返す。機械のように。ただ、淡々と。


「うーん、とね。記憶ってさ、思い返すとさ、時折感傷的な気分になったり、なんか楽しくなってきたり、なんか苦しくなってきたりするじゃない? 嫌なことを思い返して死にたくなったり、自分があの場所にいなかったらどうだったんだろうって思ったりとか。でさ、そういうのって何気ないそのときそのときに思ったりするじゃない? だからさ、なんか記憶って起爆剤……"ダイナマイト"みたいな感じがして」

「そうか。それで、そんな物騒な物の名前が口に出たのか」


 僕は桐勢のそのはっきりとした理由に思わず首を縦に振って頷き、納得する。

 とにかく、息苦しくなるようなそんな重たい理由じゃなくてよかった。

 僕はそう思うとホッと一息吐いて、自分の心の中に隠れ潜んでいた蟠りを塵のように散り散りにして葬り去る。

 僕は罵られたりガン飛ばされたりとかそういった険悪な雰囲気は嫌いだからな。大嫌いだからな。僕はそういったマイナスを楽しめる人間じゃない。だから、さっきまでのあの空間は僕にとって、とても嫌だったんだろう。吐きそうだったんだと思う。だから、今少し安心したんだと思う。

 まあ、べつに悪口吐かれていただとか喧嘩をしていただとかリンチされていただとかそういうわけではないんだけれども。

 僕は心の中で自分の考えを言い訳じみたように補足説明を付け加えると、桐勢の顔を観察でもするかのにようにじーっと注意深く見つめた。

 これは、決して桐勢の顔がおかしいからとかそういうわけではない。というより、今はそれでこんな訝しげに桐勢の顔を見れるほど心に余裕なんてない。

 じゃあ、なんでなのかというと僕にも何故こんなことをしたのかというはっきりとした理由はわからない。でも、曖昧な理由なら知っている。

 多分、僕は喜怒哀楽と様々な表情を見せる桐勢によって心が何故だか和んでいたり楽しんでいたりして、不思議に思ったのだろう。この心、コロコロと変化しやがる。矛盾も簡単に発生させてくれる。嫌な心だ。さっきまで僕はあんなに辛気臭そうな面をしていたくせに。


「ねぇねぇ、どうしたの、善君。私の顔に何かついていたりするの~? ああ、あれだな~。わかっちゃったぞ~! はは~ん、さては善君、私に惚れちゃったね。ダメだよ~そういうのはちゃんと隠さなきゃ~」




「……ああ……そうかもしれないな。もしかしたら、僕はお前に惚れてしまったのかもしれないな」




「……え?」


 不意を突かれた、といった感じで桐勢は力無い声で驚きを発すると、段々と顔が赤らんでいく。頬を染めていく。それは、もう林檎のように赤く赤く。そして、甘酸っぱく。

 僕は何を言っているんだろうか。なんで、そんなことを冷静にして言えたんだろうか。

 僕は平気だったのか、こんなことを言って。好意を言葉に出して相手に伝えるって、これもう告白じゃないか。

 今日の僕はいつも以上に変だな。変人の度を完全に越えてしまっていて、これはもうド変人と呼べるレベルだ。

 アツイ。なんだか、身体中が火照ってきた。今、僕の体温は四十度くらいあるんじゃなかろうか。

 僕はそんな錯覚に陥ると、すぐに自分の頭が正常ではないということを身に染みて実感する。

 ふう、落ち着け。安心しろ。桐勢は美少女とは言えど、あくまで僕のタイプは年上。それも、髪は黒髪ロングの大和撫子みたいな感じがこう心にグッとくる。グッとくる? しっくりくる? まあ、そんな言葉の正確さなんてどうでもいいか。

 話を戻して、つまり、だから、僕はべつに桐勢みたいな女の子はタイプではないのだ。だから、その、なんて言うんだ。うん、落ち着こう。ほら、桐勢をよく見てみればわかる。どうみても、僕の理想のタイプ……抱擁感がある人からはちょっと外れていて、髪は黒くもロングでもない。

 だから、なんだと言うわけでもないけど、とりあえずさっきの告白じみた言葉は撤回しよう。滅茶苦茶ハズい。恥ずかしい。

 そう、僕はどぎまぎとした気持ちになると、顔を隠すようにして素早く桐勢に背を向ける。


「私も、善君の面白いところとか、いつも嫌そうにしているのにさりげなく優しいところとか、その退屈そうにしている目とか、私とは違って逞しい身体をしていて力強いなぁ、って感じさせられるところとか……好き、だよ?」


