初めての依頼
声をかけられたアリアは、体を少し向けて立ち止まる。
青年とは言ったが、あまり自分とは離れていなかったようだ。先ほどは身長で判断してそう思っていたけれど、かぶったフードの下にある顔立ちはまだ幼さが残っている。二、三歳くらい上だろうか。
「きみ、さっきの子だろう?」
「おにーさん、ナイスキャッチでした」
親指を上げて感想を告げると苦笑しながら「ありがとう」という。
「支部長に連れていかれたから、大丈夫かと思って」
「心遣い感謝します。無事に登録もできるようです」
「そっか、よかった。目の前の出来事だったから、気になっていて」
彼はにこりと笑う。
アリアは首を傾げて「わざわざ待っててくれたんですか?」と聞く。すると、照れたように視線を逸らして頷いた。
「女の子一人だったみたいだし、ここには荒くれ者が多いから」
「ウィーリアン!」
びくりと肩がはねたということは、彼の名前なのだろう。「シルヴィン…」とひきつった笑みで振り返る。シルヴィンと呼ばれる青年はやはりウィーリアンと同じくらいの歳だった。目を吊り上げ、ウィーリアンを睨んでいる。
「突然走り出さぬようにとおっしゃっているでしょうに」
「すまない、見失いそうになってつい…」
「それを追いかける私の身にもなってもらいたいものです」
言葉遣いは丁寧すぎるが、怒りを含んだ目とまったく噛み合っていない。
シルヴィンはちらりとアリアを見ると、はあ と溜息をつく。
「ナンパですか…」
「なっ…!? 違う!僕は別に…!」
「男が女に意味もなく声をかけるなんて、ナンパ以外の何ものでもないでしょう」
なんだろうか。これは目の前でコントでも繰り広げられているのだろうか。
どう反応していいのかわからず、アリアは曖昧に笑って「お気遣いありがとうございました」と軽く会釈をする。
「宿を探さないといけないので、失礼しますね」
「あ、えっと、僕の名はウィーリアンだ。そっちはシルヴィン。君の名を伺っても?」
「――アリアです」
「ここのギルドに登録したのなら、またお目にかかれると思う。よろしく、アリア」
「こちらこそ」
愛想よく笑みを向ければ、ウィーリアンは頬を赤くする。
背を向け歩き出しながら、なるほどナンパか、と結論づけた。何か企んでいるかと勘繰ったけれど、会って数分の相手に何を企むんだという話だ。師匠に「お前は黙って座っていれば儚げな令嬢にみえるんだがなぁ」と言われたことがある。師である彼が中身を知っていてもそう思うのだから、何も知らない人が自分のことを「一人で旅をしているかわいらしいおんなのこ」と判断しても仕方がないことだ。
…これはあくまで客観的にみたものであり、自意識過剰ではないと願う。
日も暮れかけているので、アリアは宿さがしを続ける。
ちょうどギルド支部から少し離れた所で空きのある部屋を見つけたので、しばらくはそこに滞在することにした。とりあえず、一週間分の宿泊代を払っておく。カイルが餞別という名目でくれたのでありがたく使わせてもらう。
「お嬢ちゃんひとりなのかい?」
「はい、ギルドに登録してきたんです」
「おやまあ、まだ若いのに思い切ったねぇ」
宿屋のおかみさんはサバサバした気のいい女の人だった。「困ったことがあったらいうんだよ」とウィンクするので、アリアは礼を言って部屋に向かう。二階の隅の部屋だ。
中はこじんまりとしていたが日当たりのいい部屋で、あたたかみのあるウッドテイストだ。ベッド横の小さなクロゼットに荷物を入れて、アリアはふぅと息をつき腰を下ろした。歩くことは苦ではないがさすがに疲労感がある。部屋にシャワーがついているのが救いだ。
この世界は魔法が存在しているおかげで、そこまで不便な生活をしているわけではない。貧困の差があるのですべてがそうとは言えないが、裕福な家にはシャワーどころか風呂もある。電気はないが、魔法を動力としているのだ。なので一般的な宿屋にも簡易ではあるが浴室が設けられている。
さっそく汗を流して、旅用の服から白地の短めのワンピースに黒いパンツと、ラフな格好に着替えた。そこまで質のいいものではないので、着ていても目に留まらないだろう。
そういえば、とアリアは先ほどの二人を思い出す。
暗い色合いで目立たないようにしていたが、着ているのや腰にぶら下げていた剣はどこか高級そうだった。
しかもウィーリアンに対してのシルヴィンの話し方は、目上の者に対する言葉遣いだ。彼らこそ、どこぞの貴族のぼっちゃんだったかもしれない。
別に関わるつもりはないが、また顔を合わせるかもしれないので軽く頭にだけとどめておく。
宿代に食事も含まれていて、一階のフロアは受付兼食堂だ。おかみさんがアリアに気づき「夕飯かい?」と声をかける。
カウンターを勧められたので、遠慮せずに椅子に座った。
食べたいものは好みに合わせるスタンスらしいので、お腹に優しいものを頼んだ。生姜と鶏肉のリゾット、トマトスープ、それにおまけで小さなアイスもつけてくれた。子供の特権である。
