怪獣少女
「お父さん、わたし決めた。怪獣ニャラボスを調教するわ」
ごはんを食べるお箸を高々と上げながら、橘楓(八歳)は意気揚々と宣言した。
地震、大規模事故、戦争、格差や貧困など、あらゆる厄災が起こった二十一世紀において、最大級の驚きを持って迎いれられた人類未曾有の大災害、怪獣ニャラボスの出現。
猫のような耳が特徴の体長百メートル近い巨体の超生物(ネコ科の突然変異というのが専門家の見解)に真っ向から挑まんとする娘の突然の告白に父は驚愕した。
「いったい何を言い出すんだ楓?」
「この前テレビで獰猛なライオンを躾ている調教師さんを見たの。ああいう風にちゃんとしてあげれば、ニャラボス殺さなくてもすむんじゃないのかなあ」
それを聞いた父は少し安堵した。
頭が急におかしくなったのではなく、先日国連が総力をあげてニャラボスを退治しに行くかもしれないというニュースを聞いて、娘にも思うところがあったらしい。
「うんうん、楓は優しいなあ」
「ねえ、そのためにはまずどうしたらいいのかなあ?」
「そうだなあ・・・・、まずはいっぱい食べて大きくならないといけないなな。ニャラボスは巨大だし、楓も大きくならないと。たとえば楓が嫌いでよく残すお魚もしっかり食べなきゃダメなんだぞ」
「お魚食べれば大きくなれるの?」
「ああ、なれるよ」
「わかった。わたし頑張る!」
そいうって楓は一生懸命おかずのお魚に手をつけてほうばった。その光景を父は頬笑ましく見つめていた。
次の日、楓はニ匹の魚を頑張って食べた。次の日には四匹。
その量は倍々でどんどん増えていき、半年後には、楓は一日四千トンの魚を消費する、体長百メートルの少女になった。
ニャラボスが東京の街に現れた一報を聞いて、楓もまた住んでいた木更津から出発した。
住民の迷惑にならないように東京湾を移動し、レインボーブリッジをまたがって内陸に入った。
高層ビルよりも大きいニ体の超生物は、東京の街のど真ん中でお互い相対した。
楓はスポーツメーカーミ○ノがスポンサー契約で作ってくれたスクール水着を着ていた。一万人分のスクール水着の生地で作った、伸縮性にすぐれた水陸両用の特注品だった。巨大になった娘の裸を不特定多数の人に見られるのは耐えられない、普通のスカートではパンツが見えてしまうと危惧していた父親もこれなら安心だった。
また頭にはネコ耳風カチューシャを着けていた。ニャラボスの警戒心を少しでも柔られげるための作戦だった。スポンサーは「楓たんにネコ耳をプレゼントしようぜ」スレッドに集まったネット上の有志の面々だった。これには父親も「さすがにマニアックだろう」少し不安がった。
「ニャラボス言うことを聞いて。あなたはこのままでは殺されてしまうわ」
「がおー」
楓の説得に対しニャラボスは聞く耳をもたなかった。というか言葉が通じているはずがなかった。
種族の違う二つの生命体、もはやお互いの主張を理解させる言葉はただ一つ、肉体言語という名のキャットファイトしかなかった。
「うりゃー」
「ぎゃおー」
二体はとっくみ合い、そのまま体制を崩してゴロゴロとビル群を転がった。
屋根の先端が尖ったような施設や鉄塔が二人を行く手には何本もあったが、ニャラボスの皮膚はスーパーニャラボニュウム細胞という特殊な堅い細胞でできていて傷一つかなかった。対する楓も人体の神秘のおかげで無傷だった。幼い少女の柔肌を傷つけるものなどこの世にはあってはならないのだ。
そして、まるで巨大なローラーが踏みつぶしていくかのごとく、二体の転がる先のビル群をガシガシと倒し続けてた。そのあとには何も残らなかった。
「おとなしくしなさーい」
「おんぎゃー」
楓はとにかく力任せにラリアットや水平チョップ、蹴りなどを繰り出して攻撃するも、型もなく、力のちゃんと伝わっていない攻撃はニャラボスにまったく効いていなかった。
対するニャラボスも自分と同等の大きさの相手は初めてらしく、どうしていいか分からないようで、力のない牽制をするのみであった。お互い決め手がないまま、闘いは泥仕合へと発展していった。
そんな中、最初に悲鳴をあげたのは楓の着ていたスクール水着だった。左肩の部分が徐々にほつれていって、今にも千切れそうになってきた。
このままっでは今や新幹線の先端ほどの大きさがあるであろう大事な娘のぴんく色の乳首がポロリして、衆目に晒されてしまう。
父はいてもたってもいられず、自らがスクール水着の繊維をつなぎ止めるボタンになろうと、軍のヘリを奪い上空二千メートルからパラシュートでニ体のもとに急降下した。
「楓、今いくぞー!」
「お父さん?」
父親の声は娘に届いた。だがそれが闘いの最中に敵から目を逸らすという一瞬の隙になってしまった。ニャラボスの腕が大きくしなり渾身の平手打ちがとんできた。
「避けろ、楓!」
「!?」
プチっと何かがはぜる音がした。
間一髪、楓は上体を反らして一撃をかわしたが、その腕の軌道上には、彼女の肩めがけて急降下していた父がいた。ならばあの音は・・・・
「お、お、お父さん、死んじゃやだ~」
楓は泣いた。人目もはばからず、今の状況もすべて忘れて、一心不乱に泣いた。そこにいるのは体長百メートルの人類最強の巨大超生物ではなく、か弱い一人の少女だった。
その光景に世界中が悲しみに包まれた。親子の絆の大切さは世界共通、それを失う悲しみもまた、世界中のすべての知的生命体に通ずる感情であった。
そしてそれはニャラボスもまた例外ではなかった。人が蠅や蟻といった小さい生物の命を軽んじるように、ニャラボスもまた小さすぎる人類など、命のうちに入っていない存在であった。
だがしかし、自分と同じ大きさであり、思いっきり競い合った同等の相手である楓の涙を見て、ニャラボスにもまた新たな感情が溢れてきていた。慈悲であり、慈愛の感情である。
今もまだ大泣きする楓の前にニャラボスはゆっくりと近づいていった。そして右の手を差し出した。
「ニャラボス、何を・・・・?」
楓はニャラボスの手のひらを見た。するとニャラボスの手のひら肉球の間から、父親が姿を表した。先ほどのプチッという破裂音はパラシュートの発した音であり、父親は肉球の間に挟まれて奇跡的に無事だったのだ。
楓の顔に笑顔が戻り、彼女はニャラボスに抱きついた。
「ニャラボス、ありがとう」
「がおー」
これが人類と怪獣、二つの異種生物が、初めて心が通じ合った瞬間であった。
それからニャラボスは楓に説得され母なる海へと帰っていった。るるるる~。
楓は食べる量を少しづつ減らしていく食事制限ダイエットで、一年後には普通の身長と体重に戻った。すごいね、人体!
めでたし。めでたし。
(了)