1.小悪魔彼女と偽善者幽霊
夢の中で悪魔を見た。物珍しかったので、興味本意で近づこうか迷ってしまったが結局、僕は近づこうとはしなかった。
「……善。……善、お前大丈夫か? 顔色、相当悪そうだけど」
「ああー、うん、全然大丈夫だと思うー」
感情なんてこれっぽっちも込めていないかのような声で返答する。
「ハハハ、なんだその声。あ、そうだ。ところでさ、お前今日部活やんの?」
「朗報だ、涼介。僕は今日退部届を出したからな。なんと、今日から晴れて帰宅部だ」
ふと、あの厳しい顧問の先生の顔が頭に浮かぶ。呪縛から解放されたような感じがして、心底せいせいする。
「お、そうなのか! なら、今日から同士だな! よっしゃ、一緒に帰ろうぜ」
涼介の嬉しそうな声色が伝わってくる。
「いいぜ。高島も誘って皆でカラオケでも行くか」
「おけおけ」
カバンを背負い、教室を出る。高島のクラスは……下の階か。
「あいつ、歌上手いしギター弾けるからな。ひょっとして、ミュージシャンとかでも目指したりしてんのかな?」
「高島は目指してるかもな~。お前も何か楽器、弾きたいのか?」
「そうだなー。強いて言えば、ドラムかな。なんか、楽しそうだし」
そうこう言っているうちに、高島のクラスに着く。教室のドアをガラリ、と開けて高島を呼ぶ。
「高島~。一緒に帰ろうぜ」
「あれ、守宮にゲバじゃん。いいよ、帰ろうぜ」
「おい、その渾名、まじで迷惑してるからまじでやめろ」
「『まじ』は、一回でいいだろ。わかった、わかった」
階段を下りて生徒玄関に着き、下駄箱から革靴を取り出してスリッパから履き直し、外に出ようとするとき、誰かに呼び止められる。
「あの、守宮先輩……」
自分より少し背が低く、体型もほっそりとしている丸刈り頭の男の子がそこにいた。
「ああ、三隅君か。どうしたんだい? 僕に何か用事でも?」
呼び止められたってことは九十九パーセント何らかの用があるってことだろうけど、一応、定型の言葉を並べる。
「先輩、部活辞めたって、本当ですか?」
「ああ、本当だ。退部届、今日出したからね。だから、僕は今日から日がな一日……いや、日がな放課後? か? まあ、どっちでもいいや。だらけきるつもりさ。まあ、本当は……」
少し未練がましく演じている自分に、吐き気を感じる。本当は、未練なんてこれっぽっちもないはずなのに。
「……なんでもない。用事はそれだけかな」
「はい、すみません、深入りするようなこと訊いて」
「いや、全然いいよ。じゃあな、三隅君。部長にもよろしく伝えてくれ」
三隅君とのやり取りを終えると、急にそこはかとない虚無感が押し寄せてくる。
僕は、逃げたわけじゃない。
「夕焼け、綺麗だな」
今思っていることをボソリと呟く。
「んあー、お前、今までは部活やってたから帰るの遅かったもんなー」
涼介が僕の顔を覗き込むようにして言う。
「ああ、もう体育館の照明を嫌という程見たわ」
あそこの照明とバスケットゴールを見ただけで疲れがどっと押し寄せてきそうだ。
「つか、寒いな。高島、ちょっとお前火吐いてくれよ。火」
「無理難題をしれっと言わないでくれ」
淡々と言う。高島は見た目とやっていることの奇抜さの割りに、性格は意外に真面目だ。
「善、カイロ貸してやるよ」
「お、サンキュ」
涼介から手渡された携帯カイロを制服の左ポケットに入れ、手をポケットに突っ込む。
ああ、あったかい。もう、冬なんだなー。今年は雪が降らないといいなー。
「……はぁ」
藪から棒に涼介が溜め息を吐く。コイツが溜め息を吐くなんて、結構珍しい。
「どうした、涼介? お腹でも痛いのか?」
「ちがうちがう。今年もクリスマスは一人寂しく過ごすハメになるのかなー、って」
ああ、なんだそんなことで溜め息を吐いていたのか。少しでもコイツを心配したさっきの自分を殴りたい。そして、お前も殴りたい。もちろん、全力で。
「安心しろ、僕がいるだろ」
涼介の右肩に手を掛けて、若干同情する感じで言う。
「善……俺は良き友を持ったと思うよ」
少し引き気味に言う。確かにさっきの場面であのセリフはちょっとクサかったと僕は思った。
なんて言うのが正しかったろうか。まあ、さっきのお前の分と今の僕の分とで差し引きしてチャラな。心の中でそう呟いた。
「あれ、そうだ。高島は確か、彼女いたよな」
「ああ、それも可愛い可愛い彼女がなぁ」
涼介がずいっと割って入って、高島に対して嫌味ったらしく言う。
やめろ。やめてくれ。僕はいくらお前と幼馴染みと言えど、そこまで負のオーラを漂わせられると、僕はお前と同士だと思われたくないぞ。
僕は小物感溢れる涼介のセリフに、思わず心の中で嫌々しくツッコミを入れた。
「……ああ、俺あいつとはもう別れたわ」
「え、別れたのか?」
意外な顔をして僕は高島に訊き返す。涼介は満面の笑みで高島の顔をじっと見る。
涼介。お前、僕が言うのもなんだけど、性格悪いだろ。
僕は涼介の耳を軽くつねった。
「あいつ、確かに可愛いかもしれねえけど、なんか自己顕示欲高いっつーか、自慢するために俺を利用しているような感じがしてさ。それで嫌になって別れたって感じだ」
「ああ、なるほどね。……その、悪いな」
