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不義姫  作者: 折紙
32/37

32.想いの正体

「エストラーガのお茶はお口には合わなかったでしょうか?」

 この空気が肌に合いません。

 物憂げに視線を俯かせるセイン皇子に、心の中でそうつっこんだ。

 なぜか私は今、セイン皇子と庭園でお茶を楽しんでいる。いや、楽しんでいるというのは語弊がある。楽しんでいるように見せている。

 なぜなんて原因は分かっているんだけど、認めたくないだけだ。セイン皇子への無礼のお詫びにこうしてお茶に付き合っている。お茶どころではなく、このあとには観劇やダンス、ディナーが待ち受けている。……なんて憂鬱な一日なんだろう。

「いいえ、とても美味しくいただいています」

 ここでこう返しておかなければ、完全に私が悪者だ。こちらの侍女はもちろん、セイン皇子の世話のためについてきたエストラーガの侍女もいるのだ。さすが大国の侍女。にこやかに対応してくれているが、うちの皇子に無礼な真似は許さないと雰囲気がそう言っている。

「とてもすばらしい風味のお茶ですね。今後は我が国でも是非取り寄せて愛用したいものです」

 いやいや、正直言ってお茶はいつも飲んでるお茶の方がおいしいけどね?ただそれは、淹れ手の問題なのか茶葉の問題なのかさっぱり分からない。何しろマーサのお茶はおいしすぎるのだ。

 ちなみにマーサとケイトには別の仕事を言いつけたのでこのお茶会には欠席。婚約阻止し隊とやらによけいなことをされてはたまらないからだ。二人は最後までぶーぶー文句を言っていたが。

「そんな。取り寄せなどしなくても、送らせていただきますよ」

「まぁ。では、うちの侍女に淹れ方を手ほどきしていただかなければ」

 オホホ、ウフフ、なんて、いつまでこの面倒なやり取りを続けなければならないんだ。茶番すぎる。お互い腹の探り合いという名のお茶会。こういうお世辞の応酬は好きじゃない。立場上得意にはなってしまったけど。

「ああ、でも正式にこちらにお世話になることになれば、私が取り寄せる立場になるのですね」

 そんなに婿に来るアピールしなくても、別に拒否したりしない。レディシアにとって悪い婚姻ではないのなら、私に異論はないからだ。

 しかし、私は以前から聞いてみたかった。セイン皇子がレディシアに婿入りすることで、エストラーガにメリットはあるのだろうか?本来王族や貴族の婚姻というものは、利害関係で成り立っている。自国に特に利益のないものならば、エストラーガにとってこの婚姻は無意味だ。だからといって、セイン皇子がまともにその答えをくれるとは思えない。なんやかんや私を褒めちぎって名誉だなんだとけむにまくだけだろう。

「一つお聞きしたいのですが」

 お聞きしたいのはこちらですが。とは言えず、私はにっこりとセイン皇子に向かって微笑んだ。

「なんでしょう?」

「殿下は臣下の方々とも仲がよろしいのですね?侍女の方や補佐の方はもちろん、医師の方とも」

「ええ。彼らがいるから私は王女として成り立っているのです。もちろん、我が国に住むすべての国民のおかげですが。彼らはその国民達の代表として父や私に仕えてくれているのです。何か意見や希望があるのならば、なるべくそれに耳を傾けられる立場にいなくては」

 侍女や補佐係とは、マーサやケイト、レイロンのことを言っているのだろう。医師というのはおそらく兄のことだ。先日やり取りを見ていた兄のことはまだしも、マーサ達のことまでしっかり観察されているとは思わなかった。当然マーサ、ケイト、レイロンは仕事上私と共にいることが多い。だが、セイン皇子の前でそんなに多いやり取りをしたわけではないのだが。

「本当に貴女はすばらしい。私も見習いたいです」

「いえ、そんな」

「よろしければ、私も貴女のやり方に慣れるためにこの国の方々と仲良くなっておきたいのですが……。そうだ、できれば先日ご一緒させていただいた、アルマ様などどうでしょう?このあとの観劇に付き合っていただくというのは」

 私は思わずお茶を吹き出しそうになった。

「申し訳ありませんが、彼は医師の卵として仕事や勉強で忙しい身。彼の師であるドクはとても気まぐれなので、先日のことは特殊なのですよ」

「そうなのですか……残念です。彼とは仲良くしたかったのですけど」

「……なぜです?」

「彼の人柄はもちろんですが、何より貴女が一番信頼してる方なのでしょう?」

「……え?」

「信頼というのとは違うのでしょうか……一番心を許している気がしたのです。……違いましたか?お気に触ったのなら申し訳ありません」

「いえ……」

 セイン皇子にそう言われ、私は少なからず動揺した。今までそんな風に考えたことはなかったからだ。本当の兄妹ではないとはいえ、擬似的なものを私は楽しんでいたのだろうか。そこからいつの間にか本当の兄のように慕うようになっていた?昨日と同じような感情が私を支配する。