「へえ、モールドから一人で来たのかい? 根性あるじゃないか」
どこから来たか問われ答えると、おかみさんは客の茶を注ぎながら驚く。
「でもねぇ、物騒だから夜は出歩かない方がいいよ。最近は特にねぇ」
「なにかあったんですか?」
「人さらいだよ。とはいっても、人間じゃなくて混血が狙われてるみたいだけど」
混血とは、いわゆる人間と人間外の間で生まれたもののことだ。
モールドにもいたが、獣人やエルフの血が混ざっている者はこの町にもいるらしい。
「それは確かに物騒ですね。犯人は捕まったんですか?」
「いや、まだらしいよ。ギルドでも依頼を受けて探している連中もいるんだけど、さっぱりだって話さ。ここは冒険者が集まるからね、よくそんな話を耳にするんだよ」
淹れてもらった紅茶を飲みながら、人さらいねぇ…とアリアは呟いた。
二日後、アリアは再びギルドに来ていた。
この二日間で町中はだいたいわかったし、宿からも迷わず来ることができた。前世では方向音痴だったので、今も地図は必需品だが。
受付にはフィリンがいた。アリアに気づくと「こんにちは」と声をかけてくる。
「こんにちは。身分証はできていますか?」
「ええ、こちらにありますよ。支部長からお話があるそうなので、そこから入ってください」
真新しい身分証を受け取り、アリアは礼を言って前回同様に受付横のドアをくぐった。
扉をノックして「アリアです」と告げると「入れ」と返事が返ってきた。
「こんにちは、メイリズ支部長」
「ああ、そこに座れ。身分証は受け取ったか?」
「はい、ちゃんと」
言われた通り向かいのソファに座り、受け取ったばかりの身分証を見せる。
メイリズ支部長はうなずきながら、「その身分証だが」と続けた。
「二折になっているだろう。開けてみろ」
身分証は透明なカバーに包まれており、表面にはギルドの象徴である剣と魔法をモチーフにした紋章が描かれている。二折を開けると、そこには発行したギルド支部の名、年月日、受付で書いた登録者の情報が記載されていた。
「名の下に金色と白銀色の星がある。それがおまえさんの現在のランクだ。表面は統一されているが、そこだけがそれぞれ違ってくる。不用意に他人に見せないように」
「はい」
「それと依頼の件だが、まずは銅ランクのものしか受けらないようにした。実績を積めば、上のランクのものも受けられるように随時していく。能力はあっても実力が伴うとも限らんからな」
アリアの年齢や初心者であることを考慮した結果だろう。
素直にうなずいておく。
「個人的な説明は以上だ。あとはほかの冒険者となんだ変わらん。依頼の受け方やルールは受付の者に聞くように」
「わかりました。 あ、支部長、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「町で最近起きてる人さらいって、犯人の手掛かりとか見つかったんですか?」
なぜ知っている、という視線には「宿のおかみさんから注意するように言われたんですけど」と答える。
メイリズ支部長は、重々しい溜息をついて「見つかっておらん」と唸るように言う。
「恐らくは集団で犯行を行っているんだろう。単体でできる仕業ではないからな。もし不審な者を見かけたら、すぐに報告するように」
「そのようにします」
今度こそ部屋を出て、アリアはもう一度フィリンの元に戻り、依頼の受け方や報酬など細かいルールを教えてもらった。依頼は一人で受けてもいいし、いわゆるパーティを組んで行動してもいい。パーティを組んだ場合は、当たり前だが報酬は山分けとなる。依頼完了の証拠としては、依頼対象の回収または依頼主の署名やギルドへの報告が必要だ。
アリアはさっそく銅ランクの依頼の中から、薬草の採取とそれを薬屋に届ける依頼を受けることにした。
「依頼が完了しましたら、ここにまた来てくださいね」
「はい、いってきます」
ギルドを出て、さっそく地図を広げ方向を確認する。
今回採取する薬草は「リーンチュ」という名の解毒剤の元となるものだ。その根には毒があるのだが、湯でよく煮てその成分を完全に取り出してから乾燥させ、粉末として使用する。魔術師としては薬草の用途も心得として習うが、セイディアは細かい作業を嫌うため簡単にしか習っていない。それでも、最低限の知識として持つようにと辞典をくれたので、まあまあわかる。
かくなるアリアも、細かい作業は苦手なのでそこまで追求はしていないが。
町の南に位置する森は多くはないけれど、討伐しそこなった魔獣が残っている。
城が近いモールドもかなり少なかったが、この町も同様らしい。まあ、ギルド支部がある時点で討伐依頼は行くので当然の結果だ。
アリアは、さて と森の出入り口の前に立つ。
「魔獣か~。ま、奥に行かなきゃ遭わないか」
そういって一歩踏み出したのはつい十分前。
アリアの足元には数体の魔獣が転がっている。剣を鞘に戻しながら、ふうと息をつく。
