弟子入り
洗面所を後にした二人は書斎へと戻り話し込んでいた。
のだが……サクラは未だに自身の身体に起きた変化に唖然としていた。
どうしようもないと分かってはいるが、若返ってしまった身体と変化した髪色と瞳色のことが気になってしまう……。
「それでお主はこれからどうするんじゃ?」
「そうだ、な……町へ行こうと思う」
(本音を言うと不安もあるが強くなりたいのは事実だし……だけど、この人に鍛えて貰うっていうのは甘えすぎだし、迷惑だろう……)
内心の思考は声にこそ出さないが顔で物語っていた。
「はぁ……やはりお主は生真面目過ぎる。人のことを気にするのもいいが少しは我を通す事も覚えるとよいの」
「……は、はは……よく言われます」
リアンの溜息混じりの言葉は正にサクラのことを的確に表しており、サクラは会って間もないのにと嬉しく思うと同時に「また、やっちゃった……」と苦笑する。
冬道という人間は幼い頃から内向的で神経質。家族以外の他者との接触を持つ事は少なく、一人で居る時が多く、楽しみは知識の探求と運動のみだった。
結果、文武両道を地で行く冬道は人気者となるが、少年の割りに確固たる価値観を持っていたため上手く付き合う事ができなかった。
例えば、同級生から遊びに誘われても母子家庭という事情を説明できず、何も言わずに断ることが度々あった。他にも勉強や運動にしても、思いを伝えるのが苦手であり嫌味に取られてしまう。次第に友人や大人達からは非社交的かつ自己中心的と捉えられるようになる。
特に教員や周囲の大人は、少年の生きた時代では恥ずかしいとされた家庭環境を持ち出して母親を責める者も多くいた。
その時の母親は決まって寂しそうな顔をしており、自分が傷つくことよりも「自分の所為」で大切な人が傷つくことに何より辛く苦しくやり場のない思いが溢れた。
そんな少年も十代半ばといった思春期を迎える。その頃には本心を心の奥底にしまい、周囲に合わせることを覚えた。その時手本とするのは憧れた兄、春道だった。彼は自分とは正反対の外交的で大らかな人。いつも他人に対して我が事のように考え、周囲に人が溢れていた。
兄を真似た薄っぺらな仮面を被れば、本当の意味で自身を変えることには繋がらないが、それでも波風立たせることなく無難な付き合いをすることができる。
それは自分を護るためと、好意を寄せてくれる相手を自分の所為で傷つけてしまうことを恐れたからであり、幼少期に嫌と言うほど思い知らされた言葉の痛みが少年のトラウマとなっていた。
ともあれ逃げの一手を覚えてしまった冬道は人と上辺だけの深く関わらない付き合いをして成長していく。
冬道の歳が十代も終わりに近づいた頃にやっと家族以外の大切な者ができた。
冬道よりも四歳年上のその人は、いつも自分のことを想ってくれる優しい女性で、後に本来のとっつきにくい性格を知っても笑って受け入れてくれるような人だった。
冬道は初めてできた愛する人に「人のことを思うとはこういうことか」と感じる。その人を傷つけるモノが許せず、時には自身の武力を持って対峙した。
しかし、それには自分自身も入っており、いつかのように自分の所為で傷つけるぐらいならと、愛する人にまで一歩引いて付き合ってしまう。
当然、兄の春道やその最愛の人はよく見ており、その違和感に気付く。その二人も冬道が思うように、冬道を大切で愛する人と思っていたのだろう。であれば冬道が自分に遠慮して本心を隠していることに我慢できなかった二人は決まってこう言った。
「冬道、お前は俺を真似すぎだ……お前にはお前の良さがある。たまには本心も見せろ」
「冬……あなたが優しい人だって私は誰よりも知っているわ。でも……いつも壁があるように感じるの、それが何より寂しいの」
そう悲しそうに冬道によく投げかけ、それが切欠となり本当の意味で少しずつ本心を見せるように変わっていった。
(俺はホントに三人には迷惑ばかりかけたな……。特にお袋はこんな子供で苦労したことは間違いないな……)
苦くもある懐かしき大切な人達との思い出がサクラの頭を過ぎる。
「ほれ、本当はどうしたいんじゃ?」
「できれば俺に力と知恵を授けて欲しい。正直雪山で思い知った……俺は自分の身も守れないと。多分、このまま町へ行っても俺にはどうすることもできない。迷惑をかけるとも、甘えているとも理解しているけどお願いします!!」
腰を直角に曲げるように深く頭を下げながら思いを告げる。リアンからは見えていないがサクラは強い意思が覗く顔つきをしている。
「うむ! お主は悪さを働くような者には見えんしの。よいぞ!!」
「あ、ああ……あ、ありがとう」
「それにそのほうが都合がいい……」
リアンの返事は冷静に返したつもりなのだろうが、即答と言えるほどに早く、加えてちょっと裏返っている。しかも言い放った後の顔は花が咲くように綻ばせていた。
流石にサクラでもその変化には気付くが、自分よりも嬉しそうなリアンの勢いに押され、口篭った感謝を告げる。その途中にボソッと呟かれた声が被ってしまい聞き逃してしまう。
この日、この時、長きに渡る師弟の関係が結ばれ、サクラの人生を大きく変えることになる。
「なら早速記憶喪失のお主に色々と説明せんとな」
「お願いします」
それを皮切りに異世界講座が始まるが、何故か最初はこの家についてだった。
この家は一階建ての正方形に建てられ、正確に東西南北を向いている。