 兄へ対しての気持ちはどう言い表していいか分からない。信頼はしている。だけど、長く一緒にいたマーサやレイロンに比べてみると一番信頼しているという言葉とはまた違う。マーサやレイロンに裏切られたら、私はおそらくものすごいショックを受けると思う。だけど、兄に裏切られてもそこまでのショックは受けないような気がする。そりゃ少なからず受けるとは思うけれど。だけど、なんだかそれを仕方がないと許してしまう気がするのだ。それは私が兄を欺いているという理由で裏切っているからなのだろうか。裏切っているから、裏切られても仕方ない?たぶん、違う。私は兄を兄として慕っているのではない。だって、心のどこかでは他人だと思っているのだから。彼にとって妹という特別な存在でいられることが嬉しいだけだ。

 気付いて、はっとする。顔が急速に熱くなるのが分かる。俯いた私にセイン皇子が心配そうに声をかけてくるが、顔が上げられない。

 体温の上昇とは逆に、心がざっと冷えていくのが分かる。もう赤くなっていいのか青ざめていいのか分からない状態だ。

 私は兄の、すべてを受け入れているのだ。裏切りも、まだ見たことのない過去も汚さも許してしまうほどに。存在してくれていたらそれでいい。ただ存在して、私の側にいてほしい。

 私はたぶん、兄――アルマ・ネイミストのことが好きなのだ。




 あのあとほぼ上の空でセイン皇子と過ごしたが、思い返してきちんと対応できていたか不安になってくる。まったく、あんなイレギュラーなセイン皇子という存在のせいで自分の気持ちに気付くなんて本当にどうしようもない。自分に落ち込む。私は案外鈍感というやつだったのだろうか。

 しかし気付いたところでどうにかなるわけではない。兄は私と血が繋がっていると思っているだろうし、私が王女であるという事実は覆らない。長く隠し続けてきた母の秘密をばらすわけにもいかないし、どちらにしろばらせば大騒ぎだ。その後どうなるかなんて私にも分からない。下手をすれば処刑ものだ。あの父がそれをするかは疑問だが、兄に対する態度を思えば本当の娘ではない私を処刑するくらいなんでもないことのようにも思える。

 しかし、セイン皇子との婚約が決まりかけているこの状況で自分の気持ちに気付くなんて。いや、セイン皇子と結婚することはまだいい。だが、兄が結婚する時に私は耐えられるのだろうか。兄が結婚相手と幸せそうに微笑み合いながら、相手を私に紹介する様子を思い浮かべて落ち込む。……私って、結構想像力豊かだったのね。想像っていうか妄想?しかも被害妄想。

「ああぁぁあぁあぁああぁああぁぁぁ」

「リチェ様、怨霊のような声が出てますよ」

「……怨霊って。失礼ね、マーサ」

「セイン皇子と何かあったんでしょう?ほら、ですから私を連れていってくださればよろしかったのに」

 別の仕事を言いつけられてわざとお茶会に参加させなかったので、マーサは大変ご立腹らしい。

「……いや、別にセイン皇子と何かあったわけじゃないんだけど」

「ではなんですっ!?まだ私に隠し事があるんですかっ!?」

「いやいやいやいや」

 詰め寄ってくるマーサから顔を背け、押しのける。そのまま腰掛けていたベッドにパタンと倒れると、逆さまになったケイトの顔が視界いっぱいに広がる。

「えーっと……」

「お茶デース」

「あ、ありがとう」

 ベッドから起き上がってケイトからお茶を受け取り一口飲むと、口の中にちょうどいいミルクの濃厚さと甘さが広がる。

「今日はミルクティーにしてみましたー」

 えへへっと笑うケイトが淹れたお茶は、前とは比べ物にならないほどおいしかった。マーサの指導もさることながら、ケイトの努力が実を結んだのだろう。カタコトだが敬語も少しは使えるようになっている。

「おいしい。上手になったわね、ケイト」

「ほんとっ!?よかったぁ~マーサってばほんと厳しいんだから」

「リチェ様にお出しするんですから当然です!……今日ミルクティーにしようと言ったのはケイトさんなんですよ。リチェ様が疲れているようだからと」

 ケイトの心遣いに、思わず笑みが洩れる。

「本当にありがとう、ケイト。これからもよろしくね」

 照れくさそうに笑うケイトはとても可愛かった。マーサも敬語を注意することなく、今日は仕方なさそうに笑って見ている。

 様々な感情で荒ぶっていた心が嘘のように、今日はゆっくり眠れそうだと思った。




「舞踏会?」

 朝一番の授業終了後、レイロンに告げられた。

「ええ。そろそろセイン皇子が滞在して半分が過ぎるでしょう?なので、帰国の前に舞踏会を開くそうですよ」

「……この間したばっかりじゃない」

「あれは前夜祭でしょう。大体セイン皇子は参加してないですし。少し遅いですが、歓迎の意味での正式な舞踏会も開いておかなければならないのでしょう。あとは帰国の無事を祈ってというのも込められているのでしょうね。面倒だとは思いますが、きちんとご参加ください」

 大国の皇子の歓迎の舞踏会をはっきりと面倒と言ってしまう臣下もどうなんだろう。

「舞踏会は三日後。それまでにドレスの新調……がんばってくださいね」

 にっこりと笑うレイロンが悪魔に見えた。

 ドレス新調にはりきったマーサに付き合わされ、着せ替え人形になったことは言うまでもない。

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