誰だ、遭わないとかいったの。わたしだ。
巨大なネズミに似ているが、牙と爪の鋭さが尋常ではない。確かあまり強くはない魔獣だった気がする。それよりこれはどうしたものか。このまま放置してもいいのだろうか? 重いし臭いので持って帰りたくはないのだが。
薬草を見つけてから考えよう、とさらに奥に向かう。
リーンチュは珍しい植物ではないのだが、きれいな水辺のそばにしか生えない特性があり、森の中に生えているものが一番効果があり質がいい。森の外でも見つけられるのだが、せっかく依頼として受けたのだからいいものを持って行った方がいいだろう。
しばらく歩くと、水音が聞こえてきた。
草をかき分けると泉が現れる。近くには探していた薬草が生えていた。アリアは指定された量を摘み取り、袋を取り出してその中に詰め込む。さて、目的は達成されたが。
「…初めての依頼で、どうして平和に終わらないかなぁ」
ザバ 、という音と共に、水面から巨大な角を持った魔獣が姿を現す。
サイのようだが、大きさが標準の1.5倍はある。アリアは再び剣の柄を握り、片頬を上げて笑みを浮かべた。
グオォォォナ! と地が揺れるほどの声を上げ、魔獣が突進してくる。たんっとその場から避ければ、アリアのいた場所が大きくえぐられる。受けていれば即死ものだ。
体制をすぐに整え、魔獣にむかって素早く剣をふるう。皮膚を切りつけたつもりだったが、予想以上に強靭でかすり傷もつかない。角が横から迫ってきたので慌てて避ける。
「強い皮膚だね」
こちらも力が強いわけではない。
傷は負わなかったが痛みは感じたのか、魔獣は怒ったように吠えるとアリアに向かって再び突進してきた。森の中は木や障害物があるので、自由に動けない。ひとまずもう少し広い場所に移動するか。
そう思い立ち、アリアは魔獣に追いかけられながら走り出した。
もう少ししたらさきほど魔獣を倒した場所に出る。あそこならまだ戦いやすいだろう。
だが遠目に、その場所に誰かがいるのが見えた。ウィーリアンとシルヴィンだ。向こうもアリアに気づいて手を上げようとしたが、その後ろに迫りくる魔獣を見つけてぎょっとした。アリアは心中舌打ちをしながら、「避けろ!」と二人に叫ぶ。左右に避けたのを確認して、アリア自身はくるりと高く宙返りをして魔獣のうしろに回る。急ブレーキをかけた魔獣は、アリアの手前で様子を伺うように地面を蹴り上げている。また突っ込んでくるつもりだろう。
「クォー!? なんでこんな森に…!」
「元々森を切り開いて作った町ですからね。取りこぼしでしょう」
シルヴィンが冷静に告げる。
アリアはクォーと呼ばれる魔獣から目を離さずに「下手に動かないでくださいね」と言う。
「標的が移りますよ」
「アリア…!?」
「傷がつけないほど強い皮膚なら、傷をつけるだけの攻撃をしろってことか」
ちゃき、と剣を構えながら「レーガスト」と精霊の名を呼ぶ。
「"赤き炎よ 我が剣を纏え"」
その言葉に応えるかのように、剣を炎が包み込む。クォーが走り出したとき、アリアが一瞬早く踏み込んだ。
「ぅおるぁあ!!!!」
おおよそ女の子の出すようなものではない、勇ましい声を上げながら一気に剣を振りかざす。
ザシュ!と音を立ててクォーの胴体から血が噴き出す。グオォォ! とけたたましい叫び声をあげ暴れるが、容赦なく上から一撃を加えてとどめを刺した。剣で切った箇所は、ぶすぶすと焼けこげている。
「…で、お二人はどうしてここに?」
「え…、あ 、依頼を受けて。ホイランの討伐だったんだけど」
ウィーリアンはたどたどしく答えながら、クォーの近くに転がる魔獣に視線を移した。
「ああ、それホイランって言うんですか? すみません、森に入った際に襲ってきたんでやっつけちゃいました」
「君、ひとりで?」
「クォーを倒すんですから、そのくらい簡単でしょう」
隣のシルヴィンにそうつっこまれ、ウィーリアンは口を閉じる。
アリアはクォーの上から降りて「どうしたらいいですかね?」と首をかしげる。
「こちらで回収させてもらいましょう」
「しかし、倒したのは彼女だ」
「あ、いえ。私は他に依頼を受けてますし、これもあるので」
これ、とクォーを指さす。
それから申し訳なさそうにしているウィーリアンに眉を下げて「ごめんなさい」と謝る。
「人の依頼を横取りするつもりはなかったですけど」
「…っ、僕は別に気にしていないよ! むしろこっちが…」
「はいはい、さっさと回収しますよ」
照れてもじもじしているウィーリアンに冷たく言い放ちながら、シルヴィンはホイランを袋に入れ始めた。
「君の依頼は終わったんですか?」と聞いてきたので、袋を軽くたたいて頷く。
「クォーをどうやって持ち帰るつもりです」
「ああ、ご心配なく。魔法で持ち運ぶので」
足場が悪いので、風の精霊を呼んで地面から浮かせる。「なるほど」とシルヴィンが感心したように頷いた。
いつまでも森にいてもどうしようもないので、三人はそろって町に戻ることにした。