玄関は南側の中央付近に突き出る形で設けられ、そこから家の各所へと続くT字の通路が延びている。 通路は家の中ほどで二つに分かれるが、左側の通路の先には、南側に寝ていた寝室、北側に倉庫兼食料庫がある。だが倉庫には絶対に入るなと念を押された。
逆の右側の通路の先には南側が現在の書斎兼、居間。もっとも、来客が来ればサロンのような談話室にもなる。北側には先程も通った魔法具を使った簡単な調理場もとい台所であり、そこを左に抜ければトイレや洗面所、更には脱衣場が併設された大きな風呂場が、倉庫と挟まれる形で作られている。
屋根を取っ払って上から見ると田の字型になっているのが分かるだろう。
その大きさは、一人は当然としてサクラが増えて二人になっても十分な広さを持つ家だ。
「それは分かったけど、なんで?」
何故にそんな説明するのか理解できず尋ねるが変な顔をされてしまう。
「お主正気か? わしに弟子入りを乞うておいて……まさかカイトの町から通うつもりか?」
「弟子入りって……まあ有り体に言えば……そうか」
「一応聞くが金は持っておるのか?」
「……ないです」
変なことを聞いたのはどうやらサクラのほうだったようだ。
サクラとしては、本格的な弟子入りというよりは助力を願った形なのだが、教えて貰えるなら有難い事この上ないと納得する。それにそうする以外に他にない。まさか色々と世話になっている上に金を貸してくれと頼む訳にもいかない。
だが、サクラの瞳には自分ではなくリアンがその結果に安堵していることが怪訝に映った。
その後は「この話はこれで終わりじゃ!」と言うように他の様々な話をしていく。
この世界に存在する六つ大陸とそこに住む種族から始まり、貨幣や法といった物から魔獣のことを教えて貰い色々と理解できた。
大陸の古い歴史についてはこれでも読んでおけと一冊の本を渡される。『名もなき英雄』と書かれた本は千年以上も前に起こった魔獣との戦乱を記した物で、八つの大陸があったとされる時代。その中を生き抜いた一人の英雄と呼ばれた男の冒険譚だった。
けれども、続く言語と季節や時間の概念といった物の説明はイマイチ理解できない。
急にリアンがありがとう、ありがとう、ありがとうと何度も同じ言葉を口にし、続くように一時間、二時間、三時間と訳の分からない事を言い出す。サクラはその余りの異様さに困惑しリアンの肩を大きく揺らす。
「おいっ! 何言ってるんだ?」
「急にどうしたんじゃ?」
「どうしたも、こうしたもないだろ!」
可笑しなリアンに声を掛けるが「何故そんな顔をしておる?」というような表情で言葉を返される。
そう……サクラは今にも泣いてしまいそうな悲痛な顔をしていた。
「ふふっ、ほれ、わしは大丈夫じゃよ?」
そんなサクラにリアンは困った表情を浮かべ優しく微笑むとサクラの身体を自身の胸に引き寄せ、安心させる言葉を呟く。
サクラはそれを感じて問題ないのだと安堵したが、そう思ったのも束の間、今度はその大きな膨らみに包まれている事を思い出し、物凄い勢いで身体を起こす。
「脅かすな……いきなり同じ言葉を何度も言うから焦るだろ」
「ん? 同じ言葉じゃと?」
「そうだけど?」
「今のは全てが感謝を表す言葉ではあるが、全て違う種族の言語じゃ」
そのような会話をしながらも最後にお互いが「なるほど」と呟いた。
サクラの呟きは、どの種族の言語も翻訳され理解できると知ったからだが、反対に自分がどの種族の言語で話しているのかと疑問が浮かぶ。それも多分はリアンが突っ込まないところを見るに人間の言語なのだろうと推測していた。
しかし、時間と季節は少し違う。大まかに風火土水の月という四つに分かれ、それぞれの期間が八十日で計三百二十日程度あることから地球よりも日数は少ないが年間で四季があると分かる。また年間日数が少ないということは、時間も同じ単位だが地球とは異なるのかもしれないと感じた。
対してリアンの呟きは何処か意味深なニュアンスが含まれていた。
「じゃが、お主……若いと言うても、些か動揺しすぎじゃの。お主なんて呼び方は勿体無い、今日からお主は小僧じゃ」
「小僧!? 俺は二十五歳で一応サクラって名前があるんだが?」
「ふっ、十五も二十五もわしからすれば変わらんの。名前で呼ばれたかったら認めさせるのじゃな」
サクラは確かに毎回ではないが、咄嗟の時は感情を制御できていない。旗から見ると外見も相まって子供そのままといった様子だろう。
それでも実年齢は二十五歳であり小僧などと呼ばれる年齢でもないし名前もあると告げるが、返ってきたのは笑みを含めた挑発的な台詞だった。
「とりあえず紅茶でも入れ直すとするかの」
冷めた紅茶を嫌ったのかソファを立つリアンを横目で見送るが、頭の中では色々と気疲れしていた。
(はぁ……敬語の時も思ったけど、ホントに頭で分かってても勝手に動く身体だ。……ちょっと気をつけないとな)
そんな内心の思いは嘆息だけが部屋に響き渡った。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
最初にブックマークしてくれた方、有難う御座います!勿論ブックマークされていなくても、読んでくれている皆様有難う御座います!
今回からリアンさんへの弟子入りが許され、共同生活が始まります。「むふふ」なこともきっと頻繁に起こるんでしょう……マジウラヤマです……
更にリアンさんの異世界講座ですが三話連続の予定となります。
……長くて本当にすみません。シナリオを進行させたいとは思っているんですが……
それでは、次話もよろしくお願いします。