転移先は雪山
光の魔方陣に包まれた冬道は、現在雪が残る山の中で立ち尽くしていた。
確かに自分はここへと来る前に何処か他の場所に寄った気がするのだが、
その時の事を思い出そうとするが、墨汁に塗れた黒い紙のように何も見えてはこない。
アイギスとのやり取りは容易に思い出せたというのに……。
「はぁ……まあいいか……」
諦めと同時に周囲へと視線を向ける。
冬道の目には雪と木が映る。周囲は狭い範囲を雪に覆われ、奥には針葉樹の木々が見えている。頭上には青い空が広がり、上から見ると森の中に丸くポツンと開いた更地だと分かるだろう。
ただし、一箇所だけ木々が左右に割れ獣道が続く。その間を冷たく凍える通り風が身体を叩きつける。
当然、全く見覚えのない場所だ。
(まっ、多分異世界なんだろうが、なんでこんな所なんだろうな……しかも……まだ朝か?)
考えられる可能性は異世界であり、この場所は寒い地域か標高の高い所にある森ないし雪山と理解する。また頭上に見える空に太陽は見えず、周囲が茜色に染まっていない所から午前だと予想した。だからと言って何か変わる訳でもないが。
この場所に留まるのが愚作であると知り、獣道を見据える。
「まあ獣道とはいえ森の中を通らないで済むんだ……幸運だろう」
本当に幸運なのだろうかという思いを抱きながら、地面に転がる使い慣れた鞄を拾い獣道へと一歩踏み出す。
次の瞬間、違和感が身体を襲う……
「ん……何か変だ」
手にした鞄に違和感を感じた。冬道の持つ鞄は至って普通の物だが、長く使い慣れたからこそソレに気付いた。鞄が何故か少しだけ大きく見える。
更には鞄と同じように履きなれた革靴も踵部分に隙間を見せ、ワンサイズほど大きい靴を履いているように思える。
何故と声を上げる前に自分の腕に目がいった。身体にピッタリと重なり合っていたワイシャツの袖は手首辺りでスプリングのように面白く皺を作り、下半身のスラックスも丈が長く、裾の部分が革靴へのしかかるように撚れていた。
冬道が今の姿を見れば新大卒や入学したばかりの服に着られているといった格好に苦笑を浮かべたかもしれない。
「どうなればサイズが変わるんだ? ちょっと待て……確かアイギスが何か言っていた、ような……」
アイギスとの最後の会話を思い浮かべる。
(向こうに着いたら姿が変わっているわ。とか何とか言っていたような……いやいや、ありえないさ……ははっ)
そんな予想外なことはありえないと言いたかったが、ここに来るまでに散々驚かされており声に出せなかった。
それを忘れるように頭を振りながら衣服を体型に合わせ、靴だけは我慢し再度一歩踏み出した。
地面の雪はそれほど積もってはおらず革靴でもなんとか歩けるだろう。
「はぁ、なんだってこんな」
身体の変化に思わずといったように吐き出た声は、深い森へと吸い込まれていく。
冬道は獣道を十分程歩くと周囲の気温と冷たい風に体温を奪われて情けない声を出す。
「うぅ寒い……早く抜けてくれ……ん?」
寒さに凍る喉を願望で震わすと、不意に不安感に襲われる。
魔獣の存在する世界……ゲームでも森や山は何故かエンカウント率が高いような気がするよね……なんて考えたのがいけなかった。
「ウオォーオーン、ウォオーン」
「本気か!?」
静寂が支配する森の中に何かの遠吠えが木霊する。瞬時に広がる恐怖感にビクッっと跳ねるように肩を竦め、勢いよく聞こえた方を振り向く。だが声の主は幸運なことに離れた位置にいるようだ。今度は間違いなく幸運だった。
しかし、ここは日本とは違い安全は保障されておらず安心はできない。ただし日本でも深い森に入れば熊や猪といった野生生物に襲われる可能性もあり、危険という意味では異世界も変わらない。
だからこそ何時魔獣に襲われても可笑しくはないと足早に歩を進める。
「見えた、出口だ!」
更に獣道を数分歩くと遂に森の終わりが見えた。やっと森を抜けたかもしれないと安堵し駆け出す。その足取りをサイズの合わない靴が邪魔をするが、そんなのは何の障害にもならない。
寒さもあったが何より先ほどから何度も聞こえる遠吠えが気になって仕方なく、最後は無我夢中で走っていた。
「うわぁ……真白だ……けど……」
そこは見渡す限りが白銀の雪景色。
足跡一つ見当たらない雪原が太陽光を反射して眩いほどに煌いている。同時に何の足跡もないことに一抹の不安が背を伝う。ここはもしかしたら町から遠く離れた地なのかと。