高島にとってしたくないだろう話を無理にさせてしまったような感じがして、僕は詫びを入れる。
正直、僕だってそういうのは嫌だからだ。
「守宮が謝る必要はねーよ、これはしょうがなかったんだしさ」
僕にはすぐにわかった。高島が言葉とは裏腹に、少しやさぐれているということが。
「気にすんなよ、高島ぁ! 過去のことをいつまでもクヨクヨしても……えーと……アレだぜ! なっ! 不幸になっちまうぜ!」
涼介が僕の顔を一瞬だけ見て、元気よく言う。僕は涼介の耳をまたつねろうかと思ったけれど、涼介は僕の気持ちにも高島の気持ちにも配慮して言っているのだとわかったので、つねらなかった。
僕は退部、高島は失恋。涼介は僕らの気持ちが悄気ないようにわざと明るく振る舞っているんだ。
涼介、さっき僕はお前のこと性格悪いとか勝手に心の中で言っていたけれど、訂正させてくれ。お前、イイヤツじゃん。
なんだか悔しい気持ちが湧き出して、結局僕は涼介の脇腹をつねった。
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カラオケ屋のある通り沿いに着く。
「うー、さぶさぶ」
カイロ程度じゃ、やはり寒さは凌げないらしく、身体が小刻みに震える。
「善は寒がりだな」
平気そうな顔で涼介が言う。
お前は、ほら、部活入ってないくせに身体鍛えていたりするから。おそらく、その、なんだ。寒くないんだよ、うん。
「まあ、風邪引かないように気をつけるよ」
そんな風に僕と涼介と高島の三人で話しながら歩いていると、向こうから同い年くらいの可愛い女の子がやってきて、僕らの前を通り過ぎる。
悪魔――。
瞬間、夢の中で見た悪魔が脳裏を過る。
「…………」
彼女が僕らの前を通り過ぎたとき、ポケットからハンカチを落としていったらしく、僕はそのハンカチをただ、ぼうっと見つめていた。
「おい、善? なぁなぁ、どうした? 大丈夫か?」
涼介がきょとんとした顔で訊く。
「……悪い、涼介、高島。一目惚れしたから帰るわ」
「……はぁ!? え、ちょっ、なんだそれ。意味がわかんねえぞ。急に『用事を思い出したから帰るわ』的に言われてもなぁ」
二人とも驚いた顔をして僕に次々と訊いてくる。自分でも、何言っているんだろう、と思った。
「さっきの女の子、ハンカチ落としたの気づかないまま行っちゃったみたいなんだ。だから、届けてくるってだけだ」
僕は涼介の肩をポンッ、と軽く叩き、女の子の進んだ方を大急ぎで駆ける。
「ハンカチ程のものを落としても気づかないってことは、考え事でもしていたのか?」
僕はそうポツリと呟いた。
「……ぜえっ、ぜえっ、はぁ、はぁ」
運動部に入ってはいたけれど、結構しんどいな。これは、見返りが欲しいところだが。
女の子が曲がり角で右に曲がっているのが見えると、僕は苦しい表情を浮かべながら止まっていた歩を進め、再び走り始めた。
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女の子が何やら建物に入るのを見ると、僕はようやく渡せそうだな、と思った。
傍から見たら変質者のように見えるけども、僕は気にしない……。
建物に入り、僕は適当な言葉を口に出す。
「あのー、すみませーん」
その言葉に反応して、さっきの女の子らしき人物が奥の方からやってくる。
「いらっしゃいませ。……えーと、ご用件は?」
「あの、これ、落ちてたので」
「ああ! ありがとうございます!」
女の子は涼介並の元気な声でお礼を言う。
「……ストーカーさん」
女の子が僕の耳元でそうポツリと囁いた。
女の子の笑みに一瞬だけだけど、悪魔的要素が含まれているのを垣間見た、気がする。
困ったなぁ。僕は拾って届けようとした。ただ、それだけなんだけどなぁ。
「ところで、ここってどんな店なの? なんか見た感じ、飲食店ではなさそうだし」
変質者云々の話は置いておいて、この建物について話を切り出す。
「ああ、ここですか?」
女の子は笑みを止めずに言った。
「……ここは〝記憶保存屋〟。お店の名前は……まだないですよ」
聞いたこともない名前だった。
……記憶保存? さしづめ、写真屋といったあたりだろうか。
「へえー、写真屋か。それにしては、なんかカメラとかそういった機材とか見当たらない気がするけど」
「ああ、違います。もちろん、動画屋さんとかそういったものでもありませんよ? そのまんまの意味です」
つまり……身体にチップとかでも埋め込んで、脳の情報をどっかに保存するとか、そういう怪しい……お店?
僕は全くわけがわからず、思考が一時的にフリーズしてしまった。
「まあ、見てみればわかりますよ。お礼の意味も込めて、よかったら、見学していきませんか?」
「えと、お願いします」
「あ、タメ口でいいですよ。なんか堅苦しい感じがしますし」
そう言って、女の子はまたニッコリとした笑みを見せる。その笑みはまた悪魔的、いや、小悪魔的な意味が含まれているかのような笑みだった。
「僕の方もタメ口でいいよ」
僕も女の子に続いてそう言った。
こうして、僕は小悪魔な彼女と出会ってしまったのだった。