屋敷を出よう
降りてきたときのように壁を登ろうとすると、「とんだお転婆なご令嬢だな」とセイディアさんが呆れて、魔法で階段を作ってくれた。初めて見る生の魔法に気分が高まる。
「それでは、うまく父をたぶらかしてくださいね」
「実の娘の言うことか」
突っ込まれたがそのまま魔法の階段を駆け上がり、自分の部屋の窓に足をかけた。
かけたまま、 固まった。
目の前に、腕を組んで仁王立ちしているローザがいたのだ。
二人の子供を産み育ててきた逞しい母親を前に、尻込みせずにいられようか。いや、いられない。
「ロ、 ローザ……」
「アリア様、そこは出入り口ではないと思いますが?」
にっこり言われたが目が笑っていない。
ローザは基本的に私にやさしい女性だが、この屋敷のメイド長。
義母を相手にしながらも生き残ってきた人物なのだ。
ある意味、この屋敷で最強ともいえる存在だ。
私はそれから半刻ほど、父が呼びに来るまで説教されたのだった。
自分で呼びに来た癖に、父はイラついていた。
「アリア、自分の立場を考えるんだな。余計なまねはするな」
「…はい、お父さま」
返事をしながらも、あからさまな態度に失笑する。
セイディアさんと交わした「取引」の第一段階でここまで動揺してくれるとは、うきうき二人で打ち合わせしたかいがある。
先ほどの広間に行くと、カイルさんとセイディアさんがなにか話していた。だが、私と父を見ると、カイルさんが朗らかな表情を浮かべる。父もそれに倣うかのように笑顔を張り付けた。
「アリア、カイル殿が滞在中お前と話をしたいとおっしゃられているのだが…」
「屋敷に閉じこもってばかりでは、体もなまってしまうだろう? 父上殿は体調を心配しているが、幸いにもこちらにはセイディアがいる。彼は治癒魔法も得意だから、君の負担にならないようにはできると思うよ」
要は、自分たちの視察についてこないかというお誘いだ。
「疲れてしまったのなら、私が背中を貸せる」とカイル様はウィンクしてみせた。父の表情がますますこわばる。どうしよう、笑いそうだ。ちらりとセイディアさんを見ると、彼も父の様子に気づいたらしく、頬をくいっとあげる。
「おじゃまには、ならないのでしょうか? お仕事でこられているのでしょう?」
「ああ、主に"彼"がね。見ての通り、この魔術師は無口で見かけも怖い。領民を怯えさせないためにも、ここの領主の娘である君がいてくれたら助かるんだよ」
「それならばエバンナのほうが気の利いた話もできるかと」
最後の足掻きかそう提案する父に、カイルさんは「半分は私情ですよ。シェリーナの話も聞かせてあげたい」と切り返す。
そういわれてこれ以上引き下がるのも逆に変な話だ。結局のところ父は渋々承諾したのだ。
ローザに身支度を手伝ってもらい、嫉妬のこもる視線を義姉から頂いた後は、父の「わかっているな」の空気も無視して、「行って参ります」と馬車に乗り込んだ。
乗り込んだ瞬間に、向かいに座っていたセイディアさんが「首尾よくいったな」と口を開く。
「セイディアさん、立ってただけじゃないですか」
「ああいうのはカイルに任せたほうが早い。父親が魔法で吹っ飛ぶところを見たかったか?」
「ええ、多少は…」
「談笑中のところ悪いんだが、詳しく事情を知りたいね」
セイディアさんの隣に乗り込みながら、カイルさんが溜息をつく。
「アリアを屋敷から連れ出せという指示を魔術師殿からもらったのだが、いったいどういうことだい?」
「さっき、アリア嬢と取引をした」
「取引だって?」
「巻き込んでしまってごめんなさい、カイルさん。でも、屋敷にいたままではダメだと思ったんです」
だって、私の体は丈夫ですしね。
そういえば、やや目を見張り「じゃああの噂は…」と呟いた。
「なんていうことだ…もっと早く様子を見に来ればよかった。アリア、すまない」
「いえ、むしろタイミングはよかったです。カイルさん単独ですと、父はうまく逃げ切っていたでしょう。セイディアさんという予想できない行動をする人物が必要でした」
「ずいぶん言うな」
「そのおかげで屋敷を出られたという意味ですよ。 感謝しています」
頭を下げると「その程度では満足しないんだろう?」と言われた。
会って間もないのに、私のことをよくわかっていらっしゃる。
「そうですね、では本題に入りましょうか。 カイルさん、私は先ほどセイディアさんと取引をしました。私をヴァーリアン家から連れ出す代わりに、今回の本当の仕事をお手伝いするというものです」
「…セイディア?」
「カイル、お前の幼なじみの娘はとんだ食わせもんだ。年齢で判断してはならん」
「失礼ですね。そうならざるを得ないと説明したじゃないですか。私だってまだ子供ですよ」
精神年齢は同世代よりは上かもしれないが、ぴちぴちの十歳なのです。
カイルさんはまだ状況についていけなさそうだったが、頭を抑えて落ち着こうとしていた。
なんとか、私がその辺の子供よりは頭が回ることと、屋敷から出る手伝いをさせようとしていること、そして実の父の悪行をあばく手伝いをしようとしていることを理解したらしい。
「セイ、君が誑し込んだのか?」
「人聞きが悪いな。俺は話を持ち込まれた側だぞ」
「その通りです。私が協力してほしい側なのです。――ヴァーリアン家を潰すために」
表情なく告げれば、また驚きで目が見開かれる。
「父は領主になるには強欲すぎました。中心が自分なんです。領地のことも領民のことも…母のことも、あの人にとっては自分を満足させるだけにすぎない道具としかみていないのですから。そんな腐った貴族なんて根元から切り落とさないと、いずれは根を伸ばして周りに迷惑をかけますからね」
心底いやそうな顔をしていたのか、セイディアさんが噴き出す。
さっきから笑いの沸点が低すぎやしないか、お兄さん。
「……君は、いいのかい? 実の父親だろう」
「父親らしいことは一切してもらってませんからね。一族として共に責任を負うべきでしょうが、あの人たちと並んで墓に入るのは心から遠慮します」
それで、と。
かわいらしく小首をかしげてみせた。
「この取引、続行してもよろしいですか?」
言っていることはまったくかわいくないのだが。
茫然とするカイルさんと笑っているセイディアさん。
馬車の中はいまだに何ともいえない空気に包まれたままだった。