旅立ち
城から慌てて屋敷を訪れ、予想した通りにアリアの旅の取りやめを説得していたカイルだったが、結局はアリアが一歩も引かないこと、そして師であるセイディアが許したことを受け止め、渋々と了承した。
そして、定期的に手紙を書くことと、これまた定期的に国に戻ることを条件とした。
保護者代わりからの提案なので、さすがにそれを拒否することはしない。
過保護なカイルの様子に苦笑しながらも、「わかりました、必ず」と約束する。
「いつ経つつもりだい?」
「準備が出来次第。とはいっても、師匠の最終試験の前から用意はしていたので、明朝には出ようかと」
「そうか……寂しいもんだなぁ」
しゅんとしてしまったカイルに「いい歳をしたおっさんが。全くかわいくない」とセイディアにつっこまれた。
それからアリアの作ったアップルパイが振る舞われ、三年間であった思い出をゆっくりと語り合ったのだった。
アリアが出発する日の朝も、カイルは屋敷を訪れていた。
身支度を整えたアリアは二人の前に立った。
セイディアが仕立てて用意してくれていた濃い紫のローブを身にまとい、愛用の剣を背負っている。動きやすそうな膝下のパンツに重みのないブーツ、それから修行のために切り揃えていた髪の毛は昨日の夜にまた数センチ短くしていた。
"美少年"とも取れる出で立ちだったが、アリアの顔立ちでは男と偽ることは無理なので、せいぜい活発な少女という印象を与える風貌にしてみた。
三年間で身長こそあまり変わらなかったが、修行でひきしまった体に加え、カイルからは女性としての嗜みもつけるようにと週に一度は礼儀やマナーの指導を受けていたので、ドレスを着ればさぞや気品のある令嬢に見えるだろう。
だが、ギルドに登録し冒険者として旅をするには、それが前面に出てしまっては動きにくい場面もある。
彼女自身がそう思っていたし、セイディアからも油断されない姿で旅をしろ、と言われていたので、結果こうなったのだ。
ちなみにアリアはまだ杖を持っていなかった。
杖は、魔力を集結させポイントを絞って放ったり、魔方陣や広範囲の魔法に適している、ある意味での媒介のようなものだ。普段使う魔法なら、精霊の宿った魔法石を用いる方が魔力の消費を抑えられる。杖を使う魔法は、己の魔力を還元させて具現化させるものなので、より精神力と体力を必要とするのだ。
「オリヌスという町に懇意にしている武器屋がある。俺の杖もそこで買ったものだ。杖を持とうと思ったときに立ち寄ってみればいい」
そういってセイディアは紹介状という名の走り書きをアリアに渡した。それを鞄の内ポケットにしまい、「そうします」と返事をする。
「師匠、カイルさん、三年間お世話になりました」
頭を下げ、「…やっぱり少し私もさみしいです」とそのまま二人に体当たりをするように抱き付いた。
三年前、血のつながった父親にまで見放されていた自分を受け入れ、家族のように接してくれた二人には感謝をしてもしきれない。アリアの様子にセイディアは苦笑すると「先が思いやられる」と言った。カイルはアリアの頭を撫でながら「無茶だけはしないように」と同じように笑った。
体を離して少し赤くなった鼻を隠すように、アリアは笑顔を向けた。
「旅をして逞しくなって、またこの地に戻ってきます。その時にけじめをつけましょう」
ヴァーリアン家はここ数年大人しかったが、それは表面上だろう。まだ父を裁く力はないが、対抗できるだけの立ち位置は確保している。ならば、あとはどれだけ"名"を広められるかだ。
大きく手を振り、走っていくアリアを見届けながら、セイディアは溜息をつく。
「ようやく行ったか…」
「そんなせいせいしたかのようなフリをして。アリアがいなくなったら寂しいのは君の方だろう」
修行をつけてやりながら、逆に生活習慣を改善させられそうになっていたセイディアの姿をカイルは知っている。アリアがいた三年間で、城に来る頻度も前から比べると多くなっていた。彼曰く「真面目に仕事に行かなくては、練習だとかこつけて魔法の箒ではたかれる」のだそうだが。もともとは寡黙な彼がよくしゃべるようになったのは、まぎれもなくアリアの影響だ。
