12.化け物なんて存在しない
「で、やっぱりなんで泣いていたか教えてほしい? ねえねえ、本当は知りたいんでしょ? このこの~」
桐勢は無邪気にそう言って、僕を肘で小突く。かなり強引に心を揺さぶられているような感じがして、少し変な感じがする。
いや、そこまでしてかまってほしいならべつにいいけどさ。でも、そこんところ訊かれたくなかったんじゃなかったのか? どういう心境の変化なんだろうな。
僕は呆れてしまったのか溜め息を吐き、しょうがない、といった顔をする。多分、この急な桐勢の心変わりに戸惑っているのだ。
「ただかまってほしかっただけなのなら、人を心配させちゃダメだろ……」
「あ、違うよ。……これは私が言うか言わないか迷っていたから」
僕が説教臭くそう言うと、桐勢は悲しそうな目をして何処か上の空といった感じになると、静かに寝息を立てるかのように言葉を紡ぐ。この物音がほとんどしない、静寂の中で。
察するに、これは辛い話だから自分の感情を紛らわすために空元気で踏ん張っていたってことか。また、泣いてしまいそうだから。心のズキズキとした激痛が消え去ってくれそうにないから。
そうまでして、そんなことまでして、桐勢、お前は自分の個性を演じ続きなきゃいけないのか?
僕は桐勢に対して憐れむような疑問を抱くと、ゆっくりと瞼を閉じて今の状況を一つひとつ冷静に整理し始めた。
まず、真っ白で何も書かれていない紙を頭の中に用意しよう。そして、そこに疑問点や今に至るまでの行動なりや言葉を少しずつ書き足していく。そして、最後に納得できる辻褄をこじつけでもいいから適当に合わせ、頭を落ち着かせていく。そうして、僕はなんとかして桐勢のことを理解しようとしていた。
「じゃあ、再び訊くな。なんで桐勢は泣いていたんだ?」
「うーん、それは私が――『化け物』だからかな」
そう僕は興味深そうなフリをして訊くと、桐勢は素っ頓狂な言葉を口に出して僕を困惑させる。桐勢のその意味不明な返答が僕にはまるでわからなかったので、僕はギュッと頭を捻って彼女のその発言の意図を汲み取ろうとした。
化け物。化けた何か。いや、とてもそれらしき感じには見えないが。ちゃんと、人間だ。仮に桐勢が化け物だったとしても、ちゃんと人間を演じられている。感情の起伏がはっきりとしている。
急に目の前の世界がぼんやりとした感覚に陥ると、僕は次々にその言葉を否定するような根拠のない論を並べる。言葉とはどうやら曖昧なことも口に出すことが可能らしい。
「バカなこと言うなって。何処にこんな可愛らしい人間の女の子の姿をした化け物がいるんだ。それに、化け物ってのはあくまで空想上のお話にしかいないだろ」
「どうかな。私は……自分のこと、化け物だって思っているよ。だって、こんなよくわからない能力……いや、魔法? どっちでもいっか。それを持っているわけだしね。普通の人はね、こんなことできないんだよ。それは善君だってそう」
そう言って、桐勢は髪を軽く指でくるくる巻いたりなんかして弄る仕草をする。
何かを誤魔化したいのだろうか。いや、それとも正当化したいのか。とにかく、要するに桐勢は自分が化け物なんだって勝手に主張して嘆いているだけだ。それは、結局桐勢がそう思っているだけで、周りの人間の気持ちは関係ない。僕がどう思っているかなんて関係ない。僕の気持ちなんてそこには全く含まれていない。
だから――。
「僕は出会ってからの今の今まで、桐勢のこと『化け物』だなんて思っていない。誰しも変なところなんてあるんだからさ、その程度のこと気にしなくていいんだよ」
僕はおちゃらけているかのような気分で思いっきり笑いながら、語りかけるかのように丁寧に丁寧に真心を込めて呟く。そのときの自分は、自分でも信じられないくらいに心が穏やかになっていた。
「でも、これは『呪い』だから」
「呪い?」
桐勢がまた何かおかしなことを言うので、僕は躊躇うこともなく訊き返す。
化け物、能力、魔法ときて、次は呪いね。なんだ、そんな心配することでもないじゃないか。
それにその力は決して呪いみたいに自分を傷つけるようにできているものじゃないと僕は思うんだ。
僕はクスッと笑うと、窓の方を見てふう、と息を吐いた。外を見ると、なんだか今にも雪が降り出してきそうな空だ。星一つとして見えない。
僕は再び桐勢の方を振り返り、まじまじと桐勢の顔を見つめた。
べつに、どうかしたわけではない。いや、どうかはしている。というよりも、元々かなり変ではあった。自分でも変わり者だという自覚はあった。だから、そんな自分と比較して桐勢はそんなにも変なのだろうかと僕はじっくりと考えているのだ。
僕とか涼介の変人っぷりに比べりゃ、コイツの悪戯な感じとかその謎の力なんて屁でもない。
僕は得意気な気持ちでそのような考えに浸ると、僕の右手に添えられていた桐勢の両手を僕もといった感じでしっかりと両手でその手を握った。彼女の手はかなり冷えていて、なんだかひんやりとする。
そういえば、こんな言い伝えがあったな。手が冷たい人は心があったかいってやつ。きっと、桐勢はイイ人だからそんな風に思い詰めちゃったりしているんだよ。
僕はそういった言葉を握り締めたその手に込めて桐勢に伝えようとする。べつに、伝わらなくたっていい。
「そう、呪い。その呪いのせいで昔の嫌なことを思い出してしまったの。お父さんのこととかお母さんのこととか」
「なるほど」
