烙印
「おいっウジルッ! 俺は前線を下げるなとお前に命じたんだ、聞こえなかったのかッ!?」
本部へ戻ったウジルに、上官は開口一番そう怒鳴った。
「いえ、聞こえていました!」
「じゃあ、なぜ後退を命じたッ! お前の隊が到着したときにはまだB区画は占領されていなかったのだろう!」
「はい、しかし敵兵の数が多く、自分の分隊だけでの迎撃は困難と思われ───」
「うるさいっ減らず口をたたくなっ!」上官の拳はウジルの頬を捕らえ、鈍い音とともに振り切られる。
「─────ッッ!」
「ウジル、お前は利口で優秀な兵士だと思っていたのだが、死への恐怖に怯える臆病者だったとはな。教育が足りないか、今日は懲罰房へ行け」
「……はい」殴り倒され血の滲む口内で歯を食い縛りながらウジルは答えた。
あの後、前線は後退、B区画の半分がオルラルの軍によって占拠された。
しかし、先立って戦闘を行っていた隊では何名かの犠牲が出てしまったものの、ウジルの分隊を含めた救援組の兵士たちに死傷者はほぼ皆無。
あの状況では十分すぎる戦果であると言えた。
「ラシオ」
「はい!」
「今日からウジルの代わりにお前が分隊長をやれ」
「了解しました」
「よし、戻っていいぞ。ついでにウジルを懲罰房に連れて行っておけ、それと──」
上官は何かをラシオに投げ渡す。
「お前の昇格祝だ、隊の仲間と分けろ」
そう言って上官は本部の奥の部屋へと入っていった。
「ありがとうございます」
ラシオは上官の背に頭を下げる。ウジルは投げ渡されたものを見た。
(マリファナか、僕たち子供を従わせるには麻薬中毒にするのが一番手っ取り早いと言うわけだ……)
手にしたマリファナを見てほくそ笑むラシオを、ウジルは何処か遠い存在に感じた。
同郷の旧友が変わって行く様を他人事のように思っていた。
「そういえばお前、初めての懲罰房行きだなぁ。まあ、烙印なんてすぐに終わるさ」
懲罰房へと向かう最中、ラシオは髮を剃られた左側頭部を見せながら言う。
そこにはアンバー・ピューポルの掲げるブエルト山脈を簡略化したようなマークと、Χ印が痛々しく刻まれていた。
「烙印、か。そんなものをして何になるんだ、一生涯消ることのない傷が増えるだけじゃないか」
「おいウジル、そんなこと間違っても上官の前で言うなよ? あいつらみたいになるぞ」ラシオが顎をしゃくって指した先には片足の少年が居た。「お前だってカカシにはなりたくないだろ?」
彼らは戦場で片足を失ったのではなかった。脱走などの罪によって上官ら大人たちに片足を切り落とされたのだ。
片足となった兵士は脱走を謀った臆病者であり、その姿から案山子と揶揄され、嘲笑と侮蔑の対象となった。
この案山子の制度は、子供たちに脱走を考えさせない為のものだった。
「大人たちも無意味なことをするよな。自分たちで戦力を減らしてる」
「別に減ってるわけじゃないだろ? カカシだって戦場へ行かされるんだ」
「機動力が格段に落ちるだろ? 死ななくていい場面て死んでいく片足の兵を、僕はたくさん見てきた」
ウジルは彼らのことを案山子とは決して呼ばなかった。
「でも、隊が危険に陥ったとき囮として使える。そうやって生き延びた分隊や小隊も多いと聞いたぞ?」
「結局人は死んでるじゃないか」
「死んだのはカカシだろ? 臆病者が最後に役立ったんだ、奴らも本望だよ」
「……ラシオ、お前……」
「うん?」
本気で不思議そうな顔をするラシオを見て、ウジルはため息を吐いた。
(ラシオも本当に変わってしまった。昔は優しい男だったのに……しかしそれは彼だけじゃない、この場所が、環境がいけないのだ)
酒を酌み交わし騒ぐ少年兵たちよりも、他の仲間とは離れてパンをかじる片足の少年の方が、ウジルにはまともに見えた。
「どうなっていくんだ、この国は……」
「どうしたんだよウジル。今日はなんだか悲観的だな、初の懲罰房がそんなに嫌か?」
「僕はいつも通りだよ、頭の中ではこんなことばかり考えてる。戦争が始まってもう何年たった? ドラント政府は早々に瓦解、事実上このアンバー・ピューポルがこの国を乗っ取っている」
「おい、まじて言葉が過ぎるぞ、そんなこと言ってるのがバレたら確実にカカシにされちまう」
「だけど実際そうだろ? 文字通りこの国は無法地帯と化している」
「そうかもしれないけど……だけど俺たちアンバー・ピューポルのおかげでオルラルからこの国を守れているんだ、それは良いことだろ?」
「……」
ウジルは何も言えなかった。言っても無駄だということを悟った。
(良いことだと? 人間を消耗品として使うような、こんな腐った奴らが国を支配しているんだぞ)
ラシオの側頭部にある忌々しい烙印を見た。
あれが自分にも刻まれると思うと狂ってしまいそうだった。
懲罰房が見えてくる。
ラシオは一段と声を明るくして言う。
「まあウジル、懲罰房も今日一日だけだろ? お前の分のマリファナは残しといてやるから安心しろ」
ラシオは心底幸せそうな笑みを浮かべ麻薬の入った袋を見せる。
「僕はいいさ、余った分はラシオにやるよ」
「おっ? ほんとか、悪いな、へへへ」
片手を振って懲罰房から離れてゆく友を見送り、ウジルは2年前に別れてしまった母親と妹のことを想った。
(母さん、エトナナ……会いたいよ)
ドラントの隣国、フルエストロとの国境には、ドラント国内から逃亡する避難民を迎え入れ、保護してくれる、難民キャンプがあると聞いた。
父亡き今、どうか遺された家族だけは無事で居てくれと、切に願った。