「馬鹿を言うな。 ああ、これから不肖の弟子が人様のところで何かやらかさないかと心配しなくてはならんのか…師というものは気苦労が多いな」
「君の師も同じ気持ちだったと思うよ」
失礼なやつだ、と言いながらも、その口調が楽しげたったのも見逃しはしなかった。
「とりあえずモールドを離れるか」
そこでギルド登録をしたところで、城から離れなければ旅の意味もない。
まずは東へ向かおう、とアリアは地図を取り出す。
すでに目星はつけていた。東にあるトゥーラスという町を目指そう。そこにも大きなギルド支部があると聞いたことがある。
城下の外に出るのは初めてだったが、なんだかわくわくしてきた。
太陽はすっかり真上に昇った。
しばらくは野山に囲まれた道をひたすら歩いていたが、前方が何やら騒がしくなってくる。
小さな子供が二人と、それを囲むように大人が立っている。近づけば、会話も聞こえてきた。
「返してよ! それは私たちが探したの!」
「ガキが何に使うっていうんだ? 俺らが活用してやるからさ」
そういう男の手には、何か薬草らしきものがある。
立ち止まって、じっと見ていると男の仲間が気づき「何見てんだ?」と睨みつけて来た。薬草を取り返そうとしていた子はアリアよりいくつか年下のようで、少女に抱き付いて泣いている男の子は恐らく弟だろう。
「おじさんたち、それ、その子たちのじゃないの?」
「おいおい、余計なことに首をつっこむと痛い目に遭うぜ」
「さっさと行っちまえよ!」
突き飛ばそうとした男の手をひらりと避けて、そのまま姉弟の前に立つ。「うお!?」とアリアの素早さに男たちが驚きの声を上げたが、それを無視して二人に話しかける。
「あの薬草はあなたたちのなの?」
「そうよ! せっかく採ったのに、いつの間にか後ろにいて奪われたの!」
「そう、なら、はい」
「え……」
アリアの手にはいつの間にか、男が持っていた薬草がある。少女はぽかんとそれを受け取った。
手から薬草がなくなったことに気づいた男が「お前…!」と肩をつかんだが、アリアは軽く地を蹴ってそのままくるりと男の顔面まで飛び上るとそのまま蹴りを喰らわした。突然のことで防御できず、男はそのまま後ろに尻餅をつく。その隙を見て、アリアは姉弟の手を引き、男たちから間合いを取った。
「何だ!?」
「くそっ…調子に乗るなよ…!」
「こういう大人にはなりたくないものね――"レーガスト!"」
アリアの左手にあるブレスレットの赤い石が光る。
「"豪火なる光よ 我に応え焼き尽くせ!"」
とたんに赤い炎が男とアリアたちの間に激しく立ち上った。突進しようとしていた男たちは、慌てて止まり熱さから逃げる。
「今のうちに逃げようか」
「え、ええ! トム、おいで」
弟を抱きかかえ、アリアと少女は走り出す。男たちの下品な罵声は聞こえないふりをして、見えなくなるまで走り続ける。しばらく走り、落ち着いたところで「ありがとう!」と少女がアリアに息を切らしながら礼を言った。
「私はルーナ。この子は弟のトムよ。あなた、魔術師なの?」
「まだ駆け出しだけどね。私はアリア。その薬草、珍しいものなの?」
「滅多に見つからないから、高いものみたい。熱さましの薬なんだけど」
「かあちゃんが、たかいねつなんだ」
トムがまだぐずりながら付け加える。
どうやら二人で熱さましの薬草を採りに来たのだが、薬草の価値を知っていた男たちに見つかり横取りされかけたらしい。
ルーナによると、この先に二人が住んでいる村があるという。
「うちの村にはお医者さまもいないから、自分たちで薬草を探すしかないの」
「誰が調合を?」
「村で一番長生きのばばさまが」
それからルーナは体の前で手をもじもじさせると「よければ、うちに寄って行って」という。
「貧乏だからおもてなしはできないけれど、お茶くらいなら出せるから…」
「…ルーナがいいのならそうさせてもらうよ。早くお母さんのところへ行きましょう」
そう返せば、嬉しそうににこりと笑う。
先ほどの男たちのこともあるし、町に行くにはそこを通ることになるだろう。
アリアは姉弟に続いて、村へと急ぐのだった。