 桐勢が満更でもなさそうな声色でそう言うので、僕は悶絶寸前の状態になり、恥ずかしさで心が張り裂けそうになっていた。

 なんで、そんなちょっと嬉しそうに言うんだよ。僕はそれ真に受けちゃうぞ、このままだと。

 僕はぶつくさと心の中で怪訝そうにツッコミを入れる。今だけは、このツッコミがあまり意味を成していないように感じられた。

 誤解なんだ。いや、誤解ってなんだろう。

 ポロッと本音が出ちゃったってか? いやいや、それ誤解じゃないじゃん。

 一旦、ジョークでも交えて話しつつ、心を落ち着かせ、それっぽく違うんだと仄めかしておくか? いや、それは無理だな。僕の心は既に疲弊しきってる。ダメだダメ。

 いっそ、逃げてしまうか? いやいや、それもダメだ。

 よし、まあ、なんとかしてこの気まずい雰囲気をどうにかして、頑張ればいいんだよな。大丈夫だ。いけるいける。僕なら余裕だ。

 僕はそうやって気持ちを切り替えるようで切り替えることができないでいると、桐勢が後ろからふんわりと優しく抱きついてきた。ずっと前から気づいてはいたが、なんだか甘い香りがする。これが、男にはないあの謎のニオイってやつか。


「さっきの言葉、アレは冗談だから忘れてくれ。あとさ、離してくれ。その、さ。何とは言わないけど、当たってんだよ。無防備すぎんだよ」

「えー。なーんだ、つまんない。私も冗談だったから忘れていいよっ、と」


 僕が赤面しつつそう言うと、桐勢がガッカリした様子でそう言って僕の背中をポンッと軽く押す。

 その割りには、結構言葉が本気だったような気がするんだが。まあ、いいか。冗談であるのなら、こちらとしてはありがたい。

 僕はフフッと軽く笑みをこぼすと、いつの間にか爽やかな気分になっていることに気がつく。

 爽やか……ああ、いや、爽やかというとまたちょっと違う感じだが、というか、語弊を生んでいるような気がするが、まあ、とにかく、気分がポジティブになっていた。こりゃ、自分でもおっかなびっくりだ。爽やか青少年って柄でもないのにな。いや、ほんの少しは当てはまっていたか。過去形だが。


「桐勢はさ、大胆でしかもズルいんだよ、本当……」


 僕は桐勢に聞かれないように小さく小さく生意気な感じでそう言うと、首の後ろの肩に近いところを撫でるように触る動作を何度も何度も繰り返した。

 これは、僕の癖ってやつだ。あの、誰もが持っていてありがちな、仕草。

 はあ、僕はもうクタクタだ。今にもその場からドタッと倒れ込んでしまいそうだ。

 もし、今僕が外に出ていて雪が降っていたら、冷たい雪の上にドサッて重なるような感じでかなり幻想的だな。

 そう、僕はドラマのワンシーンかのような光景を想像して寂しそうな目をすると、今日何度目かのため息を吐いた。

 べつにこれは悲しいわけじゃない。心が泣いているわけでもない。疲れているだとかは当てはまるかもしれないけれど、嫌そうに想像しているわけでもない。それなのに、何故だかため息が僕の口からこぼれていく。これは、何故なのだろうか。


「そっか~私ってズルかったのか~」


 桐勢はそう言うと、うんうん、といった感じで何かの意見に賛同するかのように頷く。

 どうやら、聞こえていたらしい。桐勢って、そういうのはやっぱり鋭いのかもしれない。聞き耳とか立てたりするのが上手いのかもしれないな。稀に察しがよかったりするのは、そういうことか。

 と、僕もなんとなく、今、うんうん、と桐勢と一緒に頷きたい気分になっていた。なんか、その光景を想像すると思わず笑ってしまうな。


「……それじゃ、僕はやっぱりもう帰るよ。じゃあな、桐勢。……その、また言うのはなんか変な気がするけどさ。……また明日な」

「……うん、また明日」


『じゃあね』から『また明日』、か。

 外に出るといつの間にか雪がしんしんと降り始めていて、僕は外の寒さに身を縮こませながら、桐勢のその言葉の変化をしみじみと感じていた。

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