一息付き周囲を見渡すと前方の奥に高い岩壁が長く連なり、左側の奥には高すぎる山がそびえ、右側は遠くに青空が覗く。
高山へと続く雪原があたかも太い直線道路のように岩壁と森の間を走っていた。
「と……なると、多分こっちだな。というより向こうは断る」
背に見える高い山を横目にする。ここまで薄いワイシャツ姿で歩き、汗で濡れていて立ち止まると震えてしまう。今の状態で雪山に向かえば自殺行為でしかなく、答えは出ていた。
ここ数日は雪が降っていないのか、シャーベット状のそれを踏むとザクッザクッといった小気味良い音が鳴る。そんな音を聞きながら歩を進める。
「にしても身体能力が上がっているのは本当だな。それと視力や嗅覚といった五感も鋭くなっている気がする」
歩きやすい雪でも不慣れな上に数十分も歩き走り回れば疲れるだろう。冬道の住んでいた場所は滅多に積もらないが稀に大雪となる年もあった。そんな日は休日となることが多く仕事へ出る事はなかったが、家から五分程の場所にあるコンビニに行くだけでも雪のない日よりも時間も体力も必要とした。
五感については元々敏感だったが深い森林から立ち上る草木の匂い、何処からか聞こえる鳥や小動物の鳴き声、更には視線の先を行く雪と同じ真白な兎。それらを今までの感覚で感じ取れたかと聞かれれば首を振らざるを得なかった。
「まあ悪い訳じゃない、寧ろ良い事だろ……アイギスに感謝しよう」
今の冬道は知る由もないが、鋭敏な感覚が恩恵は確かに大きいが冬道の言うように「良い事」ばかりでもない。特に魔獣の中には匂いを武器とする魔獣も多数存在し、そんな魔獣と戦う場合は過敏な臭覚が大きく災いする。
広がった道を半時ほど歩いたか、到着したそこは崖だった。下を覗き込むと森の傾斜面が広がり、地面は見えないが、遠く見える景色が高さを物語る。右側は人一人通れる程度の岩場が崖伝いに続く。左側の奥には今まで通りか少し低くなった岩壁があり、それより少し手前に山を下る道だろう下り坂が見える。
しかし、今の冬道は、眼前の景色に目を奪われていた。
雲一つない澄んだ空には太陽が高く浮かび冷え切った身体に熱を与えてくれる。
遠方の空には、見たこともない黒い鳥が力強く翼を羽ばたかせ優雅に飛んでいる。
地面には、薄緑の絨毯とも呼ぶべき草原や濃緑の大きな森が広がり、小さな丘のような場所も見える。
草原の少し手前には、太い川が右から左へと流れており、視線を流れに逆らうように上流に向けると川が大きく右カーブを描き右側の森へと消える。多分、水源はあの森かその奥なのだろう。
川の曲がり角の辺りには、石造りの城壁と思える物に囲われた町があり、どれ程の規模か正確には分からないがかなりの大きさだ。
日本の景色とはかけ離れた光景が目の前に広がり、冬道を祝福するように鳥や小動物が泣き声で音楽を奏で、先程とは異なる緩やかな風が身体を撫でていく。
「こ、ここが異世界エルピス……俺は本当に来たんだな……」
初めて見るその風景が強く異世界を思わせ、瞳に憧れのようなドキドキと身体に突き動かされるようなワクワクをもたらした。そして声には万感の思いを込めていた。
未知の物を見る期待感に興奮し、頭の中では柄にもなくテンションの上がる国民的ゲームのオープニング曲が盛大に再生されていた。
絶頂の気分に浸る冬道へと何処かで聞いた声が響く。
「ウオォーオーン、ウォオーン」
「ウォオンウォン、ウォオオォォォォン」
「近い……」
その声は森の中で嫌というほど聞いた声だった。
「いや……まあ……確かに気分は大剣持つ狩人だったけど……ホントに遭遇するのは遠慮したいな」
どこかふざけたように声を出すが頭の中では素早く整理を始める。
今聞こえた声は森の中で聞いた遠吠えとよく似ていたが、今のは二回連続した遠吠えだ。それはつまり二匹以上に襲われる可能性がある事を物語る。
しかも森で聞いた時よりもより近くで聞こえ、声の主がこちらに近づいていると理解した。
そう判断した冬道はすぐに決断する。
「逃げよう!!」
頭の中では狩猟民族だがゲームと現実は違うのだ……。
ここまで読んで頂き有難う御座います。
やっと異世界へと来れました!と言っても、話的には全然進んでません……異世界に来て数時間から下手すると数十分って所でしょう。
やはり、もっと簡潔に書いて、進行速度を上げるべきか悩みます……
それでは、また次回も頑張りますので宜しくお願い致します。