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13.ダイナマイト

「今日は仕事はないのか?」

 僕は少し虚ろがかった目をして、桐勢に対して吐息をするかのように訊く。

 これは、疲労感からだろうか。無理もない。あの、擦り切れてしまいそうな緊迫感の中で僕は結構な時間ここにいたのだから。

 形容し難い恐怖とか人の絶望感とか押し寄せてくる負の波を、僕は全身で受け止めてしまった。でも、それは決して不快だ、だとか穢らわしい、だとかそんな風に考えることはしなかった。それは、僕にとっても考えさせられることだったからなのだろう。

 見て見ぬフリはできなかった。自然と、助けになりたい、という感情が、自尊心が、自分の中で、意識なんてこれっぽっちもしていなかったのに芽生えていた。

 いつも頭の中でぞわぞわとざわめき立てていたのは、平穏無事、自己中心、ということだけだったはずなのに。それなのに、僕は見過ごすことができなかった。

 僕は、いつも人の表情や感情を窺って、誰かの反応を気にして、消極的になるようなそんな人間なのに。そんなイジイジとしていて決まりきった型をただなぞるようにして生きてきたありがちな人間なのに。言ってしまえば、勇気がないくせに。変に強がって、心の手を差し伸べていた。

 僕は本当おかしいよ。どうかしているよ。クソッ。クソッ……!


「ああ、うん。今日はないんだ。そんな、毎日誰かが来るようになるほど、世界は忘れたくないもので溢れているわけじゃないしね。善君だってそう思うでしょ? 例えば、街中で歩いていた人達。その人達の一人ひとりのことなんて気にもしないでしょ。精々、奇抜な服を着ていたら少しの間だけなら思い出せるかな、とかそんな感じだと思うんだ」

「まあ、な」


 確かに、言っていることは正論なのかもしれない。

 でも、言い方に少し引っ掛かりを覚える。何処か薄暗い心の闇を感じてしまう。

 今日の桐勢は、何処かおかしい。メルヘンチックでいて何処かサイコチックというか。ああ、もうわけわかんねえ。

 僕もよくわからねえし、桐勢のこともよくわからねえ。これはいったいどうしちまったっていうんだよ。

 何か琴線に触れる出来事でもあったのか?

 ……ああ、それはわかっていた。過去の呪縛が頭の中からいつまでも離れてくれないからこうなっているんだよな。

 なら、最も嫌な出来事をどうにかして洗い出せばいい。でも、どうやって?

 まあ、まだチャンスはあるし、考える時間だってたっぷりある。僕はとりあえずもう帰ろう。頭は完全にオーバーヒート状態でクールダウンする必要があるしな。

 僕は目の前のことで手一杯になって熱くなっていた頭をどうにか冷やそうと、落ち着き払う心構えをして、出入り口の方へと駆け足になって向かっていく。


「どうしたの。その、急に」

「今日はこれで帰るよ。仕事もないんだろ? プライベートな時間を奪ってしまうのもなんだか悪い気がするし」


 僕はそうやって適当な理由をこじつけ、自分の意見にそれは尤もだといえるように言葉に正当性を持たせる。

 ただ、普通なことを言って普通な行動をしているだけなんだ。挙動不審ではあるが。

 多少声に覇気はないかもしれない。だって、今の僕には立っているのが精一杯だから。

 それでも、今の自分は自分にとっておかしくない行動をしている。そういう考えに至るのは仕方がないと思う。

 僕は自分に言い聞かせるように、あるいは諦めるかのように、辛気臭いことをぽつりぽつりと並べる。

 暗い。暗くて真っ黒でどうにも煮え切らず果てのない空間。その空間に、多分僕は耐えきれず、今にも逃げ出してしまいたいのだ。

 でも、僕の中にあるほんの少しの偽善的な勇気がその感情を阻んでいるのだ。なんとも皮肉で邪悪で腐っていて、気持ちの悪いことだ。それはドロドロとしていて、うえっ、と今にもどす黒い何かを吐き出してしまいそうな程である。

 僕はそんな心臓を弾丸で撃ち抜かれたかのようなポッカリと身体に穴が開いた感覚を味わい、次第に意識が混濁していく。頭に鈍くて重たい痛みも生じてくる。

 人が死ぬときって、人の心が死ぬときって、こんな一方的で残酷で空虚な感覚を味わうのだろうか。疑似体験なんてしたくなかったけど。したいって思うやつなんてほぼほぼいないだろうけど。

 僕は唇を強く噛み締め、眉に力を入れ、必死に必死にふらついている身体をなんとか制御する。


「待ってよ。……その、もうちょっとだけ傍にいてよ」


 僕を誘っているかのように、桐勢は僕の服の裾を軽く引っ張ってそう静かに、そして力強く言う。

 しかし、今の僕にはこんな重たい雰囲気、耐えられない。暗黒面に呑まれて、どうにかなってしまうかもしれない。

 だって、僕は僕であって決して僕は桐勢ではないのだから。だから、そんな容易に扱えるものじゃない。心の闇だって晴らすことはできない。

 僕はそんなやるせない気持ちを胸に抱くと、静かに前へ前へと足を動かせた。


「ダメ、なのかな。嫌、だったかな。迷惑、かけたかな。ごめんね」


 桐勢は今にも泣き出しそうな声で謝罪を口にすると、僕の服の裾からパタリと落ちていくように手を離した。

 痛い。何故だろう。どうしてだ。心の痛みが少しずつ増強していく。チクリ、チクリと音を立てながら。

 見て見ぬフリ、しているからなのか。自分の言っていることと今の状況とが矛盾しているからなのか。

 矛盾だ。矛盾が生じている。あんなことを平然と抜かしていたくせに、見て見ぬフリ、今まさにしているじゃないか。

 僕は心にまで嘘を吐いて、自分を騙して、それでそれで。僕は何がしたいというんだ。

 思わせ振りな行動をして、それで僕は楽しんでいるのか? 僕はそれを快楽だと思っているのか?

