5.それぞれのルール
「メイサ通り……ですか」
着いた場所を見て、兄は戸惑ったようだった。
「お帰りになります?」
「いいえ。ただ、西通りの方には来たことがなかったもので」
ち、引いたかと思ったのに。
メイサ通りは存外広く、ちょうど中心辺りにある川を境に西と東に分けて呼ばれている。西は売春婦が多い通りなので、通っていると言われても反応に困るが。
「そうなんですか」
「ええ。母は西の出身なんですが、私は東で育ったので」
余計に反応に困ることをあっさり告白しないでほしい。
しかし西通り出身ということは、兄の母は売春婦だった可能性が高い。そこまで突っ込んで聞きたいとは思わないが、たとえ売春婦でなくともメイサ通り出身となれば、王家の子を産むにしては〝身分が低い〟では済まされない立場だろう。
しかし一体何をしてるんだ父様。メイサ通りに通ってたってことか?
そういえば兄は、メイサ通り出身にしては随分と礼儀正しい。偏見を持っているわけではないが、実際に知っているメイサ通りの連中はもっと言葉遣いや態度が雑だ。というか、母親はどうしているのだろう。城に来たのは兄だけのはずだ。
「兄様は東通りの出身なのですか。私は西の方にしかあまり来ることがないので、今度案内してくださいね」
兄は困ったように微笑む。
「シータに案内できるような場所ではありませんが……。そういえばなぜこんな所に来たのです?」
「特に用は無いのですが、人手が必要かと思いまして」
「はい?」
「ついてきていただければ分かります」
西通りを抜けていくと、メイサ通りを西と東に分断するサイラス川が流れている。その川に架かる橋がセイロ橋だ。
セイロ橋の手前で立ち止まると、私は橋の下を覗き込んだ。兄も同じように覗き込み、息を呑む。
そこには、大勢の少女達から暴行を受けて蹲る少女がいた。
兄が慌てて下に降りようとするのを、腕を掴んで止める。
「離してください!助けないと……」
「これは彼女達のルールです。これを通らなければ、あの少女はいつまでも同じ生活から抜け出せないんですよ」
少女達の様子から目を離さずに言うと、兄は動きを止め、身体から力を抜いた。
「ありがとうございます」
手を離して兄を解放すると、一つ息を吐いた兄が尋ねてくる。
「……お知り合いですか?」
「ええ。彼女はケイトといいます。彼女達はこの辺りで売春を行っている少女で構成されたグループなのですが、抜けるためには厳しい罰を受けなければならないんです。仲間を裏切るとはそういうことです。これは入る際にリーダーの少女から確認されるはずなので、それでも了承してグループに入ったのは自分の責任です。彼女は少し前から悩んでいて、売春をやめると言うので、グループを抜ける日を無理矢理聞き出していたんです」
「……そう、だったんですか。ですが、少しやり過ぎなのでは。あれでは死んでしまいます」
「……助けたいと思うのは医者の卵という使命感からですか?正義からですか?それはただの自己満足です」
「僕は……」
「ここで止めれば、彼女は脱退に失敗したことになります。たとえばこのペナルティーで死んだとしても、文句は言えない。それがここでの落とし前のつけ方なんです。彼女達には彼女達なりの仁義があるんですよ」
兄に説明をしている間に、やっと少女達が散っていった。あとには傷だらけになってぐったりとしたケイトが残された。
少女達が散ったところでケイトの元に行こうと踏み出すと、一人の少女がケイトに駆け寄るのが見えた。先ほどのグループの一人だ。
少女はケイトの傍に膝をつくと、持っていた何かをケイトの手に握らせる。慌てたように立ち上がると、名残惜しそうに振り返りながらもその場を去っていった。
ケイトに近づいて握らされている物を見ると、少し錆びた安物の懐中時計だった。
「ケイト」
ケイトを抱き起こすと、殴られて腫れた目が少し開いた。
「へへ……シータァ、あたしやったよ。生きてるかなぁ?」
「ばっちりよ。すぐに顔も元通りの美人に戻るわ」
「シータに美人なんて言われると嘘くさいなぁ。あんた綺麗過ぎるんだもん」
「顔なんてババァになればみんな一緒よ。だからそれまで思いっきり笑ってほうれい線刻み込んじゃいなさい」
「言ってることがむちゃくちゃだよ」
かすれた声に力は無かったが、ケイトは楽しそうに笑った。
「ねぇシータ。この懐中時計ね、あたしが捨てられた時に唯一持ってた物なんだ。綺麗だろ?だからきっとあたしは貴族の娘で、いつか優しい両親が迎えにくるんだって信じてた。……でも本当は分かってたんだ。時計が錆びていくたびにあたしのどっかも壊れてく。こんな安物の懐中時計、貴族が持ってるはずないのにね」
ケイトはぼろぼろ泣きながら、「そもそも捨てたのに迎えにこないか」と笑った。
「そんなことないわよ。私が迎えにきたじゃない」
「ははっ。嘘でも嬉しいよ。でも、子供のあんたに何ができるの」
「あら、私には何もできないわ」
「分かってる。気持ちだけで嬉しいよ」
「でも私以外の人になんとかさせることならできるわ」
「何言って……」
「ねぇケイト、貴女今いくつになったの?」
「十七だけど。……たぶん」
「そう。もう少し早い方がよかったかもしれないけど、たぶん大丈夫よ」
「シータ?さっきから何言ってんの」
ケイトの質問には答えず、兄を振り返ってにっこり笑った。
「兄様、彼女の手当てしてくださる?薬と水ならたくさん持ってきたわ」
そう言って私が服の中から大量に出した水や薬を見て、兄は呆気に取られた顔をした。




