31.複雑な感情
「あの首飾り、私の母が生前ネネの母親に譲った物なんです」
ファントムでもらったバスケットをお土産に置いて、サリルとネネの家から帰る途中兄がぽつりと呟いた。
「あんな物のために、二人にはいらない苦労をかけてしまいました」
困ったように笑う兄は、少し傷ついているようにも見えた。
「それをあの二人は知らないので、安易に売ってしまえとも言えないんです。売って生活の足しになるのなら、それでいいと思うんです。どれくらいの値がつくかは分かりませんが」
あれは売れば相当の値になるだろう。もしかしたら、一般人ならば働かずに遊んで暮らせるだけのお金が手に入る。たぶん兄はそんな答えを求めてはいないだろうから、口を噤んでおくことにするが。
しかし、兄にダンスを教え込んだりあんな高価な品を持っていたり、兄の母とは一体どんな人だったのだろう。本当にメイサ通りの出身なのか疑わしくなってきた。
「ネネにとってあの首飾りはもう誰の物だったなんて関係ないのでしょう。母の形見というだけでなく、もう本当に大切な物なんですよ。そうでなければ、とっくに売ってしまっています。ネネは賢い子です。自分が幸せになることが母の望みであったと、気付いているはずですよ」
「……ネネの言ったことは、本当のことかもしれませんね」
「え?」
「貴女はいつも救いの言葉をくれる。『天使さま』」
優しく笑う青い瞳に、顔が熱くなる。
「……っからかわないでください」
「本当にそう思ったんです。貴女が王女で、本当によかった」
兄の言葉が心に刺さる。こんな偽物の私を、王女として認めてもらえて嬉しい。だけど、そうではないという罪悪感。そして、妹でよかったとは言ってくれないことへの落胆。だけど矛盾して、そう言われなかったことへの安心感。
なぜなんだろう。どうしてこんな複雑な感情が生まれるんだろう。いつもいつも、兄にだけ。当然この特殊な関係のせいだとは分かっているが、それでも兄の言動に動揺することがある。
いけない。私は王女らしく、簡単に感情を揺らしたりしてはいけないのに。いつだって堂々と、人の言葉に左右されてはいけない立場。
なぜだかそれが、とても悲しいことのように思えた。
城に戻ってまずすることは、セイン皇子への謝罪だった。立場的にはそりゃーもう謝り倒すしかない状況。許されるならば土下座でもなんでもしてしまいたくなる状態だ。
「本当に申し訳ありませんでした」
セイン皇子が滞在している部屋を訪れて、私は深々と頭を下げていた。王女が簡単に頭を下げてはいけないとは分かっているが、相手と状況が悪い。
「そんな、いいんですよ。お気になさらないでください。ヴァッカス王子もエイラ様も、とても良くしてくださったので楽しかったですし」
あのKYヴァッカスがいて本当に楽しめたのかは疑問だが、セイン皇子の表情に不快感はない。そもそも感情が読めないのであまり参考にはならないが。
「しかし、リチェルシータ殿下はとても臣下思いでいらっしゃる。アルマ様が責められぬよう、ああしたのでしょう?」
「……臣下の行動は私の責任です。彼に咎はありません。あるとすれば、臣下を管理できていない私にあります」
人目には分からないだろうが、なぜかセイン皇子から探るような気配を感じて思わず早口になる。
「貴女はすばらしい方ですね」
「とんでもございません。私にできることがあればどのような形でも謝罪させていただきます」
「謝罪をしてほしいわけではないのですが……」
セイン皇子はその美しい手を彷徨わせると、少し考え込んでからにっこりと笑った。
「では、こうしませんか?明日の貴女の時間を私にください」
「……はい?」
「明日は私と共に過ごしてください」
にこにこと笑うセイン皇子の笑顔に、嫌だなんて言えるはずもなかった。