事情を知らない僕ではあるのだけれど、想像をしてなんとなく過去に何が起こったのかということを納得して理解した。
まあ、そっか。考え方は十人十色。人それぞれだから、そりゃ、その力をよく思わない人や利用しようって人が出てきて、それで何か衝突とかがあったわけか。
罪悪感とかはあるが、これで〝記憶保存屋〟のこと……いや、桐勢のことをまた一つ知れた気がする。これを僕は悪用しようとは思わない。僕は桐勢のことを知れてよかったってだけ。ただ、それだけだ。
「善君って綺麗事を並べるのが上手だよね」
「うーん、それはよくわからないけど、そのおまけに僕はつまらないギャグを考えることが上手いらしい」
桐勢のその皮肉めいた発言に、僕は上手い返しが考えつかず僅かに唸ったが、ここは笑いが必要だなと少し小洒落たジョークを放つ。
いや、小洒落たっていうのは自分で勝手に思っているだけなんだけど。まあ、それはとりあえず置いておこう。
さてさて。桐勢の素の表情とか本心とか見れて正直僕は驚きと疲労の連続だったけど。ええと、なんだろうね。嬉しい……僕はちょっぴり嬉しかったのかもな。そして、楽しくもあった。
べつに、これは桐勢の落ち込んでいる姿を見て楽しかったとかそういう愉悦の意味ではない。いや、もしかしたらほんの少しばかしは思っているかもしれないけれど。
一番は会話をしていて楽しかったという意味だ。うん、意外な一面も見れたし、本心も聞けて、そういう意味では嬉かった。だって、桐勢にだって悩みはあったのだから。
メルヘンチックな思考の桐勢はなんか考えてみると可愛かったし、この胸の中に仕舞い込んでおこう。桐勢にはナイショで。
僕はそう固く心に決めると、桐勢にバレるかバレないかと内心ヒヤヒヤさせているような忍び足みたいな気持ちでまたクスッと小さく笑みをこぼす。
気持ちが高ぶって乱舞しているのかもしれないな。こりゃ、注意しないとな。
僕は手を離して、その手を胸に当てて気持ちを抑えるかのようにトントンと小さく叩く。
ふう、よしっと。
「桐勢、この話はこの辺りで終わろうか。なんとなく僕もわかったし、話していて辛いだろうから。それに、珍しく桐勢の可愛い一面も見れたしな」
「えっ、えっ? ……善君、やっぱり変わっているよね」
そう言って、桐勢はムスッとした表情で頬を膨らませながら僕の脇腹を擽ってきた。
ああ、なんかその表情も珍しいな。
脇腹を擽られているからなのか、それとも別の何かが影響したことによってなのかはわからないが、僕は噎せながら大笑いをする。
ハハッ。ハハハハハハハハハハッ。なんか、楽しくなってきたぞ~。これがハイテンションってやつか。
僕は完全に誰の目から見ても陽気といえるような状態になり、今適当な罵倒をされたとしても凹むことはまずないだろうという謎の理論が頭の中に思い浮かんだ。
傍から見られるとそれはそれはもうヤバい感じになっているんだろうな。
そう一瞬だけ僕は思いはしたが、すぐにそんな考えなど何処か遠くの遥か彼方に消えていってしまい、すぐにハイテンション状態に戻ってしまう。
「ほら、笑って笑って。桐勢も」
「えぇ……。なんか、善君おかしくなってきているよ? 大丈夫?」
「ああ、僕は至って平常運転だ」
などと、完全にさっきまでの僕のテンションとは違った雰囲気になっているため、僕はよくわからないことを口走ってしまう。
うん、これ、もう僕ダメだな。一回家に帰って、また明日ここに来た方がいいかもな。
と、心の中で僕は今の自分にダメ判定を下す。意外に心は冷静なのかもしれない。
「そっか。そうだね。そういうことかな」
桐勢が突如頷きながらそう言うと、恥ずかしそうに微笑みながら僕の目を黙々と見て何か言いたそうな仕草を見せる。
え、なんだ。そういうことって何?
「気づかなくてごめんね」
「えっ、ごめんってどれのこと?」
僕は頭にでっかいハテナを思い浮かべ、急に怖くなってきたからなのか鳥肌を立てる。
ええ、もしかして僕、知らぬ間になんか脅していたとかなんか変な舞を踊っていたとか、なんかなんかそういうことでもしちゃったりしたのかな。
僕はそうして腕を組むと、今にでもハテナで頭の中が一杯になるんじゃないかってくらい、かなり深めに唸る。
うーん、何かをしたって覚えが僕にはないな。
「これだよね。……んっ」
「……ッ!?」
そう言うと、桐勢は顔を赤面させながら唇を僕の顔の方に少しずつ近づけていく。
わーい、やったー! そう、心の本音はガッツポーズしながら言ってはいるけども、倫理観的にはこれはさすがにまずいかもしれないな。
そう思った僕は一気に目を覚ますと、サッとすぐに後ろに下がってなんとか回避をする。まあ、べつに回避しなくてもよかったんだけど。
「これってさ、えっと、つまり何? ああ、えーっと、この行為自体じゃなくて、なんでこの行為に至ったのかって意味で」
「えっ……。ご褒美……かな。してほしかったんでしょ?」
惚けたような感じで桐勢が言うので、僕は目をパチクリとさせてただただ桐勢を呆けた面で見つめていた。
いや、確かにそういう気持ちはあったのかもしれないけど、それは一先ず置いておこう。なんて言うか、なんでその結論に至ったのかとか、なんで簡単にそれをしようと思えるのかとか、いろいろと僕には疑問というものが。
「まあ、僕は男だしそりゃされたい気持ちはあるけどさ。うん、でも、やめとくよ。それに、嫌々でするのも嫌だろうしね」
彼女はちょっとばかし、いや、かなり悪戯なところがあるようだ。




