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「纏え」
声をあげると、天から光が降り注ぎマリアを包む。その光は次第に収束し、次の瞬間には美しい青と白が混じった鎧になった。
「マリア、俺たちじゃ回すのは困難だ」
「やって見なければ分からないわ」
「違う。力の上では回せる。確実にな。でも、俺たちじゃ力が強すぎるんだ。それに、手が小さいから力が一点にかかり過ぎて、歯車が痛む可能性がある」
何より、壊れることが一番怖い。自分で直せない物であればなおさらだ。
「こうして居る間にも、戦いで人が死んでいるの。話を聞いていると、たとえこの歯車が回ったとしても、すぐには流量が変わらないみたいじゃないの」
流れていく分もあるから、溜まる速度も遅い。流れ出す量よりも、流れ込む量の方が多いから昔は流量が多いという話なんだろうけど、そこまで回復するには当分かかるだろう。
「それに、手が小さいのはこれでカバーできると思う」
マリアが呼び出したのは、対魔王側近戦でよく使っていた神光剣ヴジョストだ。ぶ厚く幅があり、何より頑丈だ。
それを鞘に納めたまま歯車の隙間に差し込み、押すらしい。
色々と突っ込みどころがある使い方だが、マリアのいうことだ。もうやること以外考えていないだろう。
「集え」
俺が呼びつけると、周囲に黒い靄が集まり、それが晴れると艶消しの真っ黒い鎧となった。
「おっ、お主らは魔法使いではないのか?」
突然鎧をまとった俺たちに、ベザは驚きながら聞く。
マリアはともかく、普通の人間であれば俺の姿を見れば「魔王だ」と恐れおののくのに、ベザたちトロルは驚くにとどまる。
その反応が新鮮で面白い。
「魔法使いが力を跳ね上げるための服さ」
そういい、兜の中で笑う。久しぶり――というほど長い時間、着ていなかった訳ではないが、あの無人島でマリアと戦ったのがかなり昔の記憶の気がする。
「思い切り押しても大丈夫だよな?」
「欠けることなく、折れることなく、曲がることのない、神の御業によって作られた剣よ。歯車如きで壊れる代物じゃないわ」
「なら安心だ」
軽口を叩きながら、歯車の左右に立つ。歯車の隙間から神光剣ヴジョストを差し込み、俺の方まで通してもらう。
「いくぞ」
「いつでも良いわよ」
準備ができたところで、声をかける。「3、2、1、」とカウントダウンを始め「0」で力を合わせてある程度の力で押した。
「セシル、もう少し力を入れて」
「こっちはぬかるんで、力を抜いていても足が――」
「なら、こっちで調整してみる」
巨大な歯車を回すのに、なぜ力を抜く必要があるのか。それは、先ほどもいった通り、力が強すぎるので全力で動かすと壊れる可能性がある。
一人でやるにしても、片側に――斜めから力がかかるので、それもシャフトが曲がる原因となる。だから、〝息を合わせる〟という面倒くさい方法を取らなくてはいけない。
ゆっくりと力を入れていくと、歯車が少しずつ動き始めた。
「おっ、おぉ! 動き始めたぞ!」
ベザを中心として、トロルたちが動き始めた歯車をみて興奮し始めた。
「よし、もっと力を入れるぞ」
「分かったわ!」
足を踏ん張り、今までとは比べ物にならないほど力を入れて歯車を回した。すると、微かに動いていた歯車は大きく進み初め、周辺の大小色々な歯車も連動して少しずつ動き始めた。
「セシル、早くこっちへ!」
「おっ――うおっ!?」
回転する歯車の間から跳び抜けようとすると、予想以上に早く回転が加速してしまい、タイミングを合わて跳び出すどころの話ではなくなった。
「ちょっと、セシル!? 速くなってきちゃったわよ!」
「こりゃ予想外だな」
「予想外――って。どうしよう……もう一回止めないと……」
落胆するマリア。どうにかして歯車を止めずに俺を出すことはできないか、と考えている。
止めずに出るなら、わずかにある隙間から芋虫のように地を這い、歯車に引っかからないように抜けるか、あえて歯車に飛び込み弾き出されるか……。
どちらにしても情けないし、大怪我はしないと思うが痛いので嫌だ。
悩むマリアの後ろで、トロルたちは涼しい顔だ。
ったく、お前たちの装置を直しているんだぞ。
「セシル、セシル」
トロルたちの顔にイラついていると、近くから呼ばれる声がした。
歯車の向こう側からでは、歯車の回転音が煩すぎてこのような普通の声では聞こえない。
まるで、歯車の俺の側から聞こえている――。
「こっちだ、こっち」
「ベザ!? なんであんたが!」
いつの間にか、ベザが俺の後ろに居た。回し始めにこちらに来てしまっていたのか。これではもう、歯車を止めるしかない。
「何やってんだよ、あんた」
「なんじゃ。お主を助けに来たというのに」
「助けに? どういうことだよ?」
「こっちだ」
