不機嫌な魔術師
この世界には、偉大なる魔術師の伝説が残っている。
左手に魔法の杖を持ち、右手には剣を持って戦う姿が書物に記されていることから、魔法戦士の象徴としていわゆる子供たちの憧れのヒーローといったところだろうか。かつて魔王を打ち砕き、世界に平和をもたらしたとされている。
その人の名前は、「世界」が隠したためどこにも残っていない。
比喩か詩のようだが、本当に、どこにも名が記されていないのだ。
ただ、「聖天の魔術師」だとか「歴史の破壊者」だとか、呼び名は色々ある。
どんなチートだ。
こんな風に、どの時代にも優秀な人材はいるもので。
私の暮らしているリファルス国にも王の専属魔術師として名を轟かせている人物がいた。
彼の名は、セイディア・ルーフェン。
まだ若いらしいのだが、その実力から国の英雄としてまつられている。
そんな彼が、父の収める領地の視察にくるというのだ。
国には、防衛線という名の結界が張られていて、それは国に属する魔術師たちが定期的に調整し、張り続けているもの。魔物も少なくはない国なので、それによって治安が守られている面もある。
魔術師の不足している国に比べると、一目瞭然の平和っぷり。
毎日のように魔物や魔族と戦争している国もあるのに、リファルスではここ何年もそんなことは起きていない。
せいぜい援軍を送る程度だろう。
そりゃあ、父のような愚直な権力者ものさばるわけだ。
真に恐ろしいのは人間かもしれない。
政治のことを私が考えても仕方ないので、自分のことに戻ろう。
私にとっては都合がよく、父にとって問題なのは、セイディア・ルーフェンの付き添いとして城から派遣されてくる人物。
王が信頼する臣下の一人で、どうやら私の母の幼馴染らしい。
その人が、娘である私の様子を視察ついでに見に来たいと言い出したのだ。
普段ならば、いないものとして部屋に押し込まれるのだが、相手は城の使いであり、かたや国内最強の魔術師。
ウソがばれた時に起こりうる損失を考えれば、私を表舞台に出したほうがいいと父は判断したのだろう。
…そりゃあ、病気で寝ていますとか言って魔術師さんに「いや、ものすごく元気そうですけど」とか言い当てられたらどういうことだって話ですしねぇ。
「余計なことはするな」と何度も脅されながらも、いま私は義母や義姉たちと一緒に玄関でお出迎えをしているということだ。
二人に嫌悪の目で見られていても、気にさえならない。
だってこれは、私にとって重要なイベントなんだから。
「これはこれは、どうぞいらっしゃいました」
父が余所行きの顔で、馬車から降りてきた二人の男性に声をかける。
栗色の髪の毛でやさしい顔立ちと男性と、黒髪でどこかけだるそうな男性が見えた。
「お久しぶりです、ヴァーリアン伯爵」
「カイル殿、お変わりのないようで」
どうやらあの人が母の幼なじみのようだ。
私を見ると、一瞬目を見開き嬉しそうに笑みを浮かべた。
だがまずは、義母と義姉に会釈をする。
「そちらが伯爵夫人に、その娘さんですね」
「主人がお世話になっております」
カイルさんの笑みに義母は顔を赤くして挨拶している。
イケメンなので仕方がないか。カイルさんは私に「君が…」と顔を向けた。
「君が、シェリーナの…」
「アリアと申します」
あまり慣れていないがスカートを軽くつまんで挨拶をする。
部屋で一人で練習して爆笑していたのだが、どうやらちゃんと形にはなっていたらしい。カイルさんは笑わなかった。
「シェリーナ――君のお母さんにそっくりだよ」
「カイル殿、先にご紹介にあずかりたいのだが」
父が肩をすくめる。「おっと、そうですね」とカイルさんは苦笑する。
それから黒髪の男性を近くに呼んだ。
「彼が魔術師のセイディア・ルーフェンです。セイディア、こちらはヴァーリアン伯爵だ」
「…この度は突然の訪問になり申し訳ない。お会いできて光栄です」
セリフが棒読みだ。
むっつりと、まったく光栄そうではない。
父が長々と社交辞令申し上げているときも、彼は表情を変えない。
カイルさん同様に顔は整っていたが、目つきが鋭く眉が少し寄っているので威嚇しているかのようにも感じられる。
いや、父を警戒するのは仕方のないことだけれど。
私がじっと見ていたのに気付いたのか、セイディアさんは片眉を少しだけあげた。
「魔術師を見るのは初めてか? レディ」
見た目とき異なり、女好きのする声だ。
低めのセクシーボイスは、前世の世界ならさぞかし耳で死ねる女子が増えただろうに。
カイルさんに照れていた義母ならず義姉までもが、彼のにじみ出るフェロモンにボ~っとしている。
私はせいぜい子供らしく笑って、「初めてお会いしました」と答える。
その反応に彼は珍しそうにする。
普段されてきた正しい反応は、私の隣の二人のようなものだろう。
「アリアは母に似て体が丈夫ではないのでね、あまり外に出さないようにしているのですよ」
「それは…平気なのかね? 医者はなんと」カイルさんが心配そうに聞いてくる。
「なに、普通に過ごす分には問題ないです」
最初から用意していたであろう台詞をつらつら述べる父に呆れながらも、否定はせずに控えめに笑っておく。ここで騒動を起こしたところで、いい結果になるとは断定できない。
それから広間に行き、優雅なティータイムが行われた。
カイルさんが女子供が退屈しないようにと旅先での話を聞かせてくれり、王城内のちょっとした面白い話などを聞かせてくれる。それからしばらくして仕事の話に移り、男たち以外は席をはずすことになった。
私は義姉がいちゃもんをつけてくる前にそそくさと自分の部屋に向かうため階段をあがる。部屋のドアを閉め考え続ける。
(母さんの幼なじみと国の魔術師…)
彼らがいれば、私も下手なことはされないだろう。
ただ、どう接点を持つべきか。
こちらは十歳の子供だ。
動ける範囲なんて、決まっている。
私は悶々と考えながら、部屋の窓を開けた。
北向きの部屋の下は庭のはじっこ。
私はカーテンの裏に隠してあった長いロープを窓から垂らして、上品とは言えないがスカートを手繰り寄せて足元が自由に動けるようにまくりあげる。ロープを命綱に屋敷の壁のでこぼこを利用して、うまいこと地面に降りた。こうやってたまに部屋を抜け出していることは、ローザにさえ教えていない。おそらく「はしたのうございます!」と叱られるから。
庭にある大きな木の陰に隠れてしまえば、屋敷にいる者から見えない。
ここが昔からの私の逃げ場所だった。
木によしかかり、ふうと息をつく。
"魔術師を見るのは初めてか?"
魔術師だけの話ではない。
私はこの国を、文字の中でしか知らない。
王が住む城も、そこに住む人々も、街の様子も。
私は、なにひとつ知らないのだ。
ああ、なんだか少しだけ現実を思い出して悲しくなってきた…。
思いつめるの中断! とネガティブな考えを追い払っていると、さくりと後ろで草を踏む音がした。
振り返ると、先ほどであった不機嫌そうな魔術師がそこに立っていた。