 人が苦しむ様を、踠く様を、抗う様を見て、僕は嘲笑っているのか? 蔑んでいるのか?

 ……違う。僕はそんなこと思っていない。思っていない……けど。なのに。


 それを否定できない自分がいる――。


 僕は人の弱味に漬け込んでいる。完全に。完全に。

 人としてどうしようもない雑魚が、人の弱味に漬け込んでいる。これは、事実だ。事実なんだよ、多分。

 僕は残虐非道で壊れてイカれている僕自身に対して怒りを顕にする。それはもう酷くて、気持ちという体を成していない。

 でも、これは結局のところ、正義の行いではないのだから意味がない。意味を成し得ていない。

 僕は最低な野郎だよ。本当。

 僕はそう、心の中で自分を卑下する言葉を何度も何度も吐き捨てる。吐き捨てて、吐き捨てて、さらに自分の首を絞めにいく。


 すると、「善君、あのね」と、桐勢が急に枯れかけた木のように生気のないその声音で、僕に問いかけるようにして何かを訊きたそうにそう言う。

 心の準備が欲しい。整理時間が欲しい。せめて、息を整える程度の時間だけは欲しい。

 僕は切実にそう願った。

 心の中でシミュレーションができる程までとは言わない。そんな、悠長な時間はべつに必要ない。

 だが、物怖じしてしまいそうだから、多少の時間だけは欲しいのだ。

 僕はヒヤリとした名状し難い何かを感じると、桐勢の言葉に対しての警戒を強めていた。


「……やっぱり、なんでもない。じゃあね」

「また明日な」


 わざとらしく笑顔を繕って、明るい声色を繕って、そう桐勢は言うので、僕も同様にして振り向きざまに明るい返事を返した。桐勢は上目遣いで僕の顔を眺めていたが、桐勢の目には何処と無く光が無いように見えた。

 侘しいし、寂しい。辛くもある。そんな感情なんだと思う。きっと、僕らは。

 人は誰しも闇を抱えているとはいうが、僕らはその闇がもっともっと普通の人が思うものより大きいものなのかもしれない。どれくらいかなんてわからないけど。わかろうともしないけれど。

 そう考えると、僕らは所謂似た者同士ってやつなのかもしれない。

 小悪魔な桐勢と幽霊の僕。大きめのカテゴリーで分類させれば、同じじゃないか。

 化け物。空想。幻想。夢。これら、全て共通しているかもしれない。

 僕に勝手に同類だなんて思われるのは、もしかしたら癪に障るかもしれないけど。

 でも、なんだかそうだと思ったら、少し桐勢に親近感が湧いてきた。このウンともスンとも言えない感情が、押し広がって、身体中を巡りめぐって。そして、それが繋がって。

 なんだか、やっぱりおかしいな、僕は。

 僕は染々とした気分でそう強く思うと、桐勢に対して一つ訊きたいことがふと頭に思い浮かんだ。


「なあ、桐勢。お前に、一つ訊きたいことができたんだ」

「……何かな。それは、楽しいこと?」

「いいや、多分そんな楽しい質問じゃない。でも、バカげた質問ではあるかもしれない。……えっと、さ。『記憶』をさ、物で例えるとしたら、桐勢はなんて答える?」


 それはあまりに唐突に思いついた質問だと思う。急すぎて、急ブレーキが効かないような、そんな質問ではあるかもしれない。

 そうではあるかもしれないけれど、何処と無く拍子抜けしているおかしな質問なために、桐勢はクスリと笑って、僕に「何、その質問~」と言ってくる。

 いや、その、自分でも変だなとは思った。だから、一応は予防線を張ったのだ。

 しかし僕、なんでこんな質問思い浮かんだんだろうな。あれかな。やっぱりあれなのか? 僕もかまってほしいのか? そういう気分なのだろうか。

 僕は自分が桐勢にした質問に対し、様々な疑問を投げつける。

 自分で問題を作っておいて言葉に発したくせに、僕自身がその問題を不思議に思うなんてな。この状況をなんて言葉で表したらいいんだ? 僕にはよくわからない。

 僕は少し顔を赤らめていたのを桐勢に覚られないようにするため、すう、と息を大きく吸い込んで、そのまま息を吐き出す作業を二、三回程繰り返した。その光景は至って滑稽であった。


「私はそうだね――〝ダイナマイト〟かな」


 桐勢がそう何かを後ろめたそうに言うのと、なにやら危なっかしそうな物の名前を口に出すので、思わず僕は息を呑んだ。


 〝ダイナマイト〟って――爆弾のことだよな。


 火を点けると、大きな音を立てて、周囲のものを粉々にさせてしまう、アレ。実物なんて見たことはないけれど。


「〝ダイナマイト〟……」


 僕は呆けた面でそう驚くように呟くと、桐勢の次の言葉を静かに待っていた。

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