そういい、ベザは点検用のフタを元に戻すと、そこには『検査用通路』と書かれたドアがあった。
「なんだこれは!」
「我々はいつもここを通って、歯車のこちら側の点検をしている」
「こんなに便利な物があるなら早く言えよ!」
検査用通路に入ると、いったん下へ行き、通路を通って再び階段を昇る。そして出てきたのは、歯車への魔力を溜めて置く魔力炉の隣のドアだった。
何だったんだ、さっきまでの苦労は……。
これを先に言ってくれればわざわざ歯車を止めること――、と少し思ってしまったが、そういえばパイプを交換するには取水を止めなければいけなかったので、どちらにせよ止めるほかない。
なんだか、どっと疲れた一日だった。
★
「さぁ、飲んでくれ」
「ありがとう」
作業が終われば、その打ち上げだ。
トロルにしては珍しく農耕をやっているらしく、野菜を地下で作っていた。ヒカリゴケが太陽の代わりをして、水は歯車が。これも歯車の管理の恩恵らしい。
森の妖精らしく肉は食わないらしいが、その代わり歯車でくみ上げている水の一部を利用して、洞窟内で魚の養殖もしているらしい。
その養殖場を見せてもらうと、鯉のような大きくまるまると太った魚が泳いでいた。
「一時はどうなるかと思ったが、お主らのおかげで大いに助かった。礼を言う」
「それは、こちらも同じだわ。湖の水が元通りになって下流へ流れる量が増えれば、それだけで争いが減るもの」
マリアの願いは終始一貫している。残念ながら俺は、マリアが心を痛めるのを見たくないがために、ベザたちを手伝った。
いやまぁ、途中から歯車の方へ興味津々になっちゃったけどさ。
「このきな粉パン美味しいわね」
「そうでしょう? しっかりと炒って、香りを立たせてから混ぜるの。余計な物は混ぜずに、きな粉だけを混ぜるから香ばしいでしょ?」
ベザの奥さんが焼いてくれたきな粉パンが気に入ったのか、マリアは先ほどからそればかり食べている。
俺も、久しぶりに柔らかいパンが食べられてアゴが労われる。そろそろ固パンが無くなりそうなので、パン作りができる環境を整えたいな。
「家内特製の、パン種もある。持っていくか?」
「いいんですか!? わぁーい」
ベザ夫妻にとって、俺たちの年齢は赤ん坊と同じだろう。そのため、パン種だけではなく、色々とくれるので、「あれ要るか? これ要るか?」と先ほどから大騒ぎだ。
「さて、ある程度食ったら、酒を出しても良さそうだな」
ベザが取り出した|壺《》つぼからは、不思議な香りが立っている。甘い香りだが、初めて嗅ぐ香りだ。
「猿酒かしら?」
「おぉ、よく分かったな」
俺は知らなかったが、マリアは過去に飲んだことがあるのか、その香りの正体であるお酒の名前を言い当てた。
「なんだ、それは?」
「サルが木のくぼみに果物を貯め込んで、それが発酵してお酒になったものだったはずよ」
「器用な猿だな」
初めて聞く名前だと思った。魔界には猿は居ない。それに、こんないい香りを放っていれば、魔族がすぐに見つけ飲み干すだろう。あいつらは、酒の匂いがする場所に集まるからな。
「本来はそうだが、これはワシが自分で作ったトロル猿酒だな」
ベザの奥さんからカップを受け取り、そこへ注いでもらう。
ワインともミードとも違う香りだが、不思議と嗅いだことがある気にもさせる香りだ。
一口含むと、口の中に色々な果物の香りが広がった。まだ発酵が浅いのか、酒精の香りは薄っすらとしか鼻に上がって来ないが、その代わり果物の香りが一気に駆け抜ける。
「美味い」
「美味しいわね~」
どちらかというと、果物ジュースのようなものだ。
「これは漬かりが浅いから、ここに酒精が強いだけの酒も合わせる」
今度は、サル酒を少しだけ入れて、そこに乳白色の酒を注ぎこむ。色味としては食欲を失せさせる色合いになったが、香りだけは良い。
「辛っら!?」
「熱い……」
先ほどのサル酒の香りは、気持ち程度になっていた。そのかわり、脳天にガツンと来るお酒の味が口いっぱいに広がった。
「辛いのは確かだが、こうすることでサル酒の甘ったるさが無くなって、スッキリと飲めるだろう」
まぁ、確かにそういわれればそうだけど、俺はさっきのままの方が良いな。マリアはというと、「熱い、辛い」といいつつ注がれた分を飲み干し、すぐにベザに追加で注いでもらっている。
「魔法使い殿は、お酒を飲んでおられるか!?」
ノックもなしにベザ家のドアを開けたのは、共に歯車の修理をしたトロルたちだった。彼らは各々酒や食い物を手に持っていた。
「トロルは酒飲みだからな。先に飯を食って腹を満たしておかなければ、馬鹿みたいに飲む」
「なるほど、それで」
人間の場合は飯の間に飲んだり、つまみを片手に飲んだりする。
打ち上げとは言いつつ食事を先にするから、おかしいと思っていたんだ。それがこんな理由だったとは。
トロル。なかなか面白い連中だ。
次話は、本日お昼頃